高城修三「日出る国の古代史ーーその三大難問を解く」


書店に行くと必ず古代史のコーナーをチェックするが、本書もそこで発見した一冊。高城修三という著者の名前を覚えていた。著者の紹介に1977年「榧の木祭り」で芥川賞を受賞とあった。その作品を読んだことはないが、誰かの書評で「民俗学な手法や知識を用いて書かれた小説」と評されているのを読んだことがある。寡作なのか、小説はその後、多くは書いていないようだ。しかし本書以外にも古代史の著書を3冊出している。Amazonで検索してみると3作とも購入できるが、レビューが書かれていないのが気になる。研究者ではない、小説家による古代史研究は、従来の学説や常識に囚われない発想が期待できるので、購入。サブタイトルの「古代史の三大難問」とは「日本書紀における『紀年』の問題」。そして「邪馬台国」。そして「神武東征」の話である。
歯がたたない紀年論。
日本書紀の年代:紀年は、天皇の寿命や在位が100年を越すなど、理屈に合わない部分が多い。そのことから戦後の歴史研究は日本書紀の記述自体が机上の創作であり、歴史的な価値は無いと切り捨ててきた。本書では、古代日本のある時代まで「春秋年ーー春分の日秋分の日の満月の頃を年のはじめとするーー1年が2年になる」が使われていた等の作業仮説を立て、古事記との食い違い、大陸の歴史書との矛盾を解き明かしていく。ただ「紀年」の話は、自分には難しすぎて、読んでいて、ほとんど歯が立たなかった。歴史年表を側において頭の中を整理しながら読む必要がある。著者による表や年表が何度も出てきて、わかりやすくする工夫はされているのだが、自分には理解できたとは言えない。この他、「古事記日本書紀も参考にした原典となる歴史書があった。」「越年称元法と当年称元法」などの作業仮説により、原史料の年代を復元する。そして復元した原史料の年代を他の史料により検証していく。第一部の「紀年論」は、一応読み通したが、理解できたとは言いがたい。しかし、これは著者が悪いのではなく、自分の知識の無さと勉強不足が原因なのである。「春秋年」や「称元法」の理屈はわかるので、理解できたことにして、次の「邪馬台国論」、「欠史八代論」「神武東征論」に移る。
邪馬台国卑弥呼。神武東征。
著者によれば、邪馬台国は大和であり、纒向遺跡等の発掘で、それは明らかだという。また卑弥呼も(倭迹迹日百襲姫:やまととびももそひめ)であり、箸墓古墳卑弥呼の墓であるという。ここでも著者は魏志倭人伝で使われている距離と方位に、「一町里=96メートル」「阡(南)=東西」という作業仮説を持ち込んで邪馬台国の位置を特定する。この辺りのロジックも「目からウロコ」というわけに行かないが、納得できたような気がする。次の「欠史八代論」も同じである。自分には、どこが正しくて、どこが間違っているという指摘ができないので著者の考察を、なるほど、なるほどと頷きながら読み進めていく。「神武東征論」では東征の出発地が、宮崎の日向ではなく、「筑紫の日向」であり、筑紫地方の連合国家による大和への侵攻であったという。こちらも賛成も反対もできず、読み進むだけであった。小説家が書いた古代史本ということで、もっとぶっ飛んだ説が飛び出すかと思っていたら、割と筋道を立てて、しっかり考証していく方法が貫かれている。本書を読んで、日本書紀古事記に語られた歴史が机上の創作であり、歴史的な価値はないという戦後の歴史研究が間違っていそうだということは納得できたような気がする。著者は「紀年」「邪馬台国」「神武東征」について、それぞれ本を書いており、本書は、その集大成といえるのかもしれない。余裕があれば、三冊とも読んでみたい。テーマごとに書かれた本を読めば、もう少し理解できるかもしれない。自分のような入門者ではなく、古代史に詳しい読者なら、もっと楽しめると思う。
著者は纒向に住んでいるらしい。
本書の中に、著者は、奈良県の纒向近くの山中に古い農家を購入し、そこに通って昭和30年ごろのの暮らしを満喫しているという記述があった。邪馬台国かもしれない纒向遺跡の近くに住み、現代の文明を拒否して、五右衛門風呂や囲炉裏の生活を続けるなんて面白そうだ。アマゾンで探すと「纒向日記」という著作があり、纒向ぐらしを綴ったエッセイらしいと、早速注文。纒向遺跡や、卑弥呼の墓かもしれない箸墓古墳三輪山にも近い山中に住んで、昔ながらの暮らしを続けるというのは、どんな感じなのだろう。古代史の舞台のすぐそばに住み、その地の空気を呼吸しながら、古代史を研究するなんて、何と贅沢な生き方ではないか。