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河内 厚郎 /淀川ガイドブック編集委員会「淀川ものがたり」

海の近くで育ったせいか、住まいの近くに「水」がないと落ち着かない。社会人になってからの住まいは、ほとんど「川」の近くで選んできた。3年の東京勤務を終え、関西に戻ってきた時、いちばん懐かしく思ったのは「淀川」の存在。電車で大阪市内に向かう時、神戸方面から来ても、京都方面から来ても淀川を渡る。関西で暮らす人間にとって淀川は身体にしみ込んだ「母なる河」なのだと思う。
関西に戻ってきて、ぜひ試してみたいことがあった。それは「淀川下り」。本当は船がいいのだが、現実的なところで自転車を考えている。琵琶湖の南端の瀬田から宇治川を下り、大山崎あたりを出て、大阪湾へ向かう…。そんなことを考えていた頃、この本が出た。
「淀川ものがたり」は「淀川河歩きガイド」とセットである。「淀川ものがたり」を読むと、ますます、この河に興味がわいてきた。滋賀、京都、大阪、兵庫というのは、いわば、琵琶湖、淀川水系と呼べる流域に発達した地域である。そして、古墳時代から、明治にいたるまで、日本の歴史のかなりの部分が琵琶湖・淀川水系で動いてきたといってもよいだろう。難波宮長岡京をはじめ、多くの都が淀川沿いに生まれた。宇治川、山崎、鳥羽・伏見など、歴史の変わり目になった合戦も起きた。
また淀川の川筋は、現在と昔では、大きく異なっている。例えば淀川〜新淀川にいたる現在の流れは、明治になってから完成したこと。それまでは、現在、大川と呼んでいる川筋を経て大阪湾に注いでいたこと。また大阪の土地そのものも、戦国時代までは広大な湿地帯であり、さらに古くは生駒山のふもとにまで湾が入り込んでいたこと。宇治川、木津川、桂川が合流する淀のあたりには、巨椋池という巨大な池があったこと。淀川は、何度も氾濫し、時の為政者が、何度も治水工事を行ったこと。
日本の歴史を見まもってきたともいえる、母なる河「淀川」

この本を読んでから4年近くが過ぎたが、いまだ「淀川下り」を果たせていない。