読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

レイチェル・ボッツマン/ルー・ロジャース「シェア」再読

ビジネス ライフスタイル エコ


この本は「2回以上読まないといけない」と思った。
この本を最初に読んだ時は大きな衝撃を受けた。http://d.hatena.ne.jp/nightlander/20110513/1305261517自分が、この1〜2年考え続けている問題のヒントが、この本の中にあると思った。しかも大震災以降、世の中の空気が変わってきている、というタイミングだった。自分たちが、これから、どちらの方向へ向かって歩き出せばいいのか、その答が、この本の中にある。そう思いながら、再び読んでみた。
「シェア」という言葉は、かつては市場における企業やブランドの「市場占有率」という意味で使われていた。70〜80年代だろうか。当時「シェア」は、奪い合うものだった。80年代になって「ワークシェアリング」という言葉を聞くようになった。長く続く深刻な不況の中で雇用を確保するために一人一人の労働者の労働時間を短縮し、仕事を「シェア」する方法だった。当時、オランダモデルと呼ばれ、世界の労働政策のモデルとなっていた。日本では、90年代の不況下で、政府はワーキングシェアを推奨したが、まったくといってよいほど普及しなかった。企業は、非正規雇用という形で景気の変動を吸収するようになったせいだとも言われる。次に「シェア」という言葉が浮上してくるのは、ゼロ年代半ば、インターネットの普及が進んでからである。あるコンテンツをネット上で他のユーザーと共有すような利用のしかたを「シェア」と称するようになった。動画共有サイト、写真共有サイト…。最近ではソーシャルネットワークで情報発信することを「シェア」するといったりする。そして、昨年あたりから出てきたのがリアルな世界で製品やサービスをシェアするライフスタイルとしての「シェア」。ちょうど3月の震災の頃、三浦展の『これからの日本のために「シェア」の話をしよう』に出会った。この本によると、若者の消費スタイルが「シェア型」に変化しはじめているという。住まい、クルマ、オフィス…。その背景には「所有」から「利用」へと変化している日本人の価値観があるという。この本には、かなり共感できるところがあって「ふむふむ、そうだよな、これからはシェアだよな」なんて思ってたりした。しかし本書を読むと、共感なんてもんじゃなくて、いきなり強烈なパンチでノックアウトされたような衝撃を受けた。三浦展の本が、「消費論」だとすると、こちらは壮大な「文明論」であると思った。
3つのパートからなる本書のパート1の第一章と第二章を読んだだけで、読者は強烈な衝撃をうける。まずは「太平洋ゴミベルト」という現象。日本とハワイの間のある海域に、面積がテキサス州の2倍、深さが30メートルに達する巨大なゴミの集積が発見された。ペットボトル、おもちゃ、使い捨て容器、買い物袋…。海流の関係で太平洋沿岸諸国のありとあらゆるゴミがここに集まっている。しかも、その大半は、自然の力によって分解されないプラスチック類で、海域に生息する海洋生物や鳥の生態に深刻な影響を及ぼしている。この巨大な負のモニュメントを作り出した犯人が、他ならぬ私たち自身であることを知る。そして私たちの、このの消費スタイルが、いつから始まったのかを、時代をさかのぼって検証していく。ティッシュペーパーや、チップ綿棒、紙コップなどの使い捨て製品は1950年代、そして頻繁なモデルチェンジは1920年代、GMによって始まった。それ以前、T型フォードは15年の間モデルチェンジをしなかったのだ。さらにクレジットカードの登場。ショッピングモールの出現、マーケティングやPRという手法の導入…。それによって大量に生産し、大量に販売し、大量に廃棄する今日の消費社会が出来上がったのだ。著者は、この消費を「ハイパー消費」と名づけ、その反対概念として「シェア」を位置づける。このハイパー消費の大発展の結果、人間は幸せになっただろうか?と著者は問いかける。1980年から2000年の間にアメリカ人やヨーロッパ諸国の人々収入は3倍になった。しかし、その豊な果実を味わう時間はますます失われている。ハイパー消費時代の消費者像を「モノに囲まれた孤独な買い物客」と描写する。現在まで続くこの潮流を、著者は、200年前から続くネズミ購のようなものだという。人間は天然資源を使い尽くし、有害ガスを大気中にばらまき、私たちが死んだ後も消えてなくならない廃棄物を生み出した。つまり私たちは返すつもりも、返すあてもなく、ただ取り続けてきたのだ。」
パート1の第三章以降はポスト・ハイパー消費社会」としてのシェア社会が描かれていく。三浦氏の本との違いは、「シェア」の潮流を捉える視野の広さだ。カーシェアやハウスシェアといった分かりやすいシェアだけでなく、e-Bayやネットフリックス、アップルのiTune storeなど、新しいオンライン・サービスもシェアのひとつであると著者は語る。そして、いまや何千というシェア・ビジネスが立ち上がりつつあるのだという。確かに自分の周囲を見回してみれば、何千枚というCDコレクションをデジタル化してiTuneのライブラリに収め、コレクションを売り払った音楽ファンや、売るのも買うのもっぱらネットオークションで済ませるという知人も少なくない。「所有」から「利用」への流れは、とっくに始まっているのだ。シェアに乗り遅れているのは、自分のほうじゃないか、と大いに反省させられた。
パート2は、様々なコラボ消費(コラボ消費という言い方に違和感を感じる。もっと適切な言葉はなかったのか)の実例が描かれる、本書のコアとも言えるパート。ここでも「これもシェアと言えるの?」と思われるような実例が多数出てきて戸惑う。ネットフリックス、クレイグズ・リスト、イーベイなどもコラボ消費であると言う。具体的な話は、著者が千以上の実例の中から選んだという実例を読んだほうがいいので、省略。その中で、コラボ消費を次の3つに分類している。製品を所有するのではなく利用するというシェアの方法が「プロダクト・サービス・システム」中古製品の再利用や交換をP2Pで行う「再分配市場」モノや場所ではない、仕事やサービス、お金、時間など形のないものをシェアする「コラボ的ライフスタイル」と定義する。またコラボ消費が成功するためには、次の4大原則を定義する。「クリティカル・マスの存在」「「余剰キャパシティの活用」「共有資源の尊重」「他者との信頼」。様々なシェアの実例を知れば知る程、この現象が一過性の流行ではないことがわかってくる。そして、「シェア」は、自分たちの祖父母の時代には、生活の中に自然に存在していたこと。それが両親の時代になって、失われてしまったこと。そして今、ITテクノロジーの進歩によって、驚くほど簡単に、しかも低コストで「シェア」ができる時代になったことなどが語られる。
パート3では、自分たちの業界に近いテーマが出てくるのでいっそう興味深く読める。つまり「シェア」の時代におけるデザインやブランドについての話。コラボ消費の時代において、デザインはこれまでにないほど重要になり、デザイナーの役割は多くの分野に拡がっているという。デザイナーの役割について書かれた重要と思われる言葉を引用しておこう。「デザイナーは、消費者や企業のニーズと社会全体のバランスを見つけるという役目を担っている。」『デザインを一つ一つのバラバラな「モノ化」ではなく、「システム」として考える』「デザインはファシリテーションにより力を注ぐことになる」「消費者は消費することから参加することへの移行が起きる」「消費者はおとなしい受け手から積極的な参加者に変わりつつある」『デザイナーはモノや建物をつくるひとりの存在から、大勢の人たちが関わる変化のファシリテーターへと進化しなければならない」「変化の激しい業界で仕事をするために、デザイナーは、テクノロジー行動科学、マーケティングのすべてを総合的に理解する必要がある」またコラボ的サービスシステムが実現するためには「利用の円滑さ」「サービスの複製可能性」「アクセスの多様性」「コミュニケーションの強化」をあげている。シェアの領域で、デザインが重要な役割を果たした例としてモントリオールの自転車シェア・プログラム「ピクシー」では6つのデザイン会社がコラボレートしたという。IBMゼロックスソニー、ダウなどの大企業がビジネスとユーザーの新しいコラボレーション「エコ・パテントコモンズ」に名乗りをあげている。また理想的なコラボ製品の特徴として、「長持ちすること」「継続的に改良できて、将来のリユースや再販、修理を念頭に置いて解体しやすいもの」「素材を循環させて、価値ある資源再利用ができること」をあげている。コラボ製品の実例として、ティンバーランド「アースキーパー2.0フットウェア」の寿命延長型プロダクト・サービス・システムと、スティールケースというオフィス家具メーカーの「使用済み椅子の4つのプログラム:「椅子の張替え、第三者への販売、慈善団体への寄付、部品をリサイクル」を紹介している。
「ハイパー消費の時代」において、ブランドは、「私」を主張するものだった。しかし「コラボ消費」の時代、ブランドは「みんな」を基盤にしたものになる。例えば、ナイキは、マス広告や有名人の起用にかける費用を10年前に比べて55%減らし、アップルと組んだ「ナイキ・プラス」というソーシャルハブに投資している。2009年には120万人が登録し、のべ1億300マイルを走った。いまや「製品」ではなく「経験」を提供しなければならないことにブランドも気づいてきている。シェア時代のブランドは、Web2.0のブランドであるフリッカー、スカイプ、フェイスブックと同じ過程をたどっているという。それはつまりコミュニティに力を与えることを基本に据え、広告キャンペーンではなく、コミュニティがブランドを育てるということをしっかりと理解するという過程。またシェア時代になると、ブランド伝道師が重要になるという。彼らはクチコミでサービスを広げ、大多数のフォロワーたち、つまりクリティカル・マスに影響を与える。いまや広告会社を信用するのは消費者のわずか14%で、78%は知り合いの推奨を信用するという。ブランド・コミュニティをつくることに成功している企業は「欲しいモノ」から「大好きなモノ」へ、そして「参加できるコト」へと、ブランドのコンセプトを変えてきた企業だ。ハーレー・ダビッドソン、ヴァージン、アップル、スターバックスの名をあげている。最後の章では、著者は、私たちが今、歴史的なターニングポイントに立っていることを自覚するよう呼びかける。「消費はもはや際限なくモノを買い続けるという一方的な行動ではなく、欲しいものを手に入れるために、与えながら協力し合うという「プッシュ」と「プル」の相互作用になった」そしてコラボ消費に参加すればするほど溜まっていく個人の「評判」こそが新しいステイタスになっていく。さらにGDP(国民総生産)のような経済基準が根本から見直されるだろう。そして最後の最後に、コラボカルチャーやシェアカルチャーが、カウンターカルチャーではなく、コア・カルチャーになっていくだろうと結論づける。
2度目に読み終えて、感じたこと。
この本の中に「ヒント」はたくさんあった。だけど自分が本当に欲しかった「答」は見つからなかった。世の中はそんなに甘くない。ここから先は自分たち自身が考えていくべきことなのだと思う。自分たちにできるシェアとは何か?広告やデザインができるシェアとは何か。まずは、色々な人と会って「シェア」の話をしてみたい。この読書体験をみんなと「シェア」することから始めたい。