篠田節子「仮想儀礼」ようやく読了

長かった。読みづらかった。これで、個人的に「新興宗教3部作」と呼んでいる、村上春樹1Q84高村薫「太陽を曳く馬」篠田節子「仮想儀礼」を全部読み終えたことになる。「1Q84」book3が出る数日前になんとか読み終えることができた。何とか宿題をやり遂げた感じ。3作品とも2009年に出版され、上下2巻という大作(1Q84は4月16日にBOOK3が出た)であることも共通している。「1Q84」「太陽を曳く馬」は、作者自身がオウム真理教事件を、十数年かけてようやく作品にすることができたと語っている小説だ。この3作品を読み比べれば、少し違った「1Q84論」、「オウム論」が語れるのではないか、という目論みだった。物語は、ゲームビジネスに乗せられ、仕事も家庭もなくした男ふたりが、思いつきでWeb上の宗教を立ち上げるところからはじまる。「信者が30人いれば食っていける。500人いればベンツに乗れる」という金儲けが目的の宗教であるにも関わらず、宗教っぽさを極力抑える手法が受けて、信者を少しずつ増やし、一時は7千人を超えるまでに成長する。しかし教団の成長とともに、信者だけではなく、怪しい団体、怪しい人物が近づいてくる。すでに巨大化している新興宗教から持ちかけられた儲け話を断ったあたりから崩壊が始まる。あとはお決まりのコースだ。マスコミに叩かれ、信者が離れていく。一部の残った信者が、過激に走り、暴力事件まで起こしてしまう。信者の家族らは、様々な手段で取り返そうとする…。金儲けのためのインチキ宗教が、成長するにつれ、多くの新興宗教と同じ道筋をたどっていく。そのプロセスを作者は、冷酷に、執拗に、描いていく。この作品の読み辛さは「太陽を曳く馬」と違っている。インチキ宗教に集まってくる信者たちの描写が、どうにも気が滅入るのだ。夫婦や親子の軋轢、家庭内暴力、様々な虐待、リストラの犠牲者など…。社会や家庭の歪みのオンパレードだ。宗教は、そのような社会の歪みを呑み込んで成長してゆく。器は偽物でも、中身(そこに集まる信者たち)が本物であれば、信仰が成立してゆく。これは「俗」そのものインチキから始まった宗教が、いつの間にか「聖なるもの」に変貌を遂げてゆく物語なのだ。「1Q84」が「悪」が生まれる瞬間を描いた物語だとすれば、こちらは「聖」が生まれる瞬間を描いた物語なのだ。