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加藤典洋「村上春樹イエローページ1/2/3」

同じ著者による「村上春樹はむずかしい」を読んで、さらに、初期の村上作品を再読してみて、色々と考えさせられるところがあった。そこで「村上春樹はむずかしい」の前身とも言える本書も読んでみることにした。幻冬社から文庫で出ているが、1、2は絶版。3も大手書店には在庫がなく、アマゾンで古本購入。「風の歌を聴け」から「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」までをカバーした「1」だけを読むつもりだったが、結局「3」まで読んでしまった。

40年読み続けている作家の批評を読むこと。

20代初めから読み始め、40年近く経った今も読み続けている小説家は、そうたくさんいない。村上春樹は、その数少ない中の一人。しかも初期の頃は反発を覚えながら読み続け、最近の十数年になって、共感をもって読むようになったという経緯がある作家は、村上春樹しかいない。そんな作家の仕事を、早くから評価し、長年にわたって批評してきた著者による、詳細を極めた読解である。本書の3巻を費やして語られる村上作品の、ほぼ全部を自分が読んでいるということが、本書の読書体験を特別で濃密なものにする。それは自分自身が生きてきた40年をたどり直す体験でもあるからだ。本書を読みながら、様々な記憶が蘇ってくる。多くの事件、様々な流行、読んできた膨大な本、観た映画の数々、恋愛や結婚、そして仕事のこと…。本書の中で紹介される村上作品のディテールを読んでいるうちに、忘れていた記憶が不意によみがえってきて、思わず本を閉じてしまいたくなる瞬間が何度もあった。こんな読書体験は、ちょっとできない。

多視点による読解。

自分が読み続けてきた一人の作家の作品群を、これほど徹底的に詳細に解剖した本は他にない。大学の講義の一環として行われた、「複数の読者による多視点の読解」という試みによるところも大きいと思う。一人の読者なら見落としてしまいそうな「気づき」が随所に散りばめられている。さらに煩わしいほど頻繁に出てくる「図解」や詳細な「表」によって、読者は、新たな視点に立たされて、作品を見つめることになるのだ。ふだんの一般的なリニアな流れの文章に慣れた読者は、慣れるまで時間を要するかもしれない。作品をめぐるちょっとしたコラムのような文章も、多視点ならではの読解で、面白い。時間軸に沿って旅をする「村上春樹ワンダーランド」を歩くためのガイドブックのようだ。作品の世界と、村上春樹のバイオグラフィに、時代の潮流、さらに自分自身の記憶をもたどることになるので、読後感としては、壮大なオデッセイから帰ってきたような達成感と疲労を感じた。

穿ちすぎの解釈。

著者による解釈は、時には拡大解釈しすぎだろうと感じるほど大きく飛躍する。それは、時には納得できないほど遠くへ読者を連れていく。まあ、それも面白い。著者による村上作品の解釈は、「風の歌を聴け」に始まる初期の三部作の解釈を除けば、ほぼ納得できた。 納得できなかった解釈とは、初期三部作の中で、登場人物の「鼠」がすでに死んでおり、登場してくるのは「幽霊」としてであるという解釈である。著者がそのように解釈する理由は理解できないことはないが、個人的には飛躍しすぎであると感じた。

時代の賜物。

本書を読むと、村上春樹という作家も、様々な時代の潮流の影響を受けていることがわかる。ビージーズの歌、コッポラの「地獄の黙示録」スティーブンキングのホラー小説、そして阪神大震災地下鉄サリン事件、神戸の少年Aの殺人事件…。村上作品は、これらの事件や潮流から、時には無意識のうちに影響を受けているという。

 阪神大震災とオウム。

イエローページ3では、その中でも、阪神大震災地下鉄サリン事件村上春樹という作家に及ぼした影響と、それによって引き起こされた変化について、詳細に語っている。地下鉄サリン事件の被害者にインタビューした「アンダーグラウンド」。元オウム信者と現オウム信者にインタビューした「約束された場所で アンダーグラウンド2」。僕自身も、この2冊を境に、村上春樹に対する読み方が変わっていったことを覚えている。本書ほど精緻に読んだわけではないが、サリン事件の被害者からは「普通の人のすごさ」を発見。元オウム信者からは「オウムの荒唐無稽な稚拙な物語が持つ力」を思い知らされる。それ以降、村上春樹は「神の子どもたちはみな踊る」「アフターダーク」など、従来の自閉的な世界と抽象的なパラレルワールドで成り立つ世界とは大きく異なる領域に踏み出してゆく。それは「スプートニクの恋人」「海辺のカフカ」を経て、大作「1Q84」につながっていく。作家の中に起きた、大きな変化を、著者は、推理小説の探偵のように、様々な証拠を提示しながら丁寧にたどってゆく。その過程は本書のいちばんの読みどころである。

「3」がいちばん面白い。

3冊の中で、やはり3がいちばん面白く読めた。それは僕自身が、村上春樹への共感を持つようになった時期の作品を読み解いているからだろう。最後のほうの、村上春樹が翻訳したサリンジャーキャッチャー・イン・ザ・ライ」をめぐる読解も、とても面白く読めた。

詳細な読解に耐える村上ワールド。

それにしても、このような詳細な読解や考証に耐える村上ワールドとはいったい何だろう。日本の現役作家で、そんな小説家は他にいない。著者によると、村上春樹は、その創作の大半を無意識の部分によって行っているからであるという。そして、村上は、デビューの頃から、現在まで、そのやり方を頑固なまでに守り続けているという。最相葉月のノンフィクション「セラピスト」の中で語られる「絵画療法」の、言葉(因果律)に縛られない対話が、患者を癒すのだという一節を思い出した。言葉では語ることができない「無意識の物語」を、言葉による小説で表現しようとする、矛盾に満ちた創作の困難さを思わずにいられない。