大阪マラソン2012完走記


グループエントリー。
8回目のフルマラソンになる。昨年は大阪、神戸とも当選して両方に参加できたが、今年は開催日が同日のため、どちらかしか参加できないので、倍率を考えてどちらも申し込むことにする。そして少しでも倍率を下げるためにグループエントリーに申し込んだ。会社の若いスタッフを誘って、4人でエントリー。みんな割と軽いノリで参加を決めてくれた。しかし、ここで自分は大きなミスをしていた。大阪マラソンでは、グループエントリーと個人エントリーの料金が違っているのだ。グループエントリーは7人までで98,000円。7人で割ると一人あたり14.000円で、個人エントリーの1万円より4000円高いぐらいだが、4人で参加すると一人あたり24,500円になり、誘った若いメンバーには負担が大きすぎる。差額は自分で払おうと思ったが、それもきついので、社長に相談してみる。相談の結果、会社から半額を補助してもらうことができた。グループエントリーのせいか、大阪は当選。神戸はグループエントリーがなく、ペアエントリーで申し込む。神戸のほうはペアでも個人でも料金は同じである。神戸の抽選は私のほうのペアだけ当選だったので、自動的に大阪を走ることになった。親子ほど年齢が違う若者3人とのグループエントリー。果たしてどんなことになるだろう。一緒に走るのは、入社2年目のS竹君。びわ湖1周ロングライドでも一緒に走ったデザイナー。二人目はA川君。今年の春から中途入社のコピーライター。彼はホノルルマラソンに参加した実績がある。全く練習せずに参加したため、かなり辛い体験だったようだ。S竹君とA川君は長身でスリム。3人目は、この春大学を出て入社してきた新人デザイナーN川君。彼はがっちり体型。大会までに少し減量が必要かも。
合同練習。
当選して、すぐに練習を始めようとしたが、3人とも土日が忙しいらしく、なかなか日取りが合わない。S竹君などは、「そんなに練習しなくて走れますよ」とナメてかかっているところがある。秋のマラソンの難しいところは練習する時期が真夏になることだ。特に最近のような猛暑日が多いと、熱中症などを避けて、早朝か夕方しか走れないことが多い。大会までのおおまかな練習目標を立ててみた。7月中に30分を走れるようになること。8月中に1時間ないしは10km、9月中に20km、10月中に30〜35kmを走れるようにトレーニングする。毎月1回合同練習を行い、練習の成果を確認する。9月後半か10月にどこかのハーフマラソンに参加して大会の雰囲気を体験しておく…。というような計画だ。当選から半月以上経った7月のはじめに、第一回の合同練習を行った。3人ともシューズやウエアから揃えないといけないので結構な出費になる。練習場所は自分の自宅近くの武庫川河川敷コース。遅めの午後、宝塚駅で待ち合わせ。S竹君が例によって15分ばかり遅刻する。全員が揃ったところで、クルマで自分の家に行き、着替えて、河川敷に出る。ウォーミングアップで1kmほどゆっくり走り、ストレッチをして、本格的に走り始める。初めてということもあり、ペースはキロ7分前後。15分走ったところで折り返し、往復30分を走る。N川君だけが自宅近くで走り始めているが、あとの二人はほとんど初めて走るにも関わらず、30分をすんなり走り通してしまった。自分が最初に走り始めた時、1kmも走り切れなかったのと比較すると驚異だ。これが若いということなんだろうな。家に帰って、独りずつシャワーを浴びる。待っている間、ベランダに出てビールを飲んだ。シャワーの後、南口駅近くの焼鳥屋で打ち上げ。2回目の練習は、ほぼ2カ月後の9月1日。練習場所と打ち上げの場所選定はA川君の担当。練習場所は大阪城公園周回コース。京橋駅近くのランナーズプラスというランニングステーションをベースにして大阪城公園を周回する。10kmが目標だ。途中から、ふだん走り込んでいるN川君が快調なペースで飛ばし始める。キロ6分10秒から6分20秒ぐらいのペース。信号で離され、姿が見えなくなる。2周と半分ほど走って、ちょうど10km。N川君は何なく完走。後の二人も根を上げながらも完走。自分が10kmを走れるようになるまで数ヶ月かかったことに比べると、二人の走りは驚異だ。ランナーズプラスでシャワーを浴びて、打ち上げは京橋駅近くの居酒屋。今回初めてランナーズステーションを使ったが、なかなか快適だった。ロッカールームとシャワーという最低限の設備だが、清潔で機能的で使いやすい。奈良から通っているN川君は「休日、大阪市内に出て来て、ここをベースに走るのもいいかな」という。3回目の練習は、本番のひと月余り前の10月21日。場所探しはN川君が担当。淀屋橋のミズノショップの地下にあるランニングステーションをベースに中之島周辺を走る計画だ。20kmを走るのに中之島周辺は向いていないと思ったが、N川君のプランを尊重して、このコースに決定する。当日13時30分にミズノ前に集合。早速着替えて、走り始める。休日にしては人出が多い印象。まず中之島に渡り、西に向って走る。大阪城公園や河川敷と違い、信号で頻繁に足止めされる。あみだ池筋で北に折れ、島の北側を今度は東へ向う。市庁舎のあたりに戻ってくると、様子がおかしい。明らかに何かのイベントがるようで人がやたら多いのだ。この日は「水都2012フェス」の最終日だった。東に向うにつれて、さらに人が増えて、走るどころではなくなった。ほとんど歩いて天神橋まで行き、大川の北側の遊歩道に出る。ここまで来て、ようやくランニングらしくなってくる。大川右岸を遡ると、造幣局帝国ホテル大阪と見慣れた場所を川のほうから眺めるのが新鮮だ。淀川にぶつかる手前の毛馬橋で対岸に渡り折り返す。折り返して、しばらく走ったところでN川君が遅れ始める。足の痛みが出て来たようだ。N川君は、練習を初めてしばらくして、足の甲に痛みを覚え、走るのを少し休んでいた時期があるので心配だ。S竹君が快調に飛ばしている。復路は混雑する中之島を避け、大川右岸を中心に走った。淀屋橋に戻ってくると15kmあまり。さらに西に向かい、中之島の西の端まで行って折り返す。淀屋橋に戻ってくるが、20kmに満たないので、土佐堀通を西へ、四ツ橋筋を南へ。御堂筋を北へ走りようやく20kmを走破する。S竹君とA川君は、まだ20kmに足りないとさらに走りに行く。N川君は15km辺りでランを止めた様子。ミズノのランナーズステーションでシャワーと着替えを済ませ、梅田に出て夕食。20kmといいながら、歩いたり止まったりが多かったので実際は15kmぐらいだろうか?結局、この日が合同練習の最後になった。30km越えのランも、ハーフマラソンへの出場もすることなく本番に望むことになる。この後、若い3人たちはあまり練習しなかったようだ。大した練習もせずに20kmを走りきったS竹君は逆に自信を持ってしまったようだ。メンバーの中で一番有望なのはA川君かもしれない。彼は少ない練習にも関わらず、10kmを1時間以内、20kmを2時間切って走れたという。彼らほどではないが、自分も練習が十分にできているわけではない。11月の始めに30kmを走ったのが最長で、その時も最後の5kmは失速してしまった。昨年より走りこめていない気がする。
マラソンEXPOへ。
前々日の金曜日、朝、6kmほどを軽く走った後、昼食を済ませ、ゼッケンを受け取りに南港へ向う。地下鉄のコスモスクエア駅から長い距離を歩く。大阪マラソンの袋を下げた人々とすれ違いながら、インテックス大阪へ向う。途中のミズノのビルで社員が1階ミュージアムの見学を呼びかけている。ハンマー投げの室伏や水泳の寺川のメダルを展示しているらしい。帰りに寄ってみようか。インテックス大阪に入って、ランナー受付に進む、スムーズにゼッケン、Tシャツなどを受け取り、マラソンEXPOの会場へ。まずはミズノの販売コーナー。すでにマラソンで走るウエア類は購入済みなので買うものがない。それでも大阪マラソン限定のゼッケンホルダ、ビニールポンチョなどを買う。ゲストランナーの谷川真理さんのトークを聞いたりして、滞在時間30分ほど。マラソンEXPOでいつも思うのは、あまり見るべきブースがないということ。物販や現行製品の展示だけでなく、新しいウエアやトレーニングの提案など、もっと新しいランニングスタイルの提案をしてくれたら、もっと興味が持てるのに。製品開発やマーケティングの場としてうまく活用できないのかと思う。となりのうまいもん市会場に移動して、たこ焼き、たい焼きを食べて、会場を出た。帰る途中、ミズノのビルによって五輪メダルなどを見学。野球のバットやグローブの展示が興味深かった。翌日の土曜日は妻のほうの用事で三田にクルマで出かけた。夜はカーボローディングの仕上げでうどんすき。10過ぎに就寝。
11月25日、当日。

午前4時30分起床。前日の就寝は10時。けっこう寒い。前日の天気予報では、最低気温5度/最高気温14度。晴天らしい。独りでパンとワッフルと紅茶の朝食を済ませて、着替える。急きょCWXのタイツを履くことにする。走るウエアの上に防寒用のスエットシャツ、さらにフリース&ウィンドブレーカを着て、出発。宝塚駅6時10分の大阪行き快速に乗る。ホームにも車内にもランナーらしき乗客がチラホラ。今年は昨年のようなゼッケンに付けるICチップではなく、シューズに装着する使い捨て型のICチップなので、シューズを見れば、ひと目でランナーとわかる。昨年は大阪駅で環状線に乗り換えて大阪城公園駅で降りたが、大阪駅、大阪城公園駅ともホームが混雑していて会場に行くまでにかなり時間がかかった。今年は尼崎駅で東西線に乗り換え、京橋駅で降りることにする。京橋から橋を渡ってOBPの入口で他のメンバーと待ち合わせ。寒いせいか、トイレに行きたくなる。ツイン21のビルの入口は閉まっている。ホテルモントレーのほうに行ってみるが、トイレの場所がわからず、我慢することにする。7時には全員集合。大阪城公園へ向う。大阪城ホールが更衣スペースになっている。着替えを済ませて、大阪城ホールを出る。ホールの中のトイレも一杯。荷物を預けた後、メンバーには「とりあえずトイレに並ぼう。トイレが済んだらスタートのブロックの入口前に集合」ということでトイレの列に並ぶ。7〜8人待ちで10分足らずで利用できた。大阪や東京のような巨大な市民マラソンではトイレの問題がいちばんの悩み。これは我慢するしか無いのかもしれないが…。スタートのOブロックの入口で待っていると、他のメンバーがなかなか来ない。しばらくして後ろのほうを見ると、Nのブロックの入口に3人がいる。各ブロックの入口は一番後にあり、ランナーはブロックの前のほうから並ぶので間違ったようだ。彼らを呼びに行ってブロックの中に入る。この時点でまだスタートまで1時間あまりあった。去年も同じで退屈のあまり、周囲のランナーに話しかけて時間を潰したが、今年は仲間がいるので助かる。スタートの前にN川君が「もう1回トイレに行って来ます。」とブロックを出る。昨年よりかなり寒い印象だ。ビニール袋に首と腕が出る穴を空けただけのポンチョを被って寒さをしのぐ。またトイレに行きたくなってきたが、スタートしてからにしよう。ランナーの中には我慢できずにお城のお堀に向って用を足す者がいる。マナー違反だと思うが、彼らを責める気にならない。マラソンの時のトイレの問題は大きい。結局、今回の大阪マラソンでは、後になってもトイレ問題に悩まされることになる。しばらくしてN川君も戻ってきて、スタートを待つ。3人には「くれぐれも最初の5kmはゆっくり」と念を押す。A川君は「20kmまでは尾崎さんについていきます」という。そう言われると責任を感じてしまう。
装備。
例によって装備を記しておこう。シューズはミズノのウエーブイダテンの青。今年2月の総社マラソンを走った、軽いウエーブスペーサーで走りたかったが、ウエアと合う青がなく、30gほど重いイダテンを購入。トップはCWXの長袖のTシャツの紺。胸のミュージックプレーヤーを納めるポケットがデザインのアクセントになっている。本当はナイキの鮮やかなライトブルーの半袖Tシャツを着たかったが、当日の気温を考えて長袖にした。パンツは、やはり防寒を考えて、当日朝にCWXのサポートタイツの着用を決めた。その上にナイキのグレーのハーフパンツを履く。数年愛用しているアディダスバイザーを装着。ウエストポーチも、CWXのロゴが剥げかけの大容量仕様にiPhone用のホルダーを装着。時計はセイコーとガーミンFR405。ウエストポーチにはジェルサプリ3個とティッシュペーパー、千円札3枚と小銭を300円。靴擦れ用のバンドエイド2枚。使わないペットボトルホルダーにはビニールのポンチョを収納。
スタート。


Oという後ろのほうのブロックのせいか、開会のセレモニーがほとんど聞こえない。スピーカーを通じて音楽だけが聞こえてくる。ほどなくカウントダウンが始まる。9時5分前、車椅子組がスタート。しばらくして、スピーカーからピストルらしき音が聞こえてきて、ストップウォッチと、iPhoneNike+をスタートさせる。しかし、列はいっこうに動かない。数分経って、ゆっくりと動き出すが、すぐに止まってしまう。このぶんではスタートラインを越えるまで20分以上はかかりそうだ。ゴー・ストップを繰り返しながら、15分ぐらいかかって大阪城公園内から外周道路へ出ても、まだ走り出さない。すぐ後ろにいたS竹君がいない。A川君に聞くと、トイレを済ませるためにお堀のほうへ行ったという。スタートラインを越えたのは号砲から20分あまり経っていた。去年は橋下知事、平松市長が見送った台の上に、今年はNMBの女の子たち。ようやくジョギングペースで動き出し、中央通りに出る手前あたりでランニングペースに移行する。森ノ宮で右に曲がり、玉造筋を南下する。昨年はスタート直後、余裕がなく、風景を楽しむ余裕がなかったが、今年は周囲を見回す余裕がある。玉造筋に交差する通りで西のほうを見ると道がゆるやかな坂になっている。僕たちは上町台地の東側を走っているのだ。ガーミンで見ると最初の1kmが7分10秒。次の1kmが6分18秒でかなり速い。ちょっとペースを緩めると今度は6分52秒で遅すぎる。後ろを振り返るとA川君とS竹君がいる。彼らのためにも、自分のためにも、6分30秒ペースを守らなきゃと思う。鶴橋を右折して千日前通りに入る。すぐにゆるい坂が始まる。自分が「上町台地越え」と名付けている場所だ。昨年、地元の知人から「上町台地を越える坂には注意したほうがいい」と言われていて、かなり構えて臨んだが、スタート直後ということもあり、あまり苦しく感じなかった。今年は余裕が出てきたせいか、この坂がやけに長く感じた。坂を越えたところで最初の給水ポイントがある。スタート直後でランナーが密集していることもあり、できるだけ先のほうまで行ってからスポーツドリンクを取る。エリートランナーは走りながら給水するが、なかなかうまく飲めないので、歩きながら飲むことにしている。走りはじめて振り返ると仲間の姿が消えていた。はぐれてしまったらしい。まあ、探す気があれば、見つけてくれるだろう。松屋町筋の手前左側に生国魂神社が見えるかもしれにないと地元の知人は教えてくれたが確認できず。スタート直後からトイレに行くタイミングを探しているのだが、どこのトイレも長蛇の列で10分程度では済みそうにない。あきらめて、もっと後のほうでトイレに行くことにする。1km6分30秒ペースを維持しようとするが、上がったり下がったりで一定のペースがキープできない。難波の交差点を右折して、御堂筋を北上する。この辺りではチャレンジランのランナーも多く走っているため、ペースを見つけるのが難しい。淀屋橋まで来て、チャレンジランの選手と別れ、土佐堀通りを東へ。このブロックは道の両側をビルに塞がれて視界が狭く、道も広くないので、単調だ。集団が少し分散して、走りやすくなる。走りやすくなったところで、いつものように「マイ・ペースランナー」を探す。走っている集団の中には、行く通りもの異なる流れがある。どんどん自分を追い抜いていく速い流れ。少しずつ離れていく流れ、自分が追い抜いていく襲い流れ。その中に静止しているように感じられるランナーがいる。つまり自分と同じ速度で走っているランナーである。速度だけではなく、リズムも重要だ。その両方が合っていると、まるでそのランナーが静止したように見えるのだ。そういうランナーを見つけてマイ・ペースランナーに選ぶ。自分の場合、体力がないせいだろうか。マイペース・ランナーは女性が多い。最初に選んだのは黒ずくめのウエアのスリムな女性。ちょっと猫背で走り方に特長がある。片町で折り返して、しばらく走って中之島へ渡る。中央公会堂、図書館など、一番の見どころを走り抜ける。この辺りは道も広く気分がよい。淀屋橋で再び御堂筋を南へ向う。一番右端の車線は緊急車両用で、ランナーも観客も入れず、応援が遠いのが難点だ。心斎橋の日航ホテルの前で妻と友人のH君がいるはずだ。手前からコースの右端に寄り、二人を探しながら走る。いた!しっかり手を振って走り過ぎる。次はスポーツタカハシ前に会社の女性ふたりがいるはずだ。手作りの派手な団扇が目印だ。発見!しばらく走ると、前にS竹君を発見。追いついて、しばらく一緒に走る。「調子はどう?」「もうしんどいです。」「後の二人は?」「わかりません」「もっと前かな」「たぶん後ろのほう」。難波の交差点から千日前通りを西へ。その後、給水ポイントでS竹君と再びはぐれてしまう。この辺りでもトイレに行こうと思うが、まだ長蛇の列だ。大正橋を渡り、京セラドームの前を北へ向かい、2度目の折り返しポイント。この辺りは、京セラドーム以外見るべき景観もなく、距離合わせのためのコース設定のイメージ。中間点を越えたところでジェルサプリ2個目を補給。3度目の難波の交差点に戻ってきて、国道26号線を南へ向う。ここからは大阪の最もディープなゾーンを通り抜けることになる。大国町を東に折れ、恵比須町のほうへ。折り返し点あたりでは通天閣が見えることになっている。見えるとはいっても自然に見えてくるのではなく、折り返しの交差点でグイッと横を向かないと発見できない。昨年は通天閣の姿を一度も見ないまま、通りすぎてしまったので、今年は、少し前から通天閣のほうを見ながら走る。折り返し点の少し前、ビルの間に通天閣を発見。通天閣を見ながら折り返すした。ここから先は景観的には見るべきものがなく単調なコースになる。後半に入ってまず片付けるべきはトイレだ。恵美須町の手前のトイレで一度行列に並んだが、なかなか進まないので、3分ほどで諦めてコースへ戻る。折り返してから西へ向い、南に折れる手前に仮設トイレがあった。ここの行列はいままでの半分ぐらいと思われ、迷わず並んだ。約5分ほどのロス。スタート後から我慢し続けてきたトイレを済ませ、気持ちが随分軽くなった。後はゴールをめざすだけである。コースは恵比須町で折り返したあと、すぐ国道26号線に戻るのではなく、その先の芦原橋近くまで西に向って進み、南に折れ、さらに東に折れて、国道26号線に戻ってくる。ここからようやく南へ向うコースに入るのだ。このような意味が無い(ランナー的には)コース設定は、ランナーを混乱させる。自分が、いま、どこを、どちらに向っているのか、わからなくなり、その状態が長く続くと、疲労感が増すような気がする。
南へ。

あまり見所が無い国道2号線を、南へ、ひたすら走る。30kmが近い。GARMINの液晶に「battery Law」の表示が出ている。あれ、早すぎるぞ、と思っていると、電源が落ちた。あとは反応なし。やっぱり寿命かなあ。そろそろ足のほうも動かなくなってくる頃だ。昨年は30km手前から失速し、何度も歩いた。今年は32km付近で、U君が応援に来てくれているという。足が動かなくなってくる頃の応援はとてもありがたい。30km過ぎから探し始めるが、なかなか見つからない。道のどちら側で応援するか、聞いとけばよかった。今年は通過する時間が遅かったので、もう帰ってしまったのかと、がっかりする。後で聞いたところ、彼は応援に来てくれていたらしく、S竹君とは会えたということだ。マラソンを完走する秘訣のひとつが、コース全体に、自分の中で幾つかのイベントを用意しておくことだと思う。景観を楽しむのもそうだし、知っている場所を通過することも、知人の応援と出会うことも、給水や給食ポイントもイベントとして決めておくと、退屈せず、疲れにくくなる。南に下る道は、昨年は、果てしなく長く感じられたが、今年は少しだけ余裕がある。その理由は、花園町、岸里玉出北加賀屋と、知っている地名をたどりながら走ったからだと思う。南に向って走ると、日射しを正面から浴びるため、眩しくて暑くなる。コースの南端ともいえる住之江公園前を右に折れると、ニュートラムの側を南港に向って走るだけだ。今年は、35km辺りで足が動かなくなってきたこともあり、ここからが長く感じた。沿道の声援やハイタッチににパワーをもらいながら、足を動かし続ける。そして最後の難関、南港大橋では、とうとう歩いてしまった。橋の最高点まで歩いた後、ゆっくり走り始める。
ゴール。
橋を渡り終えたところで38km。残り4kmあまりだが、足が動かない。腕振りに力を込めて、無理矢理足を動かす感じ。ゴール付近には、妻とH君、会社のUさん、Yさんも応援に来てくれているはずだ。もう1km8分近いペースになっていると思う。去年、妻がいた辺りで探すが見つからない。知り合いの顔を探しながら走る。最後のコーナーを曲がっても見つからない。そのままゴールにとびこんだ。フィニッシュゲートの時計は5時間34分台。フィニッシュのメダルやタオル、スポーツドリンク、バナナ、あんパンを受け取り、手荷物返却コーナーへ向う。iPhoneに、妻から「ゴールした?」のメッセージ。数分してUさんからLINEに「ゴール、お疲れさま」のメッセージ。「ありがとう、他のメンバーは?」と返事すると「いまA川君がゴールしました。」手荷物を受け取って、着替えを始める。Uさんから「S竹君もゴール」のメッセージ。A川君から携帯に電話が入って「どこに行けばいいですか?」「手荷物返却のところ。28番」。ほどなくA川君がやってくる。足どりが出来の悪いロボットみたいでつらそうだ。しばらくしてS竹君も合流。彼も壊れかけのロボットみたいな足取りだ。N川君はどうしただろう。iPhoneでランナー情報のサイトでゼッケン番号を入力して検索すると、25kmまでの記録しか表示されない。途中でリタイヤしたのだろうか?関門に間に合わなかった?MMSで「大丈夫?いまどこですか?」と送ると「大丈夫です。待ち合わせスペースにいます。」と返事が来た。そうか、途中リタイアしたランナーはバスに乗って、ゴールまで早く帰って来るんだ。自分はてっきり、リタイアした人は、関門閉鎖に間に合わなかった人と一緒にバスに乗ってランナーの後を追いかけてくるのだと思いこんでいた。篠山マラソンで関門閉鎖ぎりぎりのランナーの後からパトカーとバスがついてくるのを見ていたから、そう思い込んでしまったのだ。手荷物受け取りコーナーを出て、待ち合わせスペースでN川君と合流する。彼は割と早い段階で足が痛くなってしまい、最後は歩いて27kmまで行ったが、諦めて25kmの地点に戻ってバスに乗ったという。その後、応援に来てくれたUさん、Yさんと合流。彼らは、そこから難波に食事に行ったという。自分はそこで別れて、福島の居酒屋に先に行ってる妻とH君に合流。昨年はホテル阪神のサウナで汗を流してから食事に出かけたが、今年は遅くなったので、そのまま居酒屋へ直行。3人とも日本酒をけっこう飲んで、2時間ほどで解散。

トイレ問題
待っている間に、隣会わせたランナーのグループのひとりが「関門に間に合わなかったから、記録は無しだよ。スタートで20分以上ロスして、トイレで行列に並んでいたら、30分近くかかってしまい、関門に間に合わなかった。スタッフに抗議しても聞き入れてもらえなかった。せっかくだから強引に最後まで走ったけど、リタイア扱い。そういうランナーがいっぱいいたよ。」自分も、トイレの長い行列を見て、後半まで我慢したが、早い段階でトイレに並んでいたら関門に間に合わなかったもしれない。きっと今年は昨年より1カ月近く開催が遅くなったせいで、そのぶん気温が下がり、トイレに行きたくなる人が多くなったのだと思う。後から聞いた話では、今年は昨年に比べ、リタイアしたランナーが多かったというが、その理由の一つが、このトイレ問題ではないかと思う。
総括
今回は、8回目のフルマラソンだったが、自分だけではなく、会社の仲間を誘ってのグループエントリーでの参加になった。自分の息子だと言ってもおかしくない年齢の若者と走るのは楽しい体験だった。その一方で、彼らにマラソンやランニングの楽しさや魅力を十分感じてもらえたかというと、大いに疑問が残る。後で判明したことだが、S竹君は、練習を始めてからの走行距離が39kmほどだったらしい。それってほとんど3回の合同練習で走った距離の合計ではないか。それでフルマラソンをよく完走できたものだと思う。彼には、地道に練習を重ねるというライフスタイルがかったるくってしょうがないのかもしれない。メンバーの中で一番のムードメーカーである彼の態度が、グループ全体の空気を支配してしまったようなところがある。最長で20kmしか走ったことがないまま、いきなりフルマラソンを走るなんて、やらせるべきではない。そこは自分の責任である。マラソンを走るということは、1つの大会に出場することではなく、普段から「走る」という習慣を持つということである。その普段のランニングの中に、楽しみや発見や奥深さがあり、それを知ってほしかったのだが、彼らには難しかったようだ。会社内のマラソン部は、これでひとまず解散としよう。
コース。
コースは昨年とまったく同じ。景観的には前半に見どころが集中し、後半が殺風景。見所の通天閣が見えなかったランナーも多いのでは?南港エリアに入ってもほとんど海は見えず。前半も御堂筋、中之島は気持ちよい景観を楽しめるが、ほかは概ね退屈だ。交通規制など、多くの問題があり、簡単にコースを変更出来ないと思うが、大阪マラソンをもっと魅力的にするためには、コースを再考してもよいのではないかと思う。
2013東京マラソンへ。
彼らのマラソンは、これで終りかもしれないが、自分には次がある。12月24日の「宝塚ハーフマラソン」に続いて、2013年2月24日の東京マラソンがある。今週末あたりから練習を再開する予定。