小山敬子『なぜ「回想療法」が認知証に効くのか」


母が入院し、父が一人になった。家に一人で住むのは難しくなり、高齢者用住宅に入居することになった。このところ、毎週、父のところへ行き、一緒に過ごす時間を作っている。80半ばに達した父は、急速に記憶力が低下しているようだ。特に短期記憶というのか、ついさっきまでしていたことを忘れてしまう。お茶を入れようと、お湯をガスコンロにかけたこと。タバコに火をつけたこと。食事をしたこと。かなり危なっかしいのである。ガスコンロを使わないようにとティファールのポッドを買っても、すぐ使わなくなる。しかし、古い記憶は、しっかり覚えていて、数十年前の出来事を鮮明に覚えていて、誰かが喋った言葉も、驚くほど正確に覚えていたりする。昔の話をしている時は、昔の父に戻ったかのように、口調もしっかりしていて、淀みなく話せる。そして少し元気になっているようにも感じられる。そこで、父といる時、昔の思い出を聞かせてもらうことにしている。きっかけを作るだけで、後は適当に相槌を打つと、話は次から次へと出てくる。戦争の話、田舎の話、労働争議の話、私自身が生まれた頃の話…。初めて聞く話も少なくない。考えてみれば、これまで父から父自身の昔の話を聞くことなど、ほとんど無かった。父から、今それを聞き出さなければ、その記憶は永遠に失われてしまうような気がしている。記憶力が少しずつ衰え、そのことに戸惑っている父を見るのは辛かったが、最近では、こう考えるようにしている。老人はある時から、年齢を重ねていくのではなく、若返って、幼くなって、子供に、幼児に、赤ん坊に帰っていく…。交遊関係が少しずつ狭まり、生活空間も、身につけていた知識や技術も、少しずつ忘れていく。父の世界が、少しずつ狭まり、活動範囲が狭まっていく。それは赤ん坊が、母親を見分け、家族に出会い、自己を発見し、自らの世界を少しずつ拡大していくことの逆の過程を辿っているようにも見えなくはない。そう考えると少し楽になる。記憶や知力が失われていくのは辛い。しかし、世界から手に入れた記憶や知識を、少しずつ世界に返していくのだ、と考えてみる。長年かけて築き上げてきた自我をほどいて無我の境地へ向かうのだと…。本書を見つけたのは地震の前後だったと思う。父の記憶力の回復に、昔を思い出させることがよさそうだと気がついて実行してみようと思い始めた頃でもあった。本書には、認知症の判定テストから、病状の進行の様子、さらに具体的な回想療法の進め方まで、著者の現場での豊富な体験を交えながら教えてくれる。昔の写真や思い出の品を見せながら昔のことを思い出して語ってもらうだけで、認知症の進行を抑えることができるという。そして回想療法に一番適した治療者が、プロの療法士ではなく「家族」のほうが適しているケースも少なくないという。認知症が進んでも、周囲の家族や介護のスタッフに愛されるお年寄りがいるという話も救われる。著者は、その治療法をさらに発展させて「回想空間」という概念を提唱する。さらに、すべての人に共通する回想空間である学校に注目し、学校の形を利用した治療手法「大人の学校」を立ち上げ、成果を上げているという。学び、成長していくための学校ではなく、自分が元気だった頃を思い出し、反芻するための学校…。最近、デイケアサービスの施設などを見て回って思ったことだが、「学校」という形は高齢者にとって、とても有効かもしれない。今後は「大人の学校」のような仕組みが増えてくるのではないか。自分が、その年齢になった頃には「大人の学校」に入りたいと思う…。そんな意識をもって父の話を聞いている内に、こちらも何だか楽しくなってきた。昔住んだ家の話、近所に吹きガラスの工場があって、いつも覗きに行ってたこと。自転車の荷台に乗せられて伊丹空港を見に行ったこと。近所でもテレビを買ったのが一番早かったのが自慢だったこと…。自分自身の記憶と父の記憶を照合する作業は退屈しない。昭和史を、父という個人の目を通してみる面白さを楽しんでいる。