「俊」と「彦」

自分の名前が、どんな理由や経緯で、そう名付けられたか、親に聞いたことがあるだろうか?自分の「俊彦」という自分の名前は、どちらかというと平凡な名前であり、命名の由来や親の特別な思い入れがあると思えなかった。姓名判断などに従って、適当に付けられたのだろうと思っていた。ところが先日、父親に命名の経緯を初めて聞かされた。ちょっとめずらしかったので書いておくことにする。父の創作かもしれないのだが…。
1954年の春。父は、阪神間にあった大手重工業の工場に勤めていた。労働運動が盛んな頃である。その日、工場は労働争議の真っ只中にあった。争議の場では組合側の代表と会社側の代表が緊迫したムードで対峙していた。父も組合側の一員として、その場にいた。その時、部屋の電話が鳴り、電話をとった人は父に取り付いだ。「◯◯さん、電話」。その電話は、自分が、生まれたことを告げる電話だった。父は、その場にいた人々に「いま生まれました、男の子です。」と告げた。この瞬間、緊迫していた空気は、一瞬で和らいだ。会社側の代表者だった人物が、この一瞬をとらえ、「ちょっと休憩しないか?◯◯君の坊やの名前はもう決めたのかな?」「いいえ、まだです」「では、ちょっと休戦して、みんなで名前を考えようじゃないか。」ということになった。その時、双方の代表だった人物の名前が俊夫(男?)」と「彦左衛門」であったため、二人から頭の一文字ずつもらって「俊彦」としたという。争議のほうは、この出来事で何となく勢いを削がれた組合側が押され気味のうちに終わってしまったという。
自分の名前に、こんなエピソードが隠されていることを、決して誰も気づかないだろう。何の役にも立たないが、そんな秘密を持っていることで、意味もなく、密かに愉快がっている。
1954年という年は、どんな時代だったのだろう。前年に朝鮮戦争終結青函連絡船「洞爺丸」が遭難。ビキニの水爆実験で第五福竜丸被爆自衛隊が発足。映画「ゴジラ」上映。