大西康之「東芝解体 電機メーカーが消える日」

僕のコピーライターとしてのキャリアの8割ぐらいは、家電メーカーの広告や販促、イベントに関わる仕事だった。そして後半は、通信大手の広告や販促にも関わった。今世紀に入ってからの仕事は、本書で描かれた電機メーカー凋落の時期と重なっている。その間、電機メーカーの変化だけではなく、様々な分野で、大きな変化が同時に起こり、広告の現場にいる僕たちも、その波に呑み込まれ、厳しいサバイバルを強いられていた。だから、実際のところ、日本を代表する企業であった電機メーカーが、どんな経緯を経て、あれほど急速に凋落していったのか、ちゃんと理解していないし、納得もできていないのである。最初、本書のタイトルを見て、買おうとは思わなかった。「〜が消える日」「〜が崩壊する日」「〜解体」等の、いかにもありがちなタイトルにも興味を持てなかった。しかも後で無理やりくっつけたかのような「東芝解体」という副題がわざとらしい。それでも本書を買ってしまったのは、自分のキャリアの大半を費やして関わったクライアントに起きた変化について、少しでも知りたかったからかもしれない。

 2017年は「電機敗戦の年」。

序章の冒頭、著者は、「2017年は、日本の歴史に『電機敗戦の年』と刻まれるだろう」と書く。そして東芝をはじめとする電機メーカーが現在置かれている現状をざっくり俯瞰する。成長事業のほとんどを売り払い、国内に残された原発廃炉会社となる東芝。台湾のホンハイ精密工業の傘下に入ったシャープ。中国のハイアールに白物家電事業を売却した三洋電機、かつて世界一の半導体売上を誇ったNECも連結売上高で3兆円を下回った。2007年には、松下電機、松下電工三洋電機の売上を合わせると12兆9908億円だったが、3社1つになったパナソニックの2014年3月期の売上高は7兆736億円にとどまる。著者は、これらの変化を「歴史は繰り返す」という言葉で表す。かつて世界を席巻する企業だったRCAも日本メーカーとの競合に敗れ、仏トムソンに吸収された。そのRCAと並ぶ家電の高級ブランドだったゼニスも韓国LG電子に買収された。それは、産業革命以来、幾度も繰り返されてきた「新旧交代」の見慣れた風景であるという。違いは、これまで「新」の側だった日本が「旧」に変わったことだという。そして現在の「新」勢力の圧倒的なパワーを紹介する。東芝白物家電事業を買った中国の「美的集団」は白物家電では東芝の10倍以上の2兆7600億円を売る。シャープを買ったホンハイも2015年には約16兆円を売り上げた等々…。

日本の電機が負け続ける本当の理由。

それにしてもあれほど隆盛を誇った電機メーカーがこれほど急激に凋落した理由はいったい何だったのだろう。著者によると、日本の電機メーカーを支えてきた特有の事情があったという。それは著者が「電電グループ」「電力グループ」と呼ぶ社会主義的な仕組みの存在である。例えば通信分野は、電電公社が民営化されて生まれたNTTが頂点に立って傘下の企業群と利益を独占してきた。その傘下にあるのがNEC富士通東芝などを中心とした企業群。もうひとつは、東京電力を頂点にした10の電力会社が支配する電力グループ。こちらは三菱重工日立製作所東芝などを傘下に収めた企業グループである。どちらも電話料金、電気料金という、なかば税金のような収入源を独占し、その利益をグループ内で山分けしてきた歴史があるという。グループ内の企業にとって、お客様は、末端ユーザーではなく、NTTやドコモ、電力会社であったという。さらに、郵政省や通産省などがグループを指導していたという。競争相手がいない市場では盤石の仕組みであったが、内外の競争相手が現れると、途端に弱さを露呈したという。3Gの携帯電話とiモードを世界に普及させようとしていたドコモは、3Gのフォーマット戦争に敗れ、iモードの世界普及にも失敗。さらにiPhoneにはじまるスマートホンの開発にも遅れを取ってしまう。ドコモの戦略に従っていたNEC富士通などのメーカーもスマートホンの開発に乗り遅れ、結局、多くのメーカーが携帯電話のビジネスから撤退してしまう。独立系発電事業者との競争にさらされた電力会社も設備投資は大幅に落ち込み、2005年には2兆円を下回るようになっていた。そこに追い打ちをかけたのが東日本大震災による福島第一原発の事故である。この事故によって、原発安全神話は崩壊。国内での新規原発建設は絶望的となり、海外に活路を求めるしかなくなった。しかし新たな国策である「原発輸出」の先頭に立つべき東京電力は、巨額の賠償を抱え、身動きが取れない。福島第一原発の事故と東芝粉飾決算は偶然の一致ではない、と著者は言う。電力自由化で競争にさらされた東電は、福島原発の防波堤を当初計画より低くしていた。事故により東電からの「ミルク補給」を断たれた東芝は、粉飾決算に走ったのだ。

電機メーカー壊滅は、恐竜の絶滅。哺乳類も出現してきた。

取り上げられた電機メーカーは8社。東芝NEC、シャープ、ソニーパナソニック日立製作所三菱電機富士通。僕の場合は、パナソニックを真っ先に読み、ソニー、シャープを読んだ後、一番目の東芝から順番に読んでいった。各社の章を要約したり感想を書くのはやめておこう。ひとつだけ書くとすれば、本書を読んで、パナソニック、シャープ、ソニーが、三つ巴で戦ったテレビ戦争の経緯が、ようやく自分なりに納得できたことだろうか。パナソニックがプラズマパネル増産のために行った尼崎工場での巨大な投資も、シャープが堺に建設した巨大なコンビナートも、今になってみれば間違っていたことがわかるが、当時は、業界もメディアも絶賛していたのだ。ソニー凋落の戦犯として真っ先に名前があがる出井伸之も、今になってみれば、彼が手がけた改革が、現在のソニーにおいて実を結んでいる部分も少なくないという。電機メーカーから脱皮しつつあるソニーをはじめ、手堅く改革を進め、しぶとく生き延びている三菱電機など、明るい方向が見えている企業もあるが、著者の視点は一貫して辛口だ。かつて世界を席巻した電機メーカーは、環境の変化に適応できず絶滅した恐竜であると切り捨てられる。一方、その新しい環境の中で「哺乳類」が生まれているという。元三洋電機社員が始めたものづくりベンチャーの「シリウス」、パナソニック、シャープ、三洋電機で活躍の場を奪われたエンジニアを集めて白物家電を開発している「アイリスオーヤマ」など…。

最後に著者の言葉を引用する。「かつて『世界最強』を誇った日本の電機メーカーは、氷河期に適応できなかった恐竜のように壊滅した。だが、すべてが終わったわけではない。風に吹かれたタンポポの綿毛のように、古巣を離れ、新たな土地で芽を出そうとしている人々がいる。彼らが作る会社や事業は、総合電機に比べればちっぽけだが、環境に適応した哺乳類のように小回りが利き、順応性が高い。ソニー三菱電機のように自らを『電機メーカー』ではない姿に変えて生き延びようとしている大企業もある。会社や業界が滅んでも人は残る。むしろ環境に適応できない大企業の中に閉じ込めている方が不幸かもしれない。『東芝解体』に象徴される電機産業の壊滅は、日本経済が新たなステージに踏み出すための通過儀礼だと考えた方がいい。」引用終わり。

ONLY THE PARANOID SURVIVE

序章の中で引用されているインテルの元CEO、アンディ・グローブ(2016年没)の著書「ONLY THE PARANOID SURVIVE」(偏執狂だけが生き残る)の中の言葉「偏執狂的な集中力で製品を開発し、投資し、競争相手を徹底的に叩き潰すことが、半導体産業の中で生き残る唯一の道だ」が妙に印象に残っている。重電から家電まで幅広く手がける総合電機に「偏執狂」はいなかった、と著者は言う。そうだろうか。かつてソニー松下電器、電機の創業者たちは「偏執狂」ではなかったか?アップルのスティーブ・ジョブズマイクロソフトビル・ゲイツは?ソフトバンク孫正義は? 創業者ではない、現代の経営者たちに欠けていたのは創業者の「偏執狂」的特質かも。