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岡田斗司夫「オタクはすでに死んでいる」


自分も時々オタクと呼ばれることがある。別に反論する程のことではないと思っているし、別に気にしたこともない。だから、これまで「オタクとは何か」とか「オタクの考察」とかにまったく興味が持てなかった。個人的に「岡田斗司夫を読んでみよう企画」第2弾は、初めての「オタク論」の本だ。著者が最近のオタクたちに覚えた奇妙な違和感。本書は、この違和感から出発する。そして著者がたどり着いた結論は「オタクはすでに死んでいる」だった。「オタクの定義」に始まり、オタクのキーワードとも言える「萌え」の考察、さらにオタクの変遷まで、オタクの代表とも言える著者が、とても明快に語ってくれる。何せ「オタク論」を読むこと自体が初めてなので「ふーん、そういうもんなんだ。」と感心しながら読んだ。と同時に、ちょっとヘビーな読書体験になったことも書いておこう。つまり、オタクの歴史をたどるということは、自分の人格形成に大きな影響を与えた時代を再体験するタイムトラベルをすることでもあるのだ。SF小説にのめり込んだ70年代前半まで。「スターウオーズ」「ターミネーター」「エイリアン」で幕を開けたSF映画の70年代後半〜80年代。SF映画雑誌「STARLOG」「宇宙船」。大阪の桃谷にあった「ゼネラルプロダクト」のショップ。大判コミックで読んだ「アキラ」。ロードショウで見た「攻殻機動隊」。AIBOから始まったロボットブーム…。著者ほどではないが、自分も、20代、30代、40代を、あの熱狂の時代の片隅で体験していたのだ。
私は、オタクではなかった。
本書によると自分のような人間はオタクに分類されないらしい。オタクが発生する以前の「オタク原人」と呼べるような存在であると位置づけられている。人類が出てくる前の類人猿とか、○○○原人みたいな…。これは、ちょっとショック。これまで自分が所属していると思っていた集団から「お前は我々の一員ではない。今日から出て行ってほしい」と追放されたような気分だ。オタク原人は、オタクとしての特徴である「世間からの疎外と葛藤」を経験していない、という。そうだろうか。昔からけっこう疎外感とか感じていたんだけどな…。小学校の高学年から読み始めたSFは、中学、高校と進んでも周囲に仲間が現れなかった。SFを好きになることは、そういうものだと思っていた。大学に入って、偶然、SFファンと知り合った時は「核戦争で人類が滅亡し、自分が人類の最後の一人だと思って世界を放浪しているところへ、偶然、別の人間が表れた時」ぐらい感動した。それほどSFファンは希少種だったのだ。その頃から、自分の嗜好には、ある種の偏りがあると気がついていた。みんなが興味を持つモノに興味を持てない。中心ではなく周縁に、メインストリームではなく、傍流に惹かれていく自分がいた。
スターウォーズ」「ガンダム」「ナウシカ」の頃。
SFブームのきっかけとなった「スターウオーズ」「ガンダム」「風の谷のナウシカ」はリアルタイムで体験したものの、ちょっと批判的に見ていた。「スターウオーズ」はSFのヒエラルキーの中でいうと「スペースオペラ」という、少しレベルの低いと言われるカテゴリーに属する作品であったこと。つまり舞台は宇宙だが、そこで繰り広げられる物語は、帝国やら皇帝やら騎士やら反乱群やら魔法やらが出てくる中世のファンタジーと何も変わらない。ガンダムも、どちらかといえばスペースオペラの範疇だし、モビルスーツの概念も、ハインラインの名作「宇宙の戦士」のパワードスーツのアイデアを借用していると思われた。「風の谷のナウシカ」の世界観も、フランク・ハーバートの「砂の惑星」シリーズにヒントを得ているのは間違いない。そんな風にシニカルな目で見ながらも、その世界はたっぷり楽しんでいたと思う。ただ10代前半から読み始めたSFによって築き上げられていた世界観は、それらの作品によって影響を受けるということはなかった。そういう意味で、自分たちは「オタク原人」だったのかもしれない。
王国の終わり。
かつてオタクは、世界の片隅に生まれた小さなコミュニティであった。彼らはドイツ軍ミリタリー系や、アニメ系など、様々な集団に別れていたが、お互いのことをそこそこ理解し合い、尊重し合って、共存していた。そこへ例のM君の事件が起きて、オタクたちは世間から、ヘンタイとか根暗とか、犯罪者予備軍みたいな目で見られるようになり、ずいぶん肩身の狭い思いをした。そのぶん彼らの中の結束は強まり、コミュニティが育っていった。しかしオタク文化が世の中に浸透していくにつれ、彼らのなかの共有意識は薄れていき、その分野も多様化し、共通言語を失っていく…。オタクに限らず、新しいムーブメントやコミュニティは、同じような歴史をたどって、生まれ、発展し、普及し、拡散し、失われていく…。30年近くオタク文化の中心にいた著者にとって、この変化は、痛いほど鮮明に感じられただろう。そこは失われゆくユートピアだったのだ。だから著者は、「オタクへの決別」を宣言するしかなかったのだ。オタク文化への思い入れとオタクたちへの愛情がたっぷり詰まった本書は、自分にとってもディープな本であったと思う。