スタニスワフ・レム「砂漠の惑星」ハヤカワSF文庫

同じ本を2度読むことはほとんどないが、本書は、その例外とも言える1冊。高校か大学の頃、初めて読み、その後2度は読んでいる。数年前に、もう一度読みたいと思って本棚を探したが見つからず、絶版になっていて書店にもなく、ネットで古書を探してようやく購入できたことがある。本書は、2006年に著者が亡くなった後、追悼特集で出版されたようだ。
著者のスタニスワフ・レムは、僕が最も好きなSF作家のひとり。ポーランド。医者・科学者・思想家でもある。最も有名な作品はソ連とハリウッドで2度映画化された「ソラリスの陽のもとに」。科学者らしい思弁的な語り口と独自の世界観・文明観で、共産圏の作家であるにも関わらず独自の地位を築いた。後期の作品になると実験的な作品が多くなり、SFというよりは前衛的な文学作品に近くなっていく。

レムのすべての作品の中で、いちばん好きなのが本書「砂漠の惑星」。1964年に出版された。「ソラリス」「エデン」とともに「ファーストコンタクト3部作」と呼ばれる。
地表のほとんどを砂漠に覆われた惑星で宇宙船「コンドル号」が消息を絶つ。数年後、捜索に訪れた宇宙船「無敵号」は、ほとんど無傷のコンドル号を発見する。生存者は無し。宇宙船内部には激しい混乱の跡が残っていた。捜索を開始した隊員たちは、巨大な都市の廃墟のような建造物や金属の植物の森を目撃する。やがて偵察隊が謎の黒雲に襲われる。人類を襲う「敵」の正体は…?
という、ありがちなストーリーに思われるかもしれないが、「ソラリス」と同じく、独自の文明論・技術論が展開されていく。

★ここから先はネタバレになるので、楽しみを取っておきたい人は、読了後にどうぞ。

はるか昔、この惑星に異星人が探検にやってきた。彼らは惑星を立ち去る時に、使用した機械を残していく。その機械には「自己複製機能」と「自己改良機能」があったため、進化と増殖を続けていった。その過程で、機械たちは、惑星の生命体との競争に打ち勝ち、地表を制覇してしまう。さらに、ある段階で機械たちは、2つの異なる方向へ枝分かれしていく。一方の進化は「ひたすら巨大化・複雑化」することだった。そしてもう一方の進化は、「小型化・単純化・分散化」していくことだった。異なる方向へ進化を遂げた機械たちは、やがて生存をかけて戦うことになる。そして勝ち残ったのが“黒雲”。敗れ去ったのが“都市の廃墟”に見えた巨大機械だった。黒雲の正体は、小さなハエのようなモジュールが集まってできたシステムだったのだ。ひとつひとつのモジュールは小さく単純な動きしかできないが、集合すると、高度なシステムを構成し、情報処理はもちろん移動や強力な磁場による「攻撃」も行えるというわけだ。敵の正体が判明すれば今度は戦争がはじまる。宇宙船の「最終兵器」とでも言うべき「戦車」が出撃する。戦車は「反物質砲」を駆使して「黒雲」と壮絶な戦いを演じる…。

本書で描かれた機械の2つの進化は、コンピューター等の「デジタル機械」にも当てはまらないだろうか。大型のメインフレームと、パソコンの小型化。グリッド・コンピューティングの考え方。そして情報サービスのクラウド化「黒雲化!?」も…。さらに最近「スマートダスト」なる概念が提唱されている。それは無線操縦される微小な飛行型の装置で、何百個、何千個という数が連携して動く。必要に応じて集合し、用が終われば離散し、小さな単位で移動する。軍事の分野で研究が進んでいるらしい。いわゆるナノテクの分野にまで拡がる概念である。「大型化・複雑化・一極集中型」と「小型化・単純化・分散型」の闘争は、現状を見る限り「小型化」のほうに軍配が上がりそうに見える。

個人的にこの作品が好きなのは、作品の中で描かれた「究極の終末のイメージ」である。主人である生命が滅びた後も、進化し続けた機械どうしが繰り広げる無機的な戦争。作品の舞台は、その「戦後」の世界である。生命が死に絶え、機械だけで創られた生態系。そのイメージは、なぜか気持ちを落ち着かせてくれるのである。この作品イメージの音楽を探したことがある。