新井紀子「AIに負けない子どもを育てる」

「A I ブーム本」っぽいが、内容は正反対。

前作の「AI vs 教科書が読めない子どもたち」と同じく「AIブームに乗っかって売らんかなの意図丸出し」のようなタイトルだが、中身は全然違っている。逆にAIブームの不毛さを警告するような内容である。そして何より、本書は、日本の子どもたちの学力低下について警鐘を鳴らす本なのである。著者は数学者で、2011年より人口知能プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」のプロジェクトデイレクターを務めた。そのプロジェクトでの経験が、本書の主要なテーマであるRST(リーディングスキルテスト)につながっていく。

東ロボ君の挑戦。

「ロボットは東大に入れるか」プロジェクト、通称「東ロボ」プロジェクトは、最先端の人工知能の研究者が集まって、ロボットというよりAIに、東大の入試問題を受験させるというもので、7年にわたって続けられた。東ロボ君は、2013年からセンター模試と東大模試を受験し始め、2016年にはMARCH(明治、青学、立教、中央、法政)と関関同立関西大学関西学院大学同志社立命館)に合格可能性80%以上の判定を受ける。しかし目標であった東大入試に合格する見込みは立っていない。前作の「AI vs 教科書が読めない子どもたち」で著者は、AIの研究者たちががどのように入試問題に取り組んだかを紹介している。

AIは、意味を理解できない。

著者によるとAIには本質的ともいえる弱点があり、その弱点のせいで東大の入試問題を突破できなかったという。AIはコンピュータであり、コンピュータは計算機であり、計算機は計算しかできないという。つまり数式で表せないことはコンピュータにはできないのだ。前作では、東ロボ君が問題を解く仕組みや方法論を解説しながら、AIの可能性と限界について、実にわかりやすく教えてくれた。その中で、著者が繰り返して語っているのは、コンピュータは「意味を理解できない」という事である。その代わり、膨大な計算処理や統計、確率論を駆使して答えを出すことが出来る。人間とはまったく違う仕組みで問題を解くAIには、長文の読解や記述問題には歯が立たず、新たなブレイクスルーがなければ、東大入試突破は不可能と判断されたという。

「意味を理解できないAI」に負ける子どもたちがいる!

著者たちは「東ロボ」プロジェクトを進める中で「意味を理解できないAI」より成績の悪い子どもたちが大勢いることに気づく。著者は「ひょっとしたら彼らは、問題をきちんと理解できていないのではないか」と疑いはじめる。入試問題は、そのほとんどが高校までで学んだ教科書の中から出題される。「子どもたちは、教科書を理解する以前に、教科書そのものをきちんと読めていないのではないか」と著者は考えはじめる。それを検証するために考案されたのが、本書で紹介されるRST(リーディングスキルテスト)である。

リーディングスキルテスト(RST)とは?

リーディングスキル」とは「読解力」「文章の意味を理解して正しく読む力」である。それはすべての学習の基本となる能力であり、その劣化が、子どもたちの学力低下を引き起こしているのかもしれない。前作では、RSTを様々な学校で実施し、RSTの結果と学力の相関を検証していく。その結果、子どもたちの中に「教科書が読めない子どもたち」がかなりの割合を占めている現状が明らかになる。また、RSTと偏差値との相関もわかってきた。RSTの平均点が高い高校は、偏差値においても高いポジションに位置しているのだ。RSTに対して批判の声も少なくないという。「たった35分ほどで終わるRSTが何時間もかかる模試の成績と相関があるなんて信じられない。インチキではないか!」「問題の文章が読みづらい悪文なので、間違ってしまうのだ。」などなど…。そんな批判にも著者はひるまない。RSTの受験者が増えていくにつれて、著者の主張が間違ってないらしいことが明らかになってきたからだ。子どもたちの「読む力」は明らかに低下している。著者は前作で警鐘を鳴らしてはいるが、その原因や対策については触れられていない。「ちゃんと文章を読む力」は、そう簡単には身につかないからだ。本書では、一歩進んで、子どもたちの読解力低下の原因についても触れられている。著者は、小学校におけるプリントやワークシートを多用する授業が、子どもたちの学力低下を招いている可能性があると指摘する。また正しい読解力を身につけるための授業の方向性を示すモデル授業も本書のなかで提示されている。

RST体験版をやってみた。む、むずかしい!

その後、著者は「教育のための科学研究所」を立ち上げ、28万部が売れた前作の印税の収入を投じて、全国でRSTを実施するためのシステムを構築したという。本書では、RSTが生まれた経緯とその意図や仕組みがくわしく語られている。そしてRSTの体験版も収められている。本書を購入後、すぐやってみた。6分野7項目から構成され、各項目は4問が出題される。各問題は、ツィッター程度の短い文章を読んだあと、短い問題が出され、1〜4択で答えるという形式。

係り受け解析・・・文の基本構造(主語・述語・目的語)を把握する力。

②照応解決・・・・指示代名詞が指すものや、省略された主語や目的語を把握する力。

③同義文判定・・・2文の意味が同一であるかどうかを正しく判定する力。

④推論・・・・小学6年生までに学校で習う基本的知識と日常生活から得られる常識を動員して文の意味を理解する力。

⑤イメージ同定・・・文章を図やグラフと比べて、内容が一致するかどうかを認識する能力。

⑥具体例同定・・・言葉の定義を読んでそれと合致する具体例を認識する能力。※具体例同定は、辞書由来の問題群(具体例同定(辞書))と理数系教科書由来の問題群(具体例同定(理数))の2項目に分類される。

結果は70点満点で48点。自分は「前高後低タイプ」こわいほど当たってる。

一見、簡単に思えるが、けっこう難しい。30分ほどで解答を終える。最後の項目の具体例同定(理数)がほぼ全滅!トホホ!各項目は10点満点なので、6.86点平均。予想はしていたが、ちょっとガッカリ。11万人が受験した結果から、得点の分布によって、いくつかの特徴的なタイプに分類されるという。僕のタイプは「前高後低型」。前半の3項目が6点以上で、後半の3項目のうち2つ以上が3点以下。著者によると、大企業のホワイトカラーや教員のうち、この本を手に取る可能性が高いと考えられる層でもっとも多いタイプだという。著者による分析を引用しよう。「活字を読むことは嫌いではないし、知的好奇心はあるのに、理数系やコンピュータに対して苦手意識はありませんか?」「1行1行確実に読むよりも、キーワードを拾って、『いま、こういうことが話題になっているんだな』とザックリ理解しようとしていませんか?」「高校1年までには『数学が苦手だな』と感じ始めたのではないかと思います。それは推論と具体的同定(理数)が苦手、つまり論理と定義を理解する力が不十分なためです」「活字を読むのが好きで暗記が得意だったため、文系科目の成績がよかったことのギャップから、早い段階で数学に対して苦手意識を持ってしまった可能性があります。」おっしゃる通り!グウの音も出ません。

たった30分ほどののテストで、ここまでわかるか!

自分のことを振り返ってみる。小学校から本を読むのは好きで、SFやミステリーを辞書を引きながら読んだ記憶がある。もともと算数の計算ドリルが大嫌いで、中学に入った時から数学が苦手だと感じていた。高校ではもう「お手上げ状態」だった。このタイプは、著者によると「推論が苦手なのを別のことで補おうとすると、経験値か空気(同調圧力)か、ネット等の情報に頼ることになることでしょう。そうすると、2つの極端な行動パターンに走りがちになります。(中略)自己啓発本に感化されて、ベンチャーを立ち上げたり、積極性をアピールするために、やたらと提案することで自滅したり、部下や同僚を疲弊させるというパターンもあります。どちらにも共通する点は『情報量過多で論理力不足』です」

ここまで痛いところを突かれると、かえって気持ちいいぐらいだ。これまでの人生で薄々感じていたことが、白日の下に晒され、深く納得するとともに、なぜもっと早く気づいて修正できなかったのか、という後悔も生まれる。昔からSFが大好きで、サイエンスの本を読むのも好きだったが、読んでいるうちに、ちょっと数式やグラフが出てくると、そこから先に進めなかった。会社の経営に関わるようになっても、決算書がきちんと理解できず、適切な判断ができなかった。人生の挫折や、失敗や、いろんなことが、ここから始まっていたのだと、今になって理解するのは辛すぎる。それも65歳という年齢で気づかされるのは残酷すぎる。

最初に読んだのは「数学は言葉 」

大きな声では言えないが、実は自分の文章力に疑問を持っている。コピーライターとして40年近く言葉を綴ってきて、文章は、いわば商売道具のようなものだが、自分が、どこに出しても恥ずかしくない、きちんとした文章を書けるかというと、なんだか心もとないのである。例えば、僕が、今から大学に入って何かの研究をして、論文を書くことになったとする。その論文は、学術的に正しく書けているだろうか。例えば、どこかのオピニオン誌に、何かのテーマについて評論的な文章を書くことになったとして、ちゃんと論理的な文章を書けるだろうか?そんな風に考え始めると、ますます自信が失われてゆくのである。

自分の文章にはきっと何か大切なものがが欠けている。それは何だろう?と疑問を抱きながら、ずっと生きてきた気がする。その問いに答えてくれたのが、著者の本「数学は言葉」だった。自分に足りないのは「論理」である。そして「論理」とは「数学」である。著者によると、英語よりも世界で共通する言葉が数学であるという。しかも科学とは、世界を数学の言葉で記述することであると言う。そうか、足りないのは数学か?ということで、著者のほかの本を読むようになった。「こんどこそ!わかる数学」「コンピュータが仕事を奪う」「ロボットは東大に入れるか」その次に読んだのが「AI vs 教科書が読めない子どもたち」そして本書という順番だ。

本書も、RSTも、65歳になった僕には無用のものかもしれないと思う。今さら「論理力」なんか身につけてどうする、とも思う。ただ、これから子どもたちの学力や、教育がどうなっていくかは、とても気がかりだ。僕が、数学が苦手になりかけた時、それを正しく導いてくれる人間は、周囲にはいなかった。もちろん、周りのみんなは、自分の力で苦手な数学を克服し、論理力を身につけていったのだし、僕がさぼっていただけなんだけれども…。いまの子どもたちには、正しく導いてくれる教師や大人たちがいてほしいと思う。

本書の印税を使って、全国の学校のホームページを無償で提供。
本書もベストセラーになっていくだろう。あとがきで、著者は、本書の印税で、次にやることを宣言している。それは、日本全国の幼稚園・保育園・小学校・中学校・高等学校のホームページを無償で提供することだという。著者は2005年から、教育機関向けのグループウエア NetCommons(ネットコモンズ)をオープンソースで提供してきた。開発コンセプトは、パソコン操作に自信のない教員でも簡単にそして安全に情報発信ができる「学校ホームページソフト」を提供することだった。2011年東日本大震災が起こった時、被災県はどこもネットコモンズのユーザーだったという。その中で、クラウド上でネットコモンズを利用していた学校は、地震直後から避難所閉鎖まで、情報を発信し続けることができた。ホームページを通して、その日のうちに生徒全員の帰宅や家の被災状況が確認できたという。一方、文部科学省には、学校の基本情報を把握する仕組みがなく、毎年学校基本調査を行なっているにも関わらず、複数の異なる課が、紙で管理しているだけでした。震災発生時、文部科学省は、各県の教育委員会にFAXなどで連絡し、県の教育委員会は、市町村の教育委員会に連絡し、そこから各学校に転送するというバケツリレー方式を想定していたというが、当然そんな仕組みは機能しなかった。著者は2012年から、学校のホームページは安全なクラウド上に移し、学校の基本情報や緊急情報などは機械が理解できる形で集約すべきだと、あらゆる機会に説いてきたという。小中学校はどんな小さな市町村にも必ずあり、小中学校の情報を把握すれば、どの地域にどんな危機が発生しているか、リアルタイムでわかるはずである。著者は文部科学省をはじめ、総務省国交省内閣府に頼みにいくが「必要なことだし、たいへん良いことだけれども、うちでは引き受けられない」と断られたという。

その後も、熊本や北海道で地震が発生。豪雨による被害も毎年のように発生するし、南海・東南海地震の可能性も高まっている。「もう待つことはできない」と行動を起こしたという。まずは国公立・私立の区別なく、すべての幼稚園・保育園・小中学校・高等学校に対して、基本的なホームページを無償で提供するプラットフォーム「edumap」を2020年春に向けて準備するという。近い将来には、給食だよりや学校の行事予定や週の持ち物などを機械が処理できる形で発信できるツールも提供する予定。そうすれば多様なルーツを持つ生徒が通ってきても、保護者は自分の母語機械翻訳して読むことができるのだ。本書の印税は、すべてedumapの構築とメンテナンスに充てるという。本書を買うことは、著者の勇気ある決断と活動を応援することになるのだ。これからも、著者の活動を応援したい。