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高村薫「冷血」


前作「太陽を曳く馬」から3年ぶりの長編。
「晴子情歌」「新リア王」「太陽を曳く馬」の難解三部作から一転しての、本格刑事小説、犯罪小説である。『僕らの高村薫が帰ってきた』と、高村ファンには好評のようだ。しかし「晴子情歌」「新リア王」を読んでいない自分には、本書が「現実の事件に触発されて書かれた三部作」の第3作目のようにに思える。つまりグリコ・森永事件と「レディ・ジョーカー」。オウム真理教事件と「太陽を曳く馬」。そして2000年の世田谷一家殺人事件」と本書である。サンデー毎日連載時は、「新・冷血」というタイトルだったそうだが、単行本化にあたって「冷血」となった。これはもちろんトルーマン・カポーティのノンフィクションの傑作「冷血」へのオマージュか。いや、オマージュというよりも真っ向からの挑戦といったほうがいいかもしれない。2002年のクリスマスが近づいた週末の深夜、静かな住宅街で歯科医の一家四人が惨殺される。犯人は携帯の裏求人サイトで知り合った前科を持つ若者二人。本書は3つの章から成る。第1章「事件」は、被害者の一人である女子中学生と二人の犯人の視点を通じて事件までの1週間が語られる。歯科医の一家は週末からディズニーシーへの家族旅行を控え、忙しい日々を送っている。いっぽう知り合ったばかりの犯人たちは、勢いと気分で、クルマ泥棒、ATM強盗、空き巣狙い、パチスロの景品交換所襲撃、コンビニ強盗などの犯罪を重ねていく。そして、12月21日の夜がやってくる。第1章はそこで終わる。
第2章「警察」は、事件の後、クリスマスイブの遺体発見から始まる。
犯人は一家四人を鈍器のような凶器で殴り殺した後、宝石類とキャッシュカードを奪って、逃走。遺体が発見されるまでの4日間の間に各地のコンビニのATMから合計1200万円を引き出していた。捜査の第一線に立つのは、かの合田雄一郎である。中年になった合田の視点から捜査の全貌が語られていく。臨場、捜査本部の設置、合同捜査、そして意外に早い容疑者逮捕…。大がかりな捜査の進行が、時系列に従って、テンポよく語られてゆく。警察小説の真骨頂といってもよい。しかし、この小説の本当の読みごたえは、犯人たちが逮捕されてからの展開にある。
最大の謎「殺意」。
第3章「個々の生、または死」は、全編が取り調べ、供述書、録音などの記録を合田雄一郎が読んで考え込むというスタイルで進んでいく。この事件の最大の謎が、犯人たちの「殺意」である。凶器は「根切り」、スキとも呼ばれる園芸や土木作業で使われる道具。この凶器で、犯人たちは一家四人を一瞬もためらうことなく殴り殺している。しかも夫婦二人とも、一撃で殴り倒した後、座布団を被せて、さらに2〜3発スイカ割りのようにとどめを刺している。そこには強い殺意があったはずなのだが、犯人たちの供述は「とっさに手が出た」「殺す気は無かった」と言うばかり。動機も「金が目的ではなかった」という。ATM強盗からはじまった一連の犯罪行脚の末に、ちょっとした思いつきや、気分や勢いで、残忍な殺人を犯したというのか?傷害の前科はあったものの、ふだんはパチスロ店や新聞配達の仕事に欠勤も無く真面目に勤めていた犯人たちが、知り合って数日後に、なぜここまで残忍極まりない殺人に及んだのか?。合田たちは、取り調べや現場検証、周辺の人々への聞き込みから、犯人の内面に踏み込んでいこうと試みる。隠された動機はないか?その生い立ちに隠された異常性は無いか?しかし、そこから見えて来るのは、ある意味日本中どこでもいそうな、薄っぺらで、空虚な、そして救いが無い若者の姿でしかない。彼らの生い立ちに誠実に向き合おうとするほど、刑事たちは無力感に苛まれてゆく。著者が本書で格闘しているのは、あらゆるつながりが失われ、断片化していく、荒涼とした、この世界である。本書には固有名詞がいっぱい出てくる。GTR、マジェスタ、ハイエース、シルビア、クラークス・トゥルーン、パチスロの「獣王」、映画「ブレード」「ゴースト・オブ・マース」「パリ、テキサス」…。そして主な舞台は「都市の外に広がる〈荒野〉」と表現されたロードサイドの荒涼とした風景の中に点在する、コンビニやファミレス、ホームセンター、サウナやカプセルホテル、スーパー銭湯など…。著者は、2002年当時の世相のディテールを、執拗に描き込んでゆく。高村薫の小説の中で、パチスロの「獣王」の詳細な描写に出会うとは思わなかった。それは、カポーティが「冷血」で描いた荒涼が、さらに断片化され、空虚化しつつある、この世界を描きつくそうとする著者の格闘であると思う。
阪神大震災以降、著者は、純粋にフィクションの世界から現実の世界を自らの作品の中に取り込み始める。それは大きな困難を伴う作業なのだろう。「レディ・ジョーカー」も「太陽を曳く馬」も、現実の事件から10年以上の時間を費やして書かれている。本書が書かれたのも、世田谷の事件から10年余り経っている。作者の中で、あの事件を咀嚼し、自らの作品へと昇華させるためには、それだけの時間を要したということだろうか。世田谷の事件から10年以上の時間が流れ、その間、様々な事件が起きている。2001年に起きた付属池田小事件、2008年に起きた秋葉原の無差別殺人事件、最近では尼崎連続死体遺棄事件…。高村薫の目には、これらの事件はどのように映っているのだろう。