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東京マラソン欠場、篠山未完走。

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フル12回目にして「初未完走」

たかをくくっていた。12回目のフルマラソン。4回目となる篠山。舐めてかかっていた。初めての未完走。36 km過ぎの関門閉鎖に間に合わなかった。ほんの10秒ほど届かなかった。ほんとに目の前で関門が閉まった。関門なんて、かなり初心者の亀ランナーが引っかかるもの、自分には関係ないと思っていた。初めての体験なので呆然としてしまった。その一方で、やっぱり無理だったか、という気持ちもあった。ことのはじまりは、10日ほど前にさかのぼる。

本当は東京マラソンを走るはずだった。

1週間前の2月23日の日曜日、僕は自宅の電気コタツに入って、テレビに映る東京マラソンを見ていた。自分が走るはずだったコースを…。新宿、皇居前、品川の折り返し点、銀座、浅草の雷門前にスカイツリー…。プレミアム会員の抽選と一般抽選と2回の抽選に外れた2014年の東京マラソン。今年もダメかと思って、11月1日に篠山マラソンに申し込んだ。同じ日に申し込んだP社のSさんによると、11月1日の夜には定員に達して締め切られていたという。2012年にも、東京を落ちた後、京都の抽選発表が主催者の事情で1カ月遅れたため、篠山の申し込みが11月末になってしまった。確か前年の2010年は12月に入ってから申し込んでもエントリーできたので、篠山は大丈夫だろうと思っていたが、何と「定員に達したため締め切り」。しかたなく同時期に開かれる岡山県総社市フルマラソンに申し込んだ。(しかたなくと書いたが総社市のマラソンはとても良いマラソンだった。機会がれば、また参加したい)どうも大阪、神戸、京都のマラソンが始まった2011年~2012年あたりを境に、マラソン人口が爆発的に増えたようだ。つまり2014年の東京も京都も外れて、篠山に申し込んだ直後、東京マラソンの2次抽選(僕自身は3回目)の当選通知メールが来たというわけだ。篠山のエントリー料は払ってしまってるし、どうしようかと一瞬迷ったが、やっぱりなかなか抽選に当たらない東京を走ることにした。
2月~3月はマラソンの旬の季節。
2月~3月に開催される東京、篠山、京都が、市民マラソンに適しているのは、気温が低いから走りやすいだけではなく、練習を、涼しくなる秋から練習を始めても十分走り込める時間があるからだ。これが秋開催のマラソンだと、練習のピークは一番暑い7~8月になってしまう。特に作年の夏のような猛暑日が続くと、練習は早朝か、夕方~夜しかできないのである。初心者が最初にマラソン出場をめざすなら絶対に2月~3月開催の大会がおすすめ。練習ができなかった10月の大阪、11月の神戸を練習だと割りきって走り、12月に宝塚ハーフを走り、東京への準備は着々と進んでいた、と言いたいところだが、いつものように練習はあまり進まなかった。ただペース走中心の練習メニューに切り替えたのがよかったのか、いつもより走力がついてきたような気がしていた。2月の上旬には10kmを1時間を切って走ることができるようになっていた。十分とは言えないが自己ベスト更新を密かに狙ってはいたのだ。ところがである。東京マラソンの4日前にそいつはやってきた。
高熱発生3日間。
東京マラソンまで残り4日となった19日水曜日。朝、通勤の時は何の異状もなかった。JR東西線北新地駅のホームから改札階への長いエスカレータも使わず階段を登りきった時も何ともなかったし、昼食も美味しく食べた。ところが午後2時を過ぎた頃だろうか、身体に異変を感じた。何となく身体が重いのだ。ミーティングで発言するのが辛い。これは熱のせいかも、と気づいて体温を測ってみると37.2度。大したことないじゃんと思うなかれ。自慢ではないが熱にはめっぽう弱い体質である。平熱が36度前後。37度を超えると脱力感にとらわれ、38度を超えると歩くのが辛くなる。39度に達すると起き上がるのもやっとという具合。15分後に再度測ると37.6度。仕事を中断して隣のビルにあるO内科に行く。診察を待っている間に体温は38度を超えた。O先生は「その熱の出方は、インフルエンザかも」という。「ただし、いま検査をしても反応は出ない。熱が出てから半日は経過しないと…。明日の朝、熱が下がらなかったらここに来るか、家の近所の病院で検査してもらいなさい。解熱剤を出しておくから、すぐ呑みなさい。」と言われて、会社に戻る。スタッフには「O先生にはインフルエンザの疑いがあると言われたのですぐ帰るわ」と宣言。しかし会社を出たのは午後5時過ぎ。熱はさらに上がったようで歩くのも辛くなってきた。何とか家に辿り着いて、ベッドに倒れこむ。食欲は無くなっていて、ストックがあったごぼうのスープを何とか飲み終える。ついに39度を突破。全身の脱力感とさむけに苦しみながら途切れ途切れに眠る。家人はインフルエンザを恐れてリビングに避難。廊下→リビングの扉は閉ざされ、寝室は隔離病棟となった。しかし、インフルにしても、風邪にしても、咳も鼻水も出ないのが不思議。その代わりに額から、こめかみ、頬、耳に違和感があり、家人によれば真っ赤になっているという。痛みや痒みは感じない。目が開けにくく、耳もヘンだ。iPhoneで音楽を聴こうとインナーホンを差し込もうとすると、何と耳の穴に入らない。耳の内部がむくんで、耳の穴がふさがっているのだ。
インフルエンザではない。
翌日の朝、家人の運転するクルマで近くの病院に行く。早速インフルエンザの検査。ほどなく結果が出て「インフルエンザではない」と診断。T先生は「腎盂炎:じんうえん」かもと尿の検査もする。こっちもシロ。T先生も首をかしげて「風邪かなあ」と風邪薬と解熱剤を処方してくれる。この時点でも東京マラソンを走る気満々で、土曜日までに直さなきゃ、と思いこんでいた。去年東京を一緒に走ったMさんが応援に来てくれるので、ゴール後、食事を一緒にする約束もしたりしてた。家人は「ホテルも新幹線もすぐキャンセルしときなよ。まさか、あんた走ろうなんて思ってんじゃないよね」と釘をさす。インフルエンザではないと判明して、ちょっと安心。しかし熱は下がらず、会社を休むことにした。家庭内の隔離体制は解かれたが、念のため、家人は今日もリビングに避難。熱のため本も読めず、テレビも見る気にならず、iPhoneネットラジオBluetoothのスピーカーで小さく鳴らす。身体が弱っている時は退屈しないと書いたのは古井由吉だったかなあ。お昼はごぼうスープに切り餅一個。夜は中華粥。水分はスポーツドリンクで補給。夜になるとまた熱が高くなる。翌日の金曜日も熱が下がらず、会社を休む。次の週に提案することになっている仕事が気になるが、頭を使う作業は到底無理。夕方になっても熱が引かず、顔のむくみがひどくなり、激しい打ち合いの果てにKO負けしたボクサーのような人相になった。この段階でようやく走るのは無理だと観念し、ホテルと新幹線をキャンセルし、Mさんや応援に来てくれるという友人に不参加のメールを入れる。
血管神経性浮腫と診断。
土曜日になってようやく37度台に下がる。顔のむくみが全然引かないので、T医院を再度訪れる。出かける時に帽子を被ろうとして驚いた。頭がむくんで膨張して帽子が被れないのだ。O先生は僕の顔を見て「血管神経性浮腫」ではないかといい、パソコンで症例の写真を色々見せてくれる。「血管神経性浮腫」の原因はよくわからないらしい。顔だけでなく、全身に、時には内蔵にも発生し、呼吸器系に発生すると呼吸困難になることもあるらしい。アレルギーで一度診てもらったことがあったので「花粉とかが原因かもしれない」という。ちょうど大陸からPM2.5などの汚染物質が飛来していた時期でもあった。抗生物質とアレルギーを抑える薬を処方してもらって帰る。病院の帰りに近くのショッピングセンターに寄り、家人が買い物をする間、書店を覗くが、本を探す気力もなく、早々とクルマに戻って家人を待った。夕方にはようやく熱も下がり、コタツに入ってテレビを見ることができた。土曜の夜はようやく普通に眠ることができた。しかし木・金・土の3日間で1日20時間近く眠っていたと思う。
テレビの中の東京マラソン
テレビで見る東京マラソンは、琵琶湖マラソンや、福岡マラソン、別大マラソンなどと変わらない「観るマラソン」である。東京マラソンは参加するから面白い。関西では一般市民や芸能人が走るところまで放送しないので、よけいに「観るマラソン」になってしまっている。アフリカからやってきた招待選手たち、藤原選手、渋井陽子伊藤舞などが走る。2時間5分台の大会新が出たらしい。
「何が起きても知らないよ。」
結局、木金土日と病院以外は外に出ず、大半の時間をベッドで過ごした。月曜日、会社に出る。ノックアウトされたボクサーのような顔で出社するのは嫌だが、仕方がない。むくみは少しだけ引いてきた。一作年、ランニング中に使っていたUVケアが原因と思われる顔のアトピーをきれいに直してくれた、会社の近くのKクリニックに行く。早速、血液を採られて検査。先週からの経緯を説明して診断を受ける。「血管神経性浮腫」かなと診断されたことも伝える。美人でざっくばらんな女医さんは「血管神経性浮腫は風邪が原因で始まることもあるし、あなたの場合は、アレルギーもあるし、花粉症かも。その顔は、薬を塗らないと直りにくいよ。頭と顔の2種類出しとくね。」そういえばこの病院で、はじめて花粉症と診断されたのだった。血液検査の結果が水曜日に出るとのことで水曜日の午後の診断を予約して帰る。むくみは、火曜、水曜と引いてきた。水曜日にはクライアントでの打合せにも顔を出した。午後Kクリニックに行く。「むくみは、ほぼ取れたみたいね。もう塗り薬はいいでしょう」。血液検査の結果は、白血球が多い。つまり今回の高熱と浮腫は、何かのウィルスなどに感染して発症した可能性が高いという。アレルギーの疑いもあるので再度血液検査。こんどは数分と待たずに結果が出た。花粉症の数値は高い。それが原因ということも考えられるという。思い切って聞いてみた。「今度の日曜日にマラソンを走れますか?」先生は驚いて「何が起きても知らないよ。それでも走りたいんだよね。」と運動に影響が出にくい抗生物質と花粉症を抑える薬を処方してくれた。これで篠山を走ることに決めた。家に帰って家人に篠山を走ることにしたことを伝えると、「そんなの、無理だってば」と喧嘩になった。「これが花粉とか汚染物質が原因だったらもっとひどいことになっても知らんよ」と丸一日口を聞いてくれなかった。水曜か木曜あたりに早く帰って走っておきたかったが、結局仕事が忙しく、土曜日も出勤になった。

病み上がり、雨上がり。

天気予報では、近畿は土曜から雨で日曜にも雨が残る可能性があるという。雨の篠山は辛い。日曜には上がるといいのだけれど。土曜の朝、今にも雨が降り出しそうな空の下を7kmほど走った。やはり2週間も間を開けると、身体が「走る」感覚を思い出すのにしばらくかかっている。最初の2kmはごくゆっくり。何度も立ち止まってストレッチを繰り返しながらジョギング。その後、ペースを上げて4kmを走った。リズム、リズムと自分に言い聞かせながら身体を動かす。まだ身体が重く、ぎごちなく感じる。それと自分が感じている速度よりGPS時計が記録した速度のほうが遅い。このスピード感は何となく1カ月ぐらい前の体力に戻ってしまったような感覚。もう少し走りたかったが、これ以上走ると明日に疲れが残るのでやめておく。最後の1kmはクールダウンとストレッチを兼ねて、疲れをほぐすように大きくゆったりと走った。午後から出社。会社に着いてしばらくして雨が降り出した。A君と一緒に作業に没頭する。早く帰りたかったが、結局、午後9時前に会社を出る。家に帰り着いたのが、午後10時。風呂に入って、明日着るウエアなどを用意している内に午前0時を過ぎてしまう。眠りの中で雨が窓を打つ音を何度か聞いたような記憶がある。
当日。
午前5時起床。雨の音が聞こえない。未明に上がったようだ。パンとほうじ茶だけの食事を済ませて、荷造りと着替えを済ませる。クルマで行くので、荷物は多くてもいいと思うと、どうしても大荷物になる。ノースフェイスのリュックとショッピングバッグ一つ。最後までウエアに迷い、結局出発は6時30分。自宅から数分の宝塚インターから中国自動車道に乗る。早朝にしてはクルマが多い。宝塚では空は明るくなっていたが北上するに従って雲が厚く低くなっていき、雨が落ちてきそうな空の下を走る。三田市を越えて舞鶴若狭自動車道に入り、丹南篠山口ICまで40分ほどで到着。ICの少し手前から渋滞しているのは以前と一緒だ。インターを降り、篠山市街へ向かう。篠山川の南の道路を東へ向かい、篠山城跡の南から川を渡って右折すると目的の地域に入れるが
すでに警備員が立って右折も直進もできなくなっている。しかたなく左折してもと来た方向に引き返す。1kmほど走ってUターンし、先ほどの交差点まで戻って右折するとすぐ篠山川の河川敷の駐車場に入る車列の最後尾が見えた。並べば15分ほどで河川敷の駐車場に停められるだろうが、今からでは入口からかなり遠い場所になってしまう。河川敷の駐車場は、会場からかなり遠い位置にあり、不便なのである。ここは諦めて、川を渡り、もとの道に戻り、左折して東に向かう。しばらく走って篠山川を渡る。川沿いに走って、市街への入口を探す。先ほど進入禁止になっていた交差点のひとつ手前の交差点から市街へ入ることができた。すぐに見慣れた駐車場が見えてきた。十数台ほどのスペースだが、まだ数台しか停まってなくて、楽に停められた。すぐ目と鼻の先にある大きな駐車場はすでに満車だったのに、こっちはガラガラ。この駐車場は小さすぎて案内に載せられないのだろう。クルマを停めて、トイレを済ませ(この駐車場のよいところは常設のトイレが敷地内にあること)受付に向かった。古い街並みが残る道を10分ほど歩くと篠山城の南西の堀端に出る。堀に沿って北へ向かうと会場の入口だ。この道は、このマラソンの最後の100メートルでもある。今までに3回、ここを走ったのだ。感慨深い。ランナー受付を済ませ、記念のTシャツをもらい、地元物産のお店を少し見て回る。スポーツ用品の店があったので、忘れてきたゼッケンホルダーが売ってないか確認するが、なさそう。ぜんざいがおいしそうだったので、これを直前食として食べることにする。会場内のアナウンスによると現在の気温は5.4度。寒いはずだ。雨は降りそうにないが、雲は厚く、気温はあまり上がらないだろう。クルマに戻って、まだ時間があったので、プログラムの参加者名簿から知り合いを探す。参加がわかっているのはSさんのみ。未登録女子の名簿で探すが見つからない。ひょっとして普段仕事で接しているのは旧姓で、登録は違う姓かもしれない。あきらめて着替えにかかる。

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装備。
例によって装備を記しておこう。トップはワコールCWXのの防寒仕様のハーフジップの長袖シャツ。2008年の東京マラソン以来、ずっと着続けている。(本当にマラソンのランニングコストは安い)その上にNikeの半袖のTシャツ。ボトムはワコールCWXの下着にミズノの防寒タイツ、Nikeの膝丈パンツの組合せ。シューズは、作年の大阪、神戸、宝塚ハーフを走ったAdidasアディゼロのJAPAN BOOSTというモデルの2足目。カラーは紫と蛍光ピンクに変え、ミズノの左右別靴下と組合せて履く。いつものように帽子ではなく、Nikeのバイザーを被る。手袋はコンビニで購入したタッチパネル対応のニット製。ランニング用の手袋を色々試してみたが、800円のこれが一番いい。今回はウエストバッグを買い替えた。ニューバランスのボトルホルダーの両側に小さなポケットが付いている製品に、モンベルのポーチとiPhone用ケースをプラス。ボトルホルダーにはジェル式のスポーツのサプリを3本収納。ポーチにはハンディティッシュ2個と紙幣で1万3千円、小銭300円、靴ずれ発生時のバンド8を3枚。LUMIXのデジカメSZ5。作年の東京マラソンで貰ったエアサロンパスの試供品。時計は作年と同じ組み合わせで左手にGARMIN ForeAthlete 110。右手にセイコー・スーパーランナーズ。防寒用に70リットルの透明ゴミ袋を持参することにした。
以前と同じDブロックなのに、こんなに後ろ?
10時前に会場へ向かう。今回は家人が来ていないので、貴重品や荷物の管理は自分でやらないといけない。財布や鍵などを持って走りたくないが、車内に置いていくのは心配だ。財布、鍵類はリュックに入れ、手荷物預かりに預けることにする。篠山はスタートとゴールが同じ場所なので手荷物の輸送がないので安心だ。着替えと貴重品のみをリュックに入れ、会場に向かう。お堀の東側の道は閉鎖され、南側まわりの遠回りで会場に入る。ランナーの入場がもう始まっている。走る装備を整え、荷物を預けて、スタート位置に向かう。気温はあまり上がらず、透明ゴミ袋を被る。スタートブロックは「D」。以前の3回よりもかなり後方の位置である。どれぐらいタイムロスがあるのだろう。
10kmまで。
iPhoneで写真を撮ってFaceBookに投稿したりしている内にスタートの時間が近づいてきた。10:40に登録組がスタート。未登録の僕たちは10:50。並んだままで足踏みやストレッチをしていると身体が暖まってきて、ゴミ袋を脱ぐ。後で必要になるかもしれないので、丁寧に折りたたんでウエストバッグにしまう。3本のジェルサプリのうち1本を飲む。何度走っても、スタートを待つこの時間は孤独で退屈でしかも緊張しているため、長く感じる。号砲が鳴って登録組がスタートした。前のスペースが空いたはずなのに洌はいっこうに進まない。少し進んでは止まり進んでは止まりを何度か繰り返したところで未登録組の号砲。しかし列はゆっくりしか進まない。城跡公園から外に出たところで、ジョギング程度のスピードになり、スタートラインを越えるころにはマラソンの速度になっていた。号砲でiPhoneNikeアプリをスタート。スタートライン通過時にGARMINの計測をスタートさせた。コースは中心街を反時計周りに周回したあと、西へ向かう。速いランナーがどんどん追い越していく。心なしか、身体の動きがぎごちないように感じる。周囲を低い山に囲まれた盆地をひたすら西へ向かう。いつもなら最初の数キロは、ペースが勝手に上がってしまい、意識して抑え気味に走るが、今日はペースがあまり上がらない。それでもGARMINによると、1kmが6分10秒~20秒前後をキープしている。最初の10kmまでは田畑の中の単調な道を走る。15kmまでは、何度も角を曲がるので、どちらに向いて走っているのか、わからなくなる。道の左側に舞鶴若狭道が見えてきて、ようやくコースの西の端を北に向かっているのだとわかる。走り出してしばらくすると、リズムが出来てきて、身体が自然に動くようになり、ペースを維持するのが楽になるが、今日はいっこうに楽にならない。10kmを過ぎたあたりで、ふだんの20km地点ぐらいの疲労の感じ。やっぱり体力が落ちているのかも…。残りの30kmを思うと辛くなる。気を取り直して、「まあ、行けるところまで行こう」「何か異変が起きたら、即リタイアする」と家人に約束してきたことを思い出した。
関門閉鎖!それ何?
コースは、舞鶴若狭自動車道を離れ、しばらく南に下って東に向かう。15kmを過ぎてしばらくして我慢していたトイレに並ぶ。前のランナーが他のランナーと18kmの関門について話している。彼は関門地点の距離と閉鎖時間を記したメモを見ながら「もう2kmほどだから、まあ余裕で間に合うな」関門?それって何?今まで3回篠山を走ったが関門なんか意識したことはなかった。30km付近で折り返した後に、まだ折り返してないランナーに沿道の応援の人が「このまま頑張れば、関門に間に合う」と励ましていたのは覚えているが、自分には関係がないもんだと思っていた。考えてみると、篠山の制限時間は、5時間10分で、東京、大阪などと比べるとかなり厳しいことも事実だ。ちなみに昨年秋に走った大阪、神戸ともグロスタイムは5時間15分を越えている。しかし、この時はまだ深刻に考えていなかった。「スタートが後ろのほうだったし、トイレロスもあったから、20kmでは関門閉鎖ギリギリになったんだ。この後を普通に走れば、もっと余裕が出てくるはずだ」と走り出す。走り出してしばらくして手袋をトイレの中に忘れてきたことに気づいた。関門のこともあるし、取りに戻るのは無理だ。あきらめて手袋なしで行くことにする。しばらく走って18.2kmの関門を5分ほどの余裕で通過。先ほどのランナーは、次の関門が24kmだと言ってたのを思い出した。閉鎖の時間は何時だろう。関門を越えたあたりからゆるい登りが延々と続く。登りになると足の運びが重くなり、極端にペースが落ちる。24kmの関門までは歩かずに行こうと決めて、無理やり足を動かす。24.1kmの関門も5分ほどの余裕で通過。あれ、全然貯金ができてないじゃないか、と愕然とする。次の関門は30km過ぎ14:30。6.5kmを45分で走れば十分間に合うと計算。25km過ぎ給水ポイントで、水を飲みながらちょっと休む。ジェルサプリ2本目を飲み、ふくらはぎにエアサロンパスをスプレーして、走り始める。たぶん、この辺りで裸足のランナーを見たことを覚えている。ビブラムのファイブフィンガーや足袋、薄っぺらなサンダルのランナーは見たことがある。しかし裸足のランナーは初めてだ。たぶん中年の女性。スリムで小柄だが、贅肉がほとんどない体つき、尊敬する。
手袋を拾う。
手袋のない手が冷たくて耐え難くなってきた。このまま残りの距離を走るのは辛い。そこで先ほどから考えていたことを思い切って実行する。コースにはランナーの落とした様々なモノが落ちている。一番多いのが手袋だ。暑くなってきて外してポケットなどにしまうときに落としてしまうのだろう。それを拝借することにする。1kmも走らない内に最初の手袋を拾う。薄手の黒の左手用だ。それをはめて、しばらく走ると、今度は黒に白のラインが入った薄手の手袋で、しかも右手用だ。ラッキー!これで安心して最後まで走れる。25kmの手前からコースは山間部に入り込んでいく。5kmほどで30kmの折り返し地点(兼関門)だ。過去3回の時も、この5kmほどが一番苦しかった記憶がある。コースは山の麓にそってゆるやかに登っていく。道は曲りくねっているものの、か辿りついても終わるわけではなく、まだその先がある…。折り返してきたランナーたちとすれ違う。ようやく30kmに到達。やっぱり5分弱の余裕しかない。しかし関門に気を取られて走っている内に、いつの間にか30kmを越えていたことに気づく。ここまで来てようやく完走の可能性が見えてきた、と思った。

叫ぶランナー。

30.6kmの関門を越えたところの給水/給食コーナーで、おにぎり、バナナを食べ、お茶と水を飲んだり、ちょっとのんびりしてしまった。ちょっと元気になって再び走りだす。前を行くランナーが沿道のスタッフに次の関門は何キロ?と聞いた。スタッフの男性は「36km、3時10分」と答える。ランナーは「45分で6kmか。きついな」とつぶやいた。キロ7分で行けば42分。3分ほどの余裕で関門を突破できる。そこを越え、6kmを50分内で走りきれば完走だ。その計算に勇気づけられて走り始める。自分では1km6分台で走っているつもりだった。しかし30km以降のペースは7分を切っていなかったのだ。たまらず100mほど歩いた。沿道の応援の中から女性が叱るような声で「ここで歩いてたら到底間に合わないぞ」叫ぶ。そうだ、歩いてたら関門を通過できない、と走り出す。まだこの時点でもギリギリ行けるだろうと思っていた。1分か2分の余裕で…。しかし34km過ぎのコース脇の「36.3km関門まであと◯◯kmという標識を見て愕然とした。36kmじゃなくて、36.3km、あと300mも走らなければならないんだ。ちょっと焦ってペースを上げる。35kmを過ぎ、36kmを越えた。GARMINの表示では、関門が見えてくる頃だが、まだ見えてこない。その時、20mほど前を走る男性が叫び出した。「6分のペースに上げないと間に合わんぞ、みんな飛ばせえ!俺のペースについて来たら、行けるぞ、さあ!」彼の声がきっかけになって、周りがいっきに全力疾走になる。僕も必死で飛ばす。でも思ったほどペースは上がらない。関門のスタッフが拡声器でカウントダウンを始めた。「あと1分・・・あと30秒・・・あと20秒・・・あと10秒」もう間に合いそうにない。関門まで10mのところで、前のランナーたちの落胆の声が上がった。36.3km地点、3時10分、僕の篠山マラソンは終わった。フル12回目で初めての「未完走」。最後の6kmをどう走り切るかを考えていたので、まさか関門閉鎖に間に合わないとは思っていなかった。だから一瞬、呆然とした。そして、そのままコースに戻って、ゴールまで走り続けようと考えた。関門地点はランナーの通過を計測するシステムがなかった。だからそのまま走り続けてゴールに間に合えば完走ということになるのではないか…。しかし、思い直した。お前は負けたんだ。間に合わなかった。これで終わろう。関門のすぐそばに収容バスが並んでいた。その先頭の1台に乗り込む。まだ数人しか乗り込んでいなかった。間に合わなかったランナーたちのほとんどは道に座り込んで呆然としている。泣いているランナーもいる。後から後から間に合わなかったランナーがやってくる。かなりの人数が関門を突破できなかったのではないか。ほどなくバスは一杯になり、出発する。バスの中で家人に関門を突破できなかった旨のメッセージを送る。「やーいやーい、身体は大丈夫?」という返事。ついでにFacebookにも投稿。バスは15分ほど走って、会場北の市民センターに到着。バスを降りるとスタッフにミネラルウオーターをもらう。会場のほうに向かう。首から完走メダルを下げたランナーたちとすれ違う。自分よりかなり高齢の背中の曲がったランナーが完走メダルを下げてつらそうな足取りで歩いてくる。悔しいというよりなさけない気持ちでいっぱいになる。会場に戻り、荷物を受け取り、駐車場で向かう。ゴールの関門閉鎖まで、まだ十数分あった。堀端の最後100mほどを懸命に走りこんでくるランナーを横目で見ながら、駐車場へ向かった。すでに駐車場のクルマは数台が残っているのみ。

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着替えを済ませ、持ってきたパンを食べ、駐車場を出る。来た時と同じ道を通って、舞鶴若狭道の篠山口インターに向かう。インター入口の2kmほど手前で渋滞に引っかかる。すぐに脇道に逃げ、農道のような道を抜けてインターに向かう。インターに乗る前に家人に連絡を入れる。ちょうど帰った頃に合わせて風呂が沸かしてもらうのだ。舞鶴若狭道から中国自動車道に入って間もなく宝塚トンネル先頭に14kmの渋滞の表示。西宮北インターの手前から渋滞が始まっている。渋滞の中にいると疲労で眠くなりそうなので、迷わず西宮北ICで高速を降り、176号線で帰る。中国道が混むと、176号線も混むことが多い。船坂〜西宮北有料道路経由のルートも考えたが、結局176号線で帰る。幸い渋滞もなく、駐車場を出て1時間少しで宝塚の自宅に帰り着いた。そのまま風呂に飛び込み、洗濯を済ませ、夕食。久しぶりのビールとホットワインを飲むと、すぐに眠気がやってきた。午後10時にはベッドに入った。膝の外側が痛くて、夜中に何度か目が覚めた。月曜日は普段通り仕事。そのまま徹夜になってしまった。

反省。

12回目のフルマラソン。4回目の篠山マラソンということで完全に舐めてかかっていた。ギリギリでも最後の関門を通過できれば、ゴールできたのに、と思っていたが、今考えると疑問だ。最後の6kmを50分以内で走ればゴールできるのだが、あの時点で自分にその体力が残っていたかどうか。15km以降は関門閉鎖に追われて何とか走り続けることができたが、36.3kmの関門の先は足が止まってしまったのではないかと思う。走り終えた後の足の痛みは、最初のフル挑戦の時に匹敵するほどだった。

次のこと。

本当は今年の東京マラソン挑戦でひとくぎりつけようと思っていた。このままマラソンに参加し続けるのか、別のことを始めるのか…。しかし東京の不参加と、篠山の未完走で終わるわけには行かない。これにリベンジしなければ次の段階に行けないのだ。