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阿古真理「小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代」

以前のエントリーで書いた「なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか」の著者による本。その後、著者の本を数冊読んだが、本書は、その中で最も面白かった著作である。「なぜ日本のフランスパンは〜」が、単なるグルメ本ではなく、食文化の変遷を通して見た日本の近代史であったように、本書も料理研究家を通して、近代以降の日本の社会史、生活史、女性史に深く踏み込んでいる。僕自身、料理をする習慣を身につけていないにも関わらず、大変興味深く読めた。しかし、要約や感想を書くのは難しい。本書を読んだのは、今年の1月だが、感想を書くのに3ヶ月以上もかかってしまった。

 本書は「革命」の本である。

結論を言ってしまおう。本書は「革命」について書かれた本である。革命の舞台は、「家庭」「台所」「食卓」である。革命を起こしたのは女性たちで、武器は「料理」だ。そして本書で紹介される料理研究家は、いわば革命を扇動した思想家、革命家である。本書が描こうとしているのは、近代以降、特に戦後における、古い因習からの女性たちの解放運動ではないか。

近代が主婦と家事を生んだ。

著者は、まず社会の変化と、それにともなう家族や家事の概念の変遷を語り、さらに、そこで求められる女性の役割や価値観の移り変わりを語る。「家庭」や「家事」「主婦」という僕たちが自明のように使っている言葉は、実は近代になって生まれてきた概念であるという。農業従事者が大半を占めていた時代から、産業の発展にともない都市に人々が移り住むようになって、サラリーマンが生まれ、その伴侶である「主婦」が生まれ、さらに小さな家族の単位である家庭が生まれ、彼女たちの仕事である家事という概念が生まれた。家事の中でも料理は大きな比重を占めたが、故郷を離れ、都会に暮らす主婦たちには料理を教えてくれる姑が存在しなかった。そんな彼女たちの要求に応えたのが、料理研究家である。江上トミ、飯田深雪は、本格的な西洋料理を紹介して家庭料理の世界を広げた。さらに80年代、様々なファンシーな料理を提案した入江麻木、城戸崎愛、セレブな料理研究家、有元葉子を紹介した後、タイトルの一人である小林カツ代の章に入ってゆく。

先駆者、犬養智子桐島洋子

戦後の高度成長期、1960年代半ばには、未婚・既婚に関わらず職に就く女性が増えてきた。戦後の民主主義教育を受けた世代が大人になっていた。1日中家にいて夫や子供につくす戦前型の主婦は時代に合わなくなってきていた。1970年頃からウーマンリブの運動が起こり、やがてフェミニズム運動へと発展してゆく。そんな時代、評論家の犬養智子が書いた「家事秘訣集 じょうずにサボる法・400」が22万部のベストセラーとなる。家事、育児からおしゃれまで、12項目にわたって、自ら考案した知恵や工夫を紹介したノウハウ本である。書店では飛ぶように売れ、回し読みも多かったという。しかし、一部の男性から猛反撃を受けたという。ちょうどその頃、調理の手間を省く加工食品が次々と発売された。1958年、インスタントラーメンが登場。1968年にはレトルトカレー発売。その後、冷凍冷蔵庫の普及に伴い、冷凍食品が広がっていった。1971年にはマクドナルドが上陸する。そんな時代に警鐘を鳴らしたのが、フリージャーナリストの桐島洋子が書いた「聡明な女は料理がうまい」である。あえて未婚の母となり、恋多き女と思われていた彼女は、この本の中で「料理こそ自立を促し、人と人をつなぐ人生の一部であり、手放してはいけない」と主張した。「今や女たちの料理力はどんどん退化して無能な男のレベルに近づき、おいしいものをみずからの腕でほしいままにする自由を喪失している」「男性的な自由な発想で家事を合理的に再編成し、最も快適な秩序を自分のものにして台所を賢く支配していかなければならない」などと語る。桐島は、昆布やカツオ節や煮干しを、インスタント食品として扱う。当時流行ったホームフリージングも週末にまとめて作るのではなく、カレーやコロッケなどを多めに作って残りを貯蔵する、という「ついで料理」をすすめる。アイデアが合理的で、かつ本質を見定めていた。犬養智子桐島洋子も、料理界の外にいた人だからこそ、「簡便化」か「手作り自慢の凝り性」か、という二極分化し始めた家庭料理に警鐘を鳴らすことができたのだと、著者は言う。

クロワッサンの時代。

二人が活躍していた頃、のちに大ブームとなる雑誌「クロワッサン」が創刊される。創刊当時はニューファミリー向けを謳ったが、1年目からは方針を変更し、「離婚志願」「男を使う女たち 女性経営者・女性管理職」「亭主離れの時代」などの特集を組んで、女性の自立した生き方を提案していく。メディアの影響で結婚しなくなった女性たちが増えたことは「クロワッサン症候群」として論争を生むが、クロワッサン自身は、女性の生き方から手を引くようになる。クロワッサンが変わったのは、その頃から、時代の潮目が変わり、人々の関心が物欲へ向かっていったからだと著者は指摘する。女性の生き方に代わってクロワッサンで繰り返し特集されるようになったのが、文化人の食卓である。エッセイストの甘糟幸子、評論家の樋口惠子、女優の高峰秀子などが料理に対する心構えやノウハウを説きながら自慢料理を披露する。レシピではなく、料理するシーンを紹介し、自分なりの生き方を持つ人の魅力を伝えようとした。その頃のクロワッサンに時折登場していた料理研究家の一人が小林カツ代である。彼女は、著書「小林カツ代のらくらくクッキング」で常識を覆すような料理法を紹介し、賛否両論の注目を集めていた。

小林カツ代の革命。

本書は、40ページを費やして小林カツ代の足跡をたどっている。2005年にくも膜下出血で倒れるまで、第一線で活躍した。出版した本は230冊を超える。常識にとらわれない簡単でおいしいレシピを提供し、明るい笑顔で、視聴者や読者を励まし続けた。小林の活躍は、料理のみにとどまらない。反戦と護憲の立場に立ち、動物の保護活動にも力を注いだ。福祉や教育にも関わり、広い視野から発言した。夫を「主人」と呼ばず、仕事相手にも「先生」と呼ばせず、対等に接する姿勢を貫いた。1本筋の通った言論人だったと著者は言う。

誰もが料理できるようにしたい。

小林の主張のひとつが「誰もが料理できるようになってほしい」ということだった。以下引用「食の基本はやはり家の料理です。でも必ずしも母親が作らなくてはいけない、ということはありません。(中略)誰でもいいから家の人がおいしい料理を子どもに作ってあげることです。それが子どもの記憶にしっかりと残るんです。」

高度化しすぎた家庭料理への批判。

高度成長期に生まれ、強化されつつ、現代に至っている家庭料理の常識。小林はそれに批判の目を向けた。「毎日作るんだから、100おいしいことを目指さなくても、いいのよ。80おいしければいいじゃない。そうしないとやってられないわよ」デパ地下で惣菜を買う女性に眉をひそめる人たちに対して「本当に時間がなくて、それでも殺伐とした食卓だけにはしたくないと思ってる人が、時々はおそうざい売り場を利用してもいいではありませんか」ハンバーグやぎょうざ、ロールキャベツ、春巻きなど、人気の家庭料理は、手間がかかるものが多いという。毎食違う献立で、一汁三菜そろえるのが正しいとされ、手間をかけることがお母さんの愛情と、メディアはくりかえし訴えた。便利な台所、豊かな食材、一日中家事に時間を費やせる主婦の誕生。それらの条件が揃って、家庭料理のハードルは急上昇した。家電が普及しても主婦の家事労働時間はほとんど減らなかった。家事は減らしたい。でも家族にはちゃんと作って食べさせたい。そんなアンビバレントな気持ちを抱く主婦に、処方箋を示したのが小林カツ代であった。

ハッと驚くアイデア弁当。

小林が売れっ子になった時代は、自身の子育ての時期と重なる。そんな忙しい毎日の中から生まれた『お弁当づくり ハッと驚く秘訣集』は40万部ものベストセラーになった。同書には当時の常識を覆したアイデアが満載されている。ホームフリージングも桐島洋子と同じく、夕食の支度で余分につくるついでに冷凍することをすすめる。料理研究家である小林が文化人と違うのは、具体的な手順を示せることだという。

働く女性に寄り添う。

野菜をちぎってフライパンに重ね、チーズをたっぷりかけて作る「蒸し焼き野菜のイタリアン」、巻いた豚の薄切り肉を野菜と煮て「重ね豚肉ロール」と「春野菜のポトフ」を同時に作るといった、今や定番になっているスピード料理を、小林は1980年代から次々と生み出していった。そんな小林の考えが集約された本のひとつが『働く女性のキッチンライフ』である。その前書きで「女一人がきりきりするのではなく、家族すべてが食を大切にする方向に持っていくことです」と語る。

料理の鉄人」に出演。鉄人の陳建一に勝つ。

1994年8月、人気番組「料理の鉄人」に料理研究家として初めて出演する。「じゃがいも料理」がテーマで、小林は、「じゃがいもとエビの炊き込みご飯」「肉じゃが」など7品を作り、鉄人の陳健一に見事勝利、一躍時の人となった。本書では、それ以降、小林の定番となった「肉じゃが」の作り方を、第1章で紹介した城戸崎愛の「肉じゃが」の作り方と比較しながら紹介する。城戸崎の料理法だと煮るだけで30分はかかる。小林のほうは全部で15分。この速さが強みであった。「料理の鉄人」の製作者側は、小林を「主婦の代表」としてキャッチフレーズをつけたがったが、小林は断固拒否した。その理由をのちに雑誌で語っている。「『主婦』ということで私のステイタスを上げようとしているのなら、主婦でない人にも、主婦にも失礼ではないか。まして、この番組は、プロとプロの戦いだから面白いのであって、『鉄人』にも失礼じゃないですか」料理研究家は主婦とは違う。家庭料理を教えるプロである、というのが小林の主張だった。

時短料理、カンタンでおいしい料理の先駆者。

その後も小林カツ代は、カンタンでおいしい「時短料理」を提案し続けた。小林が考案した家庭料理の技は多い、と著者は言う。少なめの油を使う揚げ物の類。鍋でなくフライパンで煮物を作る料理。青菜の炒め方も変えた。そして何より時短料理の概念を変えた。それまでは材料を変えたり、献立全体の段取りを工夫するぐらいだったり、「早いけど味は…」という評価を下されがちだった。小林は、「簡単で、速いけどおいしい」という料理を定着させた。その後、小林に続くかのように時短料理を看板にする料理研究家が何人も登場しているという。

大阪人の出汁のこだわり。

小林は何でも省略し、簡単にしたのではない、と著者。手をかけるべきところは押さえ、こだわっている。特にこだわったのは出汁を取ること。出汁文化が豊かな大阪で育った小林は、出汁のおいしさをよく知っていた。著書の中で「削り節だし」「煮干しだし」「こぶと削り節だし」のつくりかたをプロセス写真付きで紹介している。小林いわく「「私の料理では、だしをとるのは基本の基本。市販の顆粒だしや科学調味料では深みのある味はなかなか出ません。忙しいから、面倒だから、と敬遠している人もいるけど、だしをとるのって実は簡単!家庭料理ですもの、料亭と同じに考えなくてもいいの」。他の著書でも「私はこれこそ、昔の人が考えたインスタント食品だと思うの」と語る。

おいしいものを食べて育った。

小林カツ代のルーツは、大阪と家族にある。大阪ミナミの中心街近く、製菓材料の卸問屋の家に、二人姉妹の次女として生まれた。住み込みの従業員が20人近くいた。父は経営者で、母は女中の先頭に立って仕切る女将さんである。父は「食べることに手間も暇も惜しまない」祖父の料理で育った。そのため、料理は女性のものという先入観がなく、取引のあった中国で教わった水餃子をよく作ってくれたという。庶民の味が好きでめし屋や中華料理屋に連れていってくれた。母は料理上手で父の要望に応えた。てんぷらや焼肉、そうめん、八宝菜、糠漬けなど、細かい気配りをした得意料理がいくつもあったという。同時にグルメであり、フランス料理や日本料理なども食べさせてくれた。仕出し屋や総菜屋に頼んでいた料理もあった。大勢のお客さんの時は、家で作るだけでなく仕出し屋さんにも少し頼んでいたという。おいしいものを食べて育ったカツ代は、台所仕事にまったく関心を持たず、21歳で薬学系研究者と恋愛結婚した初めての夜、乾燥わかめを大量に入れ、出汁も取らずに作った味噌汁のまずさに仰天。以来、母や魚屋、八百屋などに聞きながら料理を覚えていったという。小林カツ代の足跡を振り返る時、この大阪での生い立ちが、この稀有な料理研究家を育んだということがよくわかる。

息子、ケンタロウ。

2歳になる前から料理に興味を示したという息子は、母の後を継いで料理研究家になる。息子であることを隠すでもなく、折にふれて「カツ代は」と愛情をこめて語り、母の影響もこだわりなく披露する、まっすぐな性格が人気を呼び、十数年の仕事で出した本は74冊ににものぼる。2012年、バイクの事故で高次脳機能障害を負い、闘病生活を続けている。

カリスマ主婦、栗原はるみ

主婦という肩書きを拒否し、家庭料理のプロフェッショナルであることにこだわった小林カツ代に対して、主婦であることにこだわったのが栗原はるみである。彼女が出てきた背景を、著者は女性を取り巻く環境の変化から読み解こうとする。1980年代まで、会社員の女性のコースは二者択一だったという。子どもを産まずにキャリアを積むか、結婚して子育て中心の生活を送るか。2000年代になると女性の生き方は多様化していくが、変化の途上であった1990年代は、キャリアでも結婚でもない生き方が見えなかった。職場にも女性の先輩が少なく、3年目、5年目の曲がり角でつまづき、あてもなく辞める女性が少なくなかったという。しかし結婚生活に入った主婦たちも幸せとは限らなかった。1990年代、30代の女性向けのファッション誌、「VERY」「Domani」が成功を収め、2000年代に入ると、「STORY」「Precious」など40代向けのファッション誌が創刊される。「VERY」創刊号の表紙を飾った黒田知永子、その後を引き継いだ三浦りさ子は、雑誌で自分の生活を垣間見せることでファン層を拡大していった。主婦になっても、母親になっても自分自身であることを忘れない姿がかっこいい、とファンがついた。彼女たちは、そのライフスタイルからは生活の苦労を感じさせなかった。しかし現実には家事や子育てという、決して簡単ではない労働が存在する。それとどう折り合いをつけていけばいいのか。女性たちが、その回答を見た対象が料理研究家だったという。栗原はるみ加藤千恵、山本麗子、藤野真紀子は、全員が1940年代生まれのベビーブーマー世代。そして料理研究家である前に、理想の主婦として脚光を浴びたのである。彼女たちは「カリスマ主婦」と呼ばれた。その中で、トップに躍り出たのが、栗原はるみだった。

栗原がこれまでに出したレシピは、四千種類以上、料理本の累計発行部数は二千四百万部を超える。1995年には生活雑貨を扱う店とレストランを一緒ににした「ゆとり空間」を立ち上げ、1996年には栗原はるみを看板にした季刊誌「すてきレシピ」を創刊、2006年には「haru_mi」へと装いを替えて、現在も継続している。ファッションまで彼女を真似るファンが現れ、「ハルラー」と呼ばれた。まさにカリスマである。

栗原を一躍有名にしたレシピ本が、ミリオンセラーを記録した「ごちそうさまが、ききたくて。」である。著者による紹介を引用する。「エッセイ集のようなタイトルが、まず他のレシピ本と一線を画する。中を開くと栗原家のキッチンの写真があり、自身の生い立ちを綴るエッセイが添えられている。それぞれのレシピにも短いエッセイがつけられ、ところどころに料理する栗原の写真、キッチンやリビングの写真が入る。使われている食器はすべて栗原の私物で、料理も家族に出してきたものだ。これは、栗原のライフスタイルを見せる本なのである。」「栗原レシピは、生活という裏づけのあるノンフィクションなのである。」「実生活に裏づけされた家庭料理といっても、驚きのないレシピでは、プロになれない。意外な素材を組み合わせるレシピの元祖も、栗原はるみだったことが、『ごちそうさま〜』からわかる。」

小林カツ代との違い

10歳年長の小林カツ代は、プロセスを大胆に変えた時短レシピを提案したが、基本は味が想像できる安心感がある。対して栗原は、味に冒険がある。洋食や和食というジャンルにこだわらない。西洋料理、中華料理、日本料理とジャンル分けされた料理を外で食べてきたベースがある小林に対して、栗原は、実家で和食を、結婚相手の家で洋食をと、食べてきたものが家庭料理中心だったため、ジャンルにこだわりがなかったのではないかと、著者は考察する。また栗原が活躍を始めた80〜90年代はグルメの時代で、人々が、本格的な中華料理を味わい、イタリア料理とフランス料理の違いを知り、無国籍料理が流行った時代で、意外な組み合わせや新しい味が求められる時代だったという。

栗原はるみのプロ魂。

栗原のすごさは30年以上にわたり大量のレシピを提供し続けていることだ、と著者は言う。そしてNHKのドキュメンタリー「プロフェッショナル 仕事の流儀」で栗原が見せたこだわりを紹介する。彼女は「百人が作ったら百人がおいしく作れる」レシピをめざす。たとえば「エビと卵のチャーハン」。栗原は、フライパンで中華料理店のようなパラパラ感を出す方法を約一ヶ月間研究し続けた。火加減、油の量、入れるタイミング。何度も何度も作り、確実な方法を出そうとする。栗原は気になることを徹底的に検証するまで気がすまない。その「プロフェッショナルな」姿勢が、店を持ち、雑誌を主宰する源泉になっていると、著者は推測する。

和洋の家庭料理の中で。

栗原はるみは、静岡県下田市で印刷会社を営む両親と、祖母、叔母、兄、従業員、お手伝いさんと一緒に暮らしていた。母は、毎日、全員の朝食、昼食、夕食、そして夜食を整えたという。4時半に起きてゴマを摺り、朝食をつくっていた。地元の旧家に生まれた母は、9歳で父をなくし、働く母に代わって台所を切り盛りした。下田の家庭料理の伝統をしっかり身につけ、それを守って生きてきたという。栗原は、そんな母のもとで、お手伝いさんと一緒に朝6時に起き、朝食の支度から掃除まで手伝いながら、成長した。東京の短大を卒業する頃、下田は名高い建築家やデザイナーがセカンドハウスをかまえるリゾート地になっていた。兄の遊び仲間に入れてもらい、外国の音楽を聴いたり、本格的な西洋料理を初めて口にする。その仲間の一人にテレビキャスターの栗原玲児がいた。初めて栗原家に遊びに行った時、カルチャーショックを受ける。テーブルにはランチョンマットが敷かれ、花と果実が飾ってある。キッチンにはオーブンが内蔵され、4つもガス台があるコンロには牛肉のビーフシチューが煮えていた。玲児は、料理上手で知られていた。彼女は、26歳で、14歳年上の彼と、両親の反対を押し切って結婚。最初は専業主婦をしていたが、玲児に「僕を待つだけの女性でいてほしくない」と言われてしまい、自分にできることを、と思いついたのが料理。近所の主婦に料理を教え、主婦仲間と中華料理のシェフに料理を習いに行った。ある時、自宅に遊びに来ていたテレビ局関係者が彼女の腕前に驚き、フジテレビの「夕食ばんざい」という番組の裏方の仕事を紹介される。36歳だった。そして雑誌「LEE」から仕事の依頼が来る…。栗原はるみには、母譲りの家庭料理と栗原家での西洋料理という、2つの家庭料理の経験が息づいている。

家庭料理の空白期を埋める。

栗原はるみのファン層は世代が広いが、栗原と同じ世代の女性が目立つという。著者曰く「今さら習わなくていいようなベテラン主婦がなぜ、と思うのは家庭料理の厳しさを知らない人である。」昭和ヒトケタ世代は、本格的に料理を教わるべき十代を、食糧配給の時代に過ごしている。昭和10年代生まれは、子供時代が戦中戦後に重なり、ひもじい思いをした。十代は男女平等・民主主義を教えられ、家庭を持つ二十代は、高度成長期で、育った環境とはまるで異なる台所を手に入れた。戦後生まれのベビーブーマーたちは新しいものが次々と登場する時代に育った。昭和前半世代に共通するのは、家庭の中で受け継がれてきた知恵や家庭料理を知らずに育っていること。あるいは戦争を始めた世代に不信感を抱き、封建的なニオイがする戦前の文化を信用していない。その中には食文化も含まれるという。料理の基礎が身についていないコンプレックスもある。そんな彼女たちにとって、自分たちと同じような時代を生きながら、親からきちんと料理を教わり、おいしい料理を食べて育った、栗原はるみのような存在は驚異なのである。

女性のヒエラルキーの頂点に立つ。

栗原のファンは同年代だけではない。若い世代にも多くのファンがいる。その理由を、著者は、栗原が、女性が求めるすべてを手にしているからだという。彼女は、高い社会的地位と高収入を約束してくれる仕事を持ち、幸せな家庭を維持し、育て上げた子どもたちもいる。女性たちの間にある暗黙のヒエラルキー。その頂点に立つのは、仕事も、結婚も子どもも手にした女性。2番目が、結婚と子どもを手にいれた専業主婦。そしてシングルマザーだがやりがいのある仕事を持つ女性が続き、共働きで子どものいない女性がその下にいる。一番下が独身女性である。

和食の系譜。

小林カツ代栗原はるみ。対照的な二人を紹介した後、著者は、和食文化の継承者ともいえる料理研究家を紹介する。土井勝土井善晴の親子、庶民派の村上昭子である。さらに2000年代に注目を浴びた料理研究家、辰巳芳子に触れる。彼女の立ち位置は、これまで紹介した、どの料理研究家とも違っている。辰巳は、レパートリーの多さや発想の斬新さで勝負する人ではない。ときどき「クロワッサン」に辰巳芳子特集として登場する。NHKでも何度も特集が組まれる。どんなレシピを提供するかではなく、どんな発言をするかで注目を集めた。辰巳は、食を入口に人の生き方、社会のあり方まで視野を広げて発言する。彼女の発言を引用する。「もう一度人間らしい心を取り戻すには、心をこめて三食を整えていくこと。それはひじょうに身近で、誰にもできる有効な手段なのです」「食べることは生きることの一部。呼吸することと等しく私たちの生命の仕組みに組み込まれているものです。生命と呼応するものを調理すべきように作り、過不足なく食べること、これに尽きます」

いのちを支えるスープ。

彼女が注目を浴びるようになったのは、2002年に出した「あなたのために いのちを支えるスープ」がきっかけである。このレシピ本は、辰巳の父が1972年に脳血栓で倒れた後、8年に及んだ介護でつくり続けたスープが元になっている。最初は料理研究家だった母、辰巳浜子の提案だった。その母も、父より早く、1977年に逝く。辰巳は、その後、スープを教える教室を開く。そこに誘われた出版社の編集者、土肥淑江が編集し、この本が生まれた。大きな文字2段組のレシピ本は高齢者でも読みやすい。嚥下障害に苦しんだ父が口にできたスープは、どれも手がかかっていて滋養に富む。同書で紹介されるスープは、半分が出汁をもとにした和の汁もの、半分が洋風のスープである。レシピによると、これらのスープはお金と手間がかかり、注意深く正確に作れる技術を要する。著者は、このスープを生み出した辰巳芳子の生い立ちと、彼女を育てた料理研究家の母、辰巳浜子の生涯をたどる。

平成「男子」の料理研究家。

家庭科は、小学校高学年で初めて学ぶ時は、男女共修だが、中学校、高校は女子だけという時代が続いていた。1979年に国連女子差別撤廃条約を採択したことを受け、遅まきながら1993年に中学校で、1994年に高校で男女共修が始まった。その世代が大人になった。彼らの親も戦後生まれで共働きも多い。ケンタロウが2000年代に人気を博したのは家庭科共修世代に受け入れられたという面が大きいという。そして2008年、料理番組「太一×ケンタロウ 男子ごはん」が始まる。料理の技術指導的なことより料理する楽しさに重きを置いた、この番組は人気を得て定着する。1年分のレシピと番組紹介を兼ねた「太一×ケンタロウ 男子ごはんの本」はベストセラーになった。しかし、2012年2月、ケンタロウは事故で番組に出られなくなった。番組は、4月からの4ヶ月間ゲストを招いて様子を見たあと、8月から栗原心平をメインキャストに迎えた。このほか、ケンタロウの友人のコウケンテツを紹介している。

本書を読み終えて、自分の「食人生」のことを想った。

昭和ヒトケタ世代の母は、今思うと料理が得意ではなかった。本書の中にも出てくる、料理を覚える時代を、配給や戦後の食料難の時代に過ごし、高度成長時代は都会で小さな家庭を持ったが、料理を教えてくれる姑がいなかった世代。そのせいか、「おふくろの味」的な記憶がほとんどない。魚の棚で知られる明石で育ったが、新鮮な魚を食べた記憶がない。貧しかったせいもあるのだろう。本書の小林カツ代栗原はるみの生い立ちを読むと、「食」は「人」を創る、とても大切な要素なんだと思う。

すぐそばに料理という王国があった。

僕自身、食べることは好きなのだが、これまで自分で料理をすることにまったく興味が持てなかった。周辺にいる料理男子諸氏を見るにつけ、羨ましく思うこともあり、何度か挑戦しかけたことはあるのだが、いつも挫折に終わっている。しかし本書を読むと、料理とは、なんと豊かで、興味深く、奥深い世界なんだろうと思い知らされる。自分のすぐそばに、思いもよらない巨大な王国が存在していたことに今まで気づかなかった迂闊さを後悔する。そこには家庭料理の世界を切り拓いた多くの先駆者や英雄がいる。革命家も発明家も思想家もいる。伝統を受け継ぐ匠がいる。そしてカリスマもアイドルもいる。本書を読んで、もう一度、料理に挑戦しようという気持ちになった。今度こそわが家の「男子ごはん」はうまくいくだろうか?