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宮崎駿「風立ちぬ」堀越二郎「零戦 その誕生と栄光の記録」堀辰雄「風立ちぬ」

アニメ「風立ちぬ」を見に行くかどうか…。映画館で4分あまりの予告編を見て、よさそうに思ったが、ちょっと悩ましい。宮崎駿の飛行機モノは個人的には厳しいものがある。「紅の豚」は見ていて恥ずかしくて、途中で席を立ちそうになった。飛行機モノ第二弾となる「風立ちぬ」は、見ていて恥ずかしくなるような作品でなければよいのだが…。広告のサブキャッチに「堀越二郎堀辰雄に敬意を込めて。」とあるが、これにも疑問を感じる。二人の人生(作品)を合体させてしまうなんて、敬意を込めるというより、失礼じゃないの、と思ってしまう。なぜ二人の物語を合体させたのか、宮崎駿の意図を知りたくて、二人の著作を読んでみることにした。このエントリーを書いている間に、映画も公開されてしまったので、最後に映画の感想もプラス。(写真は広島県呉市の「大和ミュージアム」に展示されている零戦

堀越二郎零戦 その誕生と栄光の記録」
NHKプロジェクトXを見ているような感覚。エポック・メイキングな技術や製品が産まれる過程を知るのはどんな分野でも面白いものだ。まだ複葉機が主流だった時代に著者の飛行機設計の仕事が始まり、ほとんど不可能と思えるような海軍からの厳しい要求を、設計チームの情熱と著者の天才的なひらめきで、次々にクリアしていく過程にはワクワクする。著者の文章は、技術者らしく、簡潔で、ロジカルで、平易だ。現場では多くの苦悩や感動があったと思うが、感情は、控えめにしか表現されていない。しかし淡々とした文章の行間から、著者やチームの熱気や苦悩が伝わってくる。最初の試作機が飛び立って、去って行く姿を見て「美しい」と控えめに表現されているが、この万感の思いを込めた一言に、並の技術者ではない「天才」を感じる。飛行機の操縦応答性を画期的に改善数する「剛性低下方式」を一瞬にして思いつくエピソードも、天才ならではのもの。宮崎駿は、堀越二郎の、天才でありながら、静かで控えめな人格に惹かれたのかもしれない。
堀辰雄風立ちぬ
Kindle青空文庫で読んだ。白樺の木陰で画架を立て、絵を描いている女性。彼女は重い病にかかっている。軽井沢に避暑に来るような階層の人々のモダンな生活。そして高原のサナトリウムでの療養。登場人物は、小説家である主人公と婚約者である節子、そして彼女の父。婚約者の療養に付き添い続ける主人公の視点で描かれる。この小説が書かれた時代、日本は軍国主義への道を邁進していたが、本書の中には世相その他のことは一切出てこない。生活も仕事も出てこない、純度の高い恋愛小説なのだ。地味になりがちな技術者の物語に、挿入するにはちょうどよい物語なのかもしれない…。婚約者の命をひたすら見つめ続ける主人公。その心象を表すような自然の移ろいの描写が美しい。高原特有の透明な自然の描写は、宮崎アニメの世界であるとも言えるかもしれない。でも、それだけ。他はほとんど感情移入できなかった。時代が違いすぎるのだろうか。結核という病気にもリアリティがない。本書を読んでも、やはり2つの作品を合体させた意味がわからない。
宮崎駿風立ちぬ
日曜のレイトショウで観た。子供がいないのが快適。冒頭は主人公、堀越二郎の故郷。風景が美しい。作品の随所に出てくる、この風景だけでも観る価値あり。そして主人公の夢の中。予告編で見た、少年二郎が操縦する奇妙な鳥型の飛行機は、この夢の中に出てくるのだ、と納得。そして学生時代。実家から東京の大学に汽車で戻る途中。菜穂子に出逢い、関東大震災に遭遇する。震災の描写が独特だ。巨大な怪物が東京を襲ってくるように見える。多くの犠牲者を出した火災(火炎旋風)の音も巨大な怪物の咆哮のように聞こえる。3.11の地震の時には、この作品の制作は始まっていたと思うが、何らかの影響を与えたのは間違いないだろう。
音が痛かった。
震災で足を骨折した菜穂子の家のお手伝いさんを助ける。この辺りから映画の音響が耳につきだした。劇場の音響システムのせいだろうか。音が大きすぎると感じた。震災の音、汽車が走る轟音。飛行機のエンジンの音など、作者は、音にはこだわったと思うが、音質が悪いせいなのか、かなり辛かった。大学を出て三菱に入社し、設計の仕事を始める。この辺りは、堀越二郎の書いた通りで、さらりと描かれる。そして、夢の中でのカプローニとの出会い。
巨匠の飛行機趣味健在。
夢の中に出てくる、カプローニが設計した、お世辞にも美しいといえない、巨大で複雑な飛行艇など、宮崎駿の「趣味」は健在だ。現実がリアルなぶん、夢の中に出てくる飛行機や飛行の描写は奔放そのもの。現実の描写での欲求不満を夢の中で解消しているかのよう。主人公たちが20年は遅れているという日本の飛行機の描写も、楽しい。振動が大きくて、音がバタバタうるさくて、エンジンがすぐこわれる。こんな機械たちを巨匠は描きたかったのだ。そして、巨大でプロペラがいっぱい付いている巨人機や、航空母艦などの、巨大な機械たち。巨匠が愛情をたっぷり注いだとおもわれる、その描写は、気が遠くなるほど、細密でゴチャゴチャしてて、うれしくなる。パチパチ!
好きな飛行機の趣味は違うが、気持ちはよくわかる。視察に行ったドイツで二郎たちが見せられる飛行機も、ユンカースの爆撃機で、主翼が桁違いに分厚くて、その中に、座席があって窓まである。この飛行機も調べてみると実際に存在したようだ。無骨で、四角ばってて、空気抵抗大きそうで、大馬力のエンジンで無理やり飛ばしている、いかにもドイツみたいな奴…。
菜穂子との再会。
休暇に訪れた高原のホテルで二郎は、菜穂子と再会する。小説の冒頭の野外で絵を描く場面がここに出てくる。そして恋に落ちる。しかし菜穂子は病気がある。二郎は菜穂子の父に、娘と交際することの許しを乞う。二郎は海軍から新しい艦上戦闘機の設計の主任技師に抜擢される。戦闘機の設計と、菜穂子の病気の進行が同時に描かれる。菜穂子は病気を直すために高原のサナトリウムへ。サナトリウムに行っても病気はなかなか回復しない。ある日菜穂子は、サナトリウムを抜け出して、二郎のいる名古屋に行く…。
恋愛の話は要らない。
零線の設計の話は、いわばプロジェクトXみたいなもので、映画にするのはちょっと地味かもしれない。しかしだからといって、別の恋愛小説を持ってきて、無理やりくっつけるのは、個人的にはどうかと思う。巨匠の飛行機趣味や巨大機械趣味を思いっきり貫いて、前代未聞の戦争&飛行機アニメを作ったほうがよかった。あるいは関東大震災を、巨大な怪物の襲来のようにおどろおどろしく描いてくれてもよかった。空高く舞い上がる火災の雲は、「もののけ姫」でシシ神が撃たれて、出現する巨大なダイダラボッチのようだったし、地震の波が押し寄せてくる様子は、「風の谷のナウシカ」で王蟲の大群が押し寄せてくるシーンを思い出したし、街が破壊される様は、巨神兵による破壊シーンを思わせた。全体の世界観は、飛行石の存在しない「ラピュタ」。そして最後のシーンは、やはり「紅の豚」。それほど恥ずかしくなかったこともよかった。
説教くさくない。
巨匠の作品には、妙に説教くさいところがあって、そこが好きじゃないのだが、この作品は、それほどもなかった。巨匠自身が書いたと思われる企画書を読むと、「昔は大変だった。国家は戦争に向かって暴走し始めていたし、景気は悪いし、民衆はみんな貧乏だった。それでも、みんな一生懸命生きていた。現代の若者たちよ、君たちも、一生懸命生きねば」みたいな説教を垂れるのかと思っていたが、巨匠は、けっこう自身の趣味に突っ走ったためか、そのぶん説教くささが、薄まったのだろう。そのせいか「生きねば」というメッセージに説得力がなかったと思う。
そして頭痛が残った。
映画が終わって、ユーミンの「ひこうきぐも」が流れる。やっぱり音が悪いと感じた。珍しく頭痛がした。もっと良い音響システムの劇場で観直そうか、とも思った。菜穂子の死と同時に完成する飛行機だが、実は「零」ではない。あんな逆ガル式の戦闘機なんか、あったっけと思ったら、これも実在。九試単座戦闘機の試作1号機が逆ガル型。巨匠は、こんなところにもこだわった。
「風」を描く。
それと印象に残ったのが「風」の表現。草原を風が渡ってくる様子や、確か、水面を渡ってくるシーンもあったかな。風が目に見える瞬間を表現したかったのだろう。とても芸が細かい。「誰が風を見たでしょう」ではじまる詩の朗読とかもあって、巨匠は「風」にこだわっている。堀辰雄の小説との合体も「風立ちぬ」というタイトルを使いたかったことがいちばんの理由ではないかと思った。