松本 創「軌道 福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い」

2005年4月25日、JR福知山線宝塚駅9時4分発同志社前行き快速。

3年間の東京勤務を終え、予定通り4月から関西に戻っていれば、僕は、この電車に乗っていた。大阪で働いていた頃は、毎日、この電車に乗って通勤していた。宝塚が始発なので、必ず座ることができた。当時は煙草を吸っていて、ホームの大阪寄りの一番端に喫煙コーナーがあったため、乗車前に1本吸ってから、1両目か2両目に乗り込んでいた。ところが、担当していた仕事が長引き、大阪に戻るのを1ヶ月伸ばすことになった。東京のオフィスで事故のニュースをネットで見た瞬間、背中が冷たくなったことを覚えている。上空から見た、マンションの壁に巻き付くようにひしゃげた2両目の車両の姿は忘れられない。最初は、これが1両目だと誤認され、車両の数を数えて初めて1両足りないことがわかり立体駐車場に飛び込んで大破した1両目が発見されたという。

107名が死亡、562名が負傷した「福知山線脱線事故」。国土交通省航空・鉄道事故調査委員会の事故調査報告書によると、事故の直接の原因は、運転士のブレーキ使用が遅れたため、半径304mのカーブに制限速度の70km/hを大幅に越える約116km/hで侵入し、脱線に至ったとされた。また運転士のブレーキ使用が遅れた理由について、ミスに対して厳しい懲罰処分や日勤教育を行う、JR西日本の運転士管理方法が関与した可能性があるとされた。

事故で妻と妹を奪われ、娘が重傷を負わされた遺族の一人が、都市計画コンサルタントの淺野弥三一氏だった。彼は、この調査報告に納得できなかった。運転士のブレーキ使用が遅れたことも、その原因になったとされる懲罰処分や日勤教育も、ATSの未設置も「結果」でしかなく、本当の原因は、分割・民営化以降の18年の経営によって形作られた組織的欠陥だ。そう確信した淺野は、遺族の責務として、事故の原因追求と安全のための改革をJR西日本に求めてゆくことを決意する。「4・25ネットワーク」という遺族の集まりの世話人となり、JR西日本と対峙していく。彼は、本業の都市計画や震災復興の仕事で培った交渉力を武器に、JR西日本に辛抱強く働きかけていく。本書は、十数年にわたるその闘いを辿った力作である。

表面上は謝罪を口にしながら、その実態は傲慢で組織防衛に走るJR西日本。事故の責任はあくまで運転士にあり、組織や運行システム、安全対策には問題がなかったと頑なに主張を繰り返して、取りつく島がなかった。当初は一枚岩に見えたJR西日本にも、繰り返し接しているうちに、淺野の言葉に耳を傾け、自分の言葉で対話しようとしている人間もいることに気づく。その一人が、子会社から呼び戻され、JR西日本で初めて技術屋出身の社長になった山崎正男である。浅野と山崎は、遺族と加害者企業のトップという関係でありながら、同世代の技術者として通じ合うことができた。二人の奮闘が、巨大な組織を動かしてゆく。著者は、この二人の動きを軸に、国鉄の分割民営化から始まるJR西日本の歴史、それを牽引した「天皇井手正敬の独裁に遡り、さらに巨大組織の企業風土が劇的に変わってゆく過程をじっくりと描いてゆく。著者の視点は、終始淺野に寄り添うが、感情的にならず、JR西日本の人々を描くときも偏りがない。読み終えて、静かな感動に包まれる。

2017年の重大なインシデント。

安全改革が確実に進みつつあると、著者が筆を置きかけた2017年暮れ、重大事故に繋がりかねない異常が発生する。東海道新幹線 博多発東京行き「のぞみ34号」の台車部分に亀裂が見つかり運転を取りやめたトラブルである。亀裂は台車枠に長さ14cmにわたって発生し、破断寸前だった。台車枠が破損すれば、車軸を固定できず、高速走行中に脱線していた恐れもある。さらに問題となったのは、車掌や指令員、保守担当など複数の社員が異常に気づいていながら運行を続け、博多駅出発直後に車掌の一人が異音を聞いてから、3時間20分も走り続けたことだ。曖昧な報告、思い込み、聞き漏らし、言葉の行違い、確認ミス、判断の相互依存、いい加減な引き継ぎ…。まさにヒューマンエラーの連続によって、重大インシデントは発生したのだ。

2月になって、亀裂の発端とみられる事実が発覚する。台車を製造した川崎重工が台車枠に使用する鋼材を加工する際、設計基準の7mmより薄く削ったために強度が不足していたのだという。設計基準が現場の作業チームで共有されず、基準を超えて削っていたのだという。同様の欠陥は、川崎重工からJR西日本が購入した100台で見つかり、JR東海保有車両でも46台にも見つかった。川崎重工の幹部は、会見で「班長の思い違いで間違った指示を出していた。加工不良という認識がなく、情報は上に伝わっていなかった。」「現場の判断任せで、基本的な教育が欠如していた。」と現場のミスを強調するように語った。著者は、問題はそれだけでなく、同社全体の品質管理体制、JR西日本のチェック体制、引いては日本が誇ってきた「モノづくり」全体に欠陥が潜んでいることを物語っているという。日本の製造業では近年、不正が次々と発覚している。三菱自動車の軽自動車燃費試験データ偽装、日産自動車SUBARUの無資格従業員による出荷検査、神戸製鋼所のアルミ・銅製品の検査データ改ざん…。不正な行為だという認識がないまま、数十年にわたって常態化してきたケースも少なくないという。「現場力」の低下を指摘する声がある。現場を知らないために見過ごしてしまう経営陣。この現場と経営陣の分断は、80年代後半のバブル景気前後に原点があるという。利益と経営効率ばかり追求し、バブル崩壊後は、人員やコストの削減に走るあまり、日本企業全体で安全や品質という「倫理」が軽視され、おろそかになった。その結果が今、噴出しているのだと。

本書を読んで感じたこと。

事故や事件についてのノンフィクションは、できるだけ読むことにしている。どんな事故も事件も、時代の潮流とつながって発生すると信じているから。そこには、自分が、これから向かうべき方向のヒントがある。もしくは、向かってはいけない方向を警告してくれるヒントがあると思っている。本書を読んで思うのは、あの事故につながる潮流が、戦後間もない時代にあったのではないかということ。国鉄の歴史は、人員整理などで合理化を進めたい国や経営陣と反対する労働組合の闘争の歴史であった。国鉄は、最大50万人もの組合員を擁する「国労」や運転士の組合である「動労」を中心に、日本最大の労働運動の拠点となっていた。様々な労働運動によって、国鉄は赤字に転落、現場は荒廃していた。国鉄の解体と分割・民営化は、こうした状況に危機感を覚えた若手官僚による「革命」だった。その中心にいたのが井手・松田・葛西の三人組だった。誕生したJRの本州3社の中で、最も経営基盤の弱いJR西日本に赴任した井手は、自ら「野戦」というほど、現場に立ってトップダウンで民営化を牽引した。時速120km運転に対応した新型車両の開発と大量導入、在来路線を再編成するアーバンネットワーク京都駅ビルの大規模改革、旅行業や商業施設への多角化…。業績は右肩上がりで伸びて行った。こうした利益追求・成長路線を突き進む中で、安全への意識が失われていった、と著者は推測する。私鉄王国と言われる関西で、ライバルに勝つために、さらなるスピードアップやダイヤの過密化を推進。そのしわ寄せは、現場の運転士たちの負担となっていった。事故やトラブルが起きると、井手は怒って「その社員をクビにしろ」と怒鳴ったという。ミスが起きるのは現場の人間がたるんでいるからだ。プロ意識が足りないからだという精神主義だった。そこには「人間はミスをする」というヒューマンエラーの考え方は見られなかった。厳しい懲罰主義や日勤教育も、今ならブラック企業と呼ばれるだろう。こうした歪みは組織の一番弱いところを壊してゆく。それがあの朝の運転士だったのではないか?

戦後の労働闘争に始まり、分割・民営化による市場主義の導入。グローバル競争の激化による利益追求と効率化、その結果としての企業モラルの低下による事故や不正…。このような連鎖は、国鉄から民営化されたJRという特殊なケースだけはなく、フクシマの原発事故、さらには多くの日本企業にも当てはまるような気がする。そのルーツは昭和の労働運動時代に遡る。本書にも紹介されている、国鉄の解体と分割民・営化を描いたノンフィクション、牧久著「昭和解体 国鉄分割民営化30年目の真実」西岡研介著「マングローブ テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実」を読んで見ようと思う。

最後のクルマ選び その1

ほぼ20年ぶりにクルマを買い換えることにした。

いま乗っているクルマは(後述)もうすぐ20年になる。できれば、あと数年は乗り続けて、そのあとは自動運転のEVを、所有するのではなく、カーシェアサービスなどで、利用することになるんだろうな、と漠然と思っていた。ところが、昨年の夏頃からクルマの調子が思わしくなくなってきた。足回りがへたってきたのか、路面の段差や、継ぎ目を通過するショックと音が明らかに大きくなってきたようなのだ。ディーラーで点検してもらうと、サスペンションのパーツ交換が必要で、修理に数万円かかるとのことだった。「まあ近所に買い物に行くぐらいなら大丈夫です。ただ、段差にはくれぐれも注意してください」と言われた。しかし、どうしても遠出しないといけない用事があり、心配なのでパーツを交換してもらうことにした。症状は少し改善したものの、以前の状態には程遠く、足回りそのものがへたってきているようだった。同じ頃、カーナビのディスクを読み込まなくなったり、カーオーディオの電源が入らなくなったり、シートベルトの警告ランプが点灯したままになったり、と小さなトラブルが続くようになった。家人からは「来年5月の車検前に買い換え」という言葉が出てきた。

クルマのウラシマ状態。

しかし、20年も同じクルマに乗り続けていると、近年、急速に進歩を遂げているクルマ事情に取り残され、どんなクルマを買えばいいのか、皆目見当がつかなくなっていた。しかし、当初はたかをくくっていた。もう、この年齢になって、クルマへのこだわりもなくなっているのだから、まあ何でもいい。適当に選べばいいのだ、と。しかし、コトはそう簡単には行かなかった。定年を過ぎ、もうすぐ始まる年金生活。子供もいない、介護すべき親もこの世にいない、夫婦二人だけの生活。そんな暮らしにふさわしいクルマって何だろう。そして、これが僕の人生最後のクルマになるかもしれない。そう考えると、とても悩ましい問題になっていった。

最後のクルマ。

問題を難しくしている要因の一つが「今回、購入するクルマが、たぶん自分で運転する最後のクルマになる。」ということ。そう考える理由が、1昨年に90歳で亡くなった父の晩年のことだ。父は70歳を越えても自分で運転して、どこへでも出かけていたが、70代の半ばになって、運転が怪しくなってきた。車体に細かい傷ができるようになり、横に乗って観察していても、運転が雑になったと感じられた。几帳面であった父は、助手席に乗ると、シートのポジションやハンドルを持つ手の位置、さらにブレーキを踏むタイミングや交差点での停止位置までうるさく指示する人だったので、この変化は、とても気になった。ある日、通い慣れた、姉の家への15分ほどのルートで道に迷い、1時間近くかかってようやくたどり着くという出来事があった。当時から高齢者による事故や逆走などが問題になっていた。このまま放っておくと危険だと思い、姉と相談して、クルマを取り上げることにした。ちょうど父が風邪をこじらせて肺炎になって入院した時に、クルマを廃車にしてしまった。それを知った父の怒りは激しく、しばらくは母に当たり散らしていたという。この時、自分の意に反してクルマを取り上げられたことは、父のトラウマになったらしく、後に認知症が始まった時に「誰かにクルマを盗まれた」という妄想になって繰り返し現れてきた。父の運転が怪しくなったのが70代半ば以降であり、僕自身にも同じことが起きるとすれば、自分で運転できるのは、あと10年と少しだろう。

運転が下手になった。

上の話と関連するが、ここ数年で運転が随分下手になったという自覚がある。特に駐車する際にそれを強く感じる。いわゆる車庫入れが一発で決まらなくなった。1度は切り返さないと駐車スペースに収まらない。また駐車出来ても、降りてみるとクルマが斜めになっていたり、駐車スペースの片側に寄っていたりする。このぶんで行くと、あと数年で、晩年の父のように、車体に小さなキズをいっぱいつけることになるかもしれない。老化によって、男性ホルモンの一種であるテストテトロンが減少するという。このテストテトロンは、男性的な身体特徴を形づくり、攻撃性を高めるほか、空間の把握や、距離や速度の把握能力を高める効果があるという。老化によって、運転が下手になるのは、テストテトロンの減少によるもだという説がある。女性の場合は、老化によって、女性ホルモンの分泌が減ると、相対的にテストテトロンの比率が高まり、クルマの運転が上手くなったりすることがあるらしい。運転が下手になって、危険な状態になる前に、運転免許を返上しようと思っている。その頃には、カーシェアや自動運転など、新しいサービスや技術が実用化されていることだろう。自分でクルマを所有したり、運転しなくてもモビリティを確保できる時代が来ることに期待しよう。というわけで、「人生最後になるかもしれないクルマ選び」の始まりだ。

20年乗ってきたクルマ。

新しいクルマ選びについて語る前に、20年近く乗ってきたクルマについて記しておこう。トヨタのビスタ・アルデオというモデルである。名前を聞いて、クルマの形が思い浮かぶ人は少ないのではないか。不人気の名車と呼ぶ人もいる。カムリから派生したビスタは、1998年、カムリとはまったく違う系統のクルマとなってデビューする。5ナンバーの枠の中で最大限の居住空間を追求したセダンというのが売り物だった。実際、車高が高く、キャビンが広く、座席は、クラウン並みに広かった。コラムシフトの4速ATというのも珍しかった。このビスタの、ステーションワゴンがアルデオである。とても地味なクルマで、あまり人気がなかった。そのせいか、よく人に「このクルマ、何ていう名前ですか?」とよく聞かれた。その前は10年ほどパジェロに乗っていたから、「自動車好きの人が、なんでこんな地味なクルマを選んだんですか?」とよく聞かれたものだ。

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空気のようなクルマだった。

アルデオを選んだ理由は、当時の自動車を取り巻く社会の状況の変化と、僕自身のクルマに対する気持ちの変化にあった。当時、初代プリウスがデビューし、クルマは急激にエコに向かっていた。さらにトヨタメルセデス燃料電池車の開発を進めており、化石燃料を使う自動車は、早晩消え去る運命にあると思っていた。そんな時代に高性能なスポーツカー、馬鹿でかいRVなどは無用の長物と思われた。「もうクルマに趣味性を求めるのは止めよう」という思いから、スポーツカーやRVとは正反対の地味なファミリーカーを選んだのだ。運転しても全然面白みはなかったが、同乗者には、広くて快適なキャビンが好評だった。CMはアルデオ星人というへんなキャラクターが登場する、商品の特性をまったく伝えない内容であり、不人気の原因のひとつがCMのせいではないかと思っている。後に女優の鶴田真由を起用して「キャビン・ファースト」という、まともなコンセプトの広告を展開するようになった。その当時、僕自身も、自動車に対する興味を急激に失いつつあった。そのきっかけは、1995年の阪神大震災だと思う。十代の頃から30年以上愛読していたCAR GRAPHICの購読をやめ、創刊号から買い続けてきたNAVIも買わなくなっていた。クルマでドライブに出かけることも極端に少なくなっていった。僕は「自動車好き」を卒業したのだ。今から考えると、あの頃は、クルマ、バイク、オーディオといったメカニズム信仰が終焉を迎えつつあったのだと思う。オーディオの仕事がしたくて、広告の世界に入った自分だったが、市場は縮小する一方で、オーディオの仕事はほとんどなくなっていた。ちょうど同じ頃、「若者のクルマ離れ」が話題に上るようになっていた。アルデオは、そんな時代と僕の変化の象徴だった。この日記に載せようと、アルデオが写ってる写真を探してみたが、驚いたことに、20年近い期間の写真ライブラリーの中に皆無だった。旅行やドライブなど、あちこちに、このクルマで出かけたはずだが、まったく写っていない。まるで空気のように、20年近くの年月を一緒に走り続けてきたアルデオが、昨年あたりからくたびれてきたのは冒頭に書いた通りだ。購入した最初の年にミッションを交換した以外は、故障らしい故障もなく、エンジンは今でも快調そのものだが、足回りがへたってきたのである。同乗者には好評だった快適な乗り心地が失われると、このクルマの魅力が半減するように感じられた。「あわよくば、自動運転&ライドシェアの時代まで、あと数年は乗りたい」と思っていたが、結局叶わなかった。

クルマの進歩に取り残された浦島太郎のクルマ選び。

空気のようなクルマに20年近く乗り続けたあと、クルマの進歩から取り残されてしまっていた僕は、昨年の秋頃から、最新のクルマ事情を知るべく情報収集を開始した。仕事の上では、EVや自動運転のテクノロジーに関する企画に関わっていたので、10年〜20年先のクルマに関する知識はかなりリサーチしていた。しかし、今、自分が買えるクルマに関しての情報や知識は皆無だった。

 

山折哲雄・上野千鶴子「おひとりさまvsひとりの哲学」

面白すぎて、いっきに読了。痛快対談。

意外な組み合わせに興味をひかれて購入。上野は「おひとりさまの老後」「男おひとりさま道」「おひとりさまの最期」など、独居老人のリアルな老後を考察した「おひとりさま」シリーズを著した社会学者。彼女は、西洋的な合理主義で無神論を貫き、「死後の世界など要らない」と過激である。いっぽう山折は「ひとりの哲学」「ひとり達人のススメ」などの著書がある高名な仏教哲学者で、死についての著書も多い。

冒頭から戦闘モードの上野がくりだす言葉のパンチに山折は翻弄されっぱなし。真正のおひとりさまである上野は、妻子もある山折を「ニセおひとりさま」と決めつけ、先制の一撃を放つ。その後も、上野の執拗な攻撃に、山折は防戦のいっぽうである。どちらかというと「ひとり」の思想的な面のみを考察している山折は、老後をどう生きるかという実践を追求する上野のリアルなつっこみに反論することができない。

野垂れ死に願望は思考停止

日本の思想の中に、「単独者」の系譜が連綿とあり、世間から背を向ける世捨て人、流れ者、放浪者など、西行に始まり、鴨長明松尾芭蕉へと続く流れがある。上野は、彼らが、放浪といいながら、日本中いく先々に受け皿があり、弟子たちが待ち構えていて、歓待してくれる。それで何が世捨て人だ、放浪者だ、と疑問をぶつける。近年では、種田山頭火や尾崎放哉がいるが、上野は、彼らの作品をいちおう評価するものの、山頭火は「赤提灯のおじさん好みのセンチメンタリズム」、放哉も、「生き方は、知人に無心の手紙をいっぱい書くなど、甘ったれている」と批判する。また鴨長明の「方丈記」やソローの「森の生活」にあこがれる男性が多く、ひとりで世捨て人のように人里離れたところで世間に背を向けて暮らしたいという。彼らに「最期はどうするのか?」と聞くと「野垂れ死にしたい」という。上野はそれを「野垂れ死にの思想」と呼び、思想だけで実践した人を見たことがないという。男たちの「野垂れ死に願望」を、彼女は「自分の老いと死に対する思考停止」と切り捨てる。沖縄のある島に、高齢の男たちがひとりで移り住み、誰ともつきあわず、現地の医療や介護を受けながら、死んでいくという。ひとりで死ぬのなら、人の手を煩わせずに死ねばいいのに。せめて不動産を購入するなど、現地の経済に貢献しろよ、と上野はいう。彼女がバッサリ切り捨てる男たちの「甘ったれたロマンチズム」や「野垂れ死に願望」は、そのまま読者である僕自身のものだ。放浪の生涯を送った西行山頭火は大好きだし(円空も)、ソローの「森の生活」にも強い憧れがあり、できもしない自然の中の簡素な小屋ぐらしを夢想している。しかし、男たちの身勝手な夢想を容赦なく切り捨てる上野のラディカルさには、反発を覚えるよりも、一種の痛快さを感じてしまう。

なぜ男たちは最期の最期に宗教に救いを求めるのか?

若い頃は、人間は死んだら遺体というゴミになると考えていた山折も、最近は、死んだら土に還るのだ、と思うようになったという。いっぽう上野は、高名な近代合理主義の知性である加藤周一中井久夫、さらに彼女が師と仰ぐ吉田民人が、晩年になってカトリックに入信したり、仏教に傾倒していったことにショックを受けたという。死後の世界など要らないときっぱりと割り切る上野にとって、男たちの、このような「転向」は裏切りのように感じられるのだという。対談は、このように上野のいらだちや攻撃がリードする形で最後まで行ってしまう。結局、ふたりの対話は噛み合うことなく、すれちがいで終わってしまう。それでも本書が面白いのは、ひとりで生き、ひとりで死んでゆく覚悟を決めた上野の潔さと、彼女の言葉に反論もせず、ゆったりと戸惑う山折の人柄が、すれ違いながらも、豊かに響き合っているせいだろうか。

有栖川有栖「幻坂」

ちょっと寄り道読書。昨年3月に散策した天王寺七坂を題材にした短編集ということで購入。著者の作品を読むのは初めて。「大阪ほんま本大賞」というのがあるそうで、『大阪の本屋と問屋が選んだ、ほんまに読んでほしい本』ということらしい。本書は、2017年度第5回受賞作である。

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大阪は平坦な土地だとずっと思っていたが、実は、住之江のあたりから北にむかって、高さ20mほど、幅2kmほどの上町台地が伸びている。古代以前、この上町台地は大阪湾に突き出た岬で、あとは海だったという。その後、淀川や大和川による堆積によって、大小の洲や島が生まれ、大阪という土地ができあがっていった。聖徳太子が建立したという四天王寺は、この上町台地の西の端の崖の上にあり、その先は海だったという。四天王寺の西側の谷町筋から松屋町筋に向かって崖を下るのが天王寺七坂である。この一帯は、驚くほどお寺が密集しており、大阪でもっとも古いたたずまいが残っているエリアである。中沢新一の「大阪アースダイバー」によって、上町台地と大阪の成り立ちを知り、新之助の「大阪高低差地形散歩」によって天王寺七坂の存在を知り、昨年春に友人を誘って七坂を歩いてみた。北から「真言坂」「源聖寺坂」「口縄坂」「愛染坂」「清水坂」「天神坂」「逢坂」。ミナミの喧騒のすぐ近くに、こんなに静かで風情ある場所があるのかと驚かされる。

7つの坂をめぐる9つの怪談。

作品は、すべて怪談といってもいいと思う。著者は、それぞれの坂の歴史や伝説をかららめながら、現代の怪談・奇譚として語ってゆく。あまりこわくはない。喪失や死別のせつなさや哀しみを淡々と語っていく。「口縄坂」は坂に棲息する美しい白猫の話で、そういえば散策の途中、やけに猫が多い坂があったことを思い出した。あれは口縄坂だったか…。最後の2編は、現代ではなく、松尾芭蕉の最期と、歌人藤原家隆が出家して庵を結んで往生した話を題材にしている。本書を読んで、また、あのあたりを散策したくなった。

 

桃田健史「EV新時代にトヨタは生き残れるのか」

自動車産業の動きが激しい。
少し前から自動車関連の仕事に関わる機会があって、自動車産業のトレンドを継続的にウォッチしている。しかし、ここ1〜2年の自動車産業の動きは、激しすぎて、その全貌が見えない。特に本書に書かれているような「EVブーム」は、2016年の後半あたりから唐突に始まったような気がする。いったい何が起きているのだろう。その答を知りたくて、本書を購入。著者自身が、世界中の自動車産業を訪ね歩いた生々しいルポには説得力がある。本書は2017年12月のはじめに購入したが、その後も自動車メーカーによるEVをめぐる動きは激しい。2018年1月のCESでも、様々なニュースが飛び込んできた。自動車の未来をめぐる動きから目が離せない。同様のテーマで、井上久男「自動車会社が消える日」も読了。

2017年、突然のEVシフト。
2015年頃では、環境対応車といえばHV(ハイブリッド車)が主流で、PHV(プラグインハイブリッド車)という中継ぎを経て、将来的には、水素を燃料とするFCV(燃料電池車)になっていく、みたいなイメージを漠然と持っていた。EV(電気自動車)は、電池の制約によって、走行距離が短く、都市部におけるコミューター的役割が主体になるだろうと言われていたと思う。それが、2016年後半から、いきなり「EVブーム」といわれても納得できないのである。

現在は第5次EVブーム!
本書によると現在のEVブームは第5次EVブームだという。そうなんだ。昔からEVはあったんだ。ちなみに「第1次」は1900年代の自動車の黎明期で、自動車全体の約40%が電気自動車だったという。蒸気自動車が40%で、ガソリン車が20%だったという。その後、ヘンリー・フォードがガソリン自動車を大量生産して、劇的に価格が下がり、電気自動車も蒸気自動車も瞬く間に駆逐されてしまったという。第2次は、1970年代石油ショック、マスキー法時代。第3次は、1990年代、米国カリフォルニア州のZEV法の施行による。第4次は、2009年、オバマ政権が掲げたグリーン・ニューディール政策による。この時、テスラのモデルS、日産リーフなどが誕生。中国も全土で国家プロジェクト「十城千両」を推進した。しかしEVバブルがはじけ、EVブームはあえなく終わりをつげる。では第5次EVブームはなぜ起きたのか?

きっかけはVWディーゼル不正だった。
著者によると、このような唐突な「EVブーム」には必ず仕掛け人が存在するという。それがジャーマン3と呼ばれるドイツの自動車メーカーである。きっかけは2015年VWディーゼル不正だったという。排ガス検査で有利になる不正なソフトウエアを搭載したディーゼルエンジン搭載車を世界で1000万台以上販売していたという大スキャンダルである。この事件によりVWのブランドイメージは地に落ち、不正に関わった経営陣は辞任。欧州におけるエコカーの主力であったディーゼルエンジン車も信頼を失った。窮地に立たされたVWは戦略を大きく転換する。2016年6月に発表された新中期経営計画「TOGETHER Strategy 2025」では、2025年までに30車種ものEVを販売すると発表。この数字は2017年8月には50車種に拡大され、業界関係者を驚かせたという。VWに続き、ダイムラーBMWも「EV化」に舵を切った。著者は、ジャーマン3がEV化に踏み切った理由のひとつが、ハイブリッド車で先行するトヨタやホンダの締め出しだったという。

IAAではEVシフト一色。日系メーカーは沈黙。

2017年9月、フランクフルトで開催されたIAA:国際自動車ショー。話題はEVに集中した。ダイムラーBMWVWグループからなるジャーマン3は、量産型のEVやEVのコンセプトモデルを記者会見の主役に据え、今後5〜8年ほどで一気にEVシフトすると表明。これによって、世界的なEVブームに拍車がかかったという。その中で、EVに最も積極的なのは、VWで、2025年には年に約300万台のEVを発売し、そのうちの半分150万台は中国向けになることを発表。さらに2050年までに50車種以上のEVを世界各地で投入するという。BMWも、2025年までに25車種の新型電動車を投入し、そのうち12車種はEVとなることを発表した。そして真打ちであるダイムラーは、メルセデスのEVブランド「EQ」で量産が決まっている2台をメインステージに据えて、EVシフトをアピールした。1台はメルセデスの上級ブランドAMGの最上級スポーツカー「プロジェクトワン」1.6リッターV6ターボエンジンをミッドシップに置き、前後輪に4基のモーターを装備。合算出力は740キロワット(1000馬力)のハイブリッド車。もう1台は、全長4.3mの小型3ドア車「EQA」。最高出力は200キロワット(272馬力)、航続距離は400キロメートルで、2019年に発売され、明らかに米国テスラの「モデル3」をライバルとしているという。さらに小型車ブランド「スマート」で欧州と北米で販売する全車種を2020年までにEV化すると発表。またライドシェアリングに対応する次世代スマート「スマートビジョンEQ フォーツー」を公開し、EV、自動運転、シェアリングサービスを融合させたビジネスを促進する姿勢を強調した。一方、日系メーカーは、IAAにおいて大きな動きを見せなかったという。

中国とインドも、EVへ。
さらに世界最大の自動車市場である中国も、2019年から施行するNEV法(ニューエネルギービークル法)で、EV時代をリードすべく、動き出した。そこでも、プリウスなどのハイブリッド車は、NEVとは認められないという。(プラグインハイブリッド車はNEVと認められる)また、インド政府も、「2030年までにインドで発売する自動車をすべてEVとする」と発表。

自動車の新潮流、3VとMaaS。
著者によれば、いま自動車産業に起きている潮流は、3つのVとMaaSという概念に集約されるという。EV(エレクトリックヴィークル:電気自動車)、AV(オートメイテッドヴィークル:自動運転車)、CV(コネクテッドヴィークル:ネットにつながった自動車)、そしてライドシェアのようなMaaS(モビリティ・アズ・ア・サービス:サービスとしてのモビリティ)である。ダイムラーは、この潮流をCASE(Connected、Automated、Service、Electric)という戦略で集約した。彼らによれば、3VとMaaSは別々の潮流ではなく、融合、一体化して新しい自動車ビジネスが生まれてくるという。

 アップル、グーグルがEVを諦めた理由。

アップルもグーグルも、一時期、自動車の製造をめざして自動運転の研究・開発を進めていた。しかし、両社とも現在は、ハードとしての自動車の製造を諦め、自動運転のためのソフトウエアやクラウドとの連携などの「システム」に集中する道を選んだ。著者は、両社がEVを諦めた理由を、VWからはじまった世界的なEVシフトの潮流ではなかったかと推測する。

EVブームに遅れをとった日系メーカー。

著者は、トヨタをはじめとする日系のメーカーが、世界的なEVブームに取り残されているという。トヨタは、2017年になって、エコカーの路線を変更。HVから、PHVを経て、将来はFCVに移行していくというロードマップを修正せざるを得なくなったのだ。2016年12月には社長直轄のEV事業戦略室を立ち上げ、2017年9月には、マツダデンソーとEVを共同開発する「EV C.A.スピリット」が設立された。日産も、2017年9月、カルロス・ゴーンCEOがパリにおいて、ルノー三菱自動車が連携して事業を進める「アライアンス2022」を発表。2022年までに新たに12車種のEVを投入するという。ホンダも、長期の事業戦略「2030年ビジョン」の中で、2030年までに世界で販売する四輪車の3分の2を電動車にすると発表。その中心となるのはPHV、FCV、EVだが、ホンダには、太陽光などの再生可能エネルギーを利用して水素を創り出すインフラも含めた「ダブルループ構想」がある。燃料電池車を開発している自動車メーカーで、独自の水素ステーションを開発しているのはホンダだけだという。しかし独自の理念、ビジョンと、自前技術にこだわってきたホンダも、EV時代になると、すべて自前で済ませるわけには行かず、他社との協業に舵を切ったという。日立オートモーティブシステムズとモーター開発で合弁企業を設立。自動運転ではグーグルから分社したウエイモと技術提携を行う。他にも、マツダ三菱自動車、スズキなど、日系自動車メーカーのEVシフトを紹介する。

EV普及のカギを握るのは充電時間の短縮と電池の開発。

著者によると、EV普及の最大の壁は、充電時間の長さだという。日産リーフの場合、通常充電で8時間、急速充電でも80%を充電するのに30分を要する。しかも急速充電ステーションの数が少ないため、自分の前に3台が待っていると、1時間半も待つことを覚悟しなければならない。この充電時間をいかに短くするかがEV普及の鍵となる。ポルシェは、2015年9月のフランクフルトショウで、EVのコンセプトモデル「ミッションE」を発表した。このモデルは満充電で500kmが後続距離を実現。さらにポルシェ・ターボ・チャージングと呼ばれる急速充電で満充電の80%まで15分で行う。今後は、このような大出力による急速充電への対応が不可欠になっていくという。

充電方式は、日本の東電や日系自動車メーカーが進めるチャデモ(CHAdeMO)、ドイツとアメリカが進めるCCS、そして中国の国家企画GBで定める独自方式があり、デファクトスタンダードを巡ってしのぎを削っている。ここでも下手をすると日本が推進するチャデモはEVの世界潮流から取り残されてしまう可能性があるという。

高出力の急速充電システムの量産が現実味を帯びてくると、それに対応したリチウムイオン2次電池の開発が不可欠になる。第4次EVブームでは、日産など自動車メーカーを中心にEV用2次電池の開発が加速したが、ブームが予想より早く終わってしまったため、各社は開発や投資計画の見直しを余儀なくされたという。いっぽう中国は、第4次EVブームが終わった後も、リチウムイオン2次電池の製造設備を日本や韓国から買い入れ、オバマ政権のグリーン・ニューディールの失策により倒産した米の電池メーカー数社を買収。さらに日本から技術者を高給で短期間雇い入れることにより、生産技術を高め、量産コストの大幅な低減を実現し、EV技術の世界制覇に向けて力を蓄えていった。そして2017年、ジャーマン3が仕掛けた第5次EVブームが突然やってきた。しかもジャーマン3は、急速にコスト競争力を高めた中国の電池メーカーと密接な関係にある。リチウムイオン2次電池でも日本は、取り残される可能性があると著者は警告する。

国が牽引して、一刻も早く、オールジャパン体制を。

著者は、EVをめぐる内外の動きを紹介しながら、100年に1度の変革期への日本企業の対応の遅れを危惧する。最後の章で、著者は、経産省の強いリーダーシップが必要だと主張する。国が自動車産業の未来を描き、自動車メーカーや自動車部品メーカーの合従連衡を促してまでも、業界全体をグイグイと引っ張っていくべきだという。その一環として日本版ZEV法の導入もありえる。こうした自動車産業の大手術を行うためには、経産省内に、国土交通省警察庁総務省から精鋭を集めた、モビリティ産業局を新設すべきだと著者は主張してきたという。

自動車部品メーカーは、カーディーラーを買収せよ。

EV化が進むと、1台あたりの部品点数が大幅に少なくなる。さらに共通プラットフォーム化で、部品メーカーの数は現在の十分の一にまで減少する可能性があるという。自動車部品メーカーにとっては、これから茨の道が待ち受けているという。そこで著者は、これまで自動車部品メーカーが発想しなかった大胆な事業の転換を提案する。その一例が、赤字のカーディーラーを買収して、モビリティ・サプライヤーに再生するビジネスである。

テスラはEVベンチャーの参考にならない。

第4次EVブームから現在まで、多くのEVベンチャーが立ち上がり、そのほとんどが消えていったという。著者は、EVベンチャーの多くが、テスラを目指していることが気になるという。テスラは、独自の資金調達、政界や自動車メーカーへの強力な働きかけなどで、かろうじて現状を維持しているにすぎず、成功事例と呼べないという。世界市場ではジャーマン3がEVシフトを急ぎ、それを受けて、トヨタを中心とするオールジャパンの体制が立ち上がろうとしている今、EVベンチャーが生き残る道はどんどん狭まっているという。その中でEVベンチャーに残された唯一の道が、オールジャパン体制の中に「EVベンチャー枠」を設けてもらい、その枠の中で、独自のサービス事業を創出することにあるという。

トヨタは生き残れるか?

著者は、ジャーマン3が仕掛けた「EVシフト」は、プリウスを基盤にトヨタが築きあげてきたハイブリッド王国に対する宣戦布告であるという。その戦法は、マーケティング手法により、EV、自動運転、コネクテッド、それぞれの技術をMaaSという、いまだ事業の形態がしっかり確立されていない枠組みの中に取り込み、トヨタや日系メーカーが得意とする技術オリエンテッドとは別の時間軸で、一気に次世代自動車での事実上の標準(デファクトスタンダード)を狙うというものだ。トヨタとしての対抗策は、ただひとつ。真の意味での「オールジャパン」を狙うことだという。

 

NHKスペシャル「激変する世界ビジネス “脱炭素革命”の衝撃」

石油の国で、世界最大の太陽光発電所を建設。

冒頭から、いきなり衝撃が来る。世界でも有数の産油国であるアラブ首長国連邦アブダビで建設が進む世界最大の太陽光発電所。太陽光パネル300万枚を使用し、原発1基に相当するというこの発電所から生まれる電力のコストは、日本の火力発電所の1/5だという。次の場面は、今年11月にドイツのボンで開かれたCOP23の模様。米国の金融大手が揃って「再生可能エネルギービジネス」への投資を拡大している現状を伝える。パリ協定からの脱退を宣言したアメリカからも、有力な政治家や大企業が参加し、「トランプは、ここにはいないが、我々は、この場所に留まる。決して逃げない!」と声を上げる。コカコーラ、マイクロソフト、ウォルマートなど、大手企業が「脱炭素」に舵を切った経緯が語られる。そして中国も、習近平自らが「我々がエコ文明をリードする」と宣言。世界中で起きている脱炭素シフトの潮流を紹介したあと、番組は日本に目を向ける。日本からもリコーなど、環境経営をリードする企業が参加しているが、他国からは非難が集中する。日本政府は、アメリカと共同で世界中に高効率の火力発電所を建設しようとしているからだ。環境ビジネスを推進するコンサルタントも、参加した日本企業の担当者に「日本には、優れた技術も、資金も、人材もあるのに、なぜ19世紀のエネルギーにこだわるのだ。あなたたちのライバルである中国は、すでに未来に向かって方向転換を進めている。」と迫る。

温暖化による異常気象は、大きなリスクになっている。

アメリカの大手スーパー、ウォルマートの担当者は、最近、発生した巨大ハリケーンがウォルマートにも甚大な被害をもたらし、多くの損失が出たことを語る。店舗の屋上に太陽光発電を設置するなど、環境対策に取り組んだ結果、年間1000億円のコストを削減することができて、それはそのまま利益になったと誇らしげに語る。英国の保険会社アビバも、温暖化による異常気象は、保険会社にとって、将来的に大きなリスクになると予測。今後は、化石燃料に関わるビジネスからの投資を引き上げるという。日本の電源開発にも、脱炭素化を再三提案したが、受入れられず、投資の引き上げを行うという。

日本企業技術者の悔し涙。日本が遅れる理由。

COP23に参加した日本企業の会合に呼ばれた投資家の辛辣な言葉を聞いて、日本の建設会社が進める洋上風力発電の技術者が悔し涙を見せる。彼は十年にわたって、洋上風力発電のプロジェクトを進めてきたが、実際に建設されたのは長崎の五島列島の1基のみ。まだ1円の利益を生み出していないという。番組は、日本で再生可能エネルギーへの転換が進まない事情を、全エネルギーの27.7%が再生可能エネルギーというドイツと比較する。ドイツでは太陽光、風力など、再生可能エネルギーを優先的に送電網に送ることができるのに対して、日本では、再生可能エネルギーの発電量が不安定なことや容量不足などを理由に既存の送電網に送ることができないという。

僕の感想。

グローバル資本主義が、本気で地球の環境のことを考えているかどうかは疑問だが、温暖化による異常気象の荒波が、ようやく彼らの足元を洗い始めたようだ。そして彼らの多くが「脱炭素」のほうにビジネスチャンスを見出しているのは明らかだ。番組の中で紹介されていた、日本が進めている「高効率の石炭火力発電所」の輸出は、現状では意味のある話なのかもしれない。しかし僕には、原発の再稼動にこだわる日本の電力ファミリーが苦し紛れに打ち出した戦略のようにしか見えない。ほんの一部の人々の利権を守るために、日本は、世界の潮流から背を向けようとしている。3.11のあと、日本は、脱炭素へ転換する絶好のチャンスを与えられた。しかし、結局、それを活かすことができなかった。NHKオンデマンドでも配信中。

中井久夫「いじめのある世界に生きる君たちへ」いじめられっ子だった精神科医の贈る言葉

いじめに苦しんだ経験がある高名な精神科医による、奇跡のような本。

前回のエントリー中野信子「ヒトは『いじめ』やめられない」のレヴューを読んでいて、見つけた本。著者は、高名な精神科医中井久夫。本文は100ページ足らず。文字も大きくて、文章もやさしく、小学校の高学年なら読めるレベル。大型書店で購入し、帰りの電車の中で、30分ほどで読み終えた。そして、ほんとうに驚いた。「いじめ」について、これほど平易に、これほど短く、それでいて、これほど高い精度で書かれた本を読んだことがない。すべてのいじめられている子どもたちに、この本を読ませてあげたい。

著者には「いじめの政治学」という論文があり、本書は「僕の論文を子どもが読めるようにしたい」という著者の願いから生まれた本だという。著者は、戦時中にいじめを受けたことがあり、数十年経った初老期まで、いじめの影響に苦しんだという。そんな著者による「いじめ」の考察は、やさしい言葉で語られていても、読んでいて、息苦しくなるほど、生々しく、恐ろしい。

著者によると、いじめはとは、他人を支配し、言いなりにすることであるという。そこには他人を支配していくための独特のしくみがあり、それはなかなか精巧にできているという。うまく立ち回ったり、力を見せつけたり、いじめをめぐる子どもたちの動きは、大人もびっくりするぐらい「政治的」だという。いじめが進んでいく段階を、著者は、「孤立化」「無力化」「透明化」という3つの段階で説明する。そして、このプロセスは、人間を奴隷にしてしまうプロセスだという。この本は、究極ともいえる簡潔さで書かれているので、内容を要約するのは愚の骨頂だが、「透明化」の中の、ほんの一部分だけを引用してみる。

「このあたりから、いじめはだんだん透明化して、まわりの眼に見えなくなってゆきます。『見えなくなる』というのは、街を歩いているわたくしたちに繁華街のホームレスが『見えない』ようにです。あるいはかつて善良なドイツ人たちに強制収容所が『見えなかった』ようにです。」

「しかし、何より被害者を打ちのめすのは、自分が命がけで調達した金品を、加害者がまるでどうでもいいもののようにあっという間に浪費したり、ひどい場合、燃やしたり捨てたりすることです。被害者が一生懸命やったことも、加害者にとってはゼロみたいなものだと見せつける行為です。」

いじめの被害者や親が、いじめのプロセスを理解するだけで、いじめに対する態度が大きく変わってくると思う。ぜひ手に入れて読んでほしい。本書の元になった論文「いじめの政治学」は、著者の第三エッセイ集「アリアドネからの糸」に所収。