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稲葉真弓「海松」「半島へ」

今年8月、本書の著者が亡くなっていた。享年64歳、すい臓がんだった。その事をつい最近まで知らずにいた。たまたま書店で見つけた著者のエッセイ集「少し湿った場所」を手にとって帯の文章を読んで初めて知った。

数年前に著者の短篇集「海松」を初めて読んだ。舞台は志摩半島の海に近い、自然豊かな傾斜地。主人公である東京に住む中年の女性が土地を購入し、セカンドハウスを建てる。彼女が、その場所を選んだ理由は、旅行中に、たまたまタクシーで通りかかった時に、雄のキジが歩いているのを見かけたから…。4つの短編のうち2編は、著者自身と思われる「私」が主人公。実家のある愛知県から東京に出て20年以上も経っている。ライターや編集の仕事を続けながら、都内の湾岸に近いマンションで独り暮らしを続けている。一緒に上京した夫とも十数年前に離婚している。かつての友人たちの多くは家庭を持ったり、地方に帰ったり、富士山麓の湖のほとりに移り住んだりで、「私」の周囲からいなくなっていく。死んだ人間もいる。かつて「東京は死ぬまで自分の場所だ」と信じていたのに、いまでは東京が好きなのかどうかわからなくなりかけていた。雉に会った旅行の後、間もなくその土地を買い、家を建てた。「海松」は、セカンドハウスでの体験を私小説的な手法で描いた作品である。感銘を受けたのは、セカンドハウス周辺の自然との触れ合いを描いた文章。「私」は更年期障害に悩む中年女性だが、その感覚はみずみずしく、文章はしなやかで、細やかで、色彩感に満ちている。博物誌的な描写とは違うが、周囲の森や沼、湾の様子などがいきいきと描かれている。その土地での生活と対比的に描かれる東京での一人暮らしの様子も、生きてきた時代は重なっているせいか、共感を持って読めた。

東京を離れ、半島の「小屋」に移り住む。

「海松」から2年後の2011年、本書が出版された。舞台は「海松」と同じ。主人公の「私」は、一匹の猫と一緒に半島の「小屋」に移り住むことを決意する。「小屋」での1年を描いた小説だ。各章にタイトルはなく、1年を二十四節気で区切って語られる。「私」はライターなので、地方に移住してもパソコンとメールで仕事はできる。不測の事態があっても半日で東京に戻ることができる、とのんきに考えている。小屋での生活は、都市生活で疲れきった「私」を少しずつ癒していく。森や沼、入江をめぐる日課の散歩はちょっとした冒険になる。そこに棲む無数の植物や動物との出会いが、「私」の新しい感覚を目覚めさせる。放っておくと、すぐに繁殖し、敷地内に進入してくる植物たちとの果てしない戦い。誰も知らない森の中でのヒメボタル見物。自然染め作家や養蜂家の夫婦など、隣人たちとの出会いや交流も「私」の世界を豊かに広げてくれる。生気に満ちた小屋での日々に、森の奥で発見された白骨死体の噂が影を落とす…。湾の向こう側の半島には、バブル時代の贅沢な別荘群が住む人もなく朽ち果てようとしている…。著者の文章は、ある時は知的に、ある時は奔放にほとばしり、また時には、いきなり匕首をつきつけるような凄みを帯びることがある。本書には、ストーリーらしいストーリーはないが、随所に発見や出会い、冒険がある。著者になら「半島」を舞台にした小説やエッセイがいくらでも書き続けられるような気がしていた。次の作品を待ち望んでいたが、その願いがもう叶えられることはない。

生きた時代が近い。

著者は享年64歳。僕より4つ年上のせいか、同じ時代を生きてきたという感覚がある。今月出たエッセイを読むと、著者が、本書にたどり着くまでの人生が見える。20代始めに女流新人賞を受賞するが、その後が続かなかったようだ。フリーライターゴーストライター覆面作家などをこなしながら、作家生活を続けてきたという。「海松」が川端康成文学賞を受賞。本書も谷崎潤一郎賞親鸞賞を受賞している。「半島」との出会いが著者の才能をいっきに開花させたかのようだ。ほんとうに惜しい才能だった。