村上春樹「「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」


村上春樹作品の9割ぐらいは読んでいると思うが、ある時期までは好きで読むというより「好きではないが、すごく売れているみたいなので、トレンドウォッチングのつもりで読んでおく作家」だった。それが変わってきたのは、著者自身が地下鉄サリン事件の被害者にインタビューした「アンダーグラウンド」そして阪神大震災後の日本人の心の変容を描いた「神の子どもたちはみな踊る」あたりからだろうか。「アンダーグラウンド」では、なぜオウム信者側ではなく、被害者ばかりにインタービューしたのか、と疑問に思ったが、読んでみると納得。というか、作家というより、一人の聞き手に徹して、数十人もの被害者たちの言葉に耳を傾けようという謙虚な姿勢に心を打たれた。村上が作家であることも知らないような被害者から「あんた、もっとちゃんと生きなきゃだめよ」みたいなことを言われても、穏やかに、むしろ真剣に受け止めていることに驚かされた。この体験は(被害者たちにインタビューすること)作家に強いインパクトを与えたに違いないと感じた。その後、著者は、オウム信者にもインタビューをして、裁判の傍聴にも通うことになる。この時の体験が、村上春樹の作品にどのような影響を及ぼすだろうか、という興味が出てきた。その影響は、「アフターダーク」で形をとりはじめた。そして十年余り経過した2009年「1Q84」に結実する。本書は、1997年〜2009年という時期に受けたインタビュー集だ。ほとんどメディアに露出することがない村上春樹自身が、自らの作品や作家としての生活を語っている。この時代、世界は大きく変化を遂げた。村上春樹に大きな影響を与えたのが、ほかでもない、阪神大震災オウム真理教による地下鉄サリン事件だったのだ。さらに2001年には9.11のテロ。それまで、日本の文壇から孤立し、きわめて個人的な世界の中に自閉しているように見えていた村上春樹の物語空間が、世界に向かって少しずつ開かれていくように思えた。彼は、ひとりよがりのかたくななだけの変人ではなかった。その頃の内面的な変化を作家自身の側から彼自身の言葉で聞かされるのは新鮮だ。作家の内部に起こっていた変化を外から推測するだけだったのが、作家自身が、それを取り出して目の前で説明してくれているような感じ。外国人を含む様々なインタビュイーがそれぞれ冒頭で描いてみせる村上春樹の姿も貴重な証言だ。本書には、毎日、規則正しい生活をし、身体を鍛え、頑固なまでに自らの方法を貫いてきた作家の、とっておきの創作の秘密が明かされている。その創作の方法が、あまりに明快で、シンプルで、強固なので、この方法に従えば、自分でも小説が書けるかな、などと思ってしまう。もちろん、それは大きな勘違いなんだけれど…。
90年代〜ゼロ年代というのは、本当に時代が大きく変化した時代だと思う。自分も、その潮流に流され、変えられて、今日を生きている。本書を読むことは、ほぼ同時代を生きてきた作家の目を通して、自分が生きてきた時代を振り返ることでもある。それは、今この瞬間も続いている「崩壊と喪失の時代」に、生きる勇気を与えてくれる稀有な体験であると思う。