かとうちあき「野宿入門」

自分の中では「ゼロから始める都市型狩猟採集生活」に続く、都市型アウトドア生活の入門書。著者は30歳になる女性。ミニコミ誌「野宿野郎」の編集長だという。逞しい精悍な女性を想像してしまうが、Webで画像をググると、スラリとして、ボーイッシュで、涼やかな美形。彼女が書いた、野宿のノウハウ本というより、野宿のある生活を提案するエッセイ。
「終電に乗り遅れ、自宅まで帰るタクシー代もない?泊めてくれる友人もいない。そんな時どうする?」と聞かれたら、どう答えるだろう。自分なら「安いビジネスホテルやカプセルホテルもあるし、ネットカフェや24時間営業のファミレスという手もあるだろう」と答えるだろう。そこに「野宿」という選択肢は無い。普通はそうだ。しかし、ここに「野宿」という選択肢があったとする。近くの公園などで、寝る場所を探し、段ボールや新聞紙を調達してきて、寝床を作り上げ、朝まで眠る。朝、目が覚めたら、公衆トイレで顔を洗い、身なりを整え、会社に出勤する…。そんなことができるだろうか。本書は、普段の生活の中で、気軽に「野宿」をやってみよう。やってみたら大したことない。しかも、楽しかったりもするのだから、と「野宿」をすすめる本なのである。すすめるといっても、普通の市民には強い拒否反応がある。「野宿なんか、とんでもない。それに公園とか駅とかの公共の場所に泊まるなんて犯罪じゃないの?」と思ってしまう。そんな普通の市民の反応を認めながら、著者は「でもさあ、野宿って、一度やってみたら、なんだあ、こんなもんかあ、と思うほど簡単。それに新しい発見とか、出会いとかもあったりするよ。要は気持ちの問題かも…。」みたいな、飄々とした語り口で、自分の体験を例にあげながら野宿の世界に読者をいざなう。著者がはじめて野宿をしたのは、高校時代に、友人と旅行中に「側溝」で寝たことだという。その他、駅や公園、駐車場など、朝めし前。極めつけはトイレに宿泊することであるという。信じられないことだが、野宿でボーイフレンドが出来たこともあるという。
自分は50数年生きているが、「野宿」なるものを一度もしたことがない。キャンプでテントに泊まったことはあるが、街中では、せいぜいカプセルホテルか、サウナどまりだ。徹夜して、会社のソファーで眠ったことは何度もあるが、それだけでも、かなり辛い体験だと感じていた。風呂にも入れず、着替えもできず、そのまま働き続けるという体験だけでも、何だかしてはいけないことをしてしまったような、みじめな気持ちになったものだ。阪神大震災の夜は、近くの小学校の体育館で寝たが、寒さと余震の恐怖で眠ることができなかったことも、ひどい目にあった体験として記憶に残っている。自分の中では「野宿=ホームレス」という図式が出来上がっている。本書は、この図式を、軽やかに壊してしまおうとする。「野宿とは、できるだけ少ない装備で、快適に安全に眠ること」だと言う。著者の生存能力というのか、サバイバルパワーは、ふつうの市民よりずっと高いような気がする。大災害などで、都市のインフラが機能しなくなった時、生き残れるかどうかは、「野宿パワー」とでもいうような能力で決まるのではないだろうか…。考えてみると、昔の人は、もっと野宿とかしていたんじゃないだろうか。西部劇などでも、焚き火の周囲で眠ったりするし、合戦に出かけた武士なんかも、下っ端は野宿だったろうし、現代の戦争でも、作戦行動中は、野宿(野営?)が当たり前ではないだろうか。では、自分のような一度も野宿の経験がない人間が、どうすれば野宿を体験できるか?これがけっこう難しいのである。とりあえず家の近くの河川敷などで、テント泊でもしてみるか、と思ったりしている。それは野宿じゃない、と言われそうだが…。