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村井康彦「出雲と大和 古代国家の原像をたずねて」

日本という国の始まりに、大きな謎がある。古代史の本を読む楽しさは、この謎を解明する楽しさである。邪馬台国の謎、卑弥呼の謎、出雲神話の謎…。古代史の研究者のみでなく様々な人々がこの謎に挑戦してきた。作家、哲学者、多くのアマチュア研究者たち…。しかし、いまだに「これだ」という決定版の説に出会ったことがない。アカデミックな研究者による説は、飛躍がなく、面白みがない。門外漢の説は、さすがに面白いが、きちんとした裏付けがなく、どこまで信用していいかわからない。本当は、アカデミックな研究者が、それまでの研究成果を踏まえた上で、いったん自らに課していた様々な制約を取っ払い、自由に空想した「仮説」を披露してくれるのが望ましい。それも「ここから先は私の想像だが…。」と明示した上で語ってほしい。著者は1930年生まれというから、すでに80を超えた高齢の研究者である。この年齢になると「学会その他の様々なしがらみ」から開放され、自由に自分の仮説を語ってくれるのではないか、と期待して読み進む。
タブーであった神話の世界に踏み込む。
長年、古代史を研究してきた著者は、ひそかに思い描いてきた古代国家の像を、従来の枠組みにとらわれず自由に検証してみたかったのだと語る。特に戦後、著者の世代ではタブーであった神話伝説に立ち入って考察するなど、かなりの冒険を試みている。その結果、本書は、アカデミックな古代史研究者が、遺跡発掘や文献研究、現地調査に加え、自らの直感や想像力まで総動員した類まれな古代史本になった。著者が描きあげた「古代国家のはじまりの物語」は、いままで読んだ古代史本の中でいちばんスッキリ納得できたと思う。
総社の謎。
本書の冒頭は、ちょっとわかりにくい。著者の出雲へのこだわりは岡山県総社市にある総社宮から始まる。総社とは、国府の近くに国内の神社の祭神をまとめて祀るために作られた神社のこと。朝廷から派遣された国司が着任後、国内の神社を参拝して回る巡拝という行事があったが、平安期にそれを廃し、代わりに国府の近くに、国内の神社をまとめて合祀する神社を設けることが多かった。だから総社の祭神は国内(地域内)の神社の神々であるはずだが、岡山の総社宮では、なぜか出雲の神である大名持命(オオナモチノミコト:大国主神)と、その妻 須勢理姫(スセリヒメ)が祀られている。この現象は、岡山の総社宮だけでなく、各地の総社にも拡がっている。各地の総社に祀られている出雲の神、大国主神とは何者なのか?そんな疑問から著者は出雲研究をスタートしたという。
三輪山の磐座(いわくら)信仰。
著者は、大国主神の神話を考えるにあたり、奈良の三輪山の信仰に注目する。三輪山の麓にある大神(おおみわ)神社の祭神大物主神(おおものぬし)だが、いわゆる祭神を祀る本殿がなく、三輪山そのものをご神体山として崇拝する、きわめて古い信仰のかたちを現在にいたるまで守り続けている。三輪山の山中には巨石に神が宿るという「磐座」がある。著者は、この磐座信仰こそが、出雲の神である大国主神と大和をつなぐヒントになると考え、西日本各地に残る「磐座」を尋ねる旅に出る。出雲にはじまり、京都の亀岡、そして大阪の交野とつながる磐座信仰の系譜を見つける。著者はさらに出雲王朝独特の遺跡である「四隅突出墓」のつながりに注目し、出雲から大和につながる伝播の跡をたどっていく。神話を裏付ける現実の土地を訪ねながら、著者は出雲神話の中の「国つくり」と「国ゆずり」の意味を考察していく。大国主神神話の「国譲り」とは出雲王朝から大和朝廷への国譲りではないのか。そして邪馬台国とは、出雲王国のことではないのか。
邪馬台国大和朝廷 不連続論。
魏志倭人伝に詳細に語られる邪馬台国卑弥呼が、日本の歴史書である記紀にまったく出てこないのは、邪馬台国の王権と大和朝廷の王権がつながっていないからだ、と著者は推理する。邪馬台国を滅ぼして、大和朝廷が生まれた。それならば記紀の中に邪馬台国を滅ぼしたことを記すだけでよかったはずだ。「滅ぼす」のではなく、「譲られた」と記し、さらに神話の中の一つの物語にしなければならない何らかの事情があったはずだ、と著者は考察する。
著者の主張を要約すると…。
古代、出雲を中心に中国地方から山陰、北陸、信州にまで及ぶ広大な領域を支配する「出雲勢力」がいた。出雲勢力は製鉄の技術を持ち、さらに航海や漁労に長けた海民ともつながりが深かった。この出雲勢力が、女王卑弥呼を立て、連合して作りあげたクニが邪馬台国である。邪馬台国の王宮は、奈良盆地の中央(現在の田原本町周辺)にあった。隆盛を極めた邪馬台国に対して九州から神武勢力が遠征してきた。邪馬台国の王である饒速日命ニギハヤヒノミコト)は、九州勢力と激しく戦うが、総大将であった長髄彦ナガスネヒコ)を殺し、敗北でなく「国譲り」という形で和平を結ぶ。そこに生まれたのが「大和朝廷」である。邪馬台国を構成していた出雲勢力は、新政権にしっかり取り入って、新政権を支える豪族となった。出雲勢力は、邪馬台国の領土を新政権に譲る代わりに巨大な神殿の建設を大和朝廷に要求し、出雲大社が建設される。大和朝廷が出雲勢力をないがしろにしようとしたが、出雲勢は、三輪山に自らの神大物主を祀ることを新政権に要求し認められる。著者は、このストーリーを、検証すべく、四隅突出墓の分布を実地検証し、魏志倭人伝の記述を再検討し、邪馬台国の場所を特定する。さらに「神武東征」の物語を、神武天皇と戦った出雲系豪族たちの古代の勢力地図から再現。
現地探訪の重要さ。
本書の楽しさのひとつは、古代史の舞台となった土地を著者が実際に訪ね歩く紀行としても読めることだろうか。三輪山、纒向、出雲、丹波壱岐、吉野ケ里、生駒、富雄、伊勢…。はるかな昔、歴史の舞台になったであろう土地を著者が自ら歩き、神社の伝承や土地の人々から言い伝えを聞く。神武東征で、神武天皇と激しく争って負けることなかったが、盟友であった饒速日命ニギハヤヒノミコト)に殺された総大将、長髄彦ナガスネヒコ)。現在の富雄周辺には、先祖が長髄彦に従って戦ったという伝承を今も信じ、誇りにしている住民がいると聞いて驚いた。古代の事件は人々の意識の深層に今も息づいているらしい。