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内田樹 釈徹宗「聖地巡礼 ビギニング」

先日、内田先生が語るシンポジウムを聞いて、ますます冴えわたる直感ブッ飛びロジックにゲラゲラ笑ってしまった。中に出てきた京都東山の鳥辺野、長崎の隠れキリシタンの話が面白かった。シンポジウム後の質問時間で聴衆の一人から徳島県ノアの方舟が流れ着いた伝説や日ユ同祖論について質問された時、ほかの登壇者は苦笑して相手にしなかったが、内田先生は、日ユ同祖論のような「トンデモ史」が出てくる日本人特有の心性について語ってみせた。本当にアタマの柔らかい人だな、というのが最近の印象。シンポジウムの中で出てきたのが本書の話。以前に購入済みだったが、読まずに本棚に埋もれていたのを発掘して読み始めた。釈撤宗は、対談集「現代霊性論」以来。

内田樹と釈撤宗による聖地巡礼ツアー。

内田樹が開いている武道と哲学の学塾「凱風館」の塾生による部活に「巡礼部」が設立され、この企画が動き出したという。本書は最初の3回分がまとめられている。第一回目は大阪の上町台地の縦走、2回目が京都のパワースポット巡り、3回目が奈良のまほろ三輪山探訪。現代の聖地巡りに、これほど面白いガイドはいない。後は中沢新一ぐらいか。

第一回聖地巡礼:大阪編 大阪ののスピリチュアルライン、上町台地を歩く。

中沢新一「アースダイバー」を読んだ人には、上町台地といえば上方文化を形作った、最も重要な南北のラインであることは常識である。かつて大阪の大半が海の中だった時代に、唯一存在した陸地が、住之江あたりから北にまっすぐ伸びる上町台地である。この台地の上に都が置かれ、聖徳太子四天王寺を築き、中世には石山本願寺ができ、大阪城も建てられた。この台地を中心に、周囲に洲ができ、島になり、都市になっていったという。ツアーは大阪天満宮から歩き始め、大阪城、難波の宮跡、生國玉神社、最後は四天王寺にゴールして釈撤宗の法話を聞いて、二人の対談を聞いて解散となる。大阪のスピリチュアルゾーンは京都や奈良以上に歴史があり、しかも海と繋がりが深く、語るべきテーマは多岐にわたる。上町台地の両側にできた島に海からきた海民が住み着き、やがて町が生まれた。彼らは漁労、海運、交易を生業とする人々であり、権力にまつろわぬ人々であった。中世には本願寺寺内町が生まれ、様々な技能を持った人々が集まり、自治都市へと発展していった。このあたりの話は「大阪アースダイバー」「大阪の神さん仏さん」で読んだのとほぼ同じ話だが、実際にその土地を歩きながらだと、リアリティがぐっと高まるのではないか?現在の大阪城がある辺りが上町台地の先端で、ここからまっすぐ東に伸ばしたライン上に生駒山が位置する。ツアー一行は、さらに南へ向かい、日本最古の土地神様を祀る生國玉神社へ。合邦辻、えんま堂を経て、四天王寺へ。二人の話は、中世の寺内町の話から文楽や能の話、土地に今も残る舞楽の話、折口信夫身毒丸聖徳太子の話まで自由自在に飛ぶ。最後は五智光院で法話と対談を聞き、四天王寺の西門から沈む夕日を眺める。

大阪の霊的パワーは弱まっている、と内田先生。

最後にやってきた四天王寺は内田先生を落胆させる。まるでタイガーバームガーデンではないか、と…。大阪には、霊的ラインを水路のようにつなぐ水脈が間違いなくあるという。しかし、その流れを妨害している力もある。ノイズも多いという。本来であれば、霊的水脈の流れを妨げないような気遣いができるはずなのに、現在の都市住民は、その気遣いを忘れてしまっている、と。明治時代か、せめて戦前までだったら、今日歩いてきた街並みのたたずまいとか、柔らかさを感じることができたのではないかという。

第二回聖地巡礼:京都編 異界への門、船岡山。ALS。鳥辺野。

第1回は上町台地という、かつては霊的なゾーンであったが、現在はノイズが多くて、それを感じとるのが難しかったためか、2回目は、京都の船岡山と鳥辺野という、感じ取りやすいパワースポットになったようだ。最初の船岡山は、京都市の北に位置する小さな山である。麓に、織田信長を祀った建勲神社があり、頂上付近に磐座がある。内田先生は登っている間からビリビリ感じるという。頂上付近の磐座は、ここから先が異界を明確に示している。船岡山は京の街を一望する場所にあり、戦の時には、ここを占拠したほうが有利になったという。また、夏には疫病など、京の穢れを集めて淀川に流すスポットでもあったという。船岡山の周辺は、蓮台野という、化野(あだしの)、鳥辺野(とりべの)と並ぶ、京都の三大墓地のひとつであるという。一行は、船岡山を降りて、千本えんま堂を訪れる。ここは平安時代の官僚であった小野篁(おののたかむら)が開いたお寺で、ご本尊は閻魔大王。まさに死の世界への境界ゾーンである。かつて京では疫病の流行や度重なる戦で大量の死者が出ると、この土地に運んで捨てたり、埋葬していたという。小野篁もこの世とあの世を行き来した人物として知られている。

難病ALSの患者が創り出したスピリチュアルな空間。

千本えんま堂を後にした一行は、「スペースALS-D」という場所に向かう。そこは、全身の筋肉が麻痺するALSという難病の患者が、自宅をダンススタジオ、稽古場として開放し、自らも生活しているというスペース。患者のKさんは、元々指圧や整体の治療院を開きながら、ヨガや新体道という武道を長く修行し、東洋的な身体感や哲学に関心を持っていたという。そんな彼が2002年に身体だけが動かなくなるALSを発症。ALSは原因も治療法もわからない神経難病で、全身の筋肉が徐々に麻痺して動かなくなるという。身体を動かすのはもちろん、喋ることも、表情で気持ちを表すことも困難になるが、目や耳はしっかり聞こえ、意識もしっかりしているという。24時間介護が必要で、コミュニケーションが著しく困難になるため、受け入れる病院も少ないという。Kさんも病院に入院していたが、ALS患者とのコミュニケーションができる介護士が少なく、家に帰ることもできず、辛い日々を送っていた。そんな時、舞踏家のYさんが発起人になって「支援と学びの会」を立ち上げた。30人ぐらいのメンバーでKさんの友人がメーリングリストで繋がり、時間があるメンバーが交代で病院に行って、身体をマッサージしたり、散歩に連れ出したり、本を朗読したりをボランティアで行っていたという。Kさんは絵を描いたり、個展を開いたりしていたが、病気は進行し、このまま入院した状態では将来の展望が見えないところに来ていたという。そんな時、東京で同じALSの患者であるHさんが、自らヘルパー事業所を運営し、自分を介護するヘルパーを育てる。それで自分は収入を得ながら、家族からも離れて介護も受けながら一人暮らしするという「さくらモデル」と呼ばれる生活をしていた。それを知ったYさんたちは、「これしかない」とKさんに相談した。Kさんも、賛成し、病院を出て町で暮らし始めた。Kさんの場合は、「さくらモデル」と違い、すべての財産を手放し、家族からも離れ、生活保護を受けるという「出家モデル」になったという。Yさんたちはダンス・パフォーマンスをしながら、交代でKさんの介護をしている。Kさんとのコミュニケーションは透明な文字盤をKさんが視線を動かすことで示し、読み取っていたが、徐々に眼球を動かす筋肉が麻痺してきて、現在は⚪︎×式の文字盤で、ヘルパーが質問し、Kさんがそれに答える形で行っているという。釈徹宗がKさんと知り合ってしばらくして、ヘルパーからKさんの言葉として「心身ともに最悪な状態になりました。出家したい」というメールが来たという。Kさんは一行が訪れた千本えんま堂で出家したという。Kさんと彼を取り巻くYさんたちの活動を目にした内田先生は、体の動かないKさんのために、ヘルパーの人たちが彼の目や耳や手足、つまり身体になっている。Kさんは自分の身体を拡大して、空間や共同体そのものを身体として使っている。そこに不思議なスピリチュアルな空間が生まれているという。

六波羅蜜寺で聖と出会う。

スペースALS-Dを後にした一行は、東山の鳥辺野に向かう。途中、六波羅蜜寺に立ち寄って、有名な空也上人の像に会う。南無阿弥陀仏と唱えたら、その一文字一文字が阿弥陀仏になったという。内田先生は、「世界にもこんな発想ないよね。ピカソにも負けないね」とたいそう感心されたのである。そして千本えんま堂を開いた小野篁が開いたという六道珍皇寺に立ち寄る。内田先生は、小野篁が冥界に行き来したという井戸を見て、村上春樹の「ねじまき鳥のクロニクル」に出てくる井戸との連想から、彼は壁抜け系の人ですね、と、ふたつの世界を行き来する「1Q84」の話に飛ぶ。さらにミシェル・フーコー、シャーロックホームズへとジャンプする。こうなったら内田先生の暴走を止める者は誰もいない。

すぐそこにある死の谷へ。

一行は東山五条の交差点に立っている。分かれ道を右に進むと大谷道、左に進むと清水寺の表参道。観光客は迷うことなく、左に行くが、巡礼部の一行は、最後の異界である西大谷を目指す。八坂神社や清水寺という観光のメッカのすぐそばに巨大な墓地群が存在するという驚き。そこから見る清水寺は、明るい観光スポットではない。死の谷に隣接する、暗い情念に満ちた異界への入口。清水の舞台は、かつて鳥辺野に屍体を投げ捨てる場所だったかもしれないという連想が走る。

第三回聖地巡礼:奈良・飛鳥編 日本の子宮へ

大阪の霊的な背骨ともいえる上町台地、京都の異界を巡った巡礼部一行は、次に日本の子宮ともいえる奈良・飛鳥地方へ向かう。目指すは仏教の始まりの地、飛鳥の橘寺。そして大神神社三輪山。飛鳥に向かうバスの中での釈徹宗氏のお話が面白い。聖徳太子は橘寺で生まれた。また太子は、この寺で勝鬘経(しょうまんきょう)と呼ばれるお経を講義したという。勝鬘経は、お坊さんでもない在家の女性が教えを堂々と説くという、なかなかユニークなお経だという。他に太子は、法華経維摩経を講義したとされるが、3つともたいへん個性的なお経で、釈氏によれば、この3つの経典が重視されたことが、その後の日本仏教の方向性を決めたという。3つとも厳格な戒律を守る仏教ではなく、むしろ普通の生活の中に仏教があるというような教えなのだという。田園の中にぽつんと建っている橘寺を、内田先生は、とても気にいったようである。大阪や京都は都市であり、奈良も、東大寺興福寺の辺りは都市だが、それ以外は里山のような風土が今も残っている。仏教という最新の思想を取り入れた北半分と、ドロドロとした情念の南半分があるという。

三輪山大神神社、能の話。

橘寺から三輪山に向かうバスの中では、能の「三輪」という演目の話から、内田先生が長年習っている能にまつわる話が広がり、さらに合気道の話へとつながっていく。能は、能楽師が主体的に動いていくのではなく受動的にならないと動けないという。地謡や囃子に引っ張られ、目付柱に引っ張られ、動線が出てくる、という。また合気道でもトランス状態になったほうが技も速く、怪我も少ないという。この辺の話は内田先生の独壇場。

山そのものがご神体である三輪山に登る。

一行は、巡礼の最後の目的地である大神神社三輪山にたどり着く。大物主を祀るこの神社のご神体は三輪山そのものである。そのため写真撮影や録音は許されず、また山中で見聞きしたことは下山した後も、その様子などを誰かに語ってはいけないという。そのため、登拝中の様子は、本書には書かれていない。下山した後の感想の中で、内田先生は、三輪山では、古代の習慣や風景が今もきちんと残されていることに強い感銘を受けて「ここがスタンダードになるべきだ」「この山にペットボトルが散乱するようになったら日本文化の終焉だ」と主張する。

大阪、京都、奈良を巡って。

最後に3回の巡礼を終えて、内田先生は、大阪が霊的には、いちばん駄目だったという。大阪は本来、霊的なセンターであり、それが都市としての力を賦活していたはずなのに、世俗の力によって本来の霊的エネルギーが枯渇している、という。それに比べて京都は近代化した都市の中で、霊的ポテンシャルを高めに維持することに成功しているという。奈良には、さらに霊的なエネルギーが生き残っているという。大阪は太平洋戦争の空襲で焦土と化しているし、京都もそれこそ何度も焼けていて、歴史に不連続がある。それに比べて奈良は、古代からの時間が途切れることなく今も続いている。内田先生は、日本が戦争に負けて失ったものは、現代人が考えている何十倍も実は大きいという。梅キタにあった墓石群は、再開発のために撤去され、どこに持っていかれたかわからないらしい。大阪の霊的な地盤沈下は、市民がどこかでそのことに気づいて、対抗的なムーブメントを起こさない限り、止まらないでしょうね、と内田先生は結論づける。

 上町台地を歩いてみようと思う。古代の霊的ラインを感じることができるだろうか。

本書を読んで少しがっかりしたのは上町台地の霊的パワーが枯渇しているという話だ。中沢新一が「大阪アースダイバー」で見つけてくれた大阪のスピリチュアルなパワーを市民の手で復活させようとするのはとても難しそうだ。キタでもミナミでも再開発が進んでいる。それでも大阪の地盤沈下は止まらないのは、開発を進めている企業や人々が大阪の土地が本来持っているポテンシャルを理解していないからだという。近いうちに時間を作って本書に書かれた上町台地を歩いてみようと思う。僕に、大阪の霊的パワーを感じとることができるだろうか?