千松信也「けもの道の歩き方 猟師が見つめる日本の自然」 

2009年のエントリーで取り上げた「ぼくは猟師になった」の著者の2冊目。大学を出て猟師になった著者は、40歳になった。結婚して、子供もいるが、猟師としての生活はいまも続けている。11月から2月の猟期には、ワナをしかけて、イノシシ、シカを獲る。網猟で鴨やスズメを獲る。猟期が終わると川で魚を漁り、蜜蜂を飼い、鶏を飼い、木の実を拾い、キノコを栽培する…。縄文時代の狩猟採集生活はこうであったろう、というような生き方である。前回の「ぼくは猟師になった」では、狩猟によって「命」と直に向き合う戦慄や感動、太古から続く狩猟採集生活を著者自らが体験する歓びに溢れていた。しか し、著名になり、ナチュラリストの一人として様々な場で発言したりするようになった今、著者の文章は、冷徹に、日本の自然が抱える問題を見つめている。

千松信也「ぼくは猟師になった」 - 読書日記

シカやイノシシによる獣害の急増。

シカがここ何十年かで急増し、その食害によって農作物に大きな被害が出ているという。農業だけでなく、森林の生態系にも深刻な影響が出ているらしい。希少植物が食べ尽くされて絶滅するのはもちろん、笹などを食べ尽くすことにより、そこを隠れ家にするイノシシや小鳥、小動物などにとっても住みにくい場所になっている。京都大学の芦生研究林では、20年前と比べると昆虫の数が8分の1に減少していたという。昆虫は、森林内では花粉媒介や落ち葉・死骸の分解などの役割を果たしていて、それが絶滅すると森林全体の活性を弱めることになる。シカが増えた理由も単純ではない。戦後、木材確保のため、各地で自然の森林を伐採し、スギやヒノキを植林した。手入れの行き届いた森は、日当たりがいいためシカの餌である下草もよく育ち、住みやすい環境であったという。その後、東南アジア等の安い木材が輸入され、採算がとれなくなり、林業自体が廃れていった。かつて植林された木が伐採適期を迎えているのに放置されたままになっている。間引きや枝打ちなど、最低限の手入れさえされなくなった森は、下草も生えない薄暗い森である。そこに生息していたシカは、餌を求めて、手入れされた森や人家近くに移動してくるという。

猟師はいまや絶滅危惧種

かつてシカの捕食者であったニホンオオカミが絶滅した後、猟師が、その役割を果たしていたが、近年、高齢化が進み、急速に減少していることも、シカが増える理由のひとつであるらしい。著者の住む京都では、2013年から猟期にシカを獲ると、1頭4000円の報奨金が出るようになった。それまで猟期以外の、いわゆる害獣駆除には報奨金が出ていたが、猟期では初めてであるという。ここに来て、国が、シカの保護から、数の管理に方針を変更しようとしているらしい。奈良のシカですら駆除が議論されているという。シカだけでなく、イノシシやサルによる獣害も増えている。他に山間の耕作放棄地や人が利用しなくなった里山も、獣たちが人里に入り込む原因になっているという。人と自然がバランスよく調和していると言われる里山も、実は、シカやイノシシなどの獣がほとんどいないこの100年ぐらいの例外的な時期に出来上がったもので、江戸時代には、人の身長ほどもあるシシ垣を築いて、イノシシやシカの害から農地を守ったり、藩をあげて大規模なイノシシ狩りをしていたという。

狩猟をビジネスにする動き。

害獣駆除で殺されたシカは、そのほとんどが埋められたり、廃棄物として処分され、シカ肉として流通することはないという。一部の地域では大掛かりなシカ肉の加工所などを作って製品として流通させようとしている。しかし、このような試みも、著者からすると、未知数であるという。大規模な加工所を作れば、利益を出すために大量のシカを狩らねばならず、そうなると、それほど豊かでない日本の自然では、瞬く間に絶滅してしまう可能性があるという。自然は、人間の都合に合わせてはくれないのだ。著者が猟を始めた20代の頃、裏山にドングリの実がいっぱい採れる巨木がたくさんあった。日当たりをよくしてドングリをたくさんに実らせようと、周囲に生えているリョウブやヒサカキ、ソヨゴといった木を間伐し、薪にしていった。しかしニホンミツバチを飼うようになると、自分が伐採した樹種が全部ミツバチにとっての大切な蜜源だと知って、愕然としたという。森林性のニホンミツバチは、四季折々の森に咲く小さな花に集まって花粉や蜜を集めていく。ミツバチが豊かに暮らすには、多種多様な「雑木」の林でなくてはならないことに初めて気づかされたという。

チェルノブイリの汚染イノシシ。

 猟師である著者には、福島の原発事故による汚染の深刻さがわかる。イノシシは、ドングリが大好物で、タケノコやヤマイモなども器用に探し出して食べてしまうという。また腐葉土を掘り返してミミズなどを食べる。つまり森や土壌の汚染は、どんどんイノシシの中に取り込まれ、濃縮されていく。福島では、イノシシ肉の出荷停止が続いている。そのせいで猟を廃業した猟師もいるらしい。チェルノブイリ事故から29年経った今でも、1500km離れたドイツで、国の基準を超えたイノシシが捕獲され、殺処分されているという。それに比べると著者の住む京都は、事故を起こした原発からたかだか540 kmしか離れていない。風向きなどによって、京都のイノシシが汚染されるおそれは十分にあったのだ。著者は、原発と狩猟採集生活は相容れないと、控えめに反対を表明している。しかし原発の反対運動にも違和感を覚えるという。事故が起きる前から、原発の作業員などが被曝するなど、問題はあったのに、福島の事故で、いざ自分の身にまで放射性物質が降り注ぐことになった瞬間に反原発というのは都市住民の身勝手ではないかと思った。放射性物質は、生態系の豊かな循環を通じて、生き物に蓄積されていく。福島の汚染された自然の中で、子育てをするイノシシ、ものも言わず毎年芽吹く植物群。自然界の生き物はみんな人間が汚染した環境でそれを引き受けながら生きている。自らすすんで汚染される必要はないが、潔癖なまでに汚染を気にするのはどうかと思う。というのが著者の意見だ。

狩猟文化を継承する

著者が狩猟を始めた頃に比べると、狩猟への関心が高まっているという。狩猟を理解してもらうためのイベントも各地で開催されるようになり、予想以上の人気を集めているという。さらに狩猟を始めようという女性も増えてきているという。自然や環境への意識の高まりが、きわめてエコロジカルなライフスタイルである猟師に眼を向けさせているのかもしれない。狩猟学校を作ろうなどという動きもあるらしい。しかし著者は、学校のように画一的な方法を教えるというのは、実は猟師に向かないのではないかと考えている。著者の周囲の猟師たちは、かなり個性的な人が多いらしい。独りで色々工夫して獲物を獲るような人物が猟師には向いているという。

狩猟について、理解が深まる。

本書を読むと、当然ながら狩猟についての知識が得られる。猟ができる動物のことを「狩猟鳥獣」と呼び、法律で規定されていて、現在は48種が選定されている。本書の中では「僕の周りの狩猟鳥獣」として紹介されている。著者と獣や鳥たちとのふれあいが楽しい。また、本書で紹介されている様々な猟の方法も興味深い。それらの猟が、猟師や動物の激減で、継承されないまま、消えてゆくのが残念だという。

半猟半Xで生きる。

半農半X」という考え方があるが、著者は「半猟半X」。人間自身が生態系の一環となり、自然が生み出す恵みを必要最低限なぶんだけ手に入れるという究極のサスティナブルな暮らしではないだろうか。現代において「猟師という生き 方」を選ぶのは、とてつもなくラディカルだ。これに比べると自然に手を加え、生態系を変化させてしまうという点において、農業や林業ですらサスティナブル とは言えない。しかし著者は狩猟を職業にしているわけではない。普段は運送会社で働き、猟期になると週に3日だけ仕事をして、残りの日は猟師 として活動する。彼は専業の猟師になる気はないという。自然の恵みの中から、家族や友人が食べるだけぶんだけの動物や植物を獲り、生活していく。シカやイノシシなら年に10頭獲れればじゅうぶんだという。猟師を職業にして、誰かの依頼で「来週までにイノシシを3頭」というような注文に応えようとすると、狩猟採集生活という、著者の理想とする生活から離れてしまう。また、猟師を専業にする人が増えると、乱獲などが起こり、動物が絶滅するなど、生態系が 変わってしまう可能性がある。昔の人は、農業をしながら、山に入って猟をしたり、薪を集めたり、果実や山菜を採ったりというくらしをしていた。生活 の中に狩猟採集がしっかり根付いていた。著者は、そのような狩猟採集生活を理想としているのだろう。だから著者にとって狩猟は「趣味」ではない。「生活の一部」なので ある。僕らがスーパーで肉を買うように、彼は山でイノシシを獲って、解体し、肉を手に入れる。著者の、このような暮らし方は、僕には無理だと思うが、羨ましくもある。今の時代に、ある意味で、最もラディカルだといえる狩猟採集生活を続ける著者の動向を、今後も注目していきたいと思う。数年に一度、このような本を出してくれるとありがたいのだが…。