湯川 豊「須賀敦子を読む」


優れた文学作品について書かれた本がある。それを読んだ感想をさらに書き残すなんてあまり意味が無いような気がする。しかし、この本は読みたかった本だ。そして期待は裏切られなかった。静かな、そして豊かな読後感に包まれている。そのことは書いておきたい。自分が須賀敦子の作品に出遭ったのは数年前で、彼女がこの世を去って、すでに数年が経過していた。なぜもっと早くこの作家に出会わなかったのだろうと、とても悔しい思いをしたことは以前に書いた。
http://d.hatena.ne.jp/nightlander/20100223/1266889925
この本の著者は編集者として生前の須賀敦子と交流があり、彼女の幾つかの作品の出版に関わっている。そんな人の目には、須賀敦子はどう映っていたのだろう。自らの作品の中に描かれた彼女は、作品の語り手として、むしろ控えめに、ニュートラルに描かれていて、生身の彼女は、もっとエネルギッシュで、エキセントリックなところもある、才気がはじけるような女性だったのではないかと想像する。まだ海外へ行くことも珍しかった時代に、2度もヨーロッパに留学し、さらに2度目は、カトリック左派の運動の拠点であったコルシア書店に真っ直ぐ飛び込んで活動に加わる。そこで出会ったイタリア人の編集者を愛し、その妻となる。その行動力は並外れていた。彼女の作品を知り尽くし、さらに彼女をよく知る人間の目から、彼女の実像を語ってほしかった。しかし、こうした要求に本書は直接応えてくれるわけではない。むしろ個人的な思い出を語ることは控えめに、著者は、須賀の作品を丹念に読みこんで行こうとする。その姿勢は、独自に読み解くというよりは、彼女が文章に込めた意図や思いを浮かび上がらせるために、いっそう静かに耳を澄まそうとしているかのようだ。作品を、出版された順に、きちんと読んでいくことで見えてくるものがあるようだ。自分は「トリエステの坂道」から読み始め、順序をまったく考えずに読んでしまった。エッセイの形を取りながら、小説以上に文学的な小宇宙を創りあげる須賀敦子の方法が、どのように形づくられていったのかという考察も興味ふかい。彼女が翻訳を手がけた作家のギンズブルグやユルスナールの影響も大きかったようだ。そして最晩年に彼女が書き始めた「小説」の話。彼女が残した作品群や、彼女が生きた波乱万丈とも言える生涯を考えると、本当に読みたかった作品である。彼女は、それまでの作品の中で、自らの宗教観はもちろん、情熱を注ぎ込んだコルシア書店の活動やエマウス運動の具体的な内容についてほとんど触れていない。彼女は、自らの文学的な世界と、宗教人としての生き方を区別していたようだが、書こうとしていた小説の中ではじめて2つの世界の統合を試みようとしたのではないか、と著者は推測している。「アルザスの曲りくねった道」と題された未定稿が残るのみの「小説」が未完のままに終わってしまったことは、とても残念だが、今となってはその事実を受け入れるしかない。しかし残された作品群は、決して多くはなく、その世界も広くはないが、それでも須賀敦子にしか書きえなかった、唯一無二の光を帯びている。それだけで十分ではないか。本書を読み終えて、もう一度須賀作品のすべてを再読したくなった。彼女の作品だけでなく、彼女に影響を与えたギンズブルグやユルスナールまで読みたくなった。
今週末、市民講座で、本書と同じタイトルの著者の講座を受ける予定。こちらのほうもとても楽しみである。