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半藤一利「昭和史1945-1987戦後編」Kindle版

8月15日。

友人のHさんが前作「昭和史1926-1945」の読みやすさを「見てきたように語るから」と紹介しているが、まったくその通り。本書でも、著者自身の体験も交えながら、半藤節といってもいい軽妙な語り口で、読者を、あの時代にスルスルと引っ張っていく。8月15日、天皇の終戦宣言を聞いて、中学生だった著者は、目のまえがまっくらになるような衝撃がきて、次に涙がとめどなく流れたという。戦争が終わって、ホッとしたという気持ちは、もっとあとからやってきた…。さらに作家の内田百間、実業家の小林一三歌人斎藤茂吉らが当日書いた日記を引用して、敗戦の瞬間を日本人がどのように受け止めたかを紹介する。著名人たちも一様に衝撃を受け、涙を流し、これから日本人と天皇が辿るであろう、過酷な運命を案じた。著者は、アメリカが日本を占領すると、男は南の島に送られ、一生奴隷として働かせるという話を信じていて、いまのうちに好きなことをやっておこうと、悪友と防空壕に入ってタバコを吸ったという。今回も、要約はせず、主に感想を記す。

戦後史のキーパーソンは天皇だった。

驚いたのは、来日したマッカーサー昭和天皇が11回も会談をしていることだ。戦争を終結に導いたのは天皇の意志と決断だったが、その後も、天皇は自らの意志でマッカーサーと会談し、意見を述べている。新憲法の発布も、東京裁判も、ある意味で天皇がキーパーソンとなって進んでいった。僕の昭和天皇のイメージは「いつも柔和な表情で、あまり喋らない人」という感じだが、実際は、昭和天皇の存在と意志が戦後史に大きな役割を果たしたのだということがわかってくる。

「自分は象徴でいいと思う。」

例えば新憲法について、明治以来の天皇制の護持を前提としていた日本側の案に業を煮やしたGHQは「主権は国民にあり、天皇は象徴」という案を強硬に提案してくる。これを受け入れ難い日本政府だったが、天皇自身の「自分は象徴でいい」という声で、ようやく決着し、新憲法が動き出したという。

憲法九条は、マッカーサーの理想主義から生まれた。

憲法9条は、結局のところ、マッカーサーとその側近たちが、それまでの日本を完全に解体し、ゼロから平和国家を創り上げようとして生まれた産物であり、当時としては画期的な試みだった。明治以来の天皇制を何とか残し、自衛のための軍隊を残そうとしていた日本側からは絶対出てこない、奇跡のような憲法だったのである。しかし、基本的な考え方は、GHQからの強引な押し付けであったことは間違いない。マッカーサーは、この理想を実現するために、東京裁判公職追放財閥解体、農地解放などの改革を矢継ぎ早に打ち出していく。改革がこのまま進んでいれば、日本は本当に未来を先取りした平和国家になっていたかもしれない。しかし緊迫する世界情勢はそれを許さなかった。終戦直後からすでに「冷戦」が始まっていた。

GHQの大転換。日本を防共の拠点に。

戦後史のもうひとつの大きなポイントが、冷戦を背景にした「占領政策の大転換」である。東京裁 判の間も、世界情勢は激しく動いており、「冷戦」が厳しさを増していった。ヨーロッパでは、ソ連が東欧を共産化。さらにベルリン封鎖が起こる。いっぽうア ジアでは、中国共産党軍がアメリカの支援を受ける国民党政府軍に反撃を開始。昭和23年には大陸の大半が共産党に支配される状況に。国民党政府を防共の拠 点にしようと考えていたアメリカは、あわてて日本をその代役にしようとする。東京裁判公職追放財閥解体など、厳しい政策で日本を平和国家に作り変えよ うとしていたアメリカは、それによって国民の不満が爆発し、革命が起き、共産主義化するのを恐れ、占領政策を大転換する。ワシントンがマッカーサーに対し て示した大転換とは以下の通り。

①改革や追放をこれ以上進めないこと。

②戦争責任の追及(裁判)を早期に終結させること。

③国民の不満解消に向け改革よりも貿易など経済復興を第一義的な目的とすべきこと。

④日本独立に向けた講和を視野に入れ、警察を強化する、また沖縄・横須賀の基地は確保しつつ、総司令部の権限をできるだけ日本政府に委譲すること。

最後の「警察を強化する」は再軍備と言いたいところだが、マッカーサーが猛反対するのがわかっているので、控えめな表現としたようだ。この占領政策の大転換によって、日本の戦後は、中途半端な方向へ進んでしまったのだと思う。

東京裁判で裁かれなかった人々。

日本が「戦後の対応を誤った」という主張の中に、「戦争責任がきちんと追及されず、戦犯級の人が、戦後も生き残り、政界や財界に居座ってしまった」という指摘がある。東京裁判において、連合国の中に、天皇の戦争責任を追及しようとする動きがあった。GHQと日本は、天皇の身柄を守るために、天皇の戦争責任を追及しないように慎重に裁判を進める。昭和23年、判決が下り、7人が処刑され、東京裁判は終了する。著者によれば、戦争の遂行は、すべて御前会議によって決定されたものであるから、天皇の責任をまったく問わないという結論には疑問が残るという。天皇自身も「自分が完全な無実」というわけにはいかず、のちに退位を何度も口にされたという。東京裁判は、結局、その存在も定かでない「軍閥」が暴走し、政府や天皇を巻き込んで戦争を引き起こしたという結論となって終了する。そして、準A級として裁かれる予定だっ児玉誉士夫笹川良一岸信介らは、巣鴨から解放され、大手を振って戦後日本を歩き始めた。しかも「A級」という箔をつけた大物として復活してきたという。どうも、このあたりから「日本が敗戦の対応を誤った」というところにつながっていくのではないかという気がする。彼らは、巣鴨を出ても、しばらくは政府の役職に就くことができなかった。しかしGHQの政策の転換により、追放が解かれ、彼らは堂々と政界や財界に復活を遂げる。彼らの復活とともに憲法改正再軍備の声が高まっていった。

今とそっくりの60年安保。

本書の12章「もはや戦後ではない」を読むと、60年安保の時と今の状況がそっくりなのに驚かされる。A級戦犯容疑者として巣鴨に入っていた岸信介が、GHQの方針転換により、結局、被告になることなく解放される。彼は、追放解除により政界に帰ってくると、憲法改正再軍備を最優先とし、戦前の「大日本帝国の栄光を取り戻すこと」を政治目標として活動を開始する。1957年、岸内閣が発足すると、さっそく総選挙を実施。しかし議席数はほとんど増えず、憲法改正は無理となったため、今度は安保条約の改正をめざす。彼は、安保条約改正のために、まず「警察官職務執行法」の改正に着手。これは警察官の権限を大幅に拡大するもので、安保改正の時に起こるであろう反対運動を抑え込むための法改正であったという。驚いた野党が猛反対し、与党は強行採決を断行したが、結局廃案になっってしまう。しばらく静かにしていた岸政権だが、1959年、いよいよ安保改正に動き出す。1960年にはワシントンにおいて安保改正の調印式を行い、日本に戻って国会の批准を得ようとした。それまで、日本はアメリカに基地を提供するだけの協力だったが、今後は日本を共産主義と戦う共同の陣営、国家として認めさせ、アメリカの日本防衛の義務を明確化する。さらに日本は憲法の範囲内で、在日米軍への攻撃に対しては積極的な軍事行動をとることを約束する、という内容だった。これに対して社会党と総評が中心になって「安保条約改定阻止国民会議」が結成され、国民の関心も高まっていく。すでに戦後15年が経ち、新憲法に定めた平和主義も、国民に浸透しており、明らかに再軍備をめざす安保改定に違和感を覚える市民も多かったという。さらに全学連が反対運動に加わり、運動が拡大してゆく。国会内では法案の「極東における国際平和および安全の維持のために日本は協力する」という一文の「極東」の解釈をめぐって社会党が反対し、議論が延々と続いた。岸内閣は衆議院で可決後、30日以内に参議院で可決しなければ自然に成立する(30日ルール?)を盾にとって強行採決に踏み切ろうとする。野党は衆議院議長を議長室に押し込め、スクラムを組んで表に出ないようにする。いっぽう岸内閣は、本会議開会を知らせる予鈴を鳴らし、与党のみで安保特別委員会を開催。野党が欠席のまま政府と与党だけで委員会を通し、本会議に持ち込もうとした。しかし議長がいない。そこで警察官500人を動員し、議長室前でスクラムを組んでいる野党議員をゴボウ抜きににして排除、議長を担いでいって議長席に座らせた。議長は押し競饅頭状態で開催を宣言、たちまち与党だけで法案は可決してしまった。翌日の新聞は「暴挙」「議会制民主主義の危機」と批判し、大問題になった。議事堂周辺には連日デモ隊が押しよせ、いわゆる安保騒動が始まったという。マスコミのキャンペーンが効果をあげ、大学教授や作家、文化人が新聞、雑誌で反対を表明。以後1ヶ月にわたって反対運動はエスカレートしていった。しかし岸信介は、1ヶ月が経過するまで(自然成立するまで)何が何でも頑張る、総辞職も解散もしない決意だったという。そして1ヶ月後、法案は自然成立する。岸首相は、「棺を蓋いて事定まる」という一言を残した。「自分が死んだ後に、この事は理解されるだろう」という意味だという。法案の成立とともに安保闘争は急速に終焉を迎え、闘争を戦った人々は、今度は企業に入って、企業戦士として猛烈に働いて、あの高度成長を生み出したという。

安倍首相は、祖父の真似をしているだけ。

55年前の安保の章を読んで、状況があまりに似ていることに驚く。安倍首相は、祖父である岸信介と自分の姿を重ねて、現在の暴挙を断行しているのではないか?では岸信介は、なぜあれほど安保改正にこだわったのだろうか?戦前の大日本帝国の栄光を復活させたかったから?本書を読み終えても、その答は見つからない。次は昭和史の、どのあたりを読もうか?

2015年9月19日未明、安保法案が成立。

この日記を書いた翌日の未明、安保法案は参院本会議で可決され、成立した。安倍晋三首相は、祖父、岸信介の意志を受け継いで、戦後史に残る大転換を成し遂げたことを大いに満足しているだろう。こんな風に、敗戦後の過ちが、いつまでも正されないまま、悪霊が再び甦ろうとしている。