柳広司「風神雷神」

2015年、京都国立博物館で開かれた「琳派展」において、宗達光琳、抱一の「風神雷神図」が一堂に会した。宗達の「風神雷神図」は、他の2点とは「次元が違ってる」と感じた。作品が放射しているオーラが桁違いに強い。日本画の絵師の中で、俵屋宗達伊藤若冲は、最も気になる存在である。その宗達を主人公にした小説が出た。著者はベストセラーになった謀略ミステリー「ジョーカー・ゲーム」を描いた柳 広司。

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高名だが、その生涯は不明な部分が多い。

琳派の開祖と言われ、残された作品も多いが、宗達の生涯には不明な部分が多いという。生没すら不詳。残した言葉もほぼゼロ。要するに人物像がよくわからないのである。小説家にとって、それは、難しいと感じられると同時に、自由に人物像を創作できる面白さもあるだろう。頼りになるのは、残された多数の作品のみ。小説家は、それらの作品の変遷を通じて、俵屋宗達という人物の全体像を造形していかなくてはならない。太っていたのか?痩せていたのか?背は高かったのか?低かったのか?どんな顔つきだったのか?…。著者である柳広司は、「ジョーカー・ゲーム」では、読者の意表をつくトリッキーなストーリー展開で読ませてくれた。あっと驚くような宗達像が期待できそうだ。

わりとオーソドックスな宗達像。

主人公の伊年は、京で繁盛する扇屋に養子でもらわれてきた少年。ふだんからぼーっとしたところがあり、店の者たちは「大丈夫やろか」と心配している。しかし扇絵を描いたり、過去の作品の模写をしていると時は、まわりが声をかけても気づかないほど集中する。「絵のこと以外は目に入らず、いつもぼーっとしていて、周囲から不安がられている変人」という人物像は、無難な線ではある。この人物に、豪商の若旦那・角倉与一、紙屋の宗二、本阿弥光悦、公卿の烏丸光広などの人物がからみ、信長から秀吉、家康へと、激しく移り変わる時代を背景に、物語は語られてゆく。

作品をたどることで、ストーリーが進んでいく。

当然ながら、宗達の足跡である作品をたどることで、ストーリーが展開していく。厳島神社の「平家納経」の修復に始まり、角倉与一、本阿弥光悦らと作り上げた「嵯峨本」「鶴図下絵和歌 巻」「養源院襖絵・杉戸絵」「舞楽図屏風」などが登場する。著者は、これらの作品が生まれた経緯や描く過程を丁寧に描き上げていく。作品が生まれるエピソードは、それなりに楽しめるのだが、「目で見るもの」を「言葉で表現する」もどかしさは否めない。どうしても「概念的」になってしまうのだ。それは絵画や彫刻など、美術を題材にした文学作品が落ち込むジレンマだ。幸い、取り上げられた作品の多くは、僕自身が実際に目にしたことがあるものだったので、「絵」を思い浮かべながら、読み進むことができた。本書を読もうという人は、上にあげた作品を、画集やネットで探しながら、読んだほうがいいと思う。

宗達と女たちと、風神雷神

本書のタイトルは「風神雷神」である。下巻の「雷の章」も後半になり、あまりに有名なこの作品を、著者がどう料理するのか、期待が高まっていく。宗達はなぜ「風神雷神図」を描いたのか?あの大胆な構図は、どうやって生まれたのか?いつ、どこで、どのように描き上げたのか? 期待があまりに大きかったので、結末はちょっと肩透かしである。妻のみつ、上巻から登場する出雲阿国、光悦の娘、冴という3人の女たちが揃って「風神雷神図」を見る場面で、読者は、著者が仕掛けた壮大なエンディングを体験する。風神と雷神とは何者なのか?光悦の娘である冴が宗達を恐れた理由、宗達の妻であるみつが烏丸光広を恐れた理由、出雲阿国が最後に見たかったものがあきらかになる…。これ以上はネタばれになるので書かないでおこう。

京都国立博物館で「風神雷神図」に遭える。

 本書が出た2017年、10月3日から、京都国立博物館・開館120周年記念の「国宝」展が開かれる。「風神雷神図」も出るらしい。本書のカバーには割引券が付いている。本書を解説書代わりに、宗達に会いに行くのもいいかもしれない。

辻邦生「嵯峨野明月記」を読みたくなった。

本書に登場する本阿弥光悦俵屋宗達、角倉素庵の3人が主人公の小説をずいぶん前に(十代後半だったか)読んだことを思い出した。辻邦生「嵯峨野明月記」。3人の独白で語られる「嵯峨本」成立の物語。光悦や素庵の人物イメージはなんとなく残っているのだが、宗達がどのような人物として描かれていたのか、まったく記憶がない。もう一度読んでみようか。

高城剛「不老超寿」

「ドローン」の次は「医療」かよ!

著者の高城剛にはいつも驚かされる。デジタルメディアのクリエイターとして活躍しているかと思ったら、突然、会社や財産をすべて処分して、世界中をLCCを駆使して移動する生活を送ったり、専用の炊飯器を持ち歩いて「発芽発酵玄米」しか食べない健康食生活を送ったり、ドローンに 1千万円以上つぎこんだり…。著者のことを信用できないという人もいるが、時代のトレンドをいち早く読みきり、それに合わせて自らのライフスタイルを素早く切り替えることで、したたかに生き残っていく才能は、なかなかのものだ。そして今回は、先端医療である。

超先端医療で「膵臓がん」が見つかった。

著者は1年ほど前、「最新のテクノロジーが医療をどう変えていくか」というテーマで、世界の医療の最先端の研究者や企業を取材して本を書こうとしていた。「デジタル技術がいよいよ生命科学と融合し、人類は新たな進化を遂げ、150歳まで生きられる時代が来たのではないか」と考えたのだという。取材のための1ヶ月にわたる米国滞在から帰国した直後、著者は、膵臓がんであると診断された。高額な最先端医療のひとつで、血液の中を流れるエクソソーム内のマイクロRNA(mi-RNA)を調べることでがんを発見できるミアテストという検査を著者自身が受けた結果だった。前年の前半に受けた人間ドックの腫瘍マーカーではまったく問題がなかったという。著者は、高精細のMRCPやエコーなど、がんを可能な限り「視覚化」できる先端技術を駆使して膵臓を調べることにした。膵臓がんは、自覚症状がなく、しかも奥まった位置にあるため、見つけるのが難しいという。しかも進行が速いことが多く、3ヶ月で倍のペースで大きくなっていくのだという。スティーブ・ジョブズ膵臓がんだった。可能な限り「視覚化できる」技術でも、著者の膵臓がんは見つからなかった。がん細胞が上皮細胞内に留まっている状態を「ステージ0」というが、著者の場合は、「ステージ ー1(マイナス1)」というべき超早期発見であった。ただし、このまま放っておけば、早ければ数ヶ月、遅くとも1年以内には発症すると診断された。著者は、本書を執筆しながら、治療を行い、膵臓がんの駆逐に成功する。

アンジェリーナ・ジョリーの選択。

 2013年5月、ハリウッド女優のアンジェリーナ・ジョリーは、遺伝子検査によって、乳がんのリスクが高い遺伝子変異が見つかり、予防のために両乳房を切除する手術を行ったと告白した。がんの抑制遺伝子であるBRCA1とBRCA2に変異があると、DNAの修復が適切に行われず、がんが発生する率が高まるという。彼女の場合、BRCA1に変異があり、担当医によると、将来的な乳がんの罹患リスクは87%、卵巣がんは50%と推定された。アンジェリーナの母親は卵巣がんで7年の闘病のあと、56歳の若さで亡くなっている。アンジェリーナは、その後、2015年に、卵巣と卵管を摘出する手術を受けている。遺伝子検査により、将来の病気のリスクを予測し、先回りして病気を防ぐ。米国のセレブの間では、そんな治療がもう始まっているという。著者は、米国で、さらに進んだ医療の実験が行われていると聞いて、早速、取材に出かける。

年齢を逆行させる。

米国のバイオベンチャー「バイオ・ヴィバ USA」社の最高経営責任者、エリザベス・バリッシュは、自らの身体で遺伝子治療の実験を行った。彼女が行った治療というのは染色体の先端にあるテロメアという構造を「伸ばす」治療であるという。テロメアは染色体の末端部分を保護しているキャップのようなもので、細胞分裂の度に短くなっていく。テロメアがある一定の長さまで短くなると、その細胞は分裂を停止する。つまり寿命を迎える。バリッシュは、テロメアを伸ばすことで20年ぶんの寿命を延ばしたという。彼女が若返りにこだわる理由は、彼女の息子が、わずか9歳で1型の糖尿病と診断されたことにある。一般的な2型の糖尿病と違い、自己免疫系の疾患で、将来にわたってインスリン注射を打ち続けることで症状を抑えることができるが、完治しないという。バリッシュは、息子の治療法を探るうちに、幹細胞を利用した治療法にたどり着く。彼女は、幹細胞を研究するバイオ企業と投資家をつなぎ、資金調達のマッチングをすることで、新たな治療法や薬剤の恩恵を受けるというものだった。しかし、投資家から「これが人間で本当に有効かどうか証明してほしい」という声が相次いだ。そこで彼女は、この治療法の治験を行うために、バイオ・ヴィバUSA社を立ち上げる。彼女自身に施術しようとしたのは、検査で彼女のテロメアが短いことがわかったためであるという。2015年、バリッシュは、施術に対してFDAの認可が降りにくい米国ではなく、南米のコロンビアで遺伝子治療を受ける。現在のところ100万ドル以上かかるという、その治療法は、成功を収めつつあるという。彼女たちが目標にしているのは永遠に生き続ける体をつくることではなく、20〜30代の若いうちに、この治療を受けることで健康な状態を維持し、老化によって生じるアルツハイマー病などの病気を撲滅することであるという。

日本で受けられる「3つ星!最先端医療」

第2章では、著者自身が「世界中の研究機関やクリニックを回り、実際に大枚をはたいて、受けて判定した、効果的かつ誰でも日本で受けられる『3つ星!最先端医療検査』をまとめた」もの。第1章の「米国の先端医療事情」に比べると、インパクトにかけるが、かなり身近な内容。分子栄養学に基づく「栄養分析プログラム」から、遅発性の食物アレルギーを調べる「IgG検査」、体内年齢を調べる「酸化抗酸化検査」、腸内細菌を調べる「腸内フローラ検査」、「24時間ステロイドホルモン代謝検査」と「唾液コルチゾール検査」、「有機酸検査」と「SNP検査」、「有害重金属検査」、「LOXインデックス検査」「MGC検査」「有毒勇気化学物質検査」「ミルテル検査などを紹介。

がんを早期発見、ミルテル検査。

この中で、僕がいちばん興味をもったのは、著者自身の膵臓がん発見につながった「ミルテル検査」。これは、テロメアの長さを測ることで遺伝子の強度を調べる「テロメアテスト」と、血中のエクソソームのmi-NRAを調べてがんを発見する「ミアテスト」を組み合わせた検査。現在、100%に近い精度を誇るのは、乳がん膵臓がん、大腸がんの3種類のみだが、肺がん、胃がん、肝臓がん、頭頸部がん、子宮がんなども85〜90%の精度がある。一般的な人間ドックで受ける腫瘍マーカーの精度が50〜60%であることを考えると驚異的な数字だという。

高濃度ビタミンCの点滴で膵臓がんを治療。

第2章の最後に、本書の冒頭でも語られている、著者自身の、膵臓がんの発見から治療までの経験が語られる。著者の場合、多い時は年70回に登る海外渡航で、高高度を飛ぶ国際線での被曝も無視できないという。そこで、著者は執筆以外の仕事を即座にやめることにしたという。適度な運動を維持し、電車と船旅を楽しみ、ストレスを徹底的に軽減することにしたという。そして唯一受けた治療が高濃度ビタミンCの点滴だった。化学名「L-アスコルビン酸」を、1日の摂取量の過剰といわれる量の20倍から100倍の量を直接血管内に注入する治療法だという。2005年に、米国立衛生研究所から「L-アスコルビン酸は、選択的にがん細胞を殺す」という研究結果が出ているという。その一方で「効果は懐疑的だ」という医師もいるという。著者は、抗がん剤と違い、製造パテントの切れたビタミンCでは、もうからない製薬会社のネガティブキャンペーンではないかと推測している。著者は、人体実験を兼ねて、自分自身でおよそ3ヶ月集中的に高濃度ビタミンC点滴を続けてみたという。3ヶ月後、再度、ミルテル検査を受けてみると、膵臓がん発症リスクは大きくレベルが下がり、テロメア年齢も10歳も若返っていたという。

「あなたのDNAがわかります」というチラシ。

第3章では、著者が予測する医療の未来の話。わずか15年前、人間の遺伝子を含む全ゲノム解析を行った時のコストが3000億円を超えていたのに、今では、わずか数千円で「あなたのDNAがわかります」というチラシがポスティングされているという。このような安価に受けられるDNA検査は、「マイクロアレイ」と呼ばれる一世代前の技術を利用しているからだという。「マイクロアレイ」は、これまでの遺伝子解析結果に基づき、遺伝子型と体質が統計的に有意であると判明している部分を主に検査する。これに対してDNA配列をすべて検査し、その人が持っている遺伝子型のすべてを明らかにするのが「次世代シーケンサー」である。「次世代シーケンサー」によって、個人の全ゲノム解析が実現すれば、現在はもちろん、第1章のアンジェリーナ・ジョリーのように、将来にわたって罹患しやすい病気や、個人に合わせた最適な治療法(オーダーメイド医療)が可能になるという。2017年初頭現在、次世代シーケンサーを使った検査は20万〜30万円程度すると。米国のバイオベンチャー、イルミナ社は、全ゲノム解析を11万円というコストで実現しているという。

IT業界が医療界へ進出。

2017年1月のCESでは、これまでにない新しい潮流が出現していた。ひとつは「電気自動車」であり、もうひとつは「ヘルスケアと医療」である。スマートフォンという、超高性能のネットワークコンピュータを終日身につけているようなライフスタイルが実現したため、ちょっとしたディバイスを身に着けるだけで、24時間のフィジカルデータが採取可能になった。まず普及してきたのはスマートウォッチや活動量計だ。体温、心拍数、歩数などのデータが、スマートフォンに送られ、スマーフォンからさらにクラウドに送られ、即時に分析が行われ、再び、端末に戻ってくる。中には日々の呼吸から睡眠、脳波までフォローして24時間アドバイスするサービスもある。このような身体データを記録するディバイスは、運動や生活習慣をチェックするために使用されているが、現在では、医療機関に浸透し、院内外の患者の動向を24時間チェックできる体制を整えている病院やクリニックが増えてきたという。さらに、身体情報のデジタル化やクラウド化は、顧客が施設を訪れず、オンラインで24時間ケアされる、そんなサービスや取り組みが行われるようになるだろう。音楽配信同様、医療も、近い将来、月額定額のようなサブスクリプションモデルになる可能性があるという。

がんはソフトウエアのバグ?

2016年、マイクロソフトは「がんは、コンピュータウィルスのようなもので、コードを読み解くことで解決できる、そして人工知能を使った、新たなヘルスケアへの取り組みを開始する」とアナウンスした。IBMは「ワトソン・フォア・オンコロジー」というプロジェクト名で、AIによるがん治療のプログラムを実施している。グーグルの出資で2006年に創業された「23アンドミー」は個人向けの遺伝子情報サービス(PGS:Personal Genome Service)企業で、検査1項目あたり約161円という、従来の遺伝子検査の約50分の1という低価格で提供した。低価格の理由は、集めたDNAをサンプルとして遺伝子研究に利用することが大前提だった。23アンドミーのサービスは順調に見えたが、2013年、FDAが、同社のサービスが、FDAの安全性基準を満たしていないと、同社の遺伝子検査キットの販売中止を命じた。このほかにもHIVの検査ができるUSBデバイスや、体内に埋め込んで、生体情報をモニターするスマートステッチズなど、デバイスも進化を遂げている。CESではリアルタイムで血糖値がわかるスマートウォッチも数社から出店されていたという。

量子医療の時代へ?

量子コンピュータの実用化が近づいているように、医療も、ニュートン力学の時代から次の段階へ進もうとしていると著者は言う。量子力学から波動、チャクラまで登場する最後の「メタトロン」の話は、ぶっ飛びすぎて、僕には理解できない。

「超ホモ・サピエンスの時代へ」

著者は「おわりに」で、イスラエルの歴史家、ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」の最終章に言及。「われわれサピエンスは、生命の設計図であるDNAをある程度自由に扱える能力を手に入れたので、一動物を脱し、これからは自然の偶然に身を任せる存在とは異なるステージに入る」というハラリの考え方はおそらく正しい、と著者は言う。

 

クリスティ・ウィルコックス「毒々生物の奇妙な進化」

ヘビこわい。すべての霊長類がヘビを怖れる。産まれて間もない赤ん坊もヘビをこわがるという。ほとんど生理的ともいえるような、あの恐怖感は、いったいどこから来るのだろう?その答は本書のなかに記されている。約6000万年前に、この爬虫類に起きた、ある変化が、霊長類の祖先の脳に、あの根源的な恐怖感を植えつけたのだという。本書に登場する有毒生物は毒ヘビだけではないが、主役はやっぱり彼らだ。

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ヤマカガシ、チャドクガヒアリ

本書は、今年の初めに購入していたが、1ページも読まずに放ってあった。それを読む気になったのは、夏の初め頃、兵庫県伊丹市の小学生がヤマカガシに咬まれて意識不明になるというニュースが流れた頃だ。その少し前、僕自身も、左の二の腕に発疹ができて、またアトピーの再発か、と皮膚科へ行くと、チャドクガの被害だと診断された。同じ頃、各地でヒアリの発見が相次いだ。周りがなんとなく「有毒生物」で騒がしい、というわけでもないが、本書のことを思い出して、積ん読山から発掘してきて読み出した。読んでみると、有毒生物の研究が、今世紀に入ってから、急速に進んでいることに驚かされる。

昔から、ヘビには強い興味があった。怖いもの見たさというのだろうか。いまでも書店の生物学コーナーの爬虫類の棚は時々チェックしているし、新しい本が出ていれば、即購入する。わが家にはヘビに関する本が十数冊はあるはずだ。飼ってみようとか、触ってみようとは思わないが、とにかく目が離せないのである。

タイトルはB級ホラー映画みたいだが、有毒生物の博物誌。

それにしても本書のタイトルはひどい。「毒々生物の奇妙な進化」。まじめな本なのに、このB級ホラーっぽいタイトルのせいで敬遠されてしまうかもしれない。原題は “VENOMOUS” :「有毒の」「毒を持った」の意。サブタイトルが「地球上で最も致死的な生物がいかにして生化学をマスターしたか?」著者はハワイ大学に在籍する若い女性の研究者でミノカサゴの毒を研究している。彼女自身の「毒体験」を交えながら、有毒生物と人類の関わりの歴史をたどり、驚くべき有毒生物の生態を紹介していく。さらに世界中の有毒生物研究の現場を訪ね歩き、有毒生物研究の現在と未来を描こうとする。本書は「有毒生物の博物誌」といってもいい。有毒生物に関する知識が得られるのはもちろん、科学読み物としても楽しめる本だ。有毒生物たちのコワい生態をゾクゾクしながら読み進むスリルも味わえる。

カモノハシの毒。

有毒生物といえば、毒ヘビ。毒グモ、サソリなどを思い浮かべるが、著者は、本書を、有毒らしくない動物から語りはじめる。その動物は、なんとカモノハシ。世にも奇妙な形状と生態を持つこの哺乳類は、オーストラリア先住民の間では、恐ろしい毒を持つ動物として恐れられていた。しかしカモノハシを解剖したり、その生態を調査した研究者たちは、この哺乳類が有毒である証拠を見つけることができなかった。「カモノハシ無毒説」は、19世紀末まではびこっていたという。1895年、カモノハシの蹴爪から抽出した毒が、オーストラリア産の毒ヘビの毒と似通った特性を持っていることが確かめられる。雄のカモノハシのみに見られる毒は、季節により、その強度が変化するため、特定が難しかったという。繁殖期に雌を争って他の雄と争う時に、毒の強度がもっとも増すのである。1935年には、カモノハシの毒液が、「非常に弱い毒性を持つクサリヘビの毒液とよく似ている」ことが判明する。この毒液により、人間は、死に至ることはないものの、耐え難い痛みを長時間にわたり味わい続けるという。ある退役軍人が狩猟中に、怪我か病気で弱っているらしいカモノハシに出会い、抱きあげようとして刺された。親切が仇となり、彼は激痛の中で6日間も入院しなければならなかった。彼の治療に当たった医師たちは、最初の30分に合計30ミリグラムのモルヒネを投与したが、ほとんど効果がなかった。ふつうの痛み止めに用いられる量は、1時間あたり1ミリグラムだという。医師たちが神経ブロック剤で手のすべての感覚を麻痺させてはじめて彼は痛みから解放されたという。5千種以上の哺乳類の中で毒を持つのはたったの12種類しかいない。4種のトガリネズミ類、3種のチスイコウモリ類、2種のソレノドン(長い吻を持つ夜行性の哺乳類、中南米産)、一種のモグラ、一種のスローロリス、そしてカモノハシである。近年、遺伝子研究の進歩で、毒の研究が急激に進んでいるという。カモノハシとクサリヘビという、まったく隔たった種が同じような毒を持つようになることを収斂進化というらしい。

最凶の殺戮者は誰だ。

著者は、次に、有毒生物たちが人類に与える影響について語る。毒の強さを科学的に測る方法の中で最もよく使われるのが「半数致死量」で、LD50という数値だ。毒液を投与された動物(ラットとマウスが最も多い)の半数が死ぬ量で、体重1kg当たりのmgで表される。地球上でいちばん致死的な動物と言われるオーストラリアウンバチクラゲではLD50は、0.011。このクラゲに刺されると耐え難い激痛に襲われ、刺された場所の壊死、視力低下、呼吸困難、心停止などの症状が現れ、1〜10分で死に至るという。近年、本州沿岸でも確認されようになったヒョウモンダコも、フグと同じテトロドトキシン0.0125(LD50)を主成分とする毒を持つが、毒液まるごとはいまだに検査されていない。毒ヘビの中では、オーストラリアのタイパンが、0.013で、もっとも殺傷能力が高いとされる。しかしLD50は、ラットやマウスによる検査が主であり、現実には種によって毒液に対する耐性が異なっている。そこで有毒生物の致死性を表すデータとして症例全体に占める死亡率が注目されている。上記のオーストラリアウンバチクラゲに刺されて死亡する人は毎年0.5パーセント以下である。恐ろしいナイリクタイパンでも1956年に抗毒素が作られて以来、死亡者はいなくなった。(それ以前はほとんど100パーセントが死亡していた)毒ヘビ全体での死亡率は2パーセントだが、インドアマガサヘビ(死亡率60〜80パーセント)とキングコブラ(死亡率50〜60パーセント)では、毒液そのものは強くないが、ひと噛みで注入される毒の量が圧倒的に多く、また夜行性のため、噛まれても、毒ヘビであることがわからず、痛みも少ない場合が多く、治療が遅れ、死に至るケースが多くなるという。著者によると、ヘビは、今日でも世界トップクラスの殺人生物であるという。インドの4大毒ヘビ、ラッセルクサリヘビ、サメハダクサリヘビ、インドコブラ、キングコブラは、他の毒ヘビと比べて毒液の強さは1/30〜1/110にとどまるが、毎年、何万人もの人間を殺している。その生息地は主要な人口密集地の内部や周辺にあり、頻繁に人間と接触すため、咬まれる機会が多い。4大毒ヘビの抗毒素はすべて手に入るが、そのような場所は貧しい人々が多いため、医療サービスが制限され、治療できる症例でも死に至る場合が少なくないという。サハラ以南のアフリカでも、同じような事情で何万人もの人間がヘビに咬まれて死亡している。もっとも致死的な毒を持つヘビ(タイパンなど)は辺境地に生息し、人間の多い場所とは距離を置く傾向があるため、彼らに咬まれるなどということはめったに起きないという。

人間の脳と視覚は毒ヘビから逃れるために進化した?

人間に限らず、すべての霊長類がヘビを恐れるという。赤ん坊でも同様にヘビをこわがる。多くのヘビが、まわりの環境に自らを巧みに溶け込ませるカモフラージュの能力を身につけている。しかし人間は、それを素早く見分けることができるという。「人間の脳と視覚は毒ヘビから逃れるために進化した」という説を唱える研究者がいる。約6000万年前、人類の祖先が、キツネザルなどの初期霊長類から別れる頃、ヘビ類の中に、より強力な毒液を持ったクサリヘビ科とコブラ科が出現したという。クサリヘビ科には、マムシ、ハブ、ガラガラヘビ、そして恐ろしいクサリヘビがいる。コブラ科にはナイリクタイパンや、ブラックマンバという地球上で最も猛毒なヘビがいる。これらの科が出現したことにより霊長類とヘビ類の関係が変わる。捕食者となったヘビ類は狩りの方法も変え、最後の瞬間までじっと動かず待ち伏せするようになった。この強力な毒を持つヘビに対する恐怖が、進化を促す圧力となって、霊長類の視覚を進化させ、視覚情報を処理するための脳が発達した。巧妙に身を隠した捕食者を見つけ出すことができる「立体視の能力」を身につけた霊長類は、生き延び、繁殖することができたのだという。実験によって、コンピューターのスクリーン上に気がつかないほどの短時間、ヘビの画像を表示させると、私たちは生理的に不安を感じるという。私たち自身がヘビを見ていると自覚するより前に、その存在を認識している。クモなどの危険な生物では、このような反応は起こらないらしい。僕らがヘビに対して感じるいわれのない恐怖感、ほとんど生理的ともいえる嫌悪感は、猛毒のヘビから生き延びるために霊長類が身につけた特殊な能力の一部なのかもしれない。

26年にわたり自分の身体にヘビの毒を注射しつづけた男。

動物の中には毒に耐性を持つ種が存在する。毒ヘビを食べるマングースは、自らの免疫を進化させ、毒への耐性を身につけたという。同じ哺乳類である人間も、毒への耐性を高めることができるのか?26年にわたり、ヘビの毒を自分の身体に注射しつづけた男がいる。著者は「自家免疫実践者」と呼ばれる人々のことを紹介する。彼らは科学者ではなく、自らの身体でコブラ科やクサリヘビ科の、様々な毒ヘビたちの毒液を混合した毒液を静脈注射で自らの身体に送り込む。彼らのSNSでは、ブラックマンバなどの猛毒のヘビを素手で扱ったり、咬まれたりしている画像が投稿されている。彼らは、自ら毒液を投与することで毒に対する免疫力を強化し毒への耐性を作りあげようとしているのだ。一般に毒ヘビの血清は、馬、羊などに毒液を注射して作るが、別の動物の血液であるため、その副作用も問題になっている。人体を使って、同じように血清を作ることができれば、副作用の少ない毒被害の治療を行うことができるはずだという。彼ら「自家免疫実践者」と研究者が協力して毒に対する人体の耐性を高める研究が始まっているという。毒に対して人間が耐性を身につけるメカニズムは、免疫の仕組みと大いに関わりがある。ミツバチなど、無害な毒に免疫システムが過剰反応し、死に至ることもあるアナフィラキシーを引き起こすアレルギーは、実は様々な毒に対する生体の防衛反応ではないかという説がある。アナフィラキシーは、人体が、命がけで毒と戦う最後の防衛線であるかもしれないという。血圧や心拍数を急降下するのは、毒による激しい出血を抑えるためかもしれない。激しい嘔吐や下痢も、体内の毒物を急速に排出しようとする反応かもしれない。このアレルギーを引き起こす免疫の仕組みをコントロールすることが可能になれば、人類が、マングースのように、有毒生物の毒に対する耐性を手に入れられるかもしれないという。

人生を変える激痛。

昆虫学者のジャスティン・シュミットは「刺されると痛い昆虫ランキング:シュミットの疼痛指数」を作るために、アリやハチなど78種に自ら刺され、0.0(無痛)から4.0(底知れない苦痛)までの段階を定めた。それによるとホオナガスズメバチは、2.0で、世界最大のハチであるオオベッコウバチが、4.0である。(最近話題になっているヒアリは、1.2)。ランキングのトップに立つのは南米のサシハリアリで、4.0+とされている。その痛みは「踵に7〜8センチの釘を打って、真っ赤な炭の上を歩くようだ」と表現されている。英名を(bullet ant)といい、このアリに刺されるのは、銃で撃たれるようなものだという。被害者によると激しい苦痛が3〜4時間続くだけでなく、完全に痛みが鎮まるまで丸一日もかかり、震え、吐き気、発汗などの副作用が伴うという。アマゾンには、このアリの苦痛を、若者の通過儀礼に用いる部族がいるという。その儀式では、村の長老たちが森の中から100匹ほどのサシハリアリを集めてきて鎮静作用のある薬草で眠らせる。そして葉っぱで作った手袋の中に、針が内側に来るように編み込んでいく。目を覚ましたアリはひどく興奮し、触れてきたものは何であれ刺してやろうと身構えている。部族の少年は、「男」になるために、サシハリアリの手袋を身につけて、何百回も刺されるのに耐えなければならない。少年の手は棍棒のように腫れ上がり、体は痛みのために震えはじめる。毒液が回っても、少年は声をあげることも涙を流すこともできない。もし声をあげれば、儀式をはじめからやり直さなければならないからだ。この部族の少年は12歳から始めて、生涯で最大25回も儀式を行うという。部族以外にも、これまで多くの勇敢な俳優や映画製作者たちがこの儀式をやり遂げようと試みた。オーストラリアのコメディアンは、手袋に、わずか2、3秒しか手を入れられなかった。そしてあまりの苦痛に倒れてしまい、病院で何時間も過ごす羽目になった。ナショナルジオグラフィックチャンネルの司会者は、5分間完全にやり遂げたが、錯乱状態に陥り、数時間喋ることができず、体の震えが止まらなかったという。サシハリアリの毒が正気を保てないほど痛いのは、獲物を捕えたり、消化するために毒素を使うヘビやクモと違って、自らの防衛を目的にしているからである。激しい痛みを生み出すのは、ポネラトキシンと呼ばれる小さなペプチドのせいである。この化合物は、ニューロンのナトリウムチャネルに作用し、神経伝達を狂わせる。筋肉は制御不能になり、痛みのメッセージを伝えるニューロンが執拗に刺激されるのだ。大きな傷もないのに激しく痛んだり、火傷もしていないのに熱を感じたり、アリやハチの毒が生み出す苦痛は、「あっちへ行け」という、捕食者への手厳しいメッセージなのだ。

血液毒と神経毒。

有毒生物の毒は、大きく血液毒と神経毒に分けられる。血液毒は、ヘビでいうと、マムシ、ガラガラヘビなどのクサリヘビ科の毒。神経毒はコブラ科の各種コブラ、タイパン、ブラックマンバなどの毒である。血液毒と神経毒は2元論的に分けられるものではなく、あらゆる有毒生物の毒は、どちらか一方のカテゴリーに入るというわけではなく、この2種類の毒からなる連続体のどこかに位置づけられるという。もっとも致死的な毒液は、そのほとんどが神経毒からなるものであるという。神経信号のブロッックや過剰刺激を通じて、横隔膜、胸壁、心臓などの生死に関わる筋肉を麻痺させるのである。それに対して血液毒の要素の強い毒液は、それほど致死的ではないが、出血と壊死をもたらすという点ではより残酷であるという。

骨まで食い尽くす毒。

壊死をもたらす毒液は、皮膚や脚一本を丸ごと腐らせ、壊疽を引き起こし、血液、膿、腐敗臭を滲出させる。血液毒は、血液や組織をターゲットにする毒である。ガラガラヘビは獲物を制圧するためだけではなく、毛や骨までを食べ物に変えるために血液毒を使う。中央アメリカ南アメリカ北部に生息するテルシオペロ(クサリヘビ科ヤジリハブ属の毒ヘビ)とその近縁種は、破壊的な壊死を引き起こすことで知られている。著者によると、これらのクサリヘビ類が、世界でも貧しい地域で人間と共存していることが問題であるという。そうした場所には、医師はわずかしかおらず、しかも遠く離れたところにしかいない。毒ヘビに咬まれた人たちが病院に運ばれ、治療を受けられるのは、数週間後、脚のほとんど、あるいはすべてが壊死してからだという。現地の大衆紙は、壊死した脚を無情にも「黒い棒」と呼ぶ。その姿は著者のように鈍感になった生物学者にとっても吐き気を催させるものだという。

壊死をもたらす毒液は、ヘビの牙によって注入された瞬間に仕事を始める。金属プロテアーゼが、血管の細胞同士をしっかりと結びつけている接着タンパク質を含む、血管と組織の重要な成分をバラバラにしていく。それによって、毛細血管が出血を始めると、局所的な浮腫が起こり、体液によって膨れあがる。そして毒素は骨格筋へ働きかけながら組織への攻撃を継続する。同じようにホスホリパーゼという毒素も筋肉細胞を攻撃し、最終的には筋壊死をもたらす。一部のホスホリパーゼは膜に穴を開けて、細胞壁を形成しているリン脂質をバラバラに切り離す。さらにヒアルロニダーゼやセリンプトテアーゼを含む毒素も虐殺に加担する。毒液注入箇所での戦いが激しさを増す一方で、他の毒液化合物は戦闘から離脱して、全身を駆け巡る。そして血管を広げて血圧を急降下させ、ショック状態、さらに死さえももたらす。骨格筋全体が死ぬ横紋筋融解症になると、大量の筋タンパク質ミオグロビンが放出され、腎臓の尿細管が詰まり、深刻な腎不全を発症してしまう。そして、これらの症状は序の口にすぎない。毒液の成分は、私たちの細胞も巧妙に騙して同士討ちさせるのだという。金属プロテアーゼによる腫瘍壊死成分の放出と、ホスホリパーゼによる生理活性をもつ脂質の放出が起きると、傷口に大量の免疫細胞が押し寄せる。細菌やウィルスに対してめざましい効果をあげる免疫細胞も、毒液化合物を見分けることができない。そのため、白血球やその他の免疫細胞は、炎症を強めるべく、インターロイキン6のようなサイトカインを生産・放出し、免疫系に対して、さらなる猛攻を呼びかける。しかし溶解させる細菌や異物は存在しないため、免疫系は侵略軍を踏み潰していると思いながら、自らの組織を殺し続ける、誤爆を行ってしまうのだ。抗毒素の投与も、こうした壊死に対しては有効ではないという。逆に体の免疫反応を抑える薬を用いることで壊死を大幅に少なくできることが明らかになってきたという。しかし、抗毒素以外の治療法は研究の歩みが遅く、十分な研究助成金が必要であるという。このような壊死性の毒液はクサリヘビ類に限らず、あらゆる有毒生物がもっているのだ。コブラ科のヘビは一般に神経毒をもっているとみなされているが、毒液を吐くタイプのコブラなどは相手の組織に深刻な損傷与えることがある。クラゲ類の中でも、致死性の毒をもつハコクラゲ類も、皮膚に深刻なダメージをもたらすという。

無痛だが致死的。ヒョウモンダコの神経毒。

コブラ科のヘビがもつのは致死性の神経毒だ。著者は神経毒を語る章を、小さなヒョウモンダコから始める。小さなオウムのような嘴によって開けられる小さな二つの穴は、せいぜい針で刺されたか、つままれたかという程度の痛みしか与えない。出血していることでようやく被害に気づく人もいるくらいだ。それは確かに無痛だが、致死的である。1970年代、ヒョウモンダコの毒液からきわめて致死的な成分を単離した。その成分はマクロトキシンと呼ばれ、ラットやウサギに注射すると、血圧と心拍数が急降下し、呼吸器系は完全に麻痺した。その8年後、マクロトキシンが、フグ類から発見されたものと同じ化合物であることが確認された。かの悪名高きテトロドトキシンである。テトロドトキシンは、知られている限り、もっとも致死的な化合物のひとつであるという。砒素、シアン化物、炭疽菌より猛毒であり、コカインよりも12万倍、メタンアンフェタミンよりも4万倍、致死率が高い。テトロドトキシンは、他の致死的化合物と同じように神経毒である。血液毒と違い、神経毒は即効性をもつ殺し屋であると著者はいう。神経毒は細胞間のコミュニケーションを阻害することによって相手を麻痺させる。著者は、ここで、私たちの細胞のコミュニケーションの仕組みについてレクチャーしてくれる。細胞のコミュニケーションの中でもっとも速いのは電気的な信号を通じてのものである。細胞は本質的には小さなマイクロ電池であり、2つの異なる電荷をもつ溶液を細胞膜が障壁となって隔てている。この細胞膜の内外の電荷の差を膜電位と呼び、これを利用して、ニューロン細胞を経由して信号を瞬時にやりとりしているのだ。細胞膜には、イオンチャンネルと呼ばれる回路があり、イオンを出し入れすることで電気信号を伝えていく。私たちのあらゆる感覚もあらゆる筋肉の運動も、すべての伝達は、電気信号の連鎖反応を生むイオンチャンネルによって生み出される。そして、このイオンチャンネルこそ、神経毒が攻撃する標的なのである。テトロドトキシンは、イオンチャンネルのうちのナトリウムチャンネルを阻害する毒素である。ヒョウモンダコに咬まれると、テトロドトキシンがが神経信号を停止させ、痺れが放射状にひろがっていく。吐き気、嘔吐、下痢が伴い、やがて脱力と麻痺が訪れる。脳は筋肉に動くように命じることができなくなる。呼吸でさえ電気信号を必要とする。横隔膜の運動を遅くさせ、最終的には完全に停止させてしまう。毒液に一定以上の量があれば、心臓も動かなくなる。

麻痺毒の王様、イモガイ

毒液には私たちの神経信号伝達システムのあらゆる段階に影響を与えられるよう、さまざまな神経毒が含まれている。テトロドトキシンのように、きわめて重要なチャンネルを閉じさせるものもあれば、逆にこじ開けるものもあるという。貝などの海生軟体動物がもつ毒素は、それぞれが非常に特異的な分子標的をもち、またその正確さによって知られている。そうした巻貝類は、熟練したバーテンダーのように、獲物を正確に動けなくする、独特で複雑な毒液カクテルをこしらえるという。著者が住むハワイの潮だまりには神経毒をもつ危険な動物はいっぱいいるが、なかでもイモガイ類は、研究者たちの再三のの警告にもかかわらず、子供たちが手にしているのを見かけるという。この危険な捕食性海生軟体動物は、銛(もり)に似た形のの変形版の歯のようなもの(歯舌)をもっていて、これが細い管で毒腺につながっている。彼らは攻撃を受けると、この針のような銛を敵に向けて発射する。すると管を通って毒液が吸い上げられ、敵の体内に撃ち込まれるのだ。毒液は、ほぼ瞬時に麻痺を引き起こす。フィリピン生まれの研究者、バルドメロ・オリヴェーラは、イモガイの一種であるアンボイナガイの毒液からテトロドトキシンに似た強力な毒素、コノトキシンと、コブラに見られる毒素とよく似たものを発見する。さらに実験によってコノトキシンは、驚くほど複雑で多様な混合物であったことが明らかになる。あるペプチドはマウスを跳び上がらせたり、体をねじらせたりし、別のペプチドはマウスをグルグル回らせたり、眠らせたりした。最新の素晴らしい装置によって、コノトキシンは麻痺だけでなく、信じられないほど多様な症状を引き起こすことができる化合物であることが判明。1980年代のはじめ、一人の学生が、身震いペプチドと名付けた化合物を精製した。それは現在ではプリアルト(重度慢性疼痛治療薬)という名前で、イモガイの毒液由来として初めてFDAに認可された薬品として知られている化合物である。イモガイの毒液化合物が、なぜ人の薬品になるのか。それはこの毒液化合物が獲物である魚類をターゲットにした、非常に特殊なものであるため、この毒が人間に麻痺を引き起こすことはないという。しかし、私たちは、魚の筋肉と非常によく似たイオンチャンネルを実は持っている。それは筋肉に働いて運動を制御するのではなく、痛みの伝達回路において重要な役割を果たしている。プリアルトは、痛みを感じるニューロンの末端でイオンチャンネルを完全に閉じてしまい、痛みの信号を脊髄に送れなくするのである。イモガイ類は、どうして、このような特殊な毒を持つようになったのだろう。イモガイ類の中には同じペプチドをもつ種は2つと存在しないという。それぞれの種が自分たちだけの独自のセットを持っているのだ。イモガイ属には500種以上がおり、海の中では、他のどの属よりも多いという。しかしそれは氷山の一角にすぎない。イモガイの拡大家系図を見ると、この地球上には1万種以上の、毒液をもつ海産巻貝類がいて、それぞれが二、三百から数千の種類の異なった毒素を持っていると推定される。しかし、そのほとんどは研究室で調べられたことがない。彼らの多くは2〜3センチの大きさしかなく、さらに浅瀬ではなく、簡単には近寄れない海域にすんでいるからだ。先の計算が正しいとすると、まだ発見されず、解析されていない毒性ペプチドは、30万〜3000万種類もあるかもしれないという。

巻貝類はこの世でもっとも進化速度が速いDNA配列を持っている。

毒液を持つ巻貝は、なぜこれほど多くの毒素を生み出すことができたのだろう。それは彼らが持っている遺伝子は、この世でもっとも進化速度の速い遺伝子配列のひとつなのだという。それによって彼らの遺伝子の変異率は、哺乳類で報告されているもっとも高い突然変異率よりも5倍、ショウジョバエで見つかったもっとも高い突然変異率よりも3倍にあたるという。この進化速度の速さを活かして有毒巻貝たちは、考えられないような毒素の多様性を生み出してきた。毒素の進化速度がこれほど速いのは、新しい獲物を攻撃するためではない。時間が経って、獲物が毒に対する耐性を身につけた時に備えるためなのである。かつてイモガイ類は、ゴカイなどの環形動物を食べていた。その頃、海の食物連鎖の頂点に立つ魚類が捕食者となってイモガイ類の脅威となっていた。高速で進化する毒素遺伝子が、この軟体動物に、捕食性の魚類を撃退する武器を与えた。毒素はしだいに強力になり、魚類が死ぬようになった。それを好機として、イモガイ類は魚類は食べ始めた。食物連鎖の逆転が起きたのだ。

主役登場

有毒生物の系統樹を見ると、ほとんどすべての枝に神経毒生物がいる。しかし、人類の誕生以来、私たちに恐怖と魅力を刻みつけてきた1つの種に光を当てることなく、神経毒について語ることなどできない、と著者は言う。それは人類の眼と知性が進化する原動力になったと言われる種であり、各時代の文明において物語の主役を演じている種であり、今日でも、地球上でもっとも見分けのつく動物のひとつだ。著者が最後に語ろうするのは、コブラ科のヘビのことである。クサリヘビ類は相手の体を制圧し、血まみれにし、跡にはズタズタに切り裂いた遺体を残す。しかし、コブラ科は、時には、徹底的な病理解剖がなされるまで咬まれたことに気づかない人さえいるのだ。世界に存在する致死的なヘビのほとんどはコブラ科に見られる(コブラ、マンバ、アマガサヘビ、タイパン、デスアダー、ウミヘビ、サンゴヘビなど)。彼らはイモガイと同じように獲物を麻痺させるために強力なペプチドを用いる。イモガイ類と違って、彼らが獲物にするのはふつう哺乳類であるため、その毒液が人間にとって致死的なのは不思議ではないという。コブラ科のヘビたちが持つ神経毒のなかでもっとも致死的なのは、αニューロトキシンである。この毒素は、筋肉細胞にある神経伝達物質の受容体を阻害し、麻痺によって死をもたらす。しかし一部のコブラ科の毒液は、麻痺を引き起こす一方で、私たちの体に別の影響を及ぼすという。これらのヘビは、私たちの筋肉を麻痺させるだけでない。彼らは、はるかに邪悪で、不気味にも、私たちの心を操るのだという。

 コブラに咬ませてハイになる。

インドのデリでは、2、3百ドルほどの金額でコブラの毒液を体験することができるという。ある人たちによれば、世の中に出回っている薬物のなかで、もっともハイになれるものだという。K-72あるいはK-76と呼ばれる、粉末にした毒液は、インドでは他の不法薬物の5倍から10倍の値段で売られているという。少々のコカインと同じように感覚をハイにして、エネルギーを高める、この高額商品は、インドの裕福な若者たちのあいだで人気が高いという。密輸業者たちは、毒液1リットルで2000万ルピー(30万ドル以上)も稼げるという。毒液に法外な金額を支払えない、あまり裕福ではないが、スリルを求める人は、もっと直接的な方法で毒液を手に入れる。インドの幾つかの都市では、娯楽目的でヘビに咬ませる体験を商売している売人たちがいる。売人たちは単独で商売をしているか、「ヘビ窟」と呼ばれる怪しげな娯楽施設に属しているか、どちらかであるという。ヘビ窟では、咬傷によってもたられる朦朧状態のなかで、数時間を過ごすことができる。ヘビ窟のいくつかでは、多様なヘビの品揃えを自慢にしていて、効果の緩やかなものから、激しいものまで選べる。体験者によれば、彼らはコブラアマガサヘビなどの、コブラ科のヘビに咬まれるサービスを受けたという。著者は、自ら求めてヘビに咬まれた人たちの体験を紹介する。30種類以上の麻薬を経験したことがある52歳のミスターPKDは、放浪しているヘビ使いの協力を求めて、適正な値段で、2週間に2度、ヘビに前腕を咬ませた。恍惚感は、目眩と視野のかすみから始まり、それに続いて「高揚した覚醒感と幸福感が2、3時間にわたって持続したという。それはアヘンで体験するよりも、ずっと気持ちの良いものだった。ケララ州で逮捕された19歳の男は、定期的にヘビに咬まれるために100マイル近い旅行をした。彼は最大で40ドルを支払って、小さなヘビの頭を舌の裏に押し付け、咬ませることで、数日間持続する恍惚感を得たという。快楽のためのヘビの毒液について書かれた記述には、咬まれた場所に腫れが見られないという驚くべき一貫性がある。これは使われたヘビが、基本的に血液毒性をもたず多様な神経毒性をもつこと「つまりコブラ科であること」を示している。著者は研究者のなかで、誤って毒ヘビに咬まれ、ハイになった人たちの体験も紹介している。オーストラリアのブライアン・フライはピルバラデスアダーに咬まれた時の体験を回想録に書いている。彼は全身が麻痺し、人工呼吸器によって命が保たれていた。しかし、彼はまったく気にしていなかったという。彼の体験に一部を紹介しておこう。「それはもっとも強力な、1000倍の笑気ガスを吸ったときのようだった。体を動かす能力をまったく失ってしまうと、私は人工呼吸器につながれた。感覚はもう一段上のレベルへ行き、なんの心配もなく、私は頭上高くの世界を漂っていた。(略)時間をワープしていた。何十億年も私は、満ち足りた気持ちで、宇宙のなかを移動し、はるか彼方の土地や遠くの銀河を探検した。(略)」インドコブラに咬まれたジム・ハリソンは、感受性が研ぎ澄まされ、自分が毒液に反応しているという感覚を覚えた。「部屋中のすべてのものが光り輝やいているように思えた。すべてを感じるんだ----誰かがしゃべっているのも、その他あらゆることも」。神経毒と、咬傷に付随する「ハイ」を直接結びつける研究はないため、毒液の毒素に「ハイ」にする効果などほとんどないと主張する人もいる。「しかし、もしかしたら」と著者は語る。「この化学的なカクテルが実際に、何かとてつもなく素晴らしいことをおこなえる----血管脳関門を越えて、私たちの脳に影響を与えられる-----神経毒を含んでいると考えるほうが当を得ているかもしれない」

脳の防御壁を突破し、中枢神経に入り込む。

実際、そうした効能を持つと知られている毒液成分はいくつか存在するという。ミツバチの毒液成分であるアパミンは、カルシウム依存性カリウムチャネルを遮断して、ニューロンにインパルスを発射しやすくさせる働きをもっている。大量に投与されると震えや痙攣を引き起こすことがあるが、少量では興味深いことが起きる。ラットで行われた実験では学習・認知能力が改善されることが示されているという。また、アパミンは体内に注射されても血管脳関門を通り抜けて、脳の報酬系に働きかけることができるのだ。ヘビの毒液は、アパミンを含んでいない。ヘビの神経毒の「ほとんど」は、はるかに大きいタンパク質とペプチドであり、そう簡単に脳内に入ることはできない----ただし、ここで大事なのは「ほとんど」という部分である。少なくとも一部のヘビの毒液には、血管脳関門を通過できる分子が含まれているという証拠がしだいに増えてきているという。ミナミガラガラヘビの毒液をマウスの体に注射すると、2時間後には脳内から毒液が検出される。同じくミナミガラガラヘビの毒液から単離された毒素、クロトキシンとクロタミンも、中枢神経に働きかけて鎮痛作用をもたらすという。

獲物をゾンビ化する毒。

脳に働きかけてマインドコントロールする毒の働きを示すために、著者は、この章の最初に、エメラルドゴキブリバチを紹介する。このハチは数倍の大きさを持つゴキブリに、頭上から急降下して、ゴキブリを口で掴み、毒針で胸部の第一歩脚のあいだを刺す。この一撃でゴキブリを一時的に麻痺させ、今度は2箇所の神経節(昆虫の脳に相当する部分)に毒液を送り込む。ゴキブリバチの毒針は、ゴキブリ用にぴったり調整されていて、脳のどの部分に毒液を注入すべきかなのか感じ取ることができる。毒針は、機械的、化学的な手がかりをもとに、ゴキブリの脳の中を探ることができて、神経節鞘(血管脳関門に相当する組織)を通り抜ける経路を見つけだし、正確に毒液を送りこむ。すると、驚くべきことに、犠牲者はまず身づくろいを始める。一時的な麻痺から前肢が回復すると、ゴキブリはただちに、30分ほどかけて綿密に体をきれいにする。体をきれいにしたいという突然の欲求は、ゴキブリの脳内へドーパミン流入させることによって誘導できるという。ゴキブリが体をきれいにしている間に、ゴキブリバチは、自分の子供と、その生贄になるゾンビゴキブリを置いておける、人目につかない場所を探しにいく。およそ30分後、ゴキブリバチが戻ってくると、毒の効果で、ゴキブリは逃げ出すという意志を完全に失っているのだ。このゾンビ状態は、一週間ほど続くという。ゴキブリの運動能力は無傷で残るのだが、彼らはそれを使いたがらない。ゴキブリの翅や脚に触るといった、普通なら回避行動を促すような刺激を与えると、脳に信号は送られるものの、行動上の反応が引き起こされない。毒液が特定のニューロンを弱めて、ゴキブリの活性と反応性を低下させる。ゴキブリは突然、恐怖感を失うのだ。ゴキブリが動かなくなると、ゴキブリバチは、その触角を噛み切り、甘くて栄養のある血液を飲むことでエネルギーを補充し、残った触角を騎手が手綱を扱うように操作して獲物を墓場まで導いていく。巣穴の中に入ると、ゴキブリの体に卵を1つ産みつけ、入り口を塞いでしまう。そしてゴキブリバチは、ここで最後の一撃を加える。ゴキブリの代謝速度を低下させる。獲物が確実に長生きして、新鮮なままむさぼり食われることができるように…。エメラルドゴキブリバチの毒液は、ほんの一例で、彼らの属するセナガアナバチ属には、何種類かの心理操作を行うものがいる。彼らはゴキブリだけでなく、クモや芋虫、アリなどに寄生する。そのすべてがゾッとするような生活様式もっているという。

終章:有毒生物と人類の未来。

かつて有毒生物が注目されたのは、彼らがもたらす「死 」のためであった。死をもたらす力は、尊敬と崇拝を集めた。しかし今、彼らが注目を集めているのは、毒液が命を救う力によってであるという。1990年代の初めごろ、ブロンクスの退役軍人病院で働く内分泌学者であったジョン・エングは、アメリカドクトカゲの毒液に含まれるエキセンジンと呼ばれる救命化合物を発見した。それは糖尿病の治療に革命をもたらした。そして、その合成版を開発し、製薬会社のイーライリリー社に売った。その結果できた製品、バイエッタ は、2006年のアメリカ製薬市場でヒット商品になった。この薬品に含まれるエキセナチドという合成分子は、血糖値が高い時のみインスリンの放出を促すので、定期的なインスリン注射と違い、事故によるインスリン昏睡が起こらないという。バイエッタは、数年にわたり10億ドルの年間売上をもたらした。

バイエッタが出た直後、カプトプリルが登場する。この薬はハララカというブラジルのクサリヘビに由来するもので血圧を降下させる働きをもつ。他にも抗血液凝固成分として作用するヘビ血液毒性を利用したインテグリリンとアグラスタットも登場。今日の市場には、6種類の毒液由来の薬剤が出回っているという。1980年代や1990年代には、「毒液を薬の基にすべきだ」と言う人はいなかった。それが2000年代に入ると、科学者たちは核磁気共鳴分光法など、いままでとは違うやりかたで毒液を調べはじめた。今や誰もが「毒液は複雑な分子の図書館だ」と言い始めているという。

ミツバチに刺されて難病が完治した女性。

有毒生物の毒による治療は、昔から民間療法として行われてきた歴史を持つ。最古の毒液治療法のひとつはアピセラピー(ハチの毒を用いる治療)で、ギリシア、中国、エジプトの古代文明で採用されていた。伝統的なインド医学であるアーユルヴェーダでも治療法としてヘビの毒を用いたという。今日でも毒液による治療の研究は順調に進んでいる。著者は、ライム病で死にかけていた女性がミツバチに刺されて、病気が完治した例を紹介している。ライム病とは、シカダニに咬まれることで、その毒液に含まれる螺旋菌んい感染することで発症する。感染しても、ほとんどは抗生物質で簡単に治療することができるが、なかには細菌が生き残り、神経変性をもたらす場合がある。優れた物理学者であった、その女性は、この感染症によって行動能力を奪われた、かろうじて立ち上がったり、考えをまとめることができるだけで、正常な暮らしなど、とてもできなかったちう。どの医師にかっかても、どの治療法を試しても、つねに病気はぶり返した。絶望した彼女は死に場所を求めてカリフォルニアに移った。新しい場所に住みはじめて数日経ったある日、彼女はミツバチの群れに襲われた。彼女は、子供のころ、ハチに刺されて命の危険があるほどのアレルギーを引き起こした経験があったため、これでもう終わりだと思った。彼女は、「これは、一刻も早く苦しみから解放するための、神の思し召しです」と友人に語って、あらゆる処置を拒んだ。数日間、彼女は、想像できる限り最悪の痛みに苛まれた------しかし、死ぬことはなかった。そして彼女を苦しめたライム病は完治していた。後に彼女は、ミツバチの毒にもっとも多く含まれるメリチンが強力な抗生物質であることを発見する。彼女は、その後、ミツバチの毒液を用いる化粧品の会社を立ち上げたという。

ミツバチの毒でHIVを殺す。

ここ10年で、医療のための毒液研究が急速に進んでいるという。最近ではミツバチの主要毒液成分のひとつはHIVを攻撃し、殺せることが発見されたという。他にもマラリア、心臓病、血液疾患、癌など、様々な病気の治療に、毒液の成分を用いる研究が始まっているという。 

感想

本書を読んで驚かされるのは、今世紀に入ってからの毒の研究が、かつてないほど広がり深まっていることだ。それによって生物における毒液の成分が解明されるようになると、単一の種でも、数百から数千もの成分が含まれ、その多くが、いまだ解明されていないという。「動物の毒には血液毒(出血毒ともいう)と神経毒があり、ほとんどの有毒生物は、血液毒と神経毒からなる連続体のどこかに位置している」というぐらいの、今までの僕の認識は、「毒」の実態の、ほんの表面をなぞっているだけにすぎなかった、ということに気づかされた。毒液に含まれる、多様で、複雑な毒素には、生命の進化の歴史が凝縮されている。そこには、私たちに「死」をもたらすだけでなく、「命」を救う力を持った多くの物質が、発見を待っている。

青山透子「日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る」

他の本を探していて、ふと目について、思わず買ってしまった本。

8月12日が近づいたある日、大型書店で別の本を探していて、偶然、本書に出会った。そうだ、もうすぐあの日がやってくる、と、本書を手に取った。帰りの電車の中で読みはじめ、帰ってからもベッドの中で読み続けた。いっきに読み終えた。

あの日、大事故は、僕のすぐそばをかすめていった。

あの日の夕方、成田からニューヨークに飛ぶはずだった飛行機が故障で飛ばず、旅行会社からはツアーが中止になる可能性があると伝えられた。もし中止なら、その日の夕方の便で大阪に戻ることになっていた。午後遅く、翌日の便が確保できて、1日遅れの出発になった。空港近くのホテルに泊まった。移動やツアーのメンバーとの食事でホテルに入るのが遅くなった。事故のニュースを見て、慌てて自宅に連絡すると「夕方の便で帰るかもしれないって言ってたから、あの飛行機に乗ってるかもって、みんなすごく心配した。なんでもっと早く連絡くれなかったのよ!とこっぴどく叱られた。ひょっとしたら、成田から羽田に移動して日航123便に乗っていたかもしれない。あの事故は、僕にとっても忘れられない大きな出来事になっている。

著者は、元日本航空国際線の客室乗務員。123便には彼女の国内線時代に同じグループだった同僚や先輩が多数搭乗していて犠牲になった。そんな先輩たちへの思いや事故原因への疑問をまとめて、著者は2010年、「天空の星たちへーー日航123便 あの日の記憶」を出版する。出版後、彼女のもとには新たな事実や目撃情報が寄せられるようになった。事故原因は、圧力隔壁の修理ミスだと公式発表されているが、現場で事故に関わった人たちの間では未だに腑に落ちない点が多数あり、今なお心の底に大きな疑問となって渦巻いているという。

 この著者は信用できる。

タイトルは、この手の本にありがちな「新事実」「目撃証言」「真実」という言葉を組み合わせた平凡そのもの。しかし、虫の知らせというのか、著者の名前の横に「元日本航空客室乗務員」という肩書きに目が止まった。「そうか、元日航のスチュワーデスが書いた本なのか。」あの事故を、日航の社員たちはどう見ていたのか。ジャーナリストやメディア側の視点ではなく、日航内部の、パイロットやクルーたちはどう感じていたのか、というポイントに興味を覚えた。それに、この著者、なんか信用できそうだ。3時間ほどでいっきに読み終えた。そして、今まで、この事件をちゃんと知ろうとしなかったことを後悔した。

スチュワーデスからの視点。

序章で、本書を執筆した動機、経緯、事故の概要を語った後、第一章は、当日のフライトをスチュワーデスの視点から再現している。123便の乗務員たちは、多くが著者の先輩であった。著者は国内線を飛んでいた頃、事故機のJA8119には何度も乗った経験があり、国際線に移動していなければ、事故に巻き込まれた可能性は高いという。公開されたボイスレコーダーの録音、生存者の一人で非番の客室乗務員であった落合由美さんの証言、乗客が遺書として書いた家族への手紙などから、当日の機内の緊迫した様子を再現する。激しく揺れる機内で、最後までパニックに陥らず、乗客を励まし続けた乗務員たちの態度が胸を打つ。著者の先輩で、機内アナウンスを担当していた対馬祐三子ASは最後尾の座席で手帳を開き、不時着後のアナウンスをメモしていた。そこに家族へのメッセージは書かれていない。最後の最後までプロとしての仕事を貫こうとしたのだろう。

政治家たちの視点。

その後、墜落した日航機が御巣鷹山でどのように破壊されたかを、資料をもとに語った後、当時の首相であった中曽根康弘運輸大臣であった山下徳夫が、事故当時、どう行動したかを記す。夏休みを軽井沢で過ごしていた中曽根首相は、東京へ戻る特急の中で事故の報告を受けたという。そして結局、首相は、夏の間、墜落現場に行かなかった。事故の後、ゴルフは自粛したものの、テニス、水泳、読書にいそしんだという。彼が現場を訪れたのは3ヶ月後の11月4日だった。まるで事故など無かったかのようにのほほんと休暇を過ごす首相の行動がかえって不気味といえなくもない。いっぽう山下徳夫運輸大臣は、当日、なんと事故機のJA8119で福岡〜羽田を飛んでいた。客室乗務員も事故機と同じで、山下大臣が座った2階席を担当した木原ASは、三光汽船会社更生法申請問題で疲れ果てていた大臣を暖かくもてなした。「お孫さんにどうぞ」とジャンボ機のおもちゃ3個を機内用紙袋に入れてプレゼントしたという。その紙ぶくろを持ったまま空港から官邸に入った大臣は、事故のことを知らされ、自分が乗ってきた便と同じ客室乗務員が乗っていたこを知ると、思わず涙ぐんだという。12日夜、山下大臣を本部長とする日航機事故対策本部が設置され、23時に第一回会議が開かれた。翌13日、山下運輸大臣は、遺族の待機場所になっていた群馬県藤岡市内の小・中学校を回り、陳謝の言葉を述べた。同じ日、自衛隊のヘリで上空から墜落現場を視察した。

日本航空の視点。

18時33分に航空管制当局から連絡が入った。18時41分に、日航航空部から東京空港事務所に通報がいった。20時20分羽田空港に対策本部、羽田東急ホテルに乗客の家族控え室を設置した。そのホテルで乗客の家族に詰め寄られた町田直副社長は、思わず「北朝鮮からのミサイルに撃たれたのだ」と叫ぶ。運輸省からの天下りで元運輸次官だった町田氏は、社長候補であったが、その数日後、「遺体安置室にて扇子であおぐ姿」を写真に撮られて失脚する。21時25分、日本航空は、医師、看護婦、社員からなる180名の第一次現地派遣弾を結成して羽田を出発した。21時35分、渡辺信二広報部長が記者会見を行った。「日航123便墜落を確認した。炎上中」という内容だった。22時50分に高木養根社長が羽田東急ホテルにてご家族に陳謝。翌12日早朝、関西地区のご家族536名登場の臨時便を運航。9時48分には藤岡公民館に日航現地対策本部を設置。13時40分、高木社長が藤岡公民館にて陳謝した。一家族に対して二名の世話役が担当し様々なサポートを行った。この時の世話役の一人が、スチュワーデスから地上職に移り、女性課長の先駆者であったM.I.さんで、1ヶ月にわたり遺族との交渉や遺体の確認に奔走したが、10月11日、突然、くも膜下出血で死亡した。事故直後に世話役をした社員の中には体調を崩す者も多かったという。

様々な証言からわかってきたこと。

第2章からは、様々な人の証言がつづられる。2011年8月26日、著者は遺族の一人である吉備素子氏にインタビューを行っている。夫の吉備雅男さん(当時45歳)は塩野義製薬次長として出張中に事故に遭った。吉備氏は、最初の世話役のKさんに感謝しながらも日航や政府の対応に強い不満を感じていた。9月になって日航のほうから、身元不明の部分遺体や炭化が著しいもの、骨粉などは10月中に荼毘に付すとの連絡があった。検視の困難さを見ていた吉備氏は、それもやむえないと思っていたが、10月4日に群馬入りしたら、血液検査を頼んでいた主人のものと思われる右大腿部の大きなものまで荼毘に付されていた。驚いた彼女は、事前の連絡と違う、ひどいといって警察ともめだした。世話役が間に入って警察と掛け合ってくれたが、日航は警察の検視現場に入るなと言われていて、らちがあかなかった、こんな状態で10月中に全部荼毘に付すのはいかないと、本社の高木社長に直接会いに行った。社長室で高木社長と話をすると、彼は山中の墜落現場にも行ってない、黒焦げの遺体も見ていない、まったく現場を見ていない様子だった。吉備氏は、「あのような状態で、遺体を荼毘に付しては520名が浮かばれない。私と一緒に中曽根首相のところへ行って直訴しましょう。あんたの命をかけても首相官邸に行ってください。」と高木社長に迫った。そうすると高木社長はブルブルと震えだして「そうしたら私は殺される」という。普通に話ができないほど怯えている高木社長が頼りにならないと悟った彼女は気丈に「そんなら私が一人で行きます。」と言った。びっくりした高木社長は、しかたがないと、政府に対して口が利ける、公家さん出身の社員を同行させることにしたという。吉備氏や首相官邸に行こうとしているのに、連れていかれた先は運輸省だった。運輸省では、ある程度権限を持った官僚が出てきた。彼女は「あんな遺体の扱いではいけない。遺族は納得しませんよ。身元を確認していない人も多いのに、すぐ荼毘に付すとは、裁判でも何でもしますよ」と言った。相手は「僕は東大の法科を出ている。法学部出身者です」と、やれるものならやってみろという顔つきで言い返してきたという。吉備氏は、「ほんなら話しは早い、わかっているなら、なおさら」と答えた。彼女は、この運輸官僚に、まだ身元確認も終わっていない遺体をさっさと荼毘付そうとしている姿勢に意見を述べた。また、検査を依頼して、保存している遺体を荼毘に付したり、遺体を取り違えたりしている警察の失態を話しはじめたら、官僚は、ようやく善処すると答えた。吉備氏が群馬に戻ると、急に命令があったのか、荼毘に付す日は延期され、12月まで冷凍保存することになったという。

事故原因を追求すると戦争になる。

事故の原因は圧力隔壁の修理ミスと経年劣化による破壊とされていた。しかし、当時の関係者の間でもこの説に疑問を持つものが少なくなかったという。さらに「事故原因を追求すると戦争になる」という話が囁かれていた。吉備氏も、群馬県警察本部長で日航機事故対策本部長をを務めた河村一男氏から急に「戦争になる」という言葉が飛び出してきたことを覚えているという。その後、河村氏は、警察を退職し、再就職をして大阪に行き、さらに神戸に住まいを変えたという。吉備氏の名が新聞や本に出ると、電話をかけてきて、彼女を監視するためにわざわざ大阪に来たんや、ずっと見ているぞ、という感じの話ぶりだったという。著者は吉備氏へのインタビューの後、当時を知る広報や航務、社長秘書室などで働いていた複数の日航社員に確認をしたがという。いろいろと思い当たるようであったが、事故原因については「そういうことはねえ、今言っちゃいけないんだよ。私たちが死んだあと、ずっとずっと後にいつかはわかることだから。米軍が絡んでいるんでしょ?たぶんね」という返事が返ってきたという。このあと、事故直前に、福岡発羽田行きの事故機に乗っていた山下徳男運輸大臣へのインタビューがある。山下氏は、今回だけでなく、航空機事故で驚くべき体験をしている。1972年のインド、ボンベイ空港取り違え誤認着陸によるオーバーラン事故に遭遇していた。その時、隣の席に、日航123便の機長、高浜雅巳氏が座っていたのだという。機長は業務中移動でファーストクラスの空いた席に座ることが多かったという。その時、山下氏も全治1ヶ月の怪我をされたという。山下氏に事故原因や事故直前に機内から撮られた写真に写っていた物体の話をすると、肯定も否定もしなかった。別れ際に次の一言を語った。「あのね、日本は何でもアメリカの言いなりだからね。遺族が再調査を望むのであればぜひすべきだと思う」

2機のファントムと赤い物体が貼り付いた日航機を目撃。

ここまでは、政府や日航の不可解な対応ぐらいの話だが、以下の目撃証言あたりからは、荒唐無稽といってもいいような内容が浮かび上がってくる。それでも著者は注意深く、陰謀説や安易な憶測を避けて、目撃証言や事実を積み重ねていく。藤枝市の運輸会社に勤めていた女性の目撃証言が興味深い。仕事を終え、タイムカードを押してオフィスの外に出た瞬間、「キャーン、キャーン」と2度、すさまじい女性の金切り声のような音を聞く。驚いて頭上を見上げると、目の前を右斜めに機体を傾けながら低く飛行しているジャンボジェット機が見えた。駿河湾のほうから、富士山が見える方向に、ゆっくりと右旋回しながら飛行しており、はっきりと窓が見えるほど低い高度だった。飛行そのものは安定している感じだったという。そしてその時、あることに気づいた。長いけど引用してみる。「それは、機体の左下のお腹です。飛行機の後ろの少し上がり気味の部分、お尻の手前ぐらいでしょうか。貨物室のドアがあるような場所、そこが真っ赤に抜けたように見えたんです。一瞬火事かな、と思ったけど、煙が出てる様子もない。ちょうど垂直尾翼のあたりがグレー色でギザギザのしっぽみたいだったので、それがしっぽに見えたけど…。煙ならたなびくけど、それは動かなかった。今思うと、千切れたしっぽのギザギザが煙のように見えたんですね」真っ赤というと火事と思いきや、そうではないという。「そのお腹の部分、つまり飛行機の左側のお腹の部分、4〜5メートルくらいになるのかなあ。貨物室ドア2枚ぶんぐらいの長さでしょうか。円筒形で真っ赤。だ円っぽい形でした。濃いオレンジ、赤という色です。夕日を浴びて赤い、という感じでもない。夕日は機体の背を照らしていたので、逆にお腹はうす暗く見えました。円筒形のべったりした赤色がお腹に貼り付いているイメージ、言葉で伝えるのは難しいけど、絵に描くとこんな感じかなあ」引用終わり。その機体を見た後、いつもどおりの道を車に乗って帰宅途中、今度は目の前を飛ぶ2機のファントム(F-4J)を見た。時間は先ほどのジャンボジェット機を見て5分くらい過ぎてからだという。浜松の方向、西の位置から飛んできたと思われるファントム2機はジャンボジェット機が飛び去った方向に向かい、それを追うようにして、今では新東名(第二東名)高速の方向、山の稜線ギリギリの低空飛行で飛び去っていった。時間は18時35分頃である。まだこの時点で日航機は墜落していない。しかも公式発表で19時5分出動となっているファントムが、すでに実際に飛んでいたことになる。2機のファントムに関する証言は、群馬県警察本部発行の冊子「上毛警友」昭和60年10月号の日航機墜落事故特集号に掲載された自衛官の手記でも記述されている。自衛隊第十二偵察隊(相馬原)の一等陸曹、M.K.氏は、事故当日、実家に不幸があり、吾妻郡東村に帰省していた。午後6時40分頃、突如として実家の上空を航空自衛隊のファントム2機が低空飛行していった。その飛行が通常と違う感じがしたという。午後7時20分頃、臨時ニュースで日航機の行方不明を知り、これは出動になると直感し、部隊に電話をしたが、回線がパンク状態で連絡がつかなかった。タクシーで向かったが、所属部隊はすでに20時半に第一次偵察隊として先遣されていたという。この自衛官の証言は、上の藤枝の女性の証言と辻褄が合う。ファントム2機は、墜落の瞬間まで日航機を追跡し、墜落現場も特定できたはずである。にもかかわらず、一晩中墜落場所不明としたのはなぜなのか?また墜落前に飛んでいたファントム2機の存在を隠し続けているのはなぜなのか?どうしてもそうしなければいけない理由があったとしか考えられないと著者はいう。さらに目撃証言は続く。

小学生・中学生の目撃証言から。

事故の年の9月30日に発行された群馬県上野村立上野小学校148名の児童による日航機事故についての文集「小さな目は見た」がある。もう一冊は、同年10月1日に発行された群馬県上野村立上野中学校87名による日航123便上野村墜落事故特集「かんな川5」。

ここでも墜落前に「2機の小さなジェット機が1機の大きなジェット機を追尾して低空で飛んでいた」様子が目撃されている。さらに「真っ赤な飛行機が飛んでいた」という証言。墜落前後は「稲光のような閃光と大きな音を見聞きした」という証言。「墜落場所は上野村と特定できて報告したにもかかわらず、テレビやラジオでは場所不明または他の地名を放送し続けていた」という証言。「墜落後、多数のヘリコプター、自衛隊の飛行機、自衛隊や機動隊の車を目撃した。」「ヘリコプターは墜落場所をサーチライトのような強い明かりで照らしながら多数行き来していた」「煙と炎の上がった山頂付近をぐるぐると回りながら何かをしている何機ものヘリコプターがぶんぶんと飛んでいた。

ガソリンとタールの臭いと炭化遺体の謎

小中学生の文集から浮かび上がってくるのは、墜落後、山頂付近で見られた何機もヘリコプター。テレビでは一晩中、墜落場所は不明と報道されていた。もしもこれが本当なら、何機ものヘリは何をしていたのだろう。著者は、翌朝、現場に漂っていたというガソリンとタールの臭いに注目する。そして乗員4名乗客1名を司法解剖した群馬大学医学部の古川研教授の証言を紹介する。「(機体)前部の遺体には損壊や焼損が目立ち、衝撃のすさまじさと主翼の燃料タンクの火災の影響を受け、焼損遺体の中には部位も判然としないものがあり、通常家屋火災現場の焼死体をもう一度焼損したように見えた(略)」著者は医師、歯科医師消防団に取材した際、「それほどジェット燃料はすさまじいのか」と逆に質問を受けたという。著者は、日航機事故のことを伏せて「ガソリンとタールの臭い」と骨まで炭化した遺体」について、元自衛官、軍事評論家、大学の研究者に質問している。「ガソリンとタールの臭いが充満長時間燃え続ける物質は何か。その結果、人間の体が炭のようになる状態のものは何か。」という質問に対して共通する答えは次の通りであった。「ガソリンとタールを混ぜて作ったゲル状燃料である」質問:「なぜそれが人間の体を炭にするのか」答え:「化学薬品によってゲル状になったガソリンであるため。これが服や皮膚に噴射されて付着するとそのすべてが燃え尽き、結果的に炭状になる」質問:「これはどこで手に入るのか」答え:「一般にはない。軍用の武器である。その武器は、燃料タンクを背負い、射程距離は約33mで歩兵が用いるものである。第二次世界大戦で使用された。M1、M2の2種類がある。昔の武器というイメージがあるが戦後は米軍から自衛隊に供与されていた。現在も陸上自衛隊普通科に携帯放射器として配備されている。これはM2型火炎放射器の改良型である。噴射回数十回まで可能。噴射用圧縮空気タンクを連結している。今でも駐屯地祭でデモンストレーションしている」質問:「それはどこにあるのか」答え:「陸上自衛隊普通科歩兵、科学防護部隊で、相馬原普通科隊にもある可能性が高い」

あれは「事故」ではない。「事件」だ。

あの事故の記憶を風化させないために、著者は20年以上経ってから、当時の報道や証言を丹念に読んでいったという。最初は自衛隊による誤射やミサイル攻撃、米軍の関与などの言葉を聞くだけでも不愉快であったという。しかし当時の経緯を丹念に追っていくうちに、浮かび上がってきたのは、事故調査委員会の公式発表とは違った事故の姿だったという。この著者は、きっと、真実にたどり着くまで、事件の探求を止めないだろう。

1995年に公開された米軍パイロットの証言。

僕も、墜落の原因として、自衛隊による誤射やミサイル説など、極端な陰謀説が出回っていることは知っていたが、興味は持てなかった。しかし1995年米国で公開された米軍パイロットの証言はよく覚えている。本書にも書かれているが、彼は123便がレーダーから消えた直後、現場上空に直行し、墜落現場を発見、横田基地に連絡した。さらに米海兵隊の救援ヘリコプターを墜落現場まで無線で誘導。乗員を地上に降ろそうとしたその時、日本側の救援機が来たからという理由で即刻基地に帰還を命じられ、しかたなくヘリを引き揚げさせた。彼が日本の救援機を見たのは21時20分、安心してその場を引き揚げて横田基地に帰還し報告をした。彼の上官は「ごくろうだった。このことについてマスコミには一切他言無用」と命じられた。翌日、報道が「一晩中墜落場所不明」となっていたことに驚いたという。この報道を見て、僕は、日本側の、ある種の縦割り主義というか、一番乗りの手柄を米国に取られたくない「お役所仕事」のせいだと腹を立てたことを覚えている。しかし自衛隊の誤射やミサイル説などはとうてい信じる気にはなれず、疑問を持つことなく今日まで過ごしてきた。しかし今日からは、著者と同じように、あの「事件」をもう一度、ゼロから見つめ直そうと思う。

柞刈湯葉「横浜駅SF」

横浜駅」が暴走、自己増殖して日本を覆い尽くす。

映画「ターミネーター」で人類に反乱を起こす人工知能の名は「スカイネット」。本書では「横浜駅」と「スイカネット」が暴走を起こして、日本全土を支配しようとする。昨年末に出版された直後、書店で手にとったが、購入には至らず。アイデアは面白いが、一発芸的な浅い内容であろうと敬遠していた。先日、友人のH君と飲んでる時に本書の話が出て、なかなか面白いとのこと。元々はWeb小説だったようだ。大正4年にできて以来改築工事を繰り返してきた「横浜駅」がついに自己増殖を始めた。その結果、本州の面積の99%が「エキナカ」となり、「スイカID」を脳に埋め込まれた人だけが「エキナカ」で生活することができる。横浜駅は、本州を制圧し終え、北海道、四国、九州への侵攻を始めていた。すでに四国は瀬戸大橋を通じて、侵入が始まっている。北海道は青函トンネルを挟んでJR北日本との戦闘が続いており、九州も関門海峡を渡ろうとする横浜駅とJR福岡の間で激しい攻防戦が続いていた。「スイカID」を持たない人々は「自動改札」と呼ばれるロボットに強制的に排除される。主人公のヒロトは、スイカIDを持たない「エキソト」の住人で、鎌倉あたりの小さな海辺の集落に暮らしていた。(「横浜駅」は海に入ることができないため、海沿いには、非スイカ住民が暮らす集落が点在している。彼らは、「横浜駅」から排出される廃棄物をを利用して生活している。)

18きっぷ」の冒険。

主人公は、横浜駅に抵抗する「キセル同盟」のメンバーを名乗る人物から「18きっぷ」を渡され、エキナカに潜伏する仲間を探すように頼まれる。「18きっぷ」の有効期限は5日間。主人公の「エキナカ」の冒険がはじまる。これ以上書くとネタバレになるので書かないことにするが、けっこうディテールが読ませる。例えば富士山は山頂まで「横浜駅」に覆われ、頂上まで、エスカレーターで登ることができるとか…。

鉄ちゃんには残念。

増殖したのは駅であって、鉄道ではない。そのため「エキナカ」の移動は、歩くか、動く歩道か、エスカレーター、エレベーターに限られる。様々な列車は登場せず、昔の遺物としてリニア新幹線がちょこっと出てくるだけである。それが物足りないといえば物足りない。「700系のぞみ」「みずほ」「さくら」の名は、本書に登場する銃器の名前で出てくるにすぎない。本当は、様々な列車が進化して自律型のロボットとなり、戦ったりするともっと面白かったかもしれないが、そうなるとトランスフォーマーみたいで収拾がつかなくなるかもしれないが。

「時計じかけのスイカ」

各章のタイトルも笑える。「時計じかけのスイカ」「構内2万営業キロ」「アンドロイドは電化路線の夢を見るか」「あるいは駅でいっぱいの海」「増築主の掟」「改札器官」。全部わかる人はかなりのSFマニアだ。

なかなかの才能。

独特のユーモアもあって、筒井康隆かんべむさしを思わせるところもある。なかなかの書き手だ。「横浜駅」の自己増殖の仕組みの説明はちょっと物足りなかったかな。それと時代設定を「数百年以上先の未来」というのも、ちょっと不満。もっと現代に近いほうがよりシュールな面白さが出せたのに、と思った。関西に住む人間としてはJR西日本や「イコカ」も登場させてほしかった。(ちょっとだけ出てくる)。

 

 

水野和夫「閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済」(新潮新書)

尊敬する友人、POPでロジカルでパワフルな頭脳の原さんのおすすめ。経済の本は、読み始めても途中で挫折することがほとんどだが、この本は、ほぼいっき読み。いやー、面白かった。なんか魔法みたいだ。概要をここに要約して、ちゃんと解説したいところだが、僕の能力では到底無理。なので、以下、本書を読んだ感想を記す。

僕たちは「資本主義と近代システムの終焉」の時代を生きている。

 800年続いた資本主義が、500年続いた近代システムとともに終わりを迎えつつある。それにともなって世界は「グローバル化」から「閉じた帝国」の時代に向かっている。というのが著者の主張だ。現在、世界で起きている様々な事象のほとんどが、これによって説明できるという。トランプ政権の誕生、イギリスのEU離脱、テロの多発、中国、ロシアの覇権主義、日本のマイナス金利、日銀の敗北、東芝粉飾決算、安倍政権の暴走…。実際に、著者は、本書の中で、資本主義の歴史から説き起こし、それらの事象をたたみかけるように当てはめていく。その考察は、目からウロコが落ちるというか、痛快だ。しかし、日本が「これから選び取るべき道」の話になると、著者自身もわからないという。しかしそのヒントはいくつか提示されている。

「より近く、よりゆっくり、より寛容に」

そのひとつが、近代システムの「より遠く、より速く、より合理的に」という理念を反転し、「より近く、よりゆっくり、より寛容に」とすることだという。さらに巨額債務の解消、エネルギーの自給化、地方分権化の推進が不可欠であるという。また、すでに行き詰まりが見えているアメリカの金融帝国への従属からも脱すべきだという。著者は、日本はどうすべきかと問われた時に「EUに毎年加盟申請をする」と真顔で答えるという。その理由は、EUだけが「ポスト近代」を模索しているからだという。
著者自身もわからないという「日本が進むべき道」。しかし、ここに提示された方向は、最近になって出てきた日本や世界の新しいトレンドとも一致していると感じる。「里山資本主義」のコンセプトや山崎亮などが提唱している地域コミュニティの再生、さらに地産地消を旨とするスローフード運動なども、同じ方向に向かっていると感じる。しかし、そのムーブメントはまだまだ小さく、少数派でしかない。本書の意義は、そんな少数派のムーブメントに、歴史的/科学的知見に基づいた理論的な裏付けを与えることかもしれない。僕たちが自明のものだと思ってきた資本主義も、近代システムも、国民国家も、決して永久不変のものではなく、千年に満たない歴史しか持たない、不完全なシステムであったことを本書は教えてくれる。本書を読み終えての最大の収穫は、僕たちが今後進むべき方向が定まったことかもしれない。子供たちのために、僕たちが今できることは、ポスト資本主義、ポスト近代の「解」を模索し、少しでも良い形で彼らに手渡すことではないか。残念ながら、この国の政権は、もうすぐ終わろうとしている資本主義と近代システムの亡霊に取り憑かれたように、成長やグローバリズムの路線を突っ走ろうとしている。出てこい、「ポスト資本主義」「&ポスト近代」を目指す政治家たち。

大西康之「東芝解体 電機メーカーが消える日」

僕のコピーライターとしてのキャリアの8割ぐらいは、家電メーカーの広告や販促、イベントに関わる仕事だった。そして後半は、通信大手の広告や販促にも関わった。今世紀に入ってからの仕事は、本書で描かれた電機メーカー凋落の時期と重なっている。その間、電機メーカーの変化だけではなく、様々な分野で、大きな変化が同時に起こり、広告の現場にいる僕たちも、その波に呑み込まれ、厳しいサバイバルを強いられていた。だから、実際のところ、日本を代表する企業であった電機メーカーが、どんな経緯を経て、あれほど急速に凋落していったのか、ちゃんと理解していないし、納得もできていないのである。最初、本書のタイトルを見て、買おうとは思わなかった。「〜が消える日」「〜が崩壊する日」「〜解体」等の、いかにもありがちなタイトルにも興味を持てなかった。しかも後で無理やりくっつけたかのような「東芝解体」という副題がわざとらしい。それでも本書を買ってしまったのは、自分のキャリアの大半を費やして関わったクライアントに起きた変化について、少しでも知りたかったからかもしれない。

 2017年は「電機敗戦の年」。

序章の冒頭、著者は、「2017年は、日本の歴史に『電機敗戦の年』と刻まれるだろう」と書く。そして東芝をはじめとする電機メーカーが現在置かれている現状をざっくり俯瞰する。成長事業のほとんどを売り払い、国内に残された原発廃炉会社となる東芝。台湾のホンハイ精密工業の傘下に入ったシャープ。中国のハイアールに白物家電事業を売却した三洋電機、かつて世界一の半導体売上を誇ったNECも連結売上高で3兆円を下回った。2007年には、松下電機、松下電工三洋電機の売上を合わせると12兆9908億円だったが、3社1つになったパナソニックの2014年3月期の売上高は7兆736億円にとどまる。著者は、これらの変化を「歴史は繰り返す」という言葉で表す。かつて世界を席巻する企業だったRCAも日本メーカーとの競合に敗れ、仏トムソンに吸収された。そのRCAと並ぶ家電の高級ブランドだったゼニスも韓国LG電子に買収された。それは、産業革命以来、幾度も繰り返されてきた「新旧交代」の見慣れた風景であるという。違いは、これまで「新」の側だった日本が「旧」に変わったことだという。そして現在の「新」勢力の圧倒的なパワーを紹介する。東芝白物家電事業を買った中国の「美的集団」は白物家電では東芝の10倍以上の2兆7600億円を売る。シャープを買ったホンハイも2015年には約16兆円を売り上げた等々…。

日本の電機が負け続ける本当の理由。

それにしてもあれほど隆盛を誇った電機メーカーがこれほど急激に凋落した理由はいったい何だったのだろう。著者によると、日本の電機メーカーを支えてきた特有の事情があったという。それは著者が「電電グループ」「電力グループ」と呼ぶ社会主義的な仕組みの存在である。例えば通信分野は、電電公社が民営化されて生まれたNTTが頂点に立って傘下の企業群と利益を独占してきた。その傘下にあるのがNEC富士通東芝などを中心とした企業群。もうひとつは、東京電力を頂点にした10の電力会社が支配する電力グループ。こちらは三菱重工日立製作所東芝などを傘下に収めた企業グループである。どちらも電話料金、電気料金という、なかば税金のような収入源を独占し、その利益をグループ内で山分けしてきた歴史があるという。グループ内の企業にとって、お客様は、末端ユーザーではなく、NTTやドコモ、電力会社であったという。さらに、郵政省や通産省などがグループを指導していたという。競争相手がいない市場では盤石の仕組みであったが、内外の競争相手が現れると、途端に弱さを露呈したという。3Gの携帯電話とiモードを世界に普及させようとしていたドコモは、3Gのフォーマット戦争に敗れ、iモードの世界普及にも失敗。さらにiPhoneにはじまるスマートホンの開発にも遅れを取ってしまう。ドコモの戦略に従っていたNEC富士通などのメーカーもスマートホンの開発に乗り遅れ、結局、多くのメーカーが携帯電話のビジネスから撤退してしまう。独立系発電事業者との競争にさらされた電力会社も設備投資は大幅に落ち込み、2005年には2兆円を下回るようになっていた。そこに追い打ちをかけたのが東日本大震災による福島第一原発の事故である。この事故によって、原発安全神話は崩壊。国内での新規原発建設は絶望的となり、海外に活路を求めるしかなくなった。しかし新たな国策である「原発輸出」の先頭に立つべき東京電力は、巨額の賠償を抱え、身動きが取れない。福島第一原発の事故と東芝粉飾決算は偶然の一致ではない、と著者は言う。電力自由化で競争にさらされた東電は、福島原発の防波堤を当初計画より低くしていた。事故により東電からの「ミルク補給」を断たれた東芝は、粉飾決算に走ったのだ。

電機メーカー壊滅は、恐竜の絶滅。哺乳類も出現してきた。

取り上げられた電機メーカーは8社。東芝NEC、シャープ、ソニーパナソニック日立製作所三菱電機富士通。僕の場合は、パナソニックを真っ先に読み、ソニー、シャープを読んだ後、一番目の東芝から順番に読んでいった。各社の章を要約したり感想を書くのはやめておこう。ひとつだけ書くとすれば、本書を読んで、パナソニック、シャープ、ソニーが、三つ巴で戦ったテレビ戦争の経緯が、ようやく自分なりに納得できたことだろうか。パナソニックがプラズマパネル増産のために行った尼崎工場での巨大な投資も、シャープが堺に建設した巨大なコンビナートも、今になってみれば間違っていたことがわかるが、当時は、業界もメディアも絶賛していたのだ。ソニー凋落の戦犯として真っ先に名前があがる出井伸之も、今になってみれば、彼が手がけた改革が、現在のソニーにおいて実を結んでいる部分も少なくないという。電機メーカーから脱皮しつつあるソニーをはじめ、手堅く改革を進め、しぶとく生き延びている三菱電機など、明るい方向が見えている企業もあるが、著者の視点は一貫して辛口だ。かつて世界を席巻した電機メーカーは、環境の変化に適応できず絶滅した恐竜であると切り捨てられる。一方、その新しい環境の中で「哺乳類」が生まれているという。元三洋電機社員が始めたものづくりベンチャーの「シリウス」、パナソニック、シャープ、三洋電機で活躍の場を奪われたエンジニアを集めて白物家電を開発している「アイリスオーヤマ」など…。

最後に著者の言葉を引用する。「かつて『世界最強』を誇った日本の電機メーカーは、氷河期に適応できなかった恐竜のように壊滅した。だが、すべてが終わったわけではない。風に吹かれたタンポポの綿毛のように、古巣を離れ、新たな土地で芽を出そうとしている人々がいる。彼らが作る会社や事業は、総合電機に比べればちっぽけだが、環境に適応した哺乳類のように小回りが利き、順応性が高い。ソニー三菱電機のように自らを『電機メーカー』ではない姿に変えて生き延びようとしている大企業もある。会社や業界が滅んでも人は残る。むしろ環境に適応できない大企業の中に閉じ込めている方が不幸かもしれない。『東芝解体』に象徴される電機産業の壊滅は、日本経済が新たなステージに踏み出すための通過儀礼だと考えた方がいい。」引用終わり。

ONLY THE PARANOID SURVIVE

序章の中で引用されているインテルの元CEO、アンディ・グローブ(2016年没)の著書「ONLY THE PARANOID SURVIVE」(偏執狂だけが生き残る)の中の言葉「偏執狂的な集中力で製品を開発し、投資し、競争相手を徹底的に叩き潰すことが、半導体産業の中で生き残る唯一の道だ」が妙に印象に残っている。重電から家電まで幅広く手がける総合電機に「偏執狂」はいなかった、と著者は言う。そうだろうか。かつてソニー松下電器、電機の創業者たちは「偏執狂」ではなかったか?アップルのスティーブ・ジョブズマイクロソフトビル・ゲイツは?ソフトバンク孫正義は? 創業者ではない、現代の経営者たちに欠けていたのは創業者の「偏執狂」的特質かも。