釈 徹宗/高島幸次「大阪の神さん仏さん」

知人からのおすすめ。「大阪アースダイバー」を読んで、にわかに大阪の町や歴史への興味がわいてきて、本書と井上理津子「最後の色街 飛田」を購入。本書は市民講座「ナカノシマ大学」の講義の書籍化である。著者は、宗教学者釈徹宗歴史学者の高島幸次。高島氏が「大阪の神さん」を、釈氏が「大阪の仏さん」を語り、その後二人の対談に移る形式。「大阪アースダイバー」が、壮大なスケールと奇想で読者を圧倒する「時空パノラマ」だとすれば、本書は、話の上手なガイドさん付き「等身大の神仏ツアー」。しかし、そのディープさにおいては「アースダイバー」にも負けていない。
二人が語る大阪の世界は、初めて知ることばかりで「へえー」の連続である。高島氏による講義は、神道や神社、祭の成立に始まり、時代による変遷までを縦横無尽に語って行く。夏祭と秋祭りは季節が違うだけではなく、その目的が全然違っていること(夏祭りは疫病祓いであり、秋祭りは収穫感謝祭)。天神さんが、元々は星を神とする宗教だったのが、菅原道真を祭るようになり、そこから学問の神様となり、やがて受験の神様になっていく、という変化の話など…。大阪の神さんだけでなく、神道や神社そのものの歴史にまで及ぶお話はとても興味深く読めた。
ただ、個人的には釈氏による「大阪の仏さん」の話が、面白かった。大阪は全国でもお寺の多い町で、その多くが浄土真宗のお寺であるという。この浄土真宗が、船場の商人をはじめとする大阪の人々の精神を作っているのではないかと釈氏は推測する。浄土真宗では、寺を中心に商人、職人、漁師など、様々な職業の人が集まり、寺内町と呼ばれる都市が全国に形成されていったという。また寺内町は、その周囲に壕や土塁を築き、独自の武力まで備えたの自治都市であった。さらに寺内町どうしが互いにつながり、商品(塩、材木、繊維製品など)や人の、全国規模のネットワークに発展していった。その結果、当時の戦国大名たちが恐れるほどの力を持ち始めた。大阪城の辺りにあった石山本願寺は、信長と10年以上にわたって戦うだけのパワーを持っていたという。
浄土真宗とプロテスタントの共通点。
釈氏は、さらに浄土真宗は、キリスト教プロテスタンティズムに共通する部分があるという。つまり、真宗門徒にとっては、普段の暮らしや仕事に精進することが信仰を深めることであるという。それによって浄土真宗は、農民よりも商人や職人、狩猟民、特種技能民などにも広く受け入れられ、大きな勢力になっていった。石山本願寺が信長に破れた後も、浄土真宗はしぶとく生き残り、船場など、大阪の町に根付いていったのである。一方、浄土真宗は、合理的であり、まじないの類いを否定してきたという。例えば「死」を穢れとしないため、葬式では塩を使った清めなどはする必要がないという。船場の商人たちの「極めて合理的でありながら信心深い」という特質は、浄土真宗の特質から来ているのではないかと、釈氏は語る。なるほど。「大阪アースダイバー」では、交易や漁労を行った「海の民」が住み着いて大阪の町を作り、船場の商人たちの独特の価値観につながったと書かれていたが、その理屈に、いまひとつ納得できなかった。釈氏が語ったように、「海の民」が大阪に住み着いて「町」が生まれた後、「都市」に発展し、さらに船場のような商業センターを持つ商都となり、そこから大阪人の気質として定着していったのは、宗教の力だったと説明されて初めて納得ができた。
30年目の大阪の町。
本書を読んで痛感したのは、自分自身の大阪に対する「無関心」と「無知」。20代から、30年以上も、仕事を中心とした生活圏であったにも関わらず、大阪の歴史や風土に対しては大した興味を持ったことがなく、大阪の神社お寺を訪れたことはほとんど無かったことだ。本書で語られている天神祭にも一度も観に行ったことがなく、神社やお寺にもほとんど行ったことがない。「大阪アースダイバー」と本書によって、大阪の町が今までと違って見えて来た。3週間後に参加する大阪マラソンでは、本書や「大阪アースダイバー」が描いた上町台地やミナミを縦横に走ることになる。個人的に「大阪アースダイバーマラソン」と名付けて楽しもうと思っている。