歌田明弘『電子書籍の時代は本当に来るのか」

NO BOOK NO LIFE.
自分は、本がなければ生きていけない人間である。だから電子書籍の動向は、とても気になっている。長年、増殖し続ける本と格闘してきたが、そろそろ限界に近づいている。少し前に遊びに行った読書家の友人の家では「本を買うのは基本的に文庫のみ」とわりきってしまっているのを聞いて、衝撃を受けた。また鞄に、常に数冊の本を入れて持ち歩く習慣も、体力的に辛くなってきている。もし、いまiPadの半分ぐらいのサイズで重さが300gぐらいの読書端末が発売され、新刊書の8割ぐらいが電子書籍が発売されるようなプラットフォームが立ち上がれば、電子書籍に移行してもよいかな、と思い始めている。ようく考えてみれば本という物理的なメディアに、それほど愛着があったわけではない。米国でAmazonキンドルが定着し始めているのを見ていて、早く日本でも早く始まらないかな、と思っていたところである。しかし、日本の電子書籍の状況を見ていると、そう簡単には行かないようなのである。再販システムとか、取次とか、日本独自の流通システムが話を複雑にしているようで、いっこうに電子書籍ビジネスが立ち上がって来ない。ことしの春、Appleが iPadを発売し、米国ではiBooksという電子書籍販売ビジネスに参入してきた(iBooksでは日本の書籍は販売されていないが)。とりあえずiPadが、果たして読書に使えるか試してみることにした。電子書籍のビュアーアプリを幾つか購入し、電子書籍も何冊か買って、読もうと試みた。結論から言うと、自分の読書スタイルではiPadは読書端末として使えない。ハードカバーの分厚い本並みの重さと大きさ、むき出しで持ち歩くには向いていないデザイン…。自分の読書のゴールデンタイムである電車通勤時に使えないのが最大の欠点だと思う。数千円を費やして購入した電子書籍は、一冊も読み終えることが出来なかった。リビングや書斎、カフェなどで、ゆったりと本を読む読書スタイルの人なら使えるかもしれないが…。
電子書籍の未来」が見えない。
そういうわけで、日本における「電子書籍」がどうなっていくのかは、いちばん関心がある問題なのに、いろいろニュースとかを読んでも、いっこうにわからないままなのである。今年のCEATECでも電子書籍用のリーダー端末としてよさそうなタブレット端末が色々発表されたし、シャープ、ソニー、ドコモなど幾つかの企業が電子書籍にプラットフォームを立ち上げようとしている。しかし本当に日本で電子書籍市場は立ち上がっていくのだろうか?iPhoneiPadのアプリを開発する仕事をするようになって、多少業界の事情がわかるようになった今までも、日本の「電子書籍」のビジネスは混沌としているように見える。果たして電子書籍時代は本当にやってくるのか?本書は、そんな疑問に誠実に答えてくれようとしている本だ。佐々木俊尚氏が「電子書籍の衝撃」で描いて見せてくれた、わくわくするような未来の話では無いが、今、何が起きようとしているのか、という、こちらの知りたいことに、きちんと答えてくれようとしている本だ。
何度目かの電子書籍ブーム。
本書は、電子書籍をめぐる現状をざっくり見渡した後、国内で過去に何度かあった「電子書籍ブーム」がなぜ失敗したかをたどって行く。通信インフラや端末の処理能力の問題、電子書籍の生産と流通の問題、さらに価格の問題…。様々な家電メーカーや出版社が取り組んでは挫折を繰り返してきた。その中で唯一軌道に乗ったのは、携帯電話によるコミックの配信とケータイ小説と呼ばれる若者向けの電子書籍ビジネスだった。個人的なことを言わせてもらえば、過去にあった電子書籍ブームには、全く興味が持てなかった。自分のような本好きをターゲットにしているとは到底思えなかった。失敗するべくして、失敗したのだと思う。
キンドルはなぜ成功したか?
2007年11月、Amazonキンドルという読書端末を売り出し、電子書籍販売のビジネスを一気に立ち上げる。今年発売されたキンドル3は、日本語も表示できるらしい。友人のキンドルを見せてもらったことがあるが、非発光式のモノクロに割り切ったディスプレイをはじめ、読書端末としてはよく考えられていると思った。これが日本で発売され、書籍の流通も整えば「電子書籍」に乗り換えてもいいと思った。本書によれば、キンドルの成功が、一般に言われるようにハードウエアの特長にあるのではなく、巧みな販売戦略によるところが大きいといいう。Amazonは、1冊9.9ドルという思い切った価格で電子書籍を読む習慣を広げようとした。出版社からは12〜13ドルで購入しているから、売れれば売れるほど赤字になるという。さらに。Amazonが書籍の販売価格を掌握し、コントロールできたこと、ターゲットを、本当に読書好きの中高年としてマーケティングしたことなどが、キンドルを成功に導いたようだ。
Appleの参入。そしてGoogleの構想。
電子書籍のビジネスに後から参入してきたAppleは、Amazonの流通・販売システムの弱点を巧みに突くことで、Amazonの独占にストップをかけようとした。さらにGoogleが本の「全文検索」を武器に、まったく新しい方法で電子書籍のビジネスに参入してくる。Googleは大学などの大きな図書館の本をすべて電子化する図書館プロジェクトを発表する。それは「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすること」というGoogleの壮大なビジョンに従って、世界中の書籍の電子化するプロジェクトだった。しかしGoogleの計画は、多くの出版社や作家たちが反発し、著作権侵害の訴訟を起こした。ブック検索訴訟と呼ばれるこの裁判は3年を費やして、出版社や著作権者の権利を保証するなどの妥協案により、ようやく和解を見る。
日本の対応。
2009年、Googleは、米国での和解案を世界で適用しようと、世界中の新聞で一方的な公告を発表する。日本では、この公告に怒った著作権者たちの団体が猛烈に反発し、和解案からの離脱に動き出す。結局、Googleの和解案を日本は事実上拒否したことになる。著者は、この拒否が、ある意味で鎖国と同じであり、日本の文化の発展にはマイナスになる可能性があると指摘する。Googleのアイデアと同じような構想は日本でも動き出そうとしている。国会図書館長の長尾真氏が提唱する「電子図書館構想」である。この構想では、国会図書館が、出版社から書籍を電子書籍あるいは電子データで提供してもらい、ライブラリーを構築する。このライブラリーを、仮に「電子出版物流通センター」と名付けた外部組織を通して有料配信する。館内での閲覧は無料だが、自宅などから利用する場合は、ダウンロードして、その手数料を支払う。手数料はダウンロードされた回数やページ数に応じて出版社に支払われる。この構想は2009年、補正予算で127億円が投じられることが決定し、実現に向けて動き出した。
Google再上陸。
図書館プロジェクトで、事実上撤退したGoogleは、2010年秋、「グーグル・エディション」と呼ばれる事業をスタートさせる。これは、出版社から本の提供を受けて電子化し、出版社や作家の認めたかたちで検索表示する事業である。すでに200万冊のライブラリーがあるという。この200万冊の内、権利者の承諾を得たものに関しては全文に有料でアクセスできるようにするという。このサービスは2011年はじめまでに日本でもスタートするという。図書館プロジェクトで上陸に失敗したGoogleは、もっと巧みな、マイルドなやりかたで再上陸しようとしている。「グーグル・エディション」は、いわば電子の取次ともいえる事業である。日本でも「電子版取次」のポジションを狙う事業を。代日本印刷、凸版印刷が始めようとしている。
無料から有料へ。
これまで「ネットで流通するコンテンツは、基本的に無料である」という概念が一般的であった。本書では、「ウォールストリートジャーナル」の例や2011年から有料化する「ニューヨークタイムズ」、国内でも「日経新聞の有料化」や朝日新聞の有料電子書籍「ウエブ新書」の例を取り上げ、有料化の流れがはじまっているという。つまり、これまで無料であったWebの体質が、電子書籍と融合していくことにより、「変質」していく可能性があるという。
電子書籍普及の3つのシナリオ。
著者にとっても電子書籍 普及のシナリオは断定できないようだ。本書では3つのシナリオを提示している。1つ目は、キンドルの立ち上がりの時と同じように新刊書が、紙の本と同時に、しかも大幅に安く大量に販売されるというシナリオ。このシナリオが実現すれば、読書家は、いっきに電子書籍に乗り換えていくだろう。しかし、再販制度に縛られた日本で、このシナリオは実現しにくい、という。2つ目はiPadのようなタブレット端末が読書家の間に徐々に普及し、それに伴って電子書籍の利用が拡大していくというシナリオ。3つ目は、iPadのようなタブレット端末が普及せず、携帯電話やスマートフォン電子書籍の端末になっていくシナリオ。このシナリオでは、電子書籍のコンテンツは、コミックやケータイ小説などが中心となる日本独自のコンテンツの市場になていくだろうという予測だ。著者自身は、2番目のシナリオが好ましいと思っているようだ。自分も2番目のシナリオを望んでいる。このシナリオ実現の鍵を握っているのは「タブレット端末」だと思う。今年のCEATECでも、電子書籍によさそうなタブレット端末が幾つか発表されていた。今年の年末から来年にかけて、多くの端末が発表され、電子書籍の流通プラットフォームも出てくるだろう。
雲の上、神々の戦い。
本書を読み終えて、「電子書籍の未来」に関する不透明感は、かなり解消されたと思う。断言してもいいと思う。「電子書籍時代は必ずやってくる。」水が低いほうに流れるように、すべての本は電子化されていく。問題は、それが「いつ」からかである。願わくば、ここ2〜3年で実現してほしいところだ。
それにしても、AmazonAppleGoogleという、神々の戦いは面白い。読書家を徹底して研究し尽くして、万全の準備でキンドルを投入したAmazon。「ハード」「インターフェイス」「アプリ」という3点突破で市場を切り拓くApple。そして壮大なビションと使命によって、まったく違う戦略を仕掛けてくるGoogle。遥か雲の上で(クラウド上で)神々の戦いは続いている。