グレゴリー・ベンフォード「輝く永遠への航海」

ロボットが人類に反乱を起こす「ロボポカリプス」を読んで「機械VS人間の戦い」を描いた作品をあれこれ思い描いているうちに読みたくなった作品がいくつかあった。その内の一冊が本書である。「夜の大海の中で」から始まる「機械生命VS有機生命」シリーズの6作目にして完結編。5作目の「荒れ狂う深淵」は読んだ記憶があるが、本書は読んだ記憶がない。ネットで古書を購入した。本書が届いたあと、家の本棚を調べてみたら、何と購入済みだった。この読書日記は、こういうダブリ購入を防ぐために始めたのだが、本書が出版された1997年ごろはまだ始めていなかった。昔読んだのかまったく記憶がないので再読に取りかかった。このシリーズ、19年にわたって書き続けられたために、最初の頃の作品と中頃、後期で作風が大きく変化している。初期の2作「夜の大海の中で」「星々の海をこえて」は人類と地球外文明のコンタクトを描いた重厚なハードSFである。これに続く「大いなる天上の河」「光の潮流」は、当時流行したサイバーパンクブームの影響か、いっきに3万5千年後に飛び、サイボーグ化された遊牧民ともいえる人類が、が圧倒的な力を持つ機械生命と絶望的な戦いを続ける冒険SF。こういうのをワイドスクリーンバロックというらしい。さらに続く「荒れ狂う深淵」と「本書」では、銀河の中心の巨大ブラックホール「イーター」を包み込むエルゴ空間に何者かが建設した時空の路地が舞台になる。宇宙物理学者でもある著者が最新の宇宙理論を駆使した世界観(宇宙観)が圧巻である。しかし、そこで描かれる物語は、SFというより「不思議の国のアリス」みたいな奇妙なファンタジーである。時間の河を航行する船、水素ハットなど、スチームパンクを思わせる様々なガジェットが登場する。やがて人類が逃げ込んだ銀河の中心の「時空の路地」にも機械生命が侵入してくる。有機生命と機械生命の最後の戦いが始まる。はるか昔、有機生命は、人類の遺伝子の中にメカとの戦いにおける最終兵器ともいえるコードを埋め込んでおいた…。
機械VS生命の戦い。
壮大なこのシリーズを読み終えて、ふと疑問に思うのは「機械VS生命(メカVSナチュラル)の戦い」が3万5千年も続くのかということ。著者は「有機生命には『本質』があり、機械生命にはそれが存在しない」と主張したいかのようだ。最新の宇宙理論が描き出すとてつもない世界の様子に比べると、それはあまりに卑小な、人間的なテーマではないかと思ってしまった。こんな風に感じるのは、自分があらゆる事物に神が宿ると考える日本人だからだろうか?