前島 賢「セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史」

セカイ系」そんな言葉があるとは知らなかった。ただ「セカイ系」の代表とされる作品に新海 誠のアニメ「ほしのこえ高橋しんのコミック「最終兵器彼女」にはハマッたことがある。本書の中にセカイ系の定義らしきことが書かれている。「作品の中に世界はあるが社会がない。「自分」と「世界」が「社会」を介さずに向き合っている感じ。それはよくわかる。「最終兵器彼女」や新海誠の第2作「雲のむこう、約束の場所」を「近景があり、遠景はあるが、中景がない」と評している人がいたのを思い出した。「近景」は身の回りのプライベートな空間であり、「中景」は自分が属している地域や組織などの社会システム。「遠景」は個人から一番遠い、国家や時代のような大きな世界だ。「最終兵器彼女」は、地方の高校生の恋愛物語なのだが、主人公たちが生きている世界では戦争が続いている。しかも、ある日突然、主人公の恋人の女子高校生が、軍が開発中の秘密兵器であることがわかるのだ。なぜ戦争が起きているのか?どこの国と戦争しているのか?戦争によって世の中がどう変わったのか?彼女はなぜ兵器になったのか?そのようなことはまったく描かれず、二人のぎごちない恋愛と、時々唐突にはじまる戦闘が淡々と描かれてゆく…。やがて戦争は激しくなっていき、彼女の出撃も頻繁になっていく。しかも兵器としての彼女は日々進化し、「人間の部分」が徐々に失われていく…。「最終兵器〜」の話ばかりになってしまったけれど、この作品は、いま私たちが生きている時代の気分をよく表していると思う。人と人のつながりが希薄になり、ごく個人的なつきあいやつながりは大切にするが、その外側のつながりには関心がない。「ほしのこえ」「最終兵器彼女」はきわめて少数派の作品だと思っていたが、「セカイ系」と言われるほどの潮流になっているなら、ちょっとこわい、と思った。