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池澤夏樹「春を恨んだりしないーー震災をめぐって考えたこと」

120頁ほどの薄い本。小説家が震災や原発について書いた本が読みたいと思った。報道の言葉ではなく、ジャーナリストの言葉でもなく、小説家の言葉で、今度の震災を語って欲しかった。被災地の光景や空気、匂い、音、人々を描写してほしかった。著者は詩人で、小説家。初期の作品「スティルライフ」の文章には、理科系の硬質さと香りがあったのを覚えている。震災を語る文章は、抑制が効いていて、静かなトーンで淡々と綴られていく。時によって、そのトーンが、冷淡とも、軽い無関心とも思えるような響きを帯びる。著者は、震災後、よく泣いたという。しかし、そんな感情の激しい動きは、文章の中からほぼそぎ落とされている。震災をテレビで見て、被災地に何度も出かけて、被害を目の当たりにして、気持ちは何度も激しく揺さぶられたはずだ。しかし、その体験を伝えるには作家の言葉は非力だったのだろう。震災で失語症に陥った作家が、自らの言葉を取り戻していく。その過程が、この本の薄さに表れていると思った。
本書で最も印象に残ったのは、日本列島という自然と日本人の国民性の考察、「国土としての日本列島」。4つのプレートの境界に国土がある日本。この国には古来より地震や噴火、津波などの災害が絶えない。しかも台風の通り道でもある。災害の度に、家や田畑を破壊され、人々が死んでいった。災害は突然襲い、誰に責任を負わせることもできない。著者は書く。「そのたびに人々は呆然として、泣ける限り泣いて、残った瓦礫を片付け、悲しみをこらえ、時間と共に悲しみが少しずつ薄れるのを待って、また立ち上がった。営々と努力を重ねて奪われた家や田や畑を作り直した。忘れることが救いにつながった。災害と復興がこの国の歴史の主軸ではなかったか。」と考察する。突然やってきて、誰に責任を負わせることもできない災害が、日本人の国民性を作ったと著者は主張する。日本人の無常観、諦めやすさ、社会を人間の思想の産物と見なさない姿勢。それらを著者はあまり好きでないと思っていたが、今回の震災を前にして、忘れる能力もまた大事だと思うようになったという。
全体に薄味の本だが、原発を語った章は読み応えがある。著者は「理系」らしく、数字をあげながら、原子力の意味を具体的に語っていく。例えば「広島の原爆で実際にエネルギーに変わったのは約1キログラムのウランだったが、そのエネルギーはTNT火薬に換算すると1万6千トン分」だった。この数字が含む非現実性を理解すること。両者の間には七桁の差がある。(中略)最新の旅客機であるボーイング777LRは約百六十トンの燃料を積んで一万七千キロ先まで飛ぶことができる。もしも仮にこれが核燃料で飛べるとすれば、燃料は十グラムで済む。七桁の差とはそれほどの桁違いだ。」このように「七桁の差」から導き出される反原発論には強い説得力があると思った。さらに「原発を廃棄するとして、その分のエネルギーをどこに求めるか」という考察も納得できる。
この本の読後感はどこか中途半端で居心地が悪い。視点も一定ではなく、掘り下げる深さもまちまちで、混乱しているように思えた。この震災で、多くの作家が語る言葉を失ったに違いない。数ヶ月経って、その中の一人がようやく、一冊の本をまがりなりにも書き上げてくれた、ということがうれしかった。