内田樹「街場のメディア論」

今年になって4冊目の内田樹の本。内田先生は、自分がいま一番信頼できると思っている論客の一人。いつもながら独自でありながら、しかも説得力のある論理展開でぐいぐいと読者を引っ張っていく。新聞やテレビなどのマスメディアが凋落しつつあると言われている、その原因は、インターネットなどの新しいメディアの台頭であるという。それは本当だろうか、と著者は問う。メディアが凋落しつある最大の原因は、むしろマスメディア自身の、マスメディアにかかわっている人たちの、端的に言えばジャーナリストの力が落ちたことにあるのではないかと著者は考えている。教育や医療の崩壊。それを引き起こしたマスメディアの報道を例に取り上げながら、報道が、個人を隠した「定型に陥っていく状況を著者は批判する。
著者は、教育、医療の崩壊を引き起こした最大の原因が「市場原理の導入」であると考えている。市場原理が、「教育と学生」を「商品と消費者」に、「医療と患者」を「商品と消費者」に、そして「本と読者」を「商品と消費者」に変えてしまった、と結論づける。しかし、この考え方は、世の「メディア論」を真っ向から否定するものだ。
著者は、読者をどこへ連れて行こうとしているのだろう。おいおい、内田先生、そんなに全部否定して大丈夫か、と思いながら、第6章以降を読む。ここからなぜか、トーンが変わる。「本を読みたい人」は減っていないことや「知的劣化」は起こってない、と主張したのちに、語られるのが「本棚」の話である。電子書籍は、紙の本のように空間的に「書棚」形づくることができないという。少し軽い文体で語られる、この章の論理は自分にはあまり理解できなかった。「書物は商品ではない」という論理はわからないことは無いのだが、「書物は著者から読者からの贈り物である」という話も、その後の「贈与経済」の話も理解できたとは言いがたい。
ここにも現在のメディアを語る言葉や概念の枠組みを一度ぜんぶ取り外そうとするラディカルさがある。いまはちゃんと理解できないが、きっとここにはヒントがあるような気がする。たぶん最後の3つの章は、内田先生からの謎に満ちた贈り物なのだ。この本をメディアの世界にいて、メディアの未来を真剣に考えている人たちに、ぜひ読んでほしい。そして、ここからどんな「メディア論」を導き出すのか、話し合いたいと思う。