「傘がない」ということ

音楽を言葉で語れるだろうか。

前回、恩田陸の「蜜蜂と遠雷」の感想を書いてみて、音楽を言葉で語ろうとすることの意味や難しさをあれこれ考えた。このブログの下書きには、音楽について書こうとした文章は、けっこうあるのだが、そのほとんどが書きかけのまま終わってしまっている。2ヶ月ほど前にNHKで放送された「SONGS 井上陽水」を観て書きかけた文章があるので、それを引っ張り出して書き続けてみようと思う。

「SONGS 井上陽水・第2夜」の「傘がない」を観て、不覚にも涙が出た。

70歳になった天才は、上機嫌で楽しそうに見えた。インタビューに応える、冗談とも本音ともつかない、人を食ったようなトークは、ますます快調だ。「温泉が好き」「ブラタモリのどれを消すかが問題」「健康が一番」などなど…。そんな陽水が 番組の最後に歌ったのが「傘がない」だった。

不覚にも涙が出た。

久しぶりに、ほんとうに久しぶりに「傘がない」を聴いて、不覚にも涙が出た。この曲は僕にとって、数少ない「タイムマシン・ソング」の一つなのだ。曲を聴いた瞬間、ほぼ半世紀前の、十代後半の自分に戻ってしまう。あの頃の気分や感情が生々しく蘇ってきて、もう冷静でいられない。この曲は僕にとってアブナイ曲なのだ。だからiTuneのプレイリストには陽水の「傘がない」を入れてないし、この曲を聞きたいときは他のアーティストがカバーした「傘がない」を聴くことにしている。それでも、この歌を、70歳になった陽水自身が、番組の最後の曲として選び、自ら解説を加えながら、歌ったことが、なんだか嬉しかった。

70歳の「傘がない」

陽水は最近、「傘がない」を、若い頃とは違う気持ちで歌うようになったという。「傘がない」の「傘」は、僕らが普段雨が降ればさす「あの傘」ではなくて、もっと広い、大きな「何か」であるように聴こえてくるようになったという。「傘」が象徴するものは何なのだろう?陽水は「児童の虐待」を例に挙げ、それを解決するためには気の遠くなるような時間や努力が必要だと言う。世の中の様々な問題を解決する方法、それはたいていの場合「ない」のだという。彼は、それを「絶望」と言ってみたり、「とにかくないんだな」と解説しようとするが、うまく言葉にできないようで、もどかしさのあまり、最後は「聴いてもらうしかない」と開き直ってしまう。

そこに行くための道が失われている。

人には、行かなけれならない場所がある。会いに行かなければならない人がいる。しかしこの世には、必ずと言っていいほどそれを阻む障壁がある。それは「渡れない河」だったり、「広すぎる海」だったり、「遠すぎる距離」だったり、「越えられない壁」だったりする。それらを越えていくたの手段が橋であったり、船であったり鉄道であったりするのだ。しかし大抵の場合、僕たちには、その手段が「ない」のだ。人とその人が求める物事の間に存在する大きな隔たり。それを越えるのは容易ではない。虐待のない家庭、永遠に続く愛、飢えや戦争の無い世界…。そこに行くための道筋は失われてしまっている。世界の不可能性?陽水は、それを「絶望」などと言ったのだ。何となくわかるような気がする。しかし僕には、どこかしっくり来ないのだ。この歌が呼び起こす感情は、もっと卑近で切実なものだ。それを自分の中できちんと言語化しておきたくて、この文章を書いている。

僕にとっての「傘がない」

「傘」というものが、ありふれた平凡な日用品であることに意味がある。「傘がない」というシチュエーションは、日常の中においてどんな状況で起こるだろう。傘というものは、どこの家の玄関にも数本は置いてあるものだ。普段出かける時に「傘がない」という状況に陥ることはほとんど無いといってもいい。例えば「傘を持たずに家を出て、途中で雨が降り出して困った」というケースはありうる。また「傘を持って出かけたが、どこかに忘れてきた」というケースもありうる。しかし、この歌が表現する「傘がない」はそのような状況ではない。

ありふれた日用品としての傘。

昔は、「傘がなくても」誰かが「これ、どうぞ」と貸してくれたものである。さらに、たいていの家には数本の傘が常備されているから、自宅を出る時から「傘がない」という状況はあまり無かったのではないか。傘は、どこの家にもあり、そして近所や知り合いの間で気軽に貸し借りするような、ありふれた日用品だったのだ。駅前の喫茶店で雨宿りをしていると、店のマスターが「これ、使って」と貸してくれたものだ。

しかし都会のアパートで一人で暮らす若者なら、事情は違ってくるかもしれない。彼は、傘を持っていてもせいぜい1、2本だろう。たまたま出かけた時にそれを忘れてしまい、今日は1本もない、という状況は起こりうる。しかし彼のそばには、家族もおらず、傘を気軽に借りられるご近所付き合いもない。傘を貸してくれるような数少ない友人も、近くにはいないのだろう。

「傘がない」が発売された頃のことを思い出してみる。当時の僕には、この歌が、家庭やご近所付き合いのような、コミュニティから孤立し、社会からも疎外された一人暮らしの若者の生き方を象徴しているように思えたのだ。この歌が発表された1972年、浅間山荘事件があった。学生運動はすでに下火になっており、一部の過激な活動家が地下に潜って先鋭化した果ての事件だった。僕らは、政治や社会に興味を失い、ひたすら内向・自閉していった。家族や親戚、ご近所といった日常的なつながりにも背を向けるようになっていく。僕の関心は、免許を取ったばかりのバイクと音楽、すっかり習慣になっていた読書に集中していた。そして恋愛。しかしバイクや文学や音楽で生きていくには才能もなく、恋愛も思うようにはいかなかった。何もかもうまくいかず、世の中からも取り残された自分。「傘がない」は、そんな僕自身の閉塞感や虚無感を代弁してくれているのだと思っていた。

自分が拒否しようとした社会や世間、そこから逃れ、のめり込もうとした恋愛。しかしそれすらも「ありふれた傘」が「ない」ことに拒絶されてしまう。自分が拒否し背を向けてきた「ありふれたつまらない日常」が復讐してくるのだ。「とても大切なもの」が「取るに足らないつまらない物」によって遮られ、失われようとしている。その不条理と哀しみが「傘がない」なのだと思う。

だから「傘がない」の「傘」は、陽水自身が語ろうとしたような、もっと大きな何か、広い何かを象徴するのではなく、かつて、どこにでもあった、身近な、小さな、ありふれた世界を表現しているのだと思う。それは、家族や、幼なじみやご近所同士、ご町内のつきあいといった、小さなつながりの世界である。陽水自身も、他の曲で、そんな世界への郷愁を繰り返し歌っている。「小春おばさん」「人生が2度あれば」「夏まつり」など…。

「傘がない」が創り出すイメージは、一方でかなりシュールである。僕には「傘がない」というよりは、歌の主人公と彼女の間を、無数のカラフルな傘が隔てているようなイメージが浮かんでくる。そして、このシュールさが、陽水の歌の大きな魅力の一つになって、多くの名曲が生まれたのだ。

ほぼ半世紀ぶりの衝撃。

自分の中で封印していた陽水の「傘がない」が、テレビからいきなり流れてきたことによって、心臓を鷲づかみにされたような衝撃を受けた。それから数日後、iPhoneに入れた陽水の「傘がない」をランニングの途中に聴いてみた。