釈徹宗 内田樹 名越康文「現代人の祈り」呪いと祝い

前回読んだ内田・釈コンビの「現代霊性論」に続く対談集。今回は精神科医の名越康文が加わっている。前回の「現代霊性論」も売れているようで書店によっては平積みされている店もあるほど。宗教をテーマにした本が売れているのだろうか?本書は「呪い」と「祝い」がテーマで、相変わらずの面白さ。しかし3人のうちの釈・中越の組み合わせは、話がすれ違い、あまり盛り上がらない。やはり内田・釈の組み合わせが最高。3名のトリオ対談も面白さが爆発する。最初の「呪い」がテーマの対談で、内田樹大阪府橋下知事の政治手法について語っている部分には、ハッとさせられるところがあった。橋下知事は、府政上の問題を非常にシンプルな枠組み書き換えてしまう天才であるという。府政の問題は財政赤字であり、要するに金の分配の問題であると定義づける、このストーリーに誰も反対しないという状況を巧みに作り出した上で、今度は金を無駄に使っている犯人を探し出して、徹底攻撃するという手法である。このやり方は、明快で、一種の爽快感を府民の間に与えているが、実は危険な現象で、いわゆる学校で起きている「いじめ」と同じメカニズムだという。そして、この手法は、人間が、古代から、権力を握り、政治を支配するために使い続けてきたおなじみの手法だという。内田樹は、橋下知事個人を攻撃しても意味がないという。この手法が有効である以上、使おうとする者は後から後から現れる、と…。そこからさらに2chの匿名の書き込みに触れ、これもまた人類が古代から続けてきた「呪い」の手法だと言う。呪う者は、しばしば仮面を被るが、それによって個人の顔を失い、いわばそのコミュニティの意志を代表し、執行する者として振舞うようになるという。2chの匿名の書き込みも、個人であることを隠すことによって、自分がーあたかも世間の意志の代表であるかのように思い込んでしまうのだという。橋下知事の話にしても、2chの話にしても、今まで誰も指摘しなかった視点だ。次に面白かったのが、第3章の「顔と人格」。3名が、親鸞道元法然など高名な宗教者の肖像画を見て、その人格について語るという企画。ここでは精神科医の名越康文の発言が対談を引っ張っていく。それに武道家でもある内田の身体性やスピリチュアルに踏み込んだ話がからまり、対話は思わぬ方向に転がっていく…。宗教についての本で、ここまで面白い本はちょっとない。内田先生の語りが、ますます冴え渡る。当分は、目が離せない論客の一人である。名越康文の他の本も読んでみたくなった。