桐野夏生「夜の谷を行く」

著者の作品で読んだのは「魂萌え」「グロテスク」ぐらいだが、テレビドラマや映画になった作品は気になってけっこう見ている。著者は実際に起きた事件をモチーフにして作品を書くことがあるが、本書も連合赤軍の事件がモチーフになっている。事件は僕が高校の時に起きたが、当時は学生運動そのものに拒否反応があり、事件を詳しく知ろうとは思わなかった。その後もまったく関心が持てないまま時間が経ってしまった。閉ざされた集団の中でリーダーたちが徐々に狂っていく過程に興味を覚えて、ドキュメンタリーや小説を読むようになったのは、この10年ぐらい。カバーの不気味な写真は、よく見ると「ママチャリ」。ママチャリだって描き方しだいでホラーな絵になる。

40年前の事件が蘇ってくる。

主人公の西田啓子はかつて連合赤軍の兵士だった。彼女は、メンバー同士による「総括」と称する批判によってリンチで12人が殺された「山岳ベース事件」から脱走した一人だった。現在は、一人の妹以外は誰ともつきあわず、ひっそりと暮らしていた。事件から39年が経った2011年、元連合赤軍の仲間から連絡がくる。彼から最高幹部の永田洋子が死んだことを告げられる。そして彼女に会って取材したいというライターを紹介される。さらに元の夫からも電話がかかってくる。同じころ、姪の結婚が決まり、自分の過去を告げざるを得なくなり、妹との関係も険悪になっていく。封じ込めていた過去が永田洋子の死をきっかけに甦ろうとしているかのようだ。そして3月11日の東日本大震災が起きる。以後、震災報道の様子は、暗騒音のように物語を支配している。

むしろ淡々とした印象で読み進んでゆく。

主人公の、スポーツジムに通うのと図書館の本を借りて読むのが日課という、単調な生活のせいか、読んでいる印象は淡々としている。事件の頃を思い出す場面は出てくるが、事件のドキュメンタリーを読んだ時のような執拗さ、陰惨さは感じられない。主人公は、元夫や昔の仲間と話すうちに、自らも忘れていた事実と向き合わざるを得なくなる…。過激な武装闘争をめざす集団がなぜ、凄惨なリンチ殺人を犯すようになっていったのか?閉ざされた集団の中で、悪霊が生まれ、若者たちの心を少しずつ侵食していき、狂わせていった様子を描いてほしい。僕が連合赤軍の事件に関する本を読むのは、その過程を知りたいからだ。執拗な「総括」やリンチの描写を読む辛さを覚悟して読み始めたが、ちょっと肩透かしをくらった印象。著者は、あの事件の違った側面に光を当てようとしたのかもしれない。ネタばれになるので書かないが、ラストは鮮やかだ。静かな感動に包まれる。