山崎広子「声のサイエンス あの人の声は、なぜ心を揺さぶるのか」

日本人の80%は自分の声が嫌い。

仕事柄、取材やインタビューなどで録音された自分の声を聴くことが時々あるが、そのたびに、ほとんど生理的と言ってもいいほど強い拒絶反応が起きる。「なんで自分の声は、こんなに薄っぺらで、フニャフニャしてて、貧相なんだ」と耳を塞ぎたくなる。著者の調査によると日本人の80%は、自分の声が嫌いであるという。自分の耳で聴いている自分の声と、録音された自分の声が全く 違って聞こえ、しかも嫌悪すら感じるのはなぜだろう?。その一方で、ある人物の声が、大きな会場の空気を、一瞬で変えてしまった現場に居合わせたことがある。数年前、あるシンポジウムで聞いた哲学者の内田樹の声がそうだった。パネラーの一人だった内田が、ちょっと耳がくすぐったいような声で話し始めると、会場の空気がすうっと透明になり、とても穏やかで、精緻で、知的な空間が出現した。他のパネラーが話し始めると、その魔法は一瞬で解けてしまう。そんな体験は初めてだった。内田の声だけをいつまでも聞いていたかった。友人のHさんは、歌手の玉置浩二の声をコンサート会場で聴くと、ホールの天井が消え、眼前に星空が広がっていくような体験をしたという。「声」とは、なんと不思議な現象だろう。人はなぜ自分の声が嫌いなのか?あの人の声は、なぜ心を揺さぶるのか?」身近でありながら、よくわかっていない「声という現象」を知りたくて、本書を購入。聴覚の仕組み、声の仕組みを解説する第一章、第二章は、少し退屈だ。それを我慢して読み続けると、第三章辺りから俄然面白くなってくる。一番の読みどころは、第五章の「政治家の声はどこまで戦略的?」と第六章の「ブルーハーツの歌はなぜ若者の心をつかんだのか」なかなかスリリングな読書体験になった。

声は脳の全体に影響を及ぼす。

著者はまず、声を聴く「聴覚」の仕組みについて語る。聴覚は、空気の振動を神経パルス(電気信号)に変換する耳と、その信号を処理する脳によって成り立っている。信号は、脳の聴覚野を通って、新皮質の言語野に送られ、言葉の内容を受け取る。それと同時に旧皮質にも送られ、「好き、嫌い、心地よい、不快」などの本能的な反応を引き起こすという。人が話すのを聞いていて、内容は間違っていないのに、なぜか反発を感じたり、嘘っぽく感じたりすることや、話の内容は大したことが無いのに、なぜか説得されてしまう、というようなことが起きるのは、この旧皮質と新皮質の問題なのかもしれない。最近の研究では、声は、さらに脳のほぼ全体に影響を与えていることがわかってきたという。

声専用の器官はない。

著者は、次に、声を生み出す仕組みについて語る。声は、気道の入口に位置する薄い膜である声帯と、咽頭、口腔などで生まれるという。しかし、これらの器官は、もともと声を発するために備わっているわけではない。声帯は、もともとは食物を食べたり飲んだりする時に気道に誤って食物が入ること(誤嚥)を防ぐ器官であった。咽頭、口腔も、呼吸や食物摂取のための器官である。声は、肺の不要な空気を吐き出して、声帯を震わせ、喉頭、口腔、鼻腔などを共鳴させることで生まれる。オペラ歌手になると、さらに頭蓋骨や胸郭を含む全身を共鳴させることでオーケストラの大音量に負けない声量を発することができる。声は、声専用ではない身体の器官によって生み出される。だから、声には、その人の心身の特徴が意図せずとも露わに出てしまう。声を聴くだけで、その人の身長、体格、顔の骨格、性格、体調、心理状態などがわかるという。

声は社会によって作られる。

さらに声には、身体的な特徴だけでなく、その人の生育環境や職歴も現れるという。人は自分が聴いてきた全ての音を基にして自らの声を作り上げる。石造りの家が多いヨーロッパでは、音がよく響くため、声は、低く、深くなる。一般に東に行くほど、人々の声は薄く扁平になっていく。それは乾燥した砂漠と土の家に適した発声であるという。アラブの人々は、体格的には西洋人と変わらないにもかかわらず男女とも甲高い声で話すという。これはイスラム教の地域で1日に5回も響き渡る「アザーン」の影響が大きいらしい。声を張り上げ、情熱的にコーランを唱える習慣が彼らの声を高くしているのだ。イスラム過激派アルカイダの司令官であったウサマ・ビン・ラディンは、身長が193cmもあったにも関わらず、声明などで聴くその声は驚くほど高かったという。彼の声は、低く豊かに響く声を好む西洋人に強い違和感を与えたのではないか、と著者は推測する。

雑音の日本。

そして日本を含む東アジアになると、家は紙と木で作られ、音はさらに響かなくなり、周囲の物音は筒抜けになる。そんな音環境の中で、日本人は、高く張り上げる声を和らげるために、雑音を含んだ声を好むようになったという。楽器においても、三味線にはサワリと呼ばれる雑音を出す仕組みがあり、笛類は風のような音を出すように進化した。辻弁士、ガマの油売り、バナナの叩き売りの口上には独特のリズムとともに多くの雑音が含まれているという。

声を戦略的に活用した政治家。

そんな「雑音の国、日本」で、声を戦略的に活かした政治家がいた。田中角栄元首相である。彼の体格や骨格からすると、本来は、もっと金属的な澄んだ声の持ち主であったという。しかし政治家に成り立ての頃に、田んぼや畑にどんどん入り込んで話をした経験から、戦略的に雑音を含んだ浪花節を思わせる声を使うようになっていったらしい。角栄氏が来るとなると、どこの会場も超満員。雑音を含んだダミ声で「いやあ、どうもどうも」と聴衆の気持ちを引きつけ、盛り上げる演説は大したものだったという。

日本人の女性の声は異常に高い。

様々な場所で多くの人の声を分析している著者が、最近気になっていることがあるという。それは日本人の若い女性の声の高さ。一般に身長が低ければ声帯が短くなり、声は高くなるが、かなり身長が高い女性でも、不自然に高い声で喋っているという。周波数でいうと350ヘルツ前後で、先進国の女性では信じられない高さであるらしい。女性の声の高さは「未成熟・身体が小さい・弱い」ことを表している。女性がそのような声を出すのは、男性や社会がそういう女性像を求めていて、女性が無意識に過剰な適応をしようとしているからだ。一般の女性だけでなく、テレビのアナウンサーの声にも、その変化は表れている。戦後から70年代半ばまでの女性アナウンサーの声は、喉を締めつけた、とても高い声で、息は短く、語尾に余韻のない硬い声が主流だった。自由な発声を押さえ込んだその声は、超がつくほど男性優位であった日本社会が求めた女性像だった。その後、バブル期に入ると女性アナウンサーの声も落ち着いた低い声が聞かれるようになってきた。男性に頼らずバリバリ働く女性の台頭、CNNなど、女性アナウンサーが低い声で話す英語ニュースの放送、低い声で話すバイリンガルの女性アナウンサーや、身長が高く地声の低いアナウンサーの起用なども、声が低くなった原因らしい。ところがバブルが崩壊し、混沌とした90年代を経て、21世紀が明けると、再び女性アナウンサーの声が高くなりはじめたという。戦争や不況や金融危機、大災害などで社会が不安定になると、人々の声は高くなる。危機を感じた人々の脳からストレスホルモンが出て全身の筋肉を固くし、喉周りの筋肉もこわばって固く張り詰めた声になるという。そうやって出された声がそこかしこで聞かれるようになると、ストレスホルモンが出てない人も影響を受けてしまう。社会不安の影響を受けるのは政治家も同じである。第二次世界大戦直前の各国首脳の声にもはっきりと現れていたという。著者は、声によって、現在の日本が向かっている方向を心配している。

声の制服、マニュアル声とアニメ声。

現在の日本では、話す人が違っても、まるで同じ人が喋っているような「作り声」の「職業声」が増えているという。特に接客業や営業職に多く見られる職業声は、まるで声をマニュアルか制服のように扱っているかのようだ。著者によると、自分の個性を消してうわべの職業声で話すことは、人間対人間の場面で個人を放棄することだという。それは楽かもしれないが、心身には大きな負担になっているはずだと指摘する。さらに2000年代初頭から、少女のような甲高いアニメ声がテレビのナレーションにも使われるようになったという。アニメ声は10歳前後の小学生の声の高さと発声を大人が模しているもので、テレビ以外でも様々な場所で聴かれるようになってきた。その結果、一般の若い女性もアニメ声を真似るようになっている。それは意図しているわけではなく、テレビでよく見かけるタレントの声に知らず知らずのうちに自分の声を似せてしまう同調作用である。コンビニやファミレスなどの接客でもアニメ声が増え、街でも大人の女性が、普通の顔をしてアニメ声で話している。それはとても異様な光景で、まるで成熟に背を向けているように感じられるという。

声の影響力 宗教編。

ラジオも、印刷技術も無かった時代、人々を動かしたのは声による伝道だった。地中海のマルタ島にある、紀元前2500年頃の古代遺跡の一つに「ハル・サフリエニの地下墳墓」がある。その中に「神託の部屋」と呼ばれる空間があり、そこでは女性の声はすぐに消えてしまうのに、男性の声の低い周波数帯(70〜130ヘルツ)だけが共振を起こし、最大で8秒もの残響があるという。「神託の部屋」で実際にその音を再現した研究者は「自分の中を声の響きが突き抜けて、同時に深いリラックスがもたらされた」と述べており、脳活動のモニターでも変化が確認できたという。アイルランドにも、さらに古い「ニューグレンジ」と呼ばれる遺跡でも音が特別に響く場所が発見されている。最近、ロシアのゲノム研究グループが「声に含まれる周波数が体内の遺伝子を修復する」という論文を発表した。古代の人々は、声に含まれる特別な周波数の成分が心身に及ぼす影響を知っていたのではないか。その後生まれたキリスト教イスラム教、仏教も、伝道者たちの声の力によって、教えを広め、人々を動かし、広がって行ったのではないか、と著者は考察する。

政治家の声の力。

20世紀が始まり、ラジオが生まれると、声の影響力は一気に拡大する。本書の一番の読みどころは、この章だ。最初にラジオを使って国民に語りかけたのは、アメリカの第32代大統領、フランクリン・D・ルーズベルト。彼は1932年に大統領選挙に勝利すると、Fireside chats(炉辺談話)と名付けられた毎週のラジオ放送で国民に語りかけ続けた。大恐慌時代、絶望と孤独に苛まれる人々に、どっしりと落ち着いた暖かい声は救いを与え続けたという。

テレビ討論をチャンスに変えたケネディ

次にメディアを巧みに活用したのが第35代大統領、ジョン・F・ケネディ。彼は大統領選挙で、勝利が確実だと言われていたリチャード・ニクソンを、初めてのテレビ討論を活用して勝利する。スーツやネクタイの色までテレビ映りを狙ったという。しかし、著者の見るところ、当時のモノクロ画面では、その効果は疑わしく、勝敗の鍵を握ったのは、やはり声だったのではないかと推測する。ケネディの声は張りがあって若干高め。対するニクソンは、ソフトで悪声ではないものの、演説を始めると大きく差が出たという。ケネディは話すときにほとんど顔を動かさないため、音声が安定している。そして大切な単語を最も出しやすい音程で効果的に響かせている。さらに声のピッチを下げて不安定にする「まばたき」を単語の切れ目や単語の初めに持ってくることで、話の内容をまっすぐ視聴者の心に届かせたという。一方、ニクソンは、とにかく無駄なまばたきが多く、その度に声が不安定になってしまう。さらに話している最中に顔を前後左右に動かすため、声が揺れてしまう。ケネディの声は、自信と誠意に満ちてストレートに心に届くのに、ニクソンの声から不安を感じ、自信がなさそうで、なんだか嘘っぽい…。そんなイメージが視聴者の中に堆積していき、投票間際に「ニクソンではダメだ」という決定的な印象を作り上げてしまったのではないかと著者は推測する。

戦争の世紀に声が果たした役割。チャーチルヒトラー

 「戦争の世紀」と言われた20世紀。新聞、ラジオなどのマスメディアは国威発揚の道具として力を発揮し、国民を戦争へ駆り立てていった。著者は、第二次世界大戦で、ナチスドイツの攻撃を受けたイギリスにおいて「決して降伏しない」と国民を鼓舞したウィンストン・チャーチルの声を紹介する。その声は、安定感のある低めの声で、あまり明瞭でない発音ながらも、話しながら、ゆっくりと情熱を高めていく。演説の内容は、攻撃的なのに、どっしりとしたテンポで自国の防衛力の堅固さと守られる安心感をイメージとして国民に植え付けた。チャーチルの声は、周到で、少々狡猾な性格がうかがわれる声だという。一方、アドルフ・ヒトラーの地声はさしたる特徴がなく、むしろ穏やかで弱々しい声だった。しかし彼はスピーカーなどの音響装置を巧みに使い、演説を演劇のように演出するパフォーマンス能力に長けていた。長い沈黙で聴衆の注意を引きつけ、演説をはじめると、熱狂する聴衆の力に呼応して自らのテンションを高めてゆく。そして最高潮に差し掛かると、切迫感を持って聴衆を息もつかせず煽りたてる。クライマックスのフォルテの連続、その異様なエネルギーが、逼迫する経済に疲弊した人々の絶望や怒りに共鳴し、増幅しあって、理性を失った殺戮へと国民を巻き込んでいったのだという。そして、数百万人のユダヤ人を強制収容所に送った責任者の一人であるアドルフ・アイヒマンの声は、あまりに平凡。おとなしく几帳面な役人風で、大量殺人者とはとても思えない。しかし、その平凡な声の裏には、他者を拒絶する頑迷さが見え隠れするという。アイヒマンは、裁判で、最後まで「私の罪は従順であったことだけだ」と自分の責任を認めようとはしなかった。著者によると、アイヒマンのような声は、現在の日本でもそこかしこで聞かれるという。そして、気になるのが、国会でも、そのような声が増えていることだという。1930年代に、800万人とも1000万人ともいわれる人を死に追いやったスターリンの声は、凶暴性よりも、非常に強い不安を帯びた声だった。そのほか、第二次世界大戦時のルーズベルト東條英機の、感情を抑えられない高ぶった声は、いま聞いても、当時の情勢がまざまざと感じられ、恐怖をおぼえるという。戦争が近づくと政治家の声が高くなる。それは第二次世界大戦直前の各国首脳の声にはっきりと現れている。著者は、現在の状況を見ると、日本が向かっている方向が気になるという。

冷戦を終結させた二人の声。

長く続いた冷戦の終結に向けて歩み寄った二人の政治家、ロナルド・レーガンミハイル・ゴルバチョフは、どちらも芯のある明朗な声で、笑みを含んでいるような温かみがあったという。このような声を持ち、演説の名手でもあった二人が、同時期に米ソのトップであったことは面白い。

最も魅力的な声の政治家は?

著者によると、歴代の政治家の中で最も魅力的な声を持った政治家はバラク・オバマ大統領だという。長身な上に、口腔の奥行きに広さがあるため、声の資質自体が恵まれており、さらに知性と理想の高さ、健康的な人間味がミックスされていて、話し始めると、すぐに人々を引き込む力があるという。現在のドナルド・トランプ大統領の声は、少々ハスキーではあるが、悪声ではないという。むしろ自分の声の個性をよく知って、上手に活かしているらしい。ただし、首から上だけで共鳴させている浅い声からは、どこか空虚で独りよがりな印象を受けるという。非常に長いフレーズを息もつかずに話すところには、頭の回転の速さと性急な性格が現れている。彼を一言で表すなら「せっかち」だという。面白いことにフランスで台頭してきた極右政党「国民戦線」の党首、マリーヌ・ルペン氏も、ドイツの極右政党「ドイツのための選択肢」党首のフラウケ・ペトリー氏も、女性ながらトランプ氏と同じタイプの声だという。若干の擦れ音と雑音が含まれ、声帯やその周辺が高齢でもないのに硬化していて、伸びやかさがなく、耳障りに聞こえる。口先だけで言葉をこねて、頑迷さを感じるところも共通しているという。

声の力を使えている日本の政治家は?

著者によると、日本は「声の後進国」で、政治家でも、声の力の5%ほどしか活かせてないという。首相をはじめ、何人かの議員は、アメリカに倣ってスピーチトレーニングを受けているようだが「声の意識」が薄く、的外れに終わっているという。著者は、田中角栄氏以降で、声が魅力な政治家を二人あげている。本書では具体的な名前はあげられていないが、人物説明から、一人は、9月の自民党総裁選で敗れた石破茂氏であるとわかる。彼の声は柔らかく明朗で、言葉の選び方や間の取り方や単語の目立たせ方も申し分ないという。もう一人は、小池百合子東京都知事である。彼女の声は、とても若々しく、聞いた瞬間は30〜40代と思えるほど。日本女性に多い喉を締め上げた高い声は欠片ほども出さず、ほどよく低く落ち着いていて伸びやかな声。女性らしくしっとりと滑らかな声でありながら、弱さや媚びが全く出ない隙のない声である。理知的な上に感情表現も巧みで、政治家のみならず、教師や実業家としても間違いなく成功できる見事な声の使い手であるという。ふーん、二人ともちょっと意外。どうせなら安倍首相の声も分析して欲しかった。

歌の声の力。

個人的には本書の一番の読みどころであると感じたのが第6章「ブルーハーツの歌はなぜ若者の心をつかんだのか」著者はまず言葉と音楽の起源について語る。感情表現としての音声が強調されて歌となり、その中で獲得された構音や抑揚が概念言語を作り出していったという説があるという。歌(音楽)は言語に先立って生まれ、その歌から言語が生まれてきたというのは興味深い。著者は、この章でポピュラー音楽の歌手の声について分析を試みる。

ユーミンは不器用な声

まずは40年以上も活躍し続ける松任谷由実。彼女は呼気が強く、音感も良いが、発声に関してはとても不器用だという。一般に、音程をとって歌うということは、聴覚から受け取った情報を、瞬時に声帯の張りを調節する神経に伝え、筋肉に反射させて動かすという大仕事だが、ユーミンは、その反射神経が人より少し遅いのではないかと著者は推測する。そのせいか、彼女はうまく出せない音や響きの部分を短く切ったり、ヒュッとフェイドアウトさせてしまっている。そこが彼女の歌の弱点であるという。曲を作り始めた頃、彼女は自分の声にコンプレックスを持ち、自ら歌うことを考えていなかったという。そのせいか初期の作品では、声を作ろうとしているところがあったが、最近の曲では、彼女そのものの声、地声で表現できる音域で構成されているという。著者は、彼女がどこかのタイミングで、好きではなかった自分の声を受け入れたのではないかと推測する。「不器用な発声」という弱点と、自分の声を受け入れているからこそ出せる「強く張った地声」の力強さ。彼女の歌を聴いて感じるのは、身近な友人のような親近感と「これが私だから」と自らを肯定する芯の強さだという。

B'zの稲葉浩志の声はアスリート。

ユーミンとは逆に、「こういう風に歌いたい」と思い描いた理想をぴたっと形にしてしまえるのが稲葉浩志の歌だという。彼は、本来持っている声道の広さで声を響かせるのではなく、声道をグッと狭め、音を反響させる距離を縮めることで高い周波数の声を出している。このような声道を狭めて出す声は、普通は、歌っている人はもちろん、聴いている人にも、どこか息苦しさを与えるという。ところが稲葉浩志は、その状態を当たり前にし、聴き手に苦しさを感じさせないところまで磨き上げていったのだという。こうしたことができる人は稀で、彼はおそらく美意識が高く、自分の声を磨くことに対する努力を惜しまない人なのだろうと著者はいう。その姿はアスリートを彷彿させるという。そうなんだ。声を出すということは、声帯周辺の筋肉や口腔や鼻腔周りの筋肉を、イメージ通りに瞬間的に動かすという一種の運動なんだと納得。声にも運動神経があるということか。僕が歌が苦手なのは、声の運動神経が鈍いんだな、きっと。

パワフルな高音とか弱い低音。ドリカム吉田美和の声。

吉田美和の声の魅力は、パンッと張った高音にある。一般に、高い周波数の音は、人間の脳を活性化するという。特に聞き取りやすい周波数が440ヘルツ(ラの上)で、吉田美和の声はまさにその領域で本領を発揮する。ドリカムの曲を聴いて「元気が出る」「勇気づけられる」という人が多いのは、この声によるところが大きいという。著者によると、吉田美和が本来持っているパワフルな高域と、低い音域のコントラストが、彼女の声の魅力になっていると分析する。パワフルな高音域に比べると、彼女の低音域は、あまり力強くないらしい。もちろんトレーニングをすれば低音域も強化できるのだが、彼女の場合は、あえてそうしないようにしていると感じるという。彼女の低音域のか弱さを感じさせる声が聴き手にまず共感を与え、そこからパーンと張ったパワフルな高音域の声を聴くと、弱さを含めて肯定されたような気持ちになり、元気になれる。それが魔力的といってもいいくらい人を虜にする彼女の声の魅力なのだという。

 星野源スガシカオの声。

近年大ブレイクした星野源の声は初期の頃に比べ大きく変化しているという。初期の頃の、どこか独白的な歌詞にあてがわれた声は、声帯にかぶさっている縁の部分だけを使って、ずっと半ファルセットで歌っている。それが最近の曲になると、すごく直線的に伸びる歌声に変化しているという。これは自信があったり、前向きな気持ちになって、呼気が強くなったことの表れだという。では星野源吉田美和のように歌声に強さがあれば、人を引き込めるのかというと、必ずしもそうでもないところが声の複雑さと面白さだと著者はいう。NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」のテーマソングである「progress」を歌っているスガシカオの声は、初期の星野源と同じように声帯の薄い縁の部分を中心に使っていて、バーンと力を入れられる声ではないという。しかも使っている音域がとても高く、声の質もかなり中性的である。このような圧のない、言い換えればマッチョさがない歌声に、安心感や居心地の良さを感じる人は多いのではないかと著者は考察する。スガシカオの曲の歌詞には、しばしばむき出しの毒やエグみが含まれているが、「むき出しの言葉+むき出しの声」ではなく、声が言葉を押し付けてこないため、人の袂にすっと入っていくことができる。それは男女共ガツガツせず、自分の領域に入ってこられるのが苦手な人が増えている時代のムードと共振しているのではないかと著者は推測する。

甲本ヒロトの声はなぜ人の心をつかむのか。

最後は元ブルーハーツ甲本ヒロト。著者は、この分析を始めるまで、ブルーハーツというグループも甲本ヒロトも知らなかったという。初期の「リンダリンダ」や「青空」を聴いたときの感想も「音程もよくないし、パンクロックとはこういうものですかね」といった程度だったという。しかし声に集中して聴き進めるうちに衝撃を受けたという。彼が話す時の声は、喉周りが脱力していて、最低限の声門閉鎖で済ませているような、呼気もあまり強くなく、嗄れてる。本気で何かを伝えようとしていないような、話すことが好きではない声のような印象を受けるという。しかし歌声になると、ほどよい張りが出て、絶妙な雑音と透明感の混ざった声になる。しかも、その声がデビューから30年経ってもまったく変わらず劣化していない。むしろ味が加わってパワーアップしているという。ふつう声は年齢とともに変化する。前に取り上げた稲葉浩志のように鍛え上げれば長く同じ声が出せるが、甲本の場合は、意図して鍛えたとは感じられないという。著者は甲本自身の言葉をあげてその理由を説明しようとする。「ロックンロールが僕の目的なんだ。ロックは手段じゃない」甲本は若くして自らの生きる目的を見つけ、純粋に気持ちがいいからずっと続けている。『彼の声は、出している本人にとって最も気持ちよく、身体に無理な負荷をかけない声』だという。彼の声を無理やり何かに例えるなら「幹細胞」ではないかと著者。幹細胞とは、器官を再生する細胞のことで、バラバラに切り刻んでも、それぞれが完全な個体として再生する。プラナリアは全身に幹細胞があるので、どこを切っても元の姿に再生する。『甲本の声はどこを切ってもロックとして再生する。歌うことの喜びが常に完全体である。意図も作為もなく、ロックであるためのすべてを希求し続けている。』著者は、彼の歌声が、『私たちが社会生活を営んでいくうえで避けられないしがらみから解かれて、人ひとりとして立った時にあるべき人間の姿を感じさせる』という。『もともとロックとは、そういうものではなかったか?』と。「だからこそ理屈ではなく、もはやひとつの生体として、多くの人の心を、とりわけ生きづらさを抱えやすい悩める若者たちの心をつかんできたのではないか」と感じるのだという。著者が甲本ヒロトの声を最後に取りあげたのは、それが第3部『自分を「変える」声の力』につながっていくからだ。どうせなら本章で、日本一歌がうまいと言われる玉置浩二や、井上陽水桑田佳祐、忌清志郎中島みゆきの声も分析してほしかったが…。

第3部。自分の声と向き合う。

 ここで著者は、最初の問いかけに立ち戻る。「どうして自分の声が嫌いなのか?」そして、実際に録音した自分の声を聞いた人々の反応を紹介する。「私の声は、こんなにキンキンしていない!」「こんなに鼻にかかった声じゃない!」「もう嫌だ、自分の声なんて聞きたくない。」これほど自分の声を嫌だと感じるのは、普段自分が聴いている骨導音ではないので、違和感がある、というだけではない。もっと本能的な、身体の底から湧き上がるような嫌悪である。それは「本物の声」ではないからだという。

本物の声とは。

では、本物の声とは何か?著者によると「その人の心身の恒常性に適った声」であるという。生体の恒常性とは、「人間の心身を正常で健康な状態に安定させる仕組み」である。例えば、暑くなると、汗をかいて体温を下げようとする。寒くなると、毛穴が収縮して鳥肌が立ち、身震いをして体温を上げようとするのも恒常性である。身体だけでなく、心理面においても恒常性が機能しているという。いやだと思う行動を強いられると、身体はそれを回避するためにストレスホルモンを出す。ストレスホルモンは、イライラするなど心理面だけではなく、頭痛や胃痛、下痢など、身体の様々な異常を引き起こすことがある。著者は、ここで第1部で語った「声が、声専用の器官ではなく、呼吸など生命活動に必要な機能を使って出される」という事実を読者に思い出させる。声にも「恒常性維持の働き」は強く関わっている。姿勢が悪かったり、喉の声帯周りを締めつけたり、声帯を圧迫したり、さらに精神的に緊張やストレスがかかったりすると、身体は本来の状態からはずれ、それは声にも表れるのだという。また周囲や社会に適当しようとして、自分を少しでもよく見せようとして無意識に声を作る。そんな作り声を続けていると心身に不調をきたす。それは「呼吸がちゃんとできてない」「姿勢が苦しい」「喉をそんなに締めつけないで」と、身体が警告を発しているのだという。それは「本物の声」に対する「偽りの声」と言える。「偽りの声」は心身を蝕む。録音された自分の声への強い嫌悪は、この「偽りの声」に対する心身の拒絶反応から来るのだと著者は結論づける。どうすれば「偽りの声」ではなく「本物の声」を出せるのか。

本物の声の見つけ方。

最後は、「本物の声」をいかに見つけるか、具体的な方法について語られている。著者によると、まず現在の自分の声に向き合うことだという。具体的には、普段話している自分の声を、スマホやICレコーダーで録音し、聴いてみることだという。録音した声は、今現在、あなたが人に聴かせている声だ。作っていたり、装っていたり、媚びたり、自分のコンプレックスがあらわに出ている…。それは現実のあなたの姿である。そこから目をそらしてはいけない。聴き続けているうちに、その嫌な声の中に、ときおり「あれ、この声は嫌じゃない」と思う声があるという。それは作り声ではなく、妙にテンションが高くもない声、そして嫌悪を感じる声より幾分低い声であることが多いという。それがあなたの「本物の声」「恒常性に適った声」だという。そこで、その声を出したときのシチュエーションや、自分の感情や身体の状態をできるだけ細かく思い出してみる。どのようなときにその声が出るのか、人それぞれだという。著者は、このとき、理性的な分析を行わずに、声の音を愚直に聴いて「好きか嫌いか」だけで判断すべきだという。また、よくわからないからといって、他の人に聞いてはいけないという。それは自分の「本物の声」は、「自分の脳」にしか判断できないからだ。

何度も繰り返す。

自分の本物の声を見つけたら、その部分を何度も聴いて、記憶させる必要がある。次に、その声を思い出しながら改めて録音する。いいなと思った声と同じ状況のつもりで、同じ言葉を何回か繰り返して録音する。録音した声は、その場ですぐ再生して聴いてみる。最初のうちは作り声になってしまって、がっかりするかもしれないが、何度も繰り返しているうちに、「いいな」と思える声が増えてくるという。そんな声が一つも見つからないという場合は、普通に話すより少し低めの声を意識して出してみるといい。わずかに顎を引き、いつもよりゆっくり呼吸をして、ゆっくり話ししてみる。それだけを注意しながら、いろんな場面を想定して録音して聴いてみること。今度は「いいな』と思える声が見つかるはずだという。「いいな」の声が見つかったら、今度は、それを定着させるように、いつも少しづつ意識する。話すときは自分の「本物の声」を頭で反芻しながら出す。

聴覚フィードバックによる声の自動補正。

私たちが話そうとする時、脳の中に、うっすらと声のテンプレートが浮かび、それを声に出している。出てきた声は自分の耳と聴覚を通して脳に伝わり、脳内のテンプレートと比較され、ズレがあれば修正していく。これ「聴覚フィードバック」の仕組み。本物の声を見つけ、定着させていくのは、この「聴覚フィードバック」の仕組みを活用するのだ。それは、なりたての若いタレントが、テレビに頻繁に出るようになると、どんどん垢抜けてキレイになっていくのと似ている。キレイになっていく最大の理由は「映された自分の姿を観る」ことだという。録音した自分の声を何度も聴くだけで、聴覚フィードバックによって声の自動補正機能が働き、自然に「いい声」になってくる。

自分を変える声の力。

こうして身につけた「本物の声」は、その人の心身を変えていくという。前の方でロシアのゲノム研究グループが、ある種の音声がDNAの損傷を修復するという論文を発表しているという話があった。著者は、いくつかのエピソードを紹介する。学級崩壊に苦しんでいた小学校の先生。英語で話し始めると、別人のような豊かな声になる日本人女性。鬱病がひどくてほとんど喋れない女性など、声によって、心身はもちろん、仕事や人生にまでプラスの効果を及ぼしたたケースが語られる。

ここから僕の感想。

声というよりは、話すことが苦手だった。小学校の頃の高学年で、授業中に左利きを矯正されたことがきっかけになって、吃音が始まったらしい。特に数人以上の前で喋ると、吃音がひどくなった記憶がある。高校では、それを克服しようと演劇部に入ったぐらいだ。人前で話すことにはかなり慣れてきたと思うが、いまでも苦手意識が強い。その理由は、自分の声だった。取材などで、録音された自分の声を聴くと、自己嫌悪に陥るぐらい嫌なのだ。それは自分の声と喋り方が良くないせいだと、ずっと思っていた。音程が悪く、声量もなく、滑舌も悪い。本書は、僕の長年の思い込みを正してくれた。本書が教える「本物の声を見つける」トレーニングをやってみてもいいかなと思っている。「録音した自分の声を繰り返し聴く」という苦行に耐えられるか、どうか自信はないが。