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デイブ・カリン「コロンバイン銃乱射事件の真実」

1999年4月20日コロラド州ジェファーソン郡コロンバイン高校で起きた事件を描いたドキュメンタリーである。同高校の生徒であったエリック・ハリスとディラン・クレボルドが13人を殺害し、24人に重軽傷を負わせた。この事件に関する報道は多く目にしたし、映画も2本観た。マイケル・ムーア監督の「ボウリング・フォー・コロンバイン」とガス・ヴァン・サント監督「エレファント」。しかし「ボウリング・フォー・コロンバイン」は事件の背景ともいえるアメリカの銃社会を告発した映画であり、「エレファント」のほうは事件のあった日の被害者や犯人の日常を彼等の内面に踏み込むことなく淡々と描いた映画であり、どうして、こんなに美しい映像で描く必要があるのだろうと疑問に感じた記憶がある。本書は、10年近い時間をかけて、被害者、被害者の家族、犯人の家族、学校関係者、警察、FBIなど多くの関係者に取材し、膨大な証言や調査資料を読み込んで執筆された決定版ともいえるドキュメンタリーだ。この事件は、発生当初から多くの誤解や報道により、誤った神話が作り上げられていったという。その神話は、例えば以下のようなことだ。「学校のエリート層にいじめられていたオタクの少年が、トレンチコートマフィアというグループを結成し、復讐を遂げようとした」これらのストーリーは、メディアが作りあげたもので、事実ではないと言う。日記やビデオなど、多くの証拠が警察によって隠蔽されていた事実にも驚かされる。このような大事件に対してキリスト教が根付いた市民社会がどう反応するかというところも興味深かった。
本書で特に自分が一番知りたかったのは、二人の高校生が、どんな人生を送り、どのような過程を経て、殺人者になっていったか?という内面の変化のことだ。この事件について、あまりに知らずにいたことが多すぎた。二人は13人を殺害したが、計画では爆弾を使って数百人を殺害するつもりだったということも初めて知った。二人が綴った日記、特にディランが書いた日記を読むと、聡明だが、傷つきやすく、気弱で自信を持てない少年の鬱屈した内面が延々と語られている。自分を攻め、人生に絶望し、自殺さえ考える日々。それは痛々しいが、多くの若者が通過する青春の苦しみから大きくはみ出しているわけではない。その過程で、暴力や戦争やファシズム、終末論に憧れたりすることも少なくないと思う。しかし、ほとんどの若者は、辛く不安定な青春を何とかやり過ごして、大人になっていく。その違いは何だろう。本書を読んで、彼らが、そこから、どういう経緯で殺人者になっていったのか、という疑問の答えは見つからなかったと思う。事件を担当したFBIの捜査官でもあった心理学者にとっても、謎のままに留まっている。
どんなに幼く未熟な「悪」であろうと、その破壊力は大人の犯罪と変わらない。二人の高校生が引き起こした災厄は、はかり知れない影響を人々と社会にもたらした。殺戮は一時間足らずで二人の自殺で終わったが、被害者や被害者の家族、犯人の家族、学校関係者、警察官、救急隊員…彼らの人生は当然のことながら続いていく。最後の章では、関係者たちの「それから」が描かれている。図書館で重傷を負ったパトリック・アイランドの、懸命な生き方には勇気づけられる。大きな不幸の中で、多くの奇跡もまた生まれていたのだ。10年近い歳月を費やして生まれた本書の読後感は、静かで、重い。映画「エレファント」が描いた静謐な美しさを思い出した。