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須賀敦子の本

数年前に初めて出会った作家。どうしてもっと早く読まなかったのだろう。須賀敦子トリエステの坂道」「コルシア書店の仲間たち」「ヴェネツィアへの旅」「遠い朝の本たち」タイトルからの印象は紀行文かイタリア生活のエッセイ風だが、中身はまったく違う。作品の多くはエッセイなのだが、読んだ印象は、エッセイの枠組みを大きくはみ出している。すぐれた短編小説を読んでいるような、抑制のきいた、透明で、しかも、ぬくもりのある文章。計算しつくされた短編小説のような緻密で、ゆるぎない構成。「トリステの坂道」は、著者が10年以上暮らしたイタリアでの生活についてのエッセイ。結婚後わずか6年で亡くなったイタリア人の夫と、その家族との交流を中心に、街や文学作品や建築について語られる。読みながら、むかし見たイタリア映画の、あの空気がよみがえって来た。「自転車泥棒」、「鉄道員」、「道」。戦後間もない時代のイタリアの無産階級のくらしというのか、静かに、祈るように語られる。須賀敦子と交流のあった精神科医の中井久夫はその文章を「清明な無常感」と表現した。

須賀敦子は、戦後すぐパリに留学し、そこでフランス語だけでなく、イタリア語を学ぶ。帰国後放送局に就職するが、2年後、勤めを辞め、今度はローマに留学する。そこでイタリア文学を学び、左派キリスト教が経営するコルシア書店に勤め、後に夫となる編集者と出会う。数年のちに、夫が急逝し、ほどなく日本に帰国。帰国後は上智大の講師などを勤める。

1985年日本オリベッティ社の広報誌にイタリア時代の生活を題材にしたエッセイを発表する。
1991年「ミラノ 霧の風景」女流文学賞受賞。
1998年、死去。

彼女が自らの作品を残すのは50歳を越えてからだ。亡くなるまでの10年あまりの間に、宝石のような作品群を残す。どうして、もっと早く彼女の作品に出会わなかったのだろう、と強く思う。そうすれば、彼女の表情や声に触れる機会もあっただろう。彼女が生み出した言葉の宝石たちをリアルタイムで味わうことができたのに…。亡くなる直前、須賀敦子は文字通りの「小説」を書こうとしていたらしい。須賀敦子の小説。それを読む機会は永遠に失われてしまった。

須賀敦子は、甲山のカソリック墓地に眠っている。一度訪れてみようと思っていて、いまだ果たせていない。