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たくきよしみつ「裸のフクシマ 原発30km圏内で暮らす」


この本を、もう2カ月以上も鞄に入れて持ち歩いている。2度通読し、時間があればページを開いて読んでいる。そのせいで他の本が読めないでいる。感想を書こうとしたが、うまく書けない。書けない理由は、本書によって、今回の震災や原発事故に関して、これまで自分が積み上げて来た「認識」のいくつかが覆されてしまったからだ。
著者はテクノライター?
本書は新聞の書評欄で知った。その書評によって、この著者による著作を、すでに2冊読んでいることが判明。「デジカメに1000万画素はいらない」「大人のための新オーディオ鑑賞術」の2冊。どちらも新書版のノウハウ本だったが、いわゆるメーカーの商品戦略を鵜呑みにせずに疑ってかかるという、一種のインディペンデントな視点が独特で、著者自身の実体験に基づく提案には説得力があった。その2冊の本の印象から、著者はちょっとユニークなテクノライターの一人ぐらいに思っていたのだが、本書を読み進むうちに、テクノライター的な部分は、著者のほんの一面にすぎないことが明らかになってくる。
福島第1原発から25km離れた川内村に住んでいる。
本書がこれまで僕が読んだ震災関連の本や原発関連の本と違う点は、ただ一点。著者が福島第1原発から25km離れた川内村に住んでいるということ。しかし、この違いによって語られる「フクシマ」は、これまで読んだ本で語られている「フクシマ」とはあまりに大きく隔たっている。この大きすぎるギャップをうまく埋めることができなかった。
本書を読んで、自分の認識が覆された点を列記しておく。
1.想定を越える津波によって、今回の原発事故は起こった。
2.今回の事故で、ただちに健康が損なわれるような深刻な被爆はなかった。
3.一刻も早く「脱・原発」を進め、再生可能エネルギーによる発電に切り換えるべきである。
4.仮設住宅は、まったく足りず、一日も早く大量に建設すべきである。
5.海外のメディアが伝えたように、震災の後、暴動や略奪はほとんどなかった。
詳細は読んでもらうしかないが、自分も含めた世の中の認識と現地に住む住民の認識に、これほどのギャップが生まれていることに愕然とする。
新潟から福島へ。そして3.11、フクシマへ。
著者は、2004年から福島県双葉郡川内村に住んでいる。それ以前は、新潟の豪雪地帯に買った古い家に十数年かけて手を入れ、終の棲家として住んでいた。しかし2004年の中越地震で家は完全に壊れ、集落そのものも、住民が移転しまい、消滅してしまう。すべてを失った著者は、その年のうちに、福島県に家を買って住み始める。それが豊かな自然に恵まれた川内村だった。
3.11、家は大丈夫だった。
著者が川内村を選んだ理由のひとつが地震に強いことだっただけに、家は大丈夫だったという。心配していた福島第一、第二、女川原発も自動停止していて、ほっとした。地震直後は停電したものの、すぐに電気は回復した。川内村は、そもそも水道設備がなく、水はすべて井戸を利用しているため、断水もない。野菜や米など食料はたっぷりある。テレビで見る津波の被害の大きさに驚きながらも、家の中を片付け、近所に住む住人の無事を確認した著者は、その夜は安心してぐっすり眠った。
1F(いちえふ)の恐怖。
しかし、翌12日、状況は一変する。テレビのニュースで、福島第一の電源が失われたことを知る。そして午後には1号機の「爆発」があったことを知る。事態は最悪の状態に向っているのではないか…。不安が深まる中、ネットが不通になる。情報は極端に無い。テレビが放送している爆発の映像は一時間半も前のものだと知って著者は恐ろしくなる。「すでに我が家は高濃度の放射性物質に包まれているのかもしれない。外に出て行くより家の中に留まったほうが被害が少ないのではないか…。いや、それでは駄目だ。一刻も早く、できるだけ遠くへ逃げなければ。目に見えない、臭いもない、痛くも痒くもない。相手を感知できないということが、どれだけの恐怖なのか、このとき初めてわかった。」著者は身の回りのものをまとめながら、近所の家にお茶を飲みに行っている妻の帰りを待った。一時間たっても帰って来ないので、マスクをして、妻を迎えに行く。「いつも普通に歩いている道が何か違う景色に見えた。いま吸っている空気にどれだけの放射性物質が含まれているかと思ったら冷静さを失いそうになった。」妻を連れ帰って、テレビを見ながら早速、避難の準備を始める。午後6時に首相官邸からの発表があるので、それを待つことにした。午後6時、枝野官房長官による発表を聞いて、著者は、待っていたことを激しく後悔する。政府の発表にはほとんど中身がなかった。しかも原発で何が起きているか、政府もわかっていないということがわかった。同時刻に原子力安全・保安院も記者会見を行っているが、こちらも内容がまったくないものだった。「はい、わかりました。政府の発表を待っていたあたしがバカでした。」と、著者。
フクシマ脱出。
妻を連れ、クルマに乗り、村を出る。めざすは川崎市にある「仕事場」。途中、知人のお寺で一泊させてもらう。途中、信号が消えた交差点、トイレが使えない道の駅など、「被災地」を体験しながら仕事場へ向う。千葉に入ると河川敷でのんびりゴルフをしている人がいたりして、驚かされる。選んだルートがよかったのか、大した渋滞にも巻き込まれずに「仕事場」に到着する。「仕事場」に着いた著者は、早速インターネットを通じて情報を収集しはじめる。
1Fで何が起きていたのか?
Googleの特別サイトで福島第一の衛星写真を見て愕然とする。津波によって電源のあった建物がなくなっている。著者は、国や東電、そしてメディアが正しい情報を伝えようとしていない、事実を隠していると感じはじめる。本書は、この辺りから、原発事故の被災日記から、地元の人が「1F」と呼ぶ福島第一原発の事故がどのように進行したのか、そして政府や東電、メディアが、事故に対してどう対応したの検証に入っていく。中身は、すでに様々な本に書かれているのと大きく違うわけではない。しかし読んだ印象は大きく異なっている。いちばん違う点は、事故に対する政府や東電、メディアの動きだけではなく、福島の自治体や住民たちが、どう考え、どう動こうとしたかという点まで描かれている点だろう。10Km圏の避難指示や20〜30Km圏の屋内待機という指示も、僕らは「そういうものか」と見ていたが、地元では、大混乱が起きていたという。まず避難地域の境界線を決めるのは容易ではないという。汚染エリアは、地図にコンパスで線を引いたように円形に広がるわけではなく、風向きなどの気象や地形によって複雑なマップになる。さらに自治体が住民の避難などを円滑に行うためには、原発からの距離ではなく、行政区分による指示を行うべきであったという。しかも避難指示の連絡は、国や県から町や村に直接伝えられず、各自治体はテレビの報道によって知らされる始末。この混乱によって多くの住民の避難が遅れ、地域によっては、高濃度の汚染によりかなり高い被爆が発生してしまったという。
汚染エリアの真実
最も多くの放射性物質が放出されたという15日、文科省放射線量測定のモニターカーを1Fの北西部(飯館村葛尾村など)に走らせて放射線量を測定し始める。なぜ北西部に走らせたかというと、例のSPEEDIによるシミュレーションが、15日より前に、この地域の高濃度汚染を予測していたからだ。果たして、これらの地区では高濃度の放射性物質が検出された。国だけでなく、県も13日にはSPEEDIのデータを受け取っていた。それににも関わらず、住民たちにそのデータを知らせなかった。町や村のリーダーたちは、原発の状態が刻々と悪化していく中で、国や県から適切な情報が与えられず苦悩する。国や県の指示を待ち切れずに全住民避難を決め、被ばくを免れた村。国や県からの指示を待ち続けたために住民を被ばくさせてしまった村…。国民がパニックになるのを恐れて、事実を隠し続けた政府と東電。しかしそのせいで、福島の多くの住民が犠牲になったという。さらに、15日以降、毎日文科省が測定し続けたデータは、あろうことか、その汚染エリアの住民たちに知らされなかった。住民たちは、高濃度の汚染エリアの中で、何も知らずに暮らしていたのだという。住民たちに高い線量の実態を知らせたのは、ボランティアで福島に測定に来た研究者たちだった。著者は、事故直後、想定を超えた事態によって、多少の判断ミスが起きたことは止む得ないという。しかし、データが出揃い、状況を把握できる段階になってからの国や県、東電の態度や行動には許し難いところがあったという。
窃盗が頻発。
20km圏を、希望すれば入り込むことができる「避難指示地区」から侵入すると罰せられる「警戒地区」に指定することを政府に強く要求したのは、県だった。一説にによると、県が「警戒地区」の指定を望んだのは、避難指示地域で多発していた窃盗を防止するためだったという。地震の直後、市内ではATMが軒並み狙われ、数億円の被害が出ていた。またオープン間近だった大手電気量販店には大量の製品が運びこまれ段ボールのまま積み上げられていた。それらは窃盗団の格好の標的にされたという。震災の後、各国メディアが伝えたように、住民による暴動や略奪は無かったかもしれないが、プロ窃盗団がわがもの顔で、無人の町を荒し回っていたのだ。本書には、このようなメディアが報道しない、しかし地元の人間なら誰でも知っている事実を、これでもかと突きつけてくる。警戒地区に指定されるのを望んだ村と拒んだ村があったこと。仮払金・義援金をめぐる不平等の存在。仮設住宅が用意されても避難所から出ていこうとしない人たちがいたこと。避難所周辺のパチンコ店は連日避難者で盛況だったこと。各地で、足りないはずの仮設住宅が、民間の賃貸住宅や公共住宅の活用による「みなし仮設住宅」の増加により、余るケースが出て来たこと。また仮設住宅やみなし仮設住宅の住民には日本赤十字から「家電6点セット」(洗濯機、冷蔵庫、テレビ、炊飯器、電子レンジ、電気ポット)が無償支給されるが、この制度を利用して、1家族で2〜3セットを手に入れ、ヤフオクやリサイクルショップで売る者が出て来たこと…。
エコタウンという名の陰謀。
著者は30km圏内の中でもかなり汚染が少なかった川内村に戻り、住民の一人として暮らしながら、原発事故が引き起こした様々な悲喜劇を、時に強い怒りを込めて語っていく。その矛先は、震災後に出て来た「再生可能エネルギー」や「エコタウン」、さらに「除染ビジネス」にも向けられる。特に、震災後、東北各地に設置された風力発電からの電力が東電東北電力の送電網に接続されていない事実を示し、エネルギービジネスとして成立しない風力発電が、政府と税金の力で、新たな利権ビジネスになろうとしていると告発する。震災の後、放射性物質除染事業を自治体に勧めて回っているのは、かつての原子力村の大物で、バリバリの原発推進派だった人物であること…。震災後に現れた奇怪な動きに対して、著者は強い危機感を抱いている。
長いあとがき
最後に著者は、20年前に、当時活発に議論された原発論争をヒントに書いた小説「マリアの父親」が小説すばる新人賞を受賞していたことを告白する。しかし小説は売れなかったという。当時の出版社の文芸担当者の中に「著者は。反原発の危険人物だから関わらないほうがいい」と言ってる人がいたらしい。担当編集者からも「経済のマイナス成長を肯定する作品だもの、うちとしても大々的に宣伝するわけにいかないのよ」と言われてしまう。著者は、その後も奮闘するが、気がつくと「小説を書いても出してもらえない作家」になっていたという。冒頭で紹介したデジタル系の入門書も、小説では食えなくなってしまったた著者が、何とか生きていこうと書いた本だったのかもしれない。著者の本に共通する「メディアや企業の言葉をそのまま鵜呑みにしないインディペンデントな姿勢」は、一朝一夕で形づくられたものではないのだ。著者のWebサイトに行くと、様々なコンテンツがある。著書も少なくない。音楽家でもあり、CDも販売している。多才な人のようだ。
3.11からもうすぐ1年が経とうとしている。
あの日、フクシマで何が起き、どのように推移し、東電や国や自治体はどのように対応したのか、そして、それをメディアはどう伝え、僕たちは、それにどう反応したのか。それらを自分の中できちんと整理できずにいる。例えば3月28日号の「アエラ」の表紙について。それは防毒マスクを身につけた隊員の写真に「放射能がくる」というタイトルだった。この表紙に対して「いたずらに恐怖を煽った」という非難の声が殺到し、アエラtwitterでお詫びの文章を掲載した。あの時、僕自身も「何てひどいタイトルなんだ。アエラをもう買わん!」と怒った。この時の僕自身の反応は正しかったのか?今にして思えばアエラの表紙は間違っていなかったと思う。あの時、原発は、東京都3千万人が避難しなければならない状況に限りなく近づいていたのだ。僕たちは、東電や政府による「予断は許さないが、それほど深刻な事態ではない」というような楽観的な認識を信じ込まされていたのだ。本書は、国や企業やメディアが伝えることを決して鵜呑みにしてはいけないということを教えてくれる。
放射線量計を買った。
本書の中で著者は、川内村の自宅に戻るにあたってロシア製の放射線量計を購入している。自宅の周囲にも、放射線量が高いホットスポットが点在しているため、現地では線量計が必需品だという。1月半ば、著者が買ったのと同じ放射線量計をアマゾンで購入した。今も鞄に入れて持ち歩いている。その話をすると、知人たちは飽きれた顔をする。しかし、近畿も若狭湾周辺に多くの原発があり、その100km圏に大阪や神戸は位置していることを忘れてはならない。フクシマー東京より、ワカサー大阪はずっと距離が短いのだ。若狭湾一帯は、約400年前に大地震津波で大きな被害が出たことが確認されている。