半藤一利「昭和史1926-1945」Kindle版

恥ずかしながら今さらの「昭和史」。

この齢になって、初めて昭和史を読んでみようと思った。理由は、最近、戦後史に関する本を色々読み始めて、自分が「あの戦争」と「あの時代」に関してほとんど何も知らないという事実をいまになって痛感していること。また、安保法案や世の中の右傾化の状況が、戦前、負けるとわかっている対米英戦争に突入していった時の状況に似ているという意見をよく聞くのだが、それが具体的には、戦前のどのような事象を指しているのか、具体的に思い浮かべることができないこと。スマホでいちいち検索しても、いまひとつわかった気にならない…。それと、ちょうど良いテキスト(本書)が見つかったことである。というか、本書の著者である半藤一利という、信頼の置けそうな昭和史の語り手に出会ったことが一番大きな理由かな。

昭和史の語り部、歴史探偵、江戸っ子。

著者の半藤一利は、1930年生まれだから、現在85歳である。ちょうど僕の親の世代。著作に「日本のいちばん長い日」「昭和史」「幕末史」「ノモンハンの夏」などがある。テレビでも終戦特番や昭和史の番組で時々見かけるが、江戸っ子弁の気さくな語り口がいい。太平洋戦争は少年時代に経験し、首都空襲では命を落としかけたこともある。戦後は、東大を卒業後、1953年、文芸春秋社に入社し、記者、編集者、編集長として活躍。昭和史に立ち会った生き証人たちを数多く取材し、「昭和史の語り部」と言われる。巨匠めいた部分が一切なく、つねに庶民の視点を保っているのも好ましい。本書以前に、唯一読んでいたのが、宮崎駿との対談集「腰抜け愛国談義」ぐらい。宮崎駿によると、いまの時代、貴重な「正気の人」だという。

昭和史を知らない僕たちの世代。

僕らの世代は、昭和史をほとんど知らないのではないかと思う。中学・高校の歴史の授業では、昭和に入ると、学年末で、たいてい授業は時間切れとなり、昭和史をきちんと教わった記憶がない。また戦争を体験した教師の口からも「あの戦争」が語られることはほとんどなかった。大学に進んでからも、学生運動に走った少し上の団塊の世代への反発からか、政治的な物事に対して拒否反応が強く、戦争と政治の時代であった昭和史には長い間興味が持てなかった。

バラバラの昭和をつなぐ。

とはいうものの、昭和の個別の出来事については、ドキュメンタリーや映画、小説、昔よく読んだ戦記物などで、一応の知識はある。満州事変、二二六事件、ノモンハン事件、そして太平洋戦争の様々な戦い、空襲、特攻、原爆投下、玉音放送東京裁判などについては、一応どんな事件だったか、概要ぐらいは知っている。しかし、それらの出来事は、歴史のバラバラのピースでしかなく、その前後関係も因果関係もちゃんと把握できていない。今回の読書で、すべてのピースを、昭和という1枚の絵の中に配置して、その全体像を眺めてみたかった。

本書は、Kindleで読んだが、紙の本でいうと500ページを越える大作だ。戦後史編と合わせて2週間ほどで読了。執筆というよりは、数人の受講者を前にしての著者の語りを文章化した本である。そのぶん言葉が平易で、とてもわかりやすい。中学生ぐらいなら、じゅうぶん理解できると思う。

昭和史1926-1945 満州事変から玉音放送まで。

本書に書かれている20年は、まさに戦争の20年である。満州事変に始まり、支那事変から日中戦争へ、ノモンハン事件を経て、ついに勝ち目のない対米英戦争への突入。真珠湾に続く緒戦の勝利から、たちまち敗北と玉砕の日々へ。最後は2つの原爆を落とされて、無条件降伏。雪だるまが坂を転がり落ちながらどんどん大きくなって、どんどん勢いを増して、誰にも止められなくなって、最後は粉々に砕け散った。そんな20年を、猛暑が続く夏休みに、いっきに駆け抜けた。著者は、ある時は自らの体験を交えながら、ある時は当時の文豪たちの日記や読み人知らずの戯れ歌を挿入しながら、あの時代の空気や匂いを伝えていく。歴史の本なので、要約してもしょうがないので、本書で発見したこと、感じたことを書くことにする。

なぜ太平洋戦争が起きたのか?

日露戦争で勝ってしまったから。
幕末の動乱を経て明治維新を迎え、日本は、アジアの中で唯一植民地化されずに近代国家へ一歩を踏み出すことができた。国民全体が懸命になって働き、なんとか近代国家の仲間入りを果たすことができた。そこに列強のひとつ、ロシアが大陸を南下してきて、日本を圧迫しはじめる。満州を呑み込み、朝鮮半島まで進出しようとしている。日露戦争は防衛戦争であった。しかし工業生産など、国力は数倍というロシアとまともに戦っても勝ち目はない。イギリスから戦艦を購入するなど、軍備を大急ぎで整えながら、懸命に外交努力を続けていた。もはや開戦やむなしとなった時も、軍は政府に、アメリカを仲介役として早期の講和を結べるように働きかけることを執拗に求めた。そして開戦。日本はかろうじて勝利を手にした。その勝利も、のちの戦記で語られるような華々しい勝ち方ではない。今では旅順要塞の攻略も、203高地の攻防戦も、実はまったく無駄な戦いであったことがわかっている。大勝利とされた日本海海戦も、連合艦隊は、バルチック艦隊のコースを読めず、海戦の前日に北海道方面へ移動しようとしていたらしい。参謀の一部が、なんとか説得して1日だけ移動を伸ばすことになったという。もし北海道方面へ移動していれば、あの勝利は無かったという。要するに運が味方した勝利である。

「無敗の神軍」という神話。
こうして、かろうじて勝利をつかむことができた日本は、しかし、慢心してしまう。「運良く手に入れた勝利」が「天が我らに味方した勝利」になり、それまで懸命に、そして慎重に進めてきた近代国家の建設が、どんどん神がかりになり、合理的な思考を失ってゆく。いつの間にか「神軍は無敗」という神話が生まれ、成長していく。合理の塊であるべき軍事に、精神主義と楽観主義がはびこっていく。そこに「大東亜共栄圏」「五族協和」「八紘一宇」という誇大妄想ともいえるビジョンと、それを導く偉大なヤマト民族という、ある種の選民主義が加わり、日本は、オカルト帝国ともいえる独裁国家に変貌してゆく。著者は明治の人々が40年かかって築きあげた近代国家を、日露戦争後、大正・昭和の世代が40年かけて亡ぼしたのだという。

軍部が暴走したから。
本書を読むと、太平洋戦争全体が、軍の暴走と無責任に終始した戦争であると感じる。満州事変にはじまり、日中戦争ノモンハン事件、さらに南方への進出など、陸軍が実行した作戦は、あきれるほど無謀で、無責任、さらに非人間的ですらあった。そんな作戦を立案・遂行しようとした参謀本部とはどのような組織であったのか。軍部の暴走を引き起こしたのは、司馬遼太郎によると「統帥権」という魔法の杖だったという。統帥権とは軍を動かす唯一最高の権力であり、日本の場合、天皇がただ一人この力を持つ。陸軍の参謀本部や海軍の軍令部は、この統帥権のもと、天皇直属の機関として機能する。内閣がこの機関を動かしたりすることはできない。いわば政府から独立した軍の最高機関が、統帥権を楯に取って暴走したことが「あの戦争」を生み出したという。しかし、軍事という合理の塊のような世界で、しかも陸大出身の、エリート中のエリートが集められた組織で、なぜ暴走が起きたのだろう。そこのところは本書を読んでもよくはわからない。閉鎖的なエリート集団の暴走。唯我独尊的な人物たちの暴走。出世主義など。僕には、それらの要素と、現人神の天皇をいだく神がかりの国家のオカルティズムが、あのような暴走をもたらしたのだと感じられた。陸軍の死者のうち7割が餓死であったという、そんな戦争があり得るんだろうか。本書によると、暴走の責任は軍部だけではない。政治家たち、そして新聞、ラジオなどのメディアも、戦争を煽り、勝利をたたえ、国民を扇動していったのだという。国家の熱狂を批判する新聞は、たちまち部数を減らし、廃刊に追い込まれたという。著者は本書の最後で、あの戦争の教訓として「熱狂しないこと」を一番にあげている。幕末といい、ひょっとしたら日本人は熱狂しやすい民族なのかもしれない。
特攻の責任。
もうひとつは特攻について感じたこと。山本五十六は、真珠湾攻撃の際、小型潜水艇によって帰還を考慮しない攻撃を志願した部隊に対してOKを出さなかったという。攻撃計画が見直され、潜水艦による搭乗員の回収計画を実行することでようやくOKが出た。結果は10名が出撃して帰還したのは1名だけだったという。山本は、決して十死0生の作戦などにOKを出さなかっただろう。特攻は最前線の飛行隊自らが考案し、志願したことによって始まったとされている。しかし、様々な資料から、軍令部など、中央が立案し、推進したのではないかと言われている。「葉隠」など長らく武士道を守ってきた日本独特の生死観。「お国のために死んできます」と叫ぶ兵士たち。捕虜になることを恥とする戦陣訓。それらを考慮したとしても、特攻は非人間的な愚劣そのものの戦術だと思う。それを中央が立案し、特攻専用の兵器まで開発するなんて、そのこと自体が戦争犯罪だといってもいいと思う。「回天」、「桜花」、「震洋」を開発しようとした段階で、日本はすでに敗北していた。兵士や国民の死を前提とする作戦なんて作戦ではない。百田尚樹の「永遠のゼロ」の中で、特攻を自爆テロと同じだというジャーナリストが出てきて、登場人物たちに否定されるが、もしも、あれがテロではなく、戦争であったら、同じ「特攻」になると思う。カミカゼ攻撃のことを英語ではSuicide Attackというが、訳すと「自殺攻撃」である。特攻で亡くなった兵士たちは英霊だが、特攻を立案し、実行を命じた人間は間違いなく外道である。

40年かけて築き上げた近代国家を、40年かけて亡ぼした。

著者は歴史の40年周期を主張する。明治維新以来、日本人は懸命に働い て、40年かけて近代国家を作り上げた。そのピークが日露戦争だった。日露戦争の勝利で舞い上がってしまった日本は、その後の40年をかけて、せっかく築 き上げた近代国家を戦争で亡ぼしてしまう。そして敗戦後、日本は再び懸命の努力を続け、再び40年かけて平和&経済立国ともいえる経済大国を築きあげたと いう。さらに80年代以降、日本は再び、破壊のサイクルに入ってしまったのかもしれないという。現在は、破壊のサイクルの30年目にあたり、「平和立国」 の「平和」が失われようとしているのだろうか。

現在と似ているか。

統帥権を楯にとって、軍が勢力を強め、軍事政権へと向かっていった過程は、現在の状況と似ているか もしれない。ただ、軍部だけではなく、時の政権も、新聞などのメディアも、国民も、国全体が総がかりで戦争に突入していった状況とは違っている。そちらは、むしろ戦 後になって鳩山政権が、再軍備を目指して憲法改正を目論んだり、安倍首相の祖父であった岸信介の政権で安保条約改正を強行した「60年安保」のほうが近い のではないかと思う。敗戦後、新憲法とともに平和主義の道を歩きはじめた日本であったが、その頃から、再軍備憲法改正を進めようとする勢力があったの だ。しかも、その動きは、今以上に激しかったという。それはもう1冊の戦後編のテーマになる。