細 将貴「右利きのヘビ仮説 追うヘビ、逃げるカタツムリの右と左の共進化」

時々「ヘビの本」を読みたくなる。

大型書店に行く度に、時間があれば「サイエンス」のコーナーを必ずチェックするが、中でも「生物」のコーナーの「爬虫類」の棚で「ヘビ関連」の本を必ずといってよいほど探している自分がいる。ヘビの本が見つかると、目次などをさっと目を通して、大抵は購入する。そうやって年に1〜2冊はヘビ関連の本を読んでいると思う。しかし「ヘビは好きですか?」と聞かれたら、NOと答える。ヘビに対する恐怖というのは、ほとんど生理的な反応に近いものがある。自分と同じ空間に、あのような生き物が存在していると知るだけで、落ち着かず、いてもたってもいられなくなる。最強に怖いもの知らずだった小学校高学年の時に、素手でヘビをつかむ事も平気だった以外は、ヘビは、いつも恐怖の対象である。しかし彼らへの興味は持続しており、上記のようにヘビ関連の本を見つけては読んでいる。別に生物学系の本だけではなくても、ヘビの本は存在している。小説はもちろん、宗教や民俗学文化人類学の視点からヘビを考察した本も面白い。

このシリーズは面白い。2冊め。

本書は東海大学出版部の「フィールドの生物学」シリーズの1冊で、以前に、前野ウルド浩太郎著「孤独なバッタが群れる時」という1冊を読んで、とても面白かった記憶がある。その時に、同じシリーズの本書の存在を知り、興味を持っていたが、購入には至らなかった。本は出来る限り書店で購入することにしているので、なかなか買えなかったのだ。今回は、某大型書店でめでたく遭遇し、即購入。まず「右利きのヘビ」というタイトルが興味をそそる。

ヘビに右利き、左利きがあるのか?

手も足もないのに、ヘビに左右があるとはどういうこと?サブタイトルに、「追うヘビ、逃げるカタツムリ」とあるので、どうもカタツムリが関係あるらしいが…。人間に右利きと左利きがあり、その圧倒的大多数が右利きで、少数の左利きが存在するという現象がなぜ起こるのかは未だに解明されていないという。本書はヘビの研究である以前に生物の「右と左」に関する研究の本なのだ。生物の多くは、左右対称であるが、例外もある。左右のハサミの大きさが大きく異るシオマネキ。眼が片方に偏ったヒラメやカレイ。渦巻き構造を持った巻き貝やカタツムリ…。

カタツムリの殻は右巻き。

カタツムリの大多数は右巻きの殻を背負っている。しかし左巻きが多い種も存在する。その種は、元の種からどのように分化してきたのだろう。カタツムリの殻には総排泄孔という穴が空いており、交尾の時、雌雄同体であるカタツムリはお互いの生殖器を相手の総排泄孔に差し込んで精子のつまった袋を注入するのだという。この時、一方のカタツムリの殻が左向きだと生殖器と総排泄孔の位置がかみあわず交尾に失敗するという。もちろん突然変異で生まれた左巻き同士を交尾させると、生殖は成功する。しかし圧倒的多数が右巻きである中で左巻きの子孫を残すのは難しい。そこで著者は、ある仮説を立てる。それは自然界に圧倒的に多い右巻きのカタツムリばかりを食べることに適応した捕食者が存在するのではないか?もしそうなら左巻きのカタツムリは捕食者から逃れて生き延びることができ、右巻きと交尾できないというハンディを跳ね返して、子孫を増やしていくことができるのではないかという仮説である。その捕食者とは、西表島に生息する小さなヘビである。

若き研究者の苦悩

著者は京都大学の3年次の時に、この仮説を思いつく。しかしあまりに突飛な仮説なので、それを研究テーマに選ぶ勇気がなかった。著者は、この仮説を一旦は封印する。大学院に進んだ1年目の夏、進もうとしていた研究テーマを決めかねていた著者は、思い切って例の仮説を先輩の研究者に語ることにした。仮説を聞いた先輩の「俺なら絶対こっちの研究をやるな」という言葉で、著者は「右利きのヘビ仮説」を研究テーマに決定する。しかし研究テーマを決めてからが大変だった。著者が研究の対象に選んだヘビは、西表島に棲む希少種ともいえる「イワサキセダカヘビ」だった。著者が相談に行った爬虫類の研究者が後に「自分の学生だったらイワサキセダカヘビの研究を始めるのを止めていた」というほど希少なヘビだったのである。その年の夏、著者は西表島に初めての野外調査に出かけるが、無残な敗北に終わる。何の成果も挙げられないまま、その年が終わろうとしていた。そこへ助け舟を出してくれたのが琉球大学の爬虫類や両生類の分類学者だった。彼の協力により著者は初めて「イワサキセダカヘビ」の標本を調査する機会を手にする。その結果は?

右利きのヘビ発見。

ここから先は、本書がミステリー仕立てともいえる謎解きのネタばれになるので、詳しく書かないほうがいいだろう。標本の調査の結果、著者はめでたく「右利きのヘビ」を発見する。世界中の標本を集めての調査、レントゲン撮影を繰り返して、仮説を実証していく。そして2度めの西表島の野外調査でついに「イワサキセダカヘビ」を捕獲することに成功する。その解剖調査やレントゲン撮影、そして西表島での野外調査の様子も面白い。そして生きたイワサキセダカヘビを用いたカタツムリの捕食の実験。論文の執筆と投稿、度重なるリジェクト。そして論文掲載で注目を浴び、メディアによる取材攻勢がはじまる…。

若き研究者の人生はイバラの道。

それにしても科学者が歩む人生とは、これほど困難で、不安定な道のりなのかと驚かされる。研究のために、才能も時間も、持てるすべてを投げ出してもなお、成功は保証されない。運だって必要だ。そんなイバラの道を自ら望んで進んでいく研究者たちを尊敬してやまない。なお、本書は、著者の背中を押して「右利きのヘビ研究」に駆り立てた百瀬邦康氏(がんで逝去)に捧げられている。

それにしても、この「フィールドの生物学」シリーズは面白い。本書の著者も文章がいい。「孤独なバッタが群れる時」の著者とはまったく違う個性だ。他のシリーズも読んでみよう。