NHKスペシャル 未解決事件「file.03 尼崎連続殺人死体遺棄事件」

録画してあった番組を昨日ようやく視聴。番組を見始めてしばらくすると奇妙な感覚にとらわれた。事件が起きたマンション周辺の風景、商店街、一家を監禁したというアパート…。「杭瀬」という町の名前が出てきて、ようやく奇妙な感覚の理由がわかった。「杭瀬」は母の実家があって、子供の頃、親につれられて何度も通った町だ。また大阪で働き始めて最初に住んだ町でもあり、土地勘も少しはある。杭瀬は、尼崎市の南東部に位置し、神崎川を隔てて大阪市と接している町で、製紙会社や鉄鋼系の大きな工場を核に、町工場や倉庫が点在し、古い商店街や文化住宅が多く残る下町である。東京で言うと川崎あたりか…。市内の工場に勤める労働者たちが多く住んでおり、母の実家も、木造の古い住宅が立ち並ぶ一画の、小さな神社の横の路地を入ったところにあった。年末やお盆の頃になると狭い家に10人以上の家族が集まってにぎやかだったのを覚えている。祖父や祖母が亡くなってから、もう30年以上この町を訪れたことはないが、懐かしい記憶は鮮やかに残っている。テレビの画面に映し出される風景と町の記憶がつながると、痛みにも似た感覚が身体の中に拡がっていった。角田元被告たちが住んでいたマンションは、実家から歩いて10分ほどの距離だ。事件は、この町で起きたのだ。
高村薫のつぶやき。
番組の取材に、作家の高村薫が同行していた。彼女も、この事件に衝撃を受け、その真相を知りたいと強く思った一人なのだろうか。昨年末に出版された「冷血」は、明らかに2000年の「世田谷一家殺人事件」の影響を受けた作品だ。それ以前にも高村薫は、グリコ・森永事件に影響を受けた「レディ・ジョーカー」、オウム真理教に触発された「太陽を曵く馬」と、実際の事件に影響を受けた作品を発表している。家族が監禁されたアパートの部屋に入った高村薫が「ちょっといま衝撃を受けました」と呟いていたのが印象に残っている。今度の事件もこの作家の中で発酵し、何年か後に小説として世に出ることになるのだろうか?
家族の小さなほころびから。
番組は、事件の被害者や犯人たちを取り巻く様々な人々の証言と再現ドラマによって進んでいく。角田元被告が被害者の家族に入り込むきっかけとなったのは、親族の間で起きている小さなほころびであった。親を兄弟の誰がめんどう見るのか?親の葬式の費用を兄弟の間でどう分担するのか…。親族間の交流が希薄になった現代では、起こりがちなちょっとした不義理。それを角田元被告は見逃さない。彼女は親族の正義を振りかざして、被害者の家族を断罪し、追い詰めていくのだ。家族のほうも、自分たちが不義理をしているという自覚があるので強く反論できない。その弱みにつけこんで小さな穴をあけ、借金を立替えるなどして恩を売ることで穴を広げていく。遂にはその穴から自分たちが乗り込んでいくのだ。いったん家に入れてしまったら、あとは恐怖と暴力で家族を支配し、財産をまるごと奪い去っていくのだ。
彼女は何者なのか。
角田元被告が血のつながりがほとんど無い家族の弱みを握り、取り入っていく手口。家族を分断し、仲違いさせ、自分の肉親へ憎悪をつのらせる手口。被害者を加害者に仕立て上げ、警察への駆け込みや訴えをさせない手口。そして凄まじい虐待の手口…。彼女は、いったいどのような人物だったのだろう。どこで、このような手口を身につけたのだろう。彼女の元夫だった男性が取材に答えて「彼女は普通の女の子だった」と紹介していたエピソードが印象に残る。確か、角田元被告と一緒に大阪市内に出かけて、彼女が迷い子になってパニックになって泣いていたというような話。そんなか弱い普通の女の子だった彼女が、こんな凶悪な犯罪に走るなんてとても信じられないという。しかし角田元被告は、中学時代から男性を連れ歩き、問題を頻繁に起こす生徒であったという証言もある。再現ドラマの中で烏丸せつ子が演じる角田元被告が被害者の家族に取り入っていく過程を見ていて、角田は天性の演技者なのだと思った。彼女は相手の小さな弱みにつけこんで、大審問官のように相手を断罪していく。尼崎弁があまりうまくない女優による演技でも迫力はあったが、本物の迫力は凄まじかっただろう。番組の中では角田元被告ばかりが取り上げられていて、周辺にいた共犯者たちの人物像が一向に見えてこない。この事件ではそれほど彼女の存在が大きかったということだろうか。2012年12月、兵庫県警の留置所内で角田元被告は自殺する。これによって事件の最大の謎ともいえる主犯格の人物の心の闇が解き明かされる可能性が永久に失われてしまった。
血縁、地縁、コミュニティが失われてゆく日本で。
この事件に僕が感じる得体の知れない恐怖はどこから来るのだろう。角田元被告が被害者の家族に最初に言いがかりをつけるのは、親族間のささいな不義理や失礼に対してである。親族や家族の絆が現在よりもしっかり残っていた時代であれば、犯人たちがつけいる余地はそれほどなかっただろうと思う。しかし血縁のコミュニティが崩壊し、核家族化が進み、その家族すらもバラバラになりかけている現代の日本では、人々は普段から「小さな不義理や失礼」を平気で犯すようになっている。犯人たちは、このような「ほころび」を見逃さないのだ。被害者の「些細な不義理」に対して、犯人たちは、ある種の「親族の正義」を振りかざして攻撃を仕掛ける。被害者のほうも後ろめたい気持ちがあるので強く反論できない。そこをたたみ込むように被害者を追い詰めていくのだ。さらに犯人たちは、被害者の家族と婚姻や養子縁組を行なって、家族や親族のつながりを作り、そのつながりを利用して保険金詐欺や名義の書き換えによる財産の乗っ取りを仕掛けるのだ。被害者が警察に訴え出ても、「家族間のことだから事件にならない」「親族間のことなので警察は介入できない。」と取り合ってもらえなかったという。今回の事件は、いわば「家族や親族のつながり」を逆手に取った巧妙な犯罪と言えるのではないか。このように時代とともに進化し続けている犯罪に、警察の古い体質は対応することができなかった。被害者から数十回にわたって発信されたSOSを受け取っていながらも、まともに取り合わなかったという。
擬似家族のコミュニティ。
養子縁組や婚姻を利用して角田元被告が築きあげた「擬似家族のコミュニティ」とはいったい何だったのだろう。逮捕されて黙秘を続けながら余裕綽々だった彼女は、2012年の秋以降「おかしい、おかしい」とうろたえ始め、死にたいと口に出すようになったという。彼女が絶対支配していた擬似家族のコミュニティのメンバーであった息子や、その妻などが、彼女を裏切る証言を行なったせいだろうか?彼女が多くの家族を崩壊させ、虐待や殺人まで犯して作り上げた「擬似家族」とは何だったのだろう。彼女はそこで何をめざしていたのだろう?
タガが外れた暴力。
番組を見ながら、背中を冷気が這い上がってくるような恐怖を感じた。なぜ虐待や監禁がこれほどまでエスカレートしたのか。金目当ての保険金殺人や財産の乗っ取りなら、ここまでの凄惨な監禁や虐待は必要なかったはず。彼らの犯行の手口は、死体遺棄にしても、保険金殺人にしても、素人ぽい。プロの犯罪者による犯行ではないという意見がある。プロなら、監禁などという効率の悪いことはしないだろう。また、暴力なりのある種の「ルール」があるかもしれない。角田元被告が被害者を脅す時、暴力団との関係をちらつかせているが、実際に暴力団が関わっていたという事実は確認できていない。彼らが犯罪の素人であることが「タガが外れた暴力=底なしの悪意」につながったのではないか、と思った。
隣の悪霊。
この事件の一番の恐ろしさは、同じことが日本中のどこでも起きる可能性があることだ。事件を生む環境や条件はありふれている。すでに地域のコミュニティが失われ、家族や親族のつながりが希薄になっている。あらゆるつながりを失った家族や個人がバラバラになって街を徘徊している。都心では他人に対する態度のディファクトスタンダードは無関心だ。断片化した地域社会。つながりを失った個人や家族。その間隙から「悪霊」が浮かび上がってくる。かつて「悪」は巨大な権力の中に生まれた。そしてやがて理想をめざす善意のコミュニティの中にも生まれるようになった。そして今や、悪霊は、僕の隣人の一人として、すぐそばにいるかもしれない。