マイクル・クライトン「マイクロワールド」

2カ月以上も間が空いてしまった。
本は以前と変わらず読んでいるのだが、感想が書けなくなってしまった。幾つかの個人的な事情や、仕事のこともあり、精神的に余裕がなく、読んだ本の中身を、きちんと自分の中で消化するためのエネルギーが枯渇しているみたいだ。そこで、リハビリも兼ねて、軽めの本にしよう。ということで本書の感想を書くことにした。
2008年に亡くなったマイクル・クライトンの作品がなぜ今頃出てくるのか?クライトンの死後、彼のパソコンの中で発見された書きかけの原稿を、エボラ出血熱の感染パニックを描いたドキュメンタリー「ホットゾーン」の著者リチャード・プレストンが完成させたという。ストーリーは簡単に言うと「ミクロの決死圏」。1/100に縮小された人間がリアルサイズの世界で体験する息もつかせぬサバイバル・アドベンチャーである。舞台はハワイ。あるベンチャー企業の研究所に7人の科学者たちが招待される。彼らは、そこで物体を縮小する画期的なテクノロジー「テンソル・ジェネレーター」を見せられる。しかし事件が起きて、彼らは、100分の1のサイズに縮小され、熱帯の植物園に放り出されてしまう。ハワイの豊かな自然も、2センチ足らずの人間には、過酷なサバイバルフィールドになる。
まるでSF映画のような昆虫、毒虫たちの生態。
ちっぽけな昆虫や爬虫類、両生類、鳥類も、そこでは獰猛で危険極まりない捕食者に変貌する。クライトンの作品の特色である、新しいテクノロジーが生み出すワンダーワールドと、その暴走。そこに迷い込んで脱出をはかる主人公たち、という図式のストーリーだ。物体縮小化の科学的な裏付けは、ちょっと物足りないが、そこから先は、クライトン・ワールドでいっきに読める。特に、蟻、蜂、クモ、ムカデ等の有毒生物が人間を襲う様子は、ほとんどSF映画を見ているようだ。映画「エイリアン」で、人間を襲って麻痺させて、体内に幼体を産みつけ、成長したエイリアンが人間のお腹を食い破って出てくるというショッキングな場面があるが、昆虫の世界では、それが日常茶飯事に行われていることに驚く。ある種のハチは、クモを特種な毒で麻痺させて生かしておきながら、幼虫の餌にする。登場人物の一人が、このハチに襲われ、麻痺したまま連れ去られてしまう。仲間の女性科学者が彼を救い出しに行くシーンは「エイリアン2」でリプリーが少女を探してエイリアンの巣の中に入り込んでいくシーンとほとんど同じだ。また別のハチは、人間の腕の中に卵を生みつけ、ふ化した幼虫は人間の腕の肉を内側から食べながら成長していく。それ以前の実験の段階では、武装した元軍人が同行していたにも関わらず、多くの犠牲者が出たというマイクロワールドで、何の武器も持たない科学者たちが、自らの知識だけを頼りに生き延びようとする。しかも縮小されて何日が経過すると『マイクロ酔い」と呼ばれる症状が現れ、そのま放っておくと、出血が止まらなくなり、死んでしまう。時間が限られているのだ。それぞれが昆虫や毒物の研究者である彼らは、植物や生物から毒を集め、槍や吹き矢などの武器を作り出し、巨大な生物たちと戦おうとする…。翻訳者の解説によると、文章や構成で、クライトンとは明らかに違う部分があるらしいが、僕には、どこまでがクライトンで、どこからがプレストンの執筆なのかは、判別できなかった。たぶん、これがクライトンの、本当の最後の作品になるのだろう、と思うと感慨深い。
クライトンとの出会い
僕が十代の頃、著者の「アンドロメダ病原体」という作品と出会った。衝撃だった。宇宙から帰還し、回収された人工衛星が正体不明の病原体に汚染されていて、近くの町の住民を全滅させる。このような事態を想定したプロジェクトが発動し、全米から科学者たちが招集される。砂漠の地下に建設された研究所で、科学者たちによる病原体の解明が始まる…。その研究の報告書という形で書かれた小説は、とても斬新だった。文章だけではなく様々な実験データ、グラフ、コンピュータの画面などを駆使した構成にとても興奮したことを覚えている。以来、ずっとクライトンの作品が出るたびに、真っ先に買って読んだ。彼の作品は、最先端の科学技術を題材にして書かれてはいるが、決してSFではない。後に誰かがクライトンの作品を「テクノスリラー」とか「ハイテク・スリラー」と名付けたことがある。また口の悪い批評家は、クライトン作品を「知識小説」だと決めつけた。要するに最新のテクノロジーを紹介しているにすぎない。人物描写はありきたりで、リアリティがなく、社会や人間を描けていない…、と。
イデア×アイデアの作家。
しかし、最新の知識を紹介するだけの作家が、どうして、これだけ多くのベストセラーを生み出すことができたのだろう。クライトン作品は、どれも面白くて、好きな作品も多いが、やっぱり一番は「ジュラシックパーク」。琥珀に閉じ込められた蚊の体内から太古の恐竜の血液を抽出し、その遺伝子を解明して、恐竜を現代に甦らせる、というアイデアは、クライトンのオリジナルではないという。クライトンより早かったという別の作家の作品を読んでみたが、「ジュラシックパーク」を読んだ時のワクワク感がほとんど感じられなかった。これはクライトンが、ひとつのアイデアだけでなく、いくつかのアイデアを組み合わせて小説世界を作り上げる手法から来ているのだと思う。「ジュラシックパーク」の場合は、「遺伝子操作による恐竜の再現」というアイデアと、それを見せ物にする「テーマパーク」というアイデアの組み合わせが大成功を納めた。「巨大な暗黒大陸アフリカの実態」×「最新の霊長類研究」=「失われた黄金都市」。「古代の旅行記」×「ネアンデルタール人生存説」=「北人伝説」。「タイムマシン」×「中世ヨーロッパの実態」=「タイムライン」…。本書でも「物体のマイクロ化」というアイデアと「身近な自然の中に存在する生物たちの驚異的な生態」の組み合わせが、他にはない冒険奇譚を可能にしている。人物描写が薄っぺらいという意見があるが、科学者や、天才的な起業家を描かせると、クライトンの右に出るものはいないと思う。
出て来い。第二のクライトン
残念ながら現在の世界には、クライトンが作りあげたテクノスリラーというジャンルを受け継ぐ小説家がいないと思う。強いて言えば「深海のYrr」を書いたドイツのフランク・シェッツィングぐらいか。しかしクライトンほど、多様・多作ではない。最新のサイエンスを題材にしながら、SFではなく、あくまでも現代にこだわり、今、世界のどこかで、本当にこういう事態が進行しているかもしれない、と思わせるクライトンの作品は、誰にも真似のできない唯一無二のものだと思う。誰か知りませんか。
この3カ月の間に読んだ本で、きちんと整理して、感想を書いておきたい本がかなりたまっている。これを機会に書いていきたいと思う。