読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

佐野眞一「津波と原発」

なぜ著者が原発や震災の本を書いたのだろう?と一瞬思ったが、他の著作を思い出して納得。「東電OL殺人事件」“原子力の父”といわれた正力松太郎を描いた「巨怪伝」。「東電OL殺人事件」は面白かったが、著者の思い込みの強さ、ゴシップを執拗に追いかける姿勢、ほとんど妄想といってもいいような踏み込み方には違和感があった。しかし、だからこそ人間のどろどろした暗部に踏み込んで生々しく人物像を描き出すことができたのだが…。本書は、大病から回復したばかりの著者が震災の被災地に自ら入り込んで被災者たちに取材して書き上げたルポだ。雑誌社からこの仕事の依頼があった時に、年齢と病み上がりの身体に不安があり、最初は断ろうと思ったという。それを引き受けたのは、この災害に対する著名人のコメントに怒りを覚えたからだという。石原都知事天罰発言に始まり、高村薫、さらに関係者の誠実さのかけらもない反応だった。ほとんど八つ当たりのような怒りと正義感に駆られて、東北に出発する。
新宿のおかまバーの名物ママを尋ねる。
著者による取材の特色は、あくまでも「人」にこだわ続けることだろうか?新宿ゴールデン街のおかまバーの名物ママが気仙沼に帰っていることを思い出し、その消息を訪ねて行ったり、「定置網の帝王」と呼ばれた男。日本共産党元文化部長で、津波の研究者でもあった男…。あくまでも一人一人の人間にこだわりながら、取材を続けていく。その文章は、ある時は情緒に流れ、ある時は八つ当たりに近い怒りの言葉になる。新閣僚の「死の町」発言が問題になったが、本書にも「死の街」という表現が出てくる。著者が目にした被災地をこう表現する。「爆風で何もかも吹き飛んだ広島の爆心地を数百倍拡大したような死の街だった。その被害状況は、阪神大震災に襲われた神戸や同時多発に襲われたニューヨークの比ではなかった。(中略)津波がすべてを攫っていった後には、人間の生きる気力を萎えさせ、言葉を無力化させる瓦礫の山しかなかった。ここには人間が生きたという痕跡さえなかった。」
原発街道を往く。
2度目の取材では、著者は逮捕されるのを覚悟で、汚染された福島の避難地域に入り込んでいく。そこで著者は、人影が途絶え、核戦争後の世界のように不気味に静まり返った街を目撃する。津波被災地では街は崩壊しているが、そこには自衛隊や警察など、救援のために働いている人の姿があった。しかし原発の20キロ以内の避難地域には、夢でも見ているような静寂しかなかったという。立ち入り禁止地域内の畜産農家を訪ねた著者は、牛の死体だらけの牛舎の惨状を目の当たりする。ガリガリにやせて骨と皮だけになってまだ生きている牛を見て、鳴り続けていた放射線測定器を切る。家畜がバタバタ餓死しているのに、自分だけ放射能から身を守ろうとするのは、間違っていると思ったからだという。そして原発労働者に取材した著者は、原発の労働と「東電OL殺人事件」で取り上げた被害者の売春を、どちらも「後ろめたい仕事」として重ねてしまう。著者によるこのようなアナロジーは乱暴すぎると思う。殺人事件で取材に応じた東電の態度と、今回の原発事故における東電の対応がまったく同じであるという…。さらに取材を続ける内に、著者の視点は、この地域が原発を受け入れてきた歴史に向けられていく。かつて福島県チベットと呼ばれるほど、不毛の地であった福島県浜通りが、原発によって急に活気を呈し、所得は倍増、若者たちの就職先不足もいっきに解消されたという。
原子力の父・正力松太郎
著者は、ここでいったん被災地を離れ、戦後の日本の原子力利用の歴史を遡る。ここでも著者は人物に注目する。その人物とは、「巨怪伝」で取り上げた人物。日本に原発を導入する推進力となった巨人、正力松太郎である。正力は、警視庁から読売新聞に入り、発行部数3万部という弱小新聞を、奇抜なアイデアで、瞬く間に朝日、毎日と並ぶ大新聞に成長させる。正力は、戦後、故郷の富山から衆議院議員として出馬し当選を果たすが、すぐに初代の原子力委員会委員長に就任。昭和32年、茨城県東海村で日本初の原子炉の火入れ式に列席する…。著者は、史料を駆使しながら、正力やその側近たちが原子力の導入に奔走した様子を描く。本書は、さらにその後、福島原発が誕生するまでの経緯を、福島県知事や双葉町町長など、やはり「人物」に焦点を当てながら語っていく。日本の原子力の黎明期もそうだが、福島原発の誕生に至る物語には、多くの曲折があり、スリリングなドラマがある。まるでNHKのドキュメンタリー「プロジェクトX」を見ているような高揚感にとらわれそうになる。しかし、原発事故を経験した今では、その高揚感は、苦々しい悔恨に転じてしまう。本書の最後で著者は、二人の原発の研究者と政治学者、そしてソフトバンク孫正義社長にインタビューを行っている。そして最後に次のように主張する。戦後の日本人は、稀代のプロモーター、正力松太郎が誘致し、築き上げた新聞、テレビ、プロ野球原子力発電という巨大な掌の中にいることも気づかず、将来の日本に陰りが来ることなど露ほども疑わず、高度成長に邁進していった。そして著者は結論づける。「今回の三陸津波福島原発の事故は、日本の近代化と戦後の高度経済成長の足跡を2つ重ねてあぶりだした。いま私たちに問われているのは、これまで日本人がたどってきた道とまったく別の歴史を、私たち自身の手でつくれるかどうかである。」と…。