藤井耕一郎「大国主対物部氏---はるかな古代、出雲は近江だった」

近江に「ヘソ」「マガリ」という地名がある。
滋賀県野洲川近くに「ヘソ」という地名と「マガリ」という地名が隣り合わせに位置する場所がある。上りの新幹線で京都駅を出て、トンネルを抜け、瀬田の鉄橋を渡ってしばらく走ったところにある。自由の女神の像が立つラブホテルがちょうどよい目標になるらしい。近くに三上山という山があり、さらに「物部:モノノベ」という地名も存在している。著者は、この「ヘソ・マガリ」という地名に惹かれ、この地域の歴史を調べ始める。近くには、縄文時代弥生時代の、かなり大規模な遺跡が発見され、日本最大の銅鐸と日本最小の銅鐸が出土しているという。
むかし、出雲は近江だった。
現在の栗東付近の、この場所こそが、古代には出雲であり、かつて大国主と少名彦名が共同で統治するクニがあった。そして新しく進出してきた大物主(物部氏の祖)と対立した場所であると著者は主張する。イナバの白ウサギの神話も、白ウサギが少彦名命スクナヒコナノミコト)であり、ワニやヤオヨロズの神が物部系の一族であり、その対立を描いた物語であるという。近くの琵琶湖には「沖の島」もあり、琵琶湖の対岸には「和邇:わに」という地名もある…。三上山には山を七巻半もする「大ムカデ退治」の伝説があり、「ヤマタノオロチ退治」の伝説に共通するイメージがあるという。著者は主として地名や神々の名前、天皇諡号等の音韻の類似からどんどん新説を生み出していく。著者は考古学者、歴史学者ではなく、IT関連の本などを書いているジャーナリストで、古代史はアマチュアのようであるが、軽妙な語り口と相まって、とんでもない説がポンポンと出てきて退屈しない。しかも著者独特の論理に不思議な説得力があり、読まされてしまう。
「アマ:天:海」の宇宙観。
面白いと思ったのが、物部系に関係深い天武天皇が、中国の皇帝に対抗して、天皇という新概念と、それを補強する独自の宇宙観を生み出したという説。物部の一族は、かつて大陸か渡来し、海上交易や金属の生産、武器の製造によって勢力を伸ばしてきた勢力であるという。「アマ」という言葉が、「海」や「海人」を意味するいっぽうで「天」「天上の国」を意味するのは、自らの出自(交易等で勢力を伸ばしてきた海の民)を示しながら、さらに自らが世界の上に君臨する天孫族であるというポジションを正当化するための、立体的な世界観の構築だった、と著者は主張する。本書の説をにわかに信じることはできないが、そこには何らかの歴史的な事件や事実があったのだろうと思う。最近読んだ古代史の本は、古事記日本書紀における神話や荒唐無稽な記述が、何らかの歴史的な事件や事実をシンボリックに表現しているという主張が多いような気がする。どう解釈するかは著者しだいだが、本書の著者の考察はとても面白い。近江は、奈良や京都に比べ、あまり注目されてないが、歴史的には、とても古く、地名などを見ていくと、とてつもな古い歴史を秘めていると感じる。和邇(わに)もそうだが、伊賀や安土も、そのルーツはとても古いのではないかと思う。湖西にある安曇川も、古代の海人族とのつながりを感じさせる。また近江には、京や大阪と違った独特の文化があると思う。
近ごろ、近江が気になる。
大河ドラマ「江」で、近江がブームになりそうだが、個人的には、戦国時代より、古代のほうに興味がある。新幹線で野洲川に近づくと、例の自由の女神を目印に、三上山を探すようになった。俵藤太の大ムカデ退治の話を思い出したり、古代の集落群を想像したり、イメージがふくらむ。野洲川、栗東あたりは、山の高さ、平野の感じなど、風土が、どこか奈良盆地や、北部九州、播州地方に近いと感じる。実は本書の後に読んだ「邪馬台国と『鉄の道』」の中でも近江に焦点が当たっていた。また今年の始め頃買ってあった白洲正子「近江山河抄」も先に読んだ家人によると、白洲正子は、はるか古代から続く近江の歴史に注目していたようである。自分の中でも、にわかに近江への興味が高まってきた。