舟越美夏「人はなぜ人を殺したのか ポル・ポト派、語る」

ジェノサイド、ホロコースト民族浄化…、いわゆる「大虐殺」は、十数年前から自分の読書の重要なテーマであり続けている。本書は、カンボジアで200万人を死亡させたとされるポル・ポト派の最高幹部たちに直接インタビューを試みた本である。これまでポル・ポト派の虐殺について書かれた本を何冊か読んできたが、肝心の「なぜ虐殺は起きたか?」という問いかけへの明快な解答にはほど遠い状態である。だからポル・ポト派の幹部の肉声を聞いたという本書を迷うことなく購入。著者は共同通信社プノンペンハノイ、マニラの支局長を勤めたジャーナリスト。10年以上にわたってポル・ポト派の幹部に取材し、彼らが行った「虐殺」について直接話を聞いている。ヌオン・チア、イエン・サリ、キュー・サムファンなど、秘密のベールに包まれた幹部たちをインタビューの場に引っぱり出すのは容易ではなかっただろう。
幹部へのインタビューは期待外れ。
かなり期待して読み始めたが、ヌオン・チア、イエン・サリを始めとする幹部へのインタビューは期待外れというしかない。幹部たちが虐殺に関わった経緯やその時の状況を彼ら自身の口から語らせるのは決して容易でないと思うが、本書は「虐殺のこと」にはほとんど踏み込めていない。著者がその部分に触れようとすると、幹部たちの口からは「自分は知らなかった」「自分には決定権はなかった」「若い農民兵たちが暴走した」というような責任逃れの言葉しか出て来ない。著者が「虐殺」の話題に触れた時、一瞬、幹部たちの顔に浮かぶ警戒や緊張、怯えなどの表情が、彼らの中にある闇の深さを感じさせるにとどまるのみ。
人は誰でも残虐さを秘めている。
本書で唯一リアリティを感じたのは、本書の最後に登場する、共同通信社プノンペン支社スタッフでカメラマン兼ドライバーのチャン・クリスナーの話だ。彼は元首相の祖父を持ち、政治家の家系の母と資産家の家系で軍人の父を持つ上流階級の出身だ。ロンノル政権の元で政府軍の司令官を務めた父は、プノンペン陥落後、都市から追放される市民とともに地方へ送られるが、政府軍の司令官であったことが発覚して母とともに処刑される。少年であったクリスナーは一人逃げのび、各地を転々として壮絶な体験をしながら奇跡的に生きのびる。その経験から、彼は、少年ながら「誰もが秘めている残虐性は、政府側にいようが、その反対側にいようが、関係なく発揮される」という認識を持ってしまう。ポル・ポト派だけではなく、政府の高官であった祖父や軍人であった父が左派に対してどれだけ残酷なことをしていたかを彼は知っていたからだ。ヌオン・ツアへの取材の際に、著者に同行していたクリスナーは、なぜかヌオン・ツアと心を通わせ、その後も親しくするようになる。夥しい国民を殺害した政権の最高責任者と彼らに家族を殺された男の間に生まれた愛情。「彼らはあなたの敵ではないか」と問いかける著者に対して、クリスナーは「息子の時代に争いを引き継ぎたくない。どんな宗教だって憎しみの連鎖を断ち切れ、と教えるじゃないか」と答える。地獄をくぐり抜け、奇跡的に生還した者だけがたどり着ける境地。最後の章だけでも、この本を読んだ価値があると思った。