松本 創「軌道 福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い」

2005年4月25日、JR福知山線宝塚駅9時4分発同志社前行き快速。

3年間の東京勤務を終え、予定通り4月から関西に戻っていれば、僕は、この電車に乗っていた。大阪で働いていた頃は、毎日、この電車に乗って通勤していた。宝塚が始発なので、必ず座ることができた。当時は煙草を吸っていて、ホームの大阪寄りの一番端に喫煙コーナーがあったため、乗車前に1本吸ってから、1両目か2両目に乗り込んでいた。ところが、担当していた仕事が長引き、大阪に戻るのを1ヶ月伸ばすことになった。東京のオフィスで事故のニュースをネットで見た瞬間、背中が冷たくなったことを覚えている。上空から見た、マンションの壁に巻き付くようにひしゃげた2両目の車両の姿は忘れられない。最初は、これが1両目だと誤認され、車両の数を数えて初めて1両足りないことがわかり立体駐車場に飛び込んで大破した1両目が発見されたという。

107名が死亡、562名が負傷した「福知山線脱線事故」。国土交通省航空・鉄道事故調査委員会の事故調査報告書によると、事故の直接の原因は、運転士のブレーキ使用が遅れたため、半径304mのカーブに制限速度の70km/hを大幅に越える約116km/hで侵入し、脱線に至ったとされた。また運転士のブレーキ使用が遅れた理由について、ミスに対して厳しい懲罰処分や日勤教育を行う、JR西日本の運転士管理方が関与した可能性があるとされた。

事故で妻と妹を奪われ、娘が重傷を負わされた遺族の一人が、都市計画コンサルタントの淺野弥三一氏だった。彼は、この調査報告に納得できなかった。運転士のブレーキ使用が遅れたことも、その原因になったとされる懲罰処分や日勤教育も、ATSの未設置も「結果」でしかなく、本当の原因は、分割・民営化以降の18年の経営によって形作られた組織的欠陥だ。そう確信した淺野は、遺族の責務として、事故の原因追求と安全のための改革をJR西日本に求めてゆくことを決意する。「4・25ネットワーク」という遺族の集まりの世話人となり、JR西日本と対峙していく。彼は、本業の都市計画や震災復興の仕事で培った交渉力を武器に、JR西日本に辛抱強く働きかけていく。本書は、十数年にわたるその闘いを辿った力作である。

表面上は謝罪を口にしながら、その実態は傲慢で組織防衛に走るJR西日本。事故の責任はあくまで運転士にあり、組織や運行システム、安全対策には問題がなかったと頑なに主張を繰り返して、取りつく島がなかった。当初は一枚岩に見えたJR西日本にも、繰り返し接しているうちに、淺野の言葉に耳を傾け、自分の言葉で対話しようとしている人間もいることに気づく。その一人が、子会社から呼び戻され、JR西日本で初めて技術屋出身の社長になった山崎正男である。浅野と山崎は、遺族と加害者企業のトップという関係でありながら、同世代の技術者として通じ合うことができた。二人の奮闘が、巨大な組織を動かしてゆく。著者は、この二人の動きを軸に、国鉄の分割民営化から始まるJR西日本の歴史、それを牽引した「天皇井手正敬の独裁に遡り、さらに巨大組織の企業風土が劇的に変わってゆく過程をじっくりと描いてゆく。著者の視点は、終始淺野に寄り添うが、感情的にならず、JR西日本の人々を描くときも偏りがない。読み終えて、静かな感動に包まれる。

2017年の重大なインシデント。

安全改革が確実に進みつつあると、著者が筆を置きかけた2017年暮れ、重大事故に繋がりかねない異常が発生する。東海道新幹線 博多発東京行き「のぞみ34号」の台車部分に亀裂が見つかり運転を取りやめたトラブルである。亀裂は台車枠に長さ14cmにわたって発生し、破断寸前だった。台車枠が破損すれば、車軸を固定できず、高速走行中に脱線していた恐れもある。さらに問題となったのは、車掌や指令員、保守担当など複数の社員が異常に気づいていながら運行を続け、博多駅出発直後に車掌の一人が異音を聞いてから、3時間20分も走り続けたことだ。曖昧な報告、思い込み、聞き漏らし、言葉の行違い、確認ミス、判断の相互依存、いい加減な引き継ぎ…。まさにヒューマンエラーの連続によって、重大インシデントは発生したのだ。

2月になって、亀裂の発端とみられる事実が発覚する。台車を製造した川崎重工が台車枠に使用する鋼材を加工する際、設計基準の7mmより薄く削ったために強度が不足していたのだという。設計基準が現場の作業チームで共有されず、基準を超えて削っていたのだという。同様の欠陥は、川崎重工からJR西日本が購入した100台で見つかり、JR東海保有車両でも46台にも見つかった。川崎重工の幹部は、会見で「班長の思い違いで間違った指示を出していた。加工不良という認識がなく、情報は上に伝わっていなかった。」「現場の判断任せで、基本的な教育が欠如していた。」と現場のミスを強調するように語った。著者は、問題はそれだけでなく、同社全体の品質管理体制、JR西日本のチェック体制、引いては日本が誇ってきた「モノづくり」全体に欠陥が潜んでいることを物語っているという。日本の製造業では近年、不正が次々と発覚している。三菱自動車の軽自動車燃費試験データ偽装、日産自動車SUBARUの無資格従業員による出荷検査、神戸製鋼所のアルミ・銅製品の検査データ改ざん…。不正な行為だという認識がないまま、数十年にわたって常態化してきたケースも少なくないという。「現場力」の低下を指摘する声がある。現場を知らないために見過ごしてしまう経営陣。この現場と経営陣の分断は、80年代後半のバブル景気前後に原点があるという。利益と経営効率ばかり追求し、バブル崩壊後は、人員やコストの削減に走るあまり、日本企業全体で安全や品質という「倫理」が軽視され、おろそかになった。その結果が今、噴出しているのだと。

本書を読んで感じたこと。

事故や事件についてのノンフィクションは、できるだけ読むことにしている。どんな事故も事件も、時代の潮流とつながって発生すると信じているから。そこには、自分が、これから向かうべき方向のヒントがある。もしくは、向かってはいけない方向を警告してくれるヒントがあると思っている。本書を読んで思うのは、あの事故につながる潮流が、戦後間もない時代にあったのではないかということ。国鉄の歴史は、人員整理などで合理化を進めたい国や経営陣と反対する労働組合の闘争の歴史であった。国鉄は、最大50万人もの組合員を擁する「国労」や運転士の組合である「動労」を中心に、日本最大の労働運動の拠点となっていた。様々な労働運動によって、国鉄は赤字に転落、現場は荒廃していた。国鉄の解体と分割・民営化は、こうした状況に危機感を覚えた若手官僚による「革命」だった。その中心にいたのが井手・松田・葛西の三人組だった。誕生したJRの本州3社の中で、最も経営基盤の弱いJR西日本に赴任した井手は、自ら「野戦」というほど、現場に立ってトップダウンで民営化を牽引した。時速120km運転に対応した新型車両の開発と大量導入、在来路線を再編成するアーバンネットワーク京都駅ビルの大規模改革、旅行業や商業施設への多角化…。業績は右肩上がりで伸びて行った。こうした利益追求・成長路線を突き進む中で、安全への意識が失われていった、と著者は推測する。私鉄王国と言われる関西で、ライバルに勝つために、さらなるスピードアップやダイヤの過密化を推進。そのしわ寄せは、現場の運転士たちの負担となっていった。事故やトラブルが起きると、井手は怒って「その社員をクビにしろ」と怒鳴ったという。ミスが起きるのは現場の人間がたるんでいるからだ。プロ意識が足りないからだという精神主義だった。そこには「人間はミスをする」というヒューマンエラーの考え方は見られなかった。厳しい懲罰主義や日勤教育も、今ならブラック企業と呼ばれるだろう。こうした歪みは組織の一番弱いところを壊してゆく。それがあの朝の運転士だったのではないか?

戦後の労働闘争に始まり、分割・民営化による市場主義の導入。グローバル競争の激化による利益追求と効率化、その結果としての企業モラルの低下による事故や不正…。このような連鎖は、国鉄から民営化されたJRという特殊なケースだけはなく、フクシマの原発事故、さらには多くの日本企業にも当てはまるような気がする。そのルーツは昭和の労働運動時代に遡る。本書にも紹介されている、国鉄の解体と分割民・営化を描いたノンフィクション、牧久著「昭和解体 国鉄分割民営化30年目の真実」西岡研介著「マングローブ テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実」を読んで見ようと思う。