水野和夫「閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済」(新潮新書)

尊敬する友人、POPでロジカルでパワフルな頭脳の原さんのおすすめ。経済の本は、読み始めても途中で挫折することがほとんどだが、この本は、ほぼいっき読み。いやー、面白かった。なんか魔法みたいだ。概要をここに要約して、ちゃんと解説したいところだが、僕の能力では到底無理。なので、以下、本書を読んだ感想を記す。

僕たちは「資本主義と近代システムの終焉」の時代を生きている。

 800年続いた資本主義が、500年続いた近代システムとともに終わりを迎えつつある。それにともなって世界は「グローバル化」から「閉じた帝国」の時代に向かっている。というのが著者の主張だ。現在、世界で起きている様々な事象のほとんどが、これによって説明できるという。トランプ政権の誕生、イギリスのEU離脱、テロの多発、中国、ロシアの覇権主義、日本のマイナス金利、日銀の敗北、東芝粉飾決算、安倍政権の暴走…。実際に、著者は、本書の中で、資本主義の歴史から説き起こし、それらの事象をたたみかけるように当てはめていく。その考察は、目からウロコが落ちるというか、痛快だ。しかし、日本が「これから選び取るべき道」の話になると、著者自身もわからないという。しかしそのヒントはいくつか提示されている。

「より近く、よりゆっくり、より寛容に」

そのひとつが、近代システムの「より遠く、より速く、より合理的に」という理念を反転し、「より近く、よりゆっくり、より寛容に」とすることだという。さらに巨額債務の解消、エネルギーの自給化、地方分権化の推進が不可欠であるという。また、すでに行き詰まりが見えているアメリカの金融帝国への従属からも脱すべきだという。著者は、日本はどうすべきかと問われた時に「EUに毎年加盟申請をする」と真顔で答えるという。その理由は、EUだけが「ポスト近代」を模索しているからだという。
著者自身もわからないという「日本が進むべき道」。しかし、ここに提示された方向は、最近になって出てきた日本や世界の新しいトレンドとも一致していると感じる。「里山資本主義」のコンセプトや山崎亮などが提唱している地域コミュニティの再生、さらに地産地消を旨とするスローフード運動なども、同じ方向に向かっていると感じる。しかし、そのムーブメントはまだまだ小さく、少数派でしかない。本書の意義は、そんな少数派のムーブメントに、歴史的/科学的知見に基づいた理論的な裏付けを与えることかもしれない。僕たちが自明のものだと思ってきた資本主義も、近代システムも、国民国家も、決して永久不変のものではなく、千年に満たない歴史しか持たない、不完全なシステムであったことを本書は教えてくれる。本書を読み終えての最大の収穫は、僕たちが今後進むべき方向が定まったことかもしれない。子供たちのために、僕たちが今できることは、ポスト資本主義、ポスト近代の「解」を模索し、少しでも良い形で彼らに手渡すことではないか。残念ながら、この国の政権は、もうすぐ終わろうとしている資本主義と近代システムの亡霊に取り憑かれたように、成長やグローバリズムの路線を突っ走ろうとしている。出てこい、「ポスト資本主義」「&ポスト近代」を目指す政治家たち。

大西康之「東芝解体 電機メーカーが消える日」

僕のコピーライターとしてのキャリアの8割ぐらいは、家電メーカーの広告や販促、イベントに関わる仕事だった。そして後半は、通信大手の広告や販促にも関わった。今世紀に入ってからの仕事は、本書で描かれた電機メーカー凋落の時期と重なっている。その間、電機メーカーの変化だけではなく、様々な分野で、大きな変化が同時に起こり、広告の現場にいる僕たちも、その波に呑み込まれ、厳しいサバイバルを強いられていた。だから、実際のところ、日本を代表する企業であった電機メーカーが、どんな経緯を経て、あれほど急速に凋落していったのか、ちゃんと理解していないし、納得もできていないのである。最初、本書のタイトルを見て、買おうとは思わなかった。「〜が消える日」「〜が崩壊する日」「〜解体」等の、いかにもありがちなタイトルにも興味を持てなかった。しかも後で無理やりくっつけたかのような「東芝解体」という副題がわざとらしい。それでも本書を買ってしまったのは、自分のキャリアの大半を費やして関わったクライアントに起きた変化について、少しでも知りたかったからかもしれない。

 2017年は「電機敗戦の年」。

序章の冒頭、著者は、「2017年は、日本の歴史に『電機敗戦の年』と刻まれるだろう」と書く。そして東芝をはじめとする電機メーカーが現在置かれている現状をざっくり俯瞰する。成長事業のほとんどを売り払い、国内に残された原発廃炉会社となる東芝。台湾のホンハイ精密工業の傘下に入ったシャープ。中国のハイアールに白物家電事業を売却した三洋電機、かつて世界一の半導体売上を誇ったNECも連結売上高で3兆円を下回った。2007年には、松下電機、松下電工三洋電機の売上を合わせると12兆9908億円だったが、3社1つになったパナソニックの2014年3月期の売上高は7兆736億円にとどまる。著者は、これらの変化を「歴史は繰り返す」という言葉で表す。かつて世界を席巻する企業だったRCAも日本メーカーとの競合に敗れ、仏トムソンに吸収された。そのRCAと並ぶ家電の高級ブランドだったゼニスも韓国LG電子に買収された。それは、産業革命以来、幾度も繰り返されてきた「新旧交代」の見慣れた風景であるという。違いは、これまで「新」の側だった日本が「旧」に変わったことだという。そして現在の「新」勢力の圧倒的なパワーを紹介する。東芝白物家電事業を買った中国の「美的集団」は白物家電では東芝の10倍以上の2兆7600億円を売る。シャープを買ったホンハイも2015年には約16兆円を売り上げた等々…。

日本の電機が負け続ける本当の理由。

それにしてもあれほど隆盛を誇った電機メーカーがこれほど急激に凋落した理由はいったい何だったのだろう。著者によると、日本の電機メーカーを支えてきた特有の事情があったという。それは著者が「電電グループ」「電力グループ」と呼ぶ社会主義的な仕組みの存在である。例えば通信分野は、電電公社が民営化されて生まれたNTTが頂点に立って傘下の企業群と利益を独占してきた。その傘下にあるのがNEC富士通東芝などを中心とした企業群。もうひとつは、東京電力を頂点にした10の電力会社が支配する電力グループ。こちらは三菱重工日立製作所東芝などを傘下に収めた企業グループである。どちらも電話料金、電気料金という、なかば税金のような収入源を独占し、その利益をグループ内で山分けしてきた歴史があるという。グループ内の企業にとって、お客様は、末端ユーザーではなく、NTTやドコモ、電力会社であったという。さらに、郵政省や通産省などがグループを指導していたという。競争相手がいない市場では盤石の仕組みであったが、内外の競争相手が現れると、途端に弱さを露呈したという。3Gの携帯電話とiモードを世界に普及させようとしていたドコモは、3Gのフォーマット戦争に敗れ、iモードの世界普及にも失敗。さらにiPhoneにはじまるスマートホンの開発にも遅れを取ってしまう。ドコモの戦略に従っていたNEC富士通などのメーカーもスマートホンの開発に乗り遅れ、結局、多くのメーカーが携帯電話のビジネスから撤退してしまう。独立系発電事業者との競争にさらされた電力会社も設備投資は大幅に落ち込み、2005年には2兆円を下回るようになっていた。そこに追い打ちをかけたのが東日本大震災による福島第一原発の事故である。この事故によって、原発安全神話は崩壊。国内での新規原発建設は絶望的となり、海外に活路を求めるしかなくなった。しかし新たな国策である「原発輸出」の先頭に立つべき東京電力は、巨額の賠償を抱え、身動きが取れない。福島第一原発の事故と東芝粉飾決算は偶然の一致ではない、と著者は言う。電力自由化で競争にさらされた東電は、福島原発の防波堤を当初計画より低くしていた。事故により東電からの「ミルク補給」を断たれた東芝は、粉飾決算に走ったのだ。

電機メーカー壊滅は、恐竜の絶滅。哺乳類も出現してきた。

取り上げられた電機メーカーは8社。東芝NEC、シャープ、ソニーパナソニック日立製作所三菱電機富士通。僕の場合は、パナソニックを真っ先に読み、ソニー、シャープを読んだ後、一番目の東芝から順番に読んでいった。各社の章を要約したり感想を書くのはやめておこう。ひとつだけ書くとすれば、本書を読んで、パナソニック、シャープ、ソニーが、三つ巴で戦ったテレビ戦争の経緯が、ようやく自分なりに納得できたことだろうか。パナソニックがプラズマパネル増産のために行った尼崎工場での巨大な投資も、シャープが堺に建設した巨大なコンビナートも、今になってみれば間違っていたことがわかるが、当時は、業界もメディアも絶賛していたのだ。ソニー凋落の戦犯として真っ先に名前があがる出井伸之も、今になってみれば、彼が手がけた改革が、現在のソニーにおいて実を結んでいる部分も少なくないという。電機メーカーから脱皮しつつあるソニーをはじめ、手堅く改革を進め、しぶとく生き延びている三菱電機など、明るい方向が見えている企業もあるが、著者の視点は一貫して辛口だ。かつて世界を席巻した電機メーカーは、環境の変化に適応できず絶滅した恐竜であると切り捨てられる。一方、その新しい環境の中で「哺乳類」が生まれているという。元三洋電機社員が始めたものづくりベンチャーの「シリウス」、パナソニック、シャープ、三洋電機で活躍の場を奪われたエンジニアを集めて白物家電を開発している「アイリスオーヤマ」など…。

最後に著者の言葉を引用する。「かつて『世界最強』を誇った日本の電機メーカーは、氷河期に適応できなかった恐竜のように壊滅した。だが、すべてが終わったわけではない。風に吹かれたタンポポの綿毛のように、古巣を離れ、新たな土地で芽を出そうとしている人々がいる。彼らが作る会社や事業は、総合電機に比べればちっぽけだが、環境に適応した哺乳類のように小回りが利き、順応性が高い。ソニー三菱電機のように自らを『電機メーカー』ではない姿に変えて生き延びようとしている大企業もある。会社や業界が滅んでも人は残る。むしろ環境に適応できない大企業の中に閉じ込めている方が不幸かもしれない。『東芝解体』に象徴される電機産業の壊滅は、日本経済が新たなステージに踏み出すための通過儀礼だと考えた方がいい。」引用終わり。

ONLY THE PARANOID SURVIVE

序章の中で引用されているインテルの元CEO、アンディ・グローブ(2016年没)の著書「ONLY THE PARANOID SURVIVE」(偏執狂だけが生き残る)の中の言葉「偏執狂的な集中力で製品を開発し、投資し、競争相手を徹底的に叩き潰すことが、半導体産業の中で生き残る唯一の道だ」が妙に印象に残っている。重電から家電まで幅広く手がける総合電機に「偏執狂」はいなかった、と著者は言う。そうだろうか。かつてソニー松下電器、電機の創業者たちは「偏執狂」ではなかったか?アップルのスティーブ・ジョブズマイクロソフトビル・ゲイツは?ソフトバンク孫正義は? 創業者ではない、現代の経営者たちに欠けていたのは創業者の「偏執狂」的特質かも。

 

川上未映子・村上春樹「みみずくは黄昏に飛びたつ」

こんなすごいインタビュー、読んだことがない。

騎士団長殺し」を読んだ人なら絶対おすすめ!インタビュアーの川上未映子は、十代から村上作品の熱心な読者で、彼の小説はもちろん、エッセイやインタビューなどまで全部読んでいて、しかも、そのディテールまでもしっかり記憶している。世の中に「村上春樹検定」みたいなものがあれば優勝しそう。川上自身が、熱心な読者であること、そして自らも小説家であること。そのふたつが相乗して、彼女を理想的ともいえるインタビュアーにしている。インタビューの最後、村上の言葉が川上のインタビューの凄さを物語る。「しかしそれにしてもこれ、すさまじいインタビューだったなあ(笑)。あと二年くらい何もしゃべらなくていいかも。」インタビューの第一回目は、2015年、村上春樹の「職業としての小説家」出版直後に行われ、2回目以降は、「騎士団長殺し」完成後の2017年1月〜2月に、3回にわたって行われた。

真摯で、鋭く、執拗な問いかけ。

熱心なファンでありながら、自らも小説家である川上は、村上作品を肯定的に読みながら、真摯で、鋭い問いかけを、執拗に繰り返す。これには村上も答えざるを得ず、今までのインタビューでは見せなかった反応を見せる。川上は、過去に村上が書いたり、語ったりしたことを詳細に記憶していて、(ノートを作るなど、周到な準備をしていたせいかもしれない)それを引き合いに出して、村上を問い詰めていく。「そんなこと言ったっけ?」「おっしゃってます」。そのスリリングなやりとりは本書の読みどころのひとつ。例をあげて紹介したいところだが、これはもう読んでもらうしかない。川上のツッコミの例を一つだけあげると…。

「私は今、村上さんの自由さに震えています。」

第二章の「地下二階で起きていること」の中で、川上が「イデア」について村上に質問するところ。「騎士団長殺し」は副題があって、「上巻:顕れるイデア編」「下巻:遷ろうメタファー編」となっている。川上はインタビューのために、プラトンイデア論を予習してきて、「いわゆるプラトンイデアでいうと〜」と語り始めると、村上は、それを「知らなかった」と遮る。以下引用:、川上(あっけにとられて)「ほ、本当かなあ(笑)。わたし、このためにプラトンの『饗宴』と『国家』を、もちろんざっくりとですが、おさらいしてきたんですが…。」村上:「すげえ。嘘みたい。」川上:「だって副題見てくださいよ!イデアとメタファーって書いてるし…。(中略)」川上:「ーーー村上さん……あのですね、原稿書いてて、イデアって単語を村上さんが打つ、こうやってキーボードで『イデア』。イデアってまあ有名な概念じゃないですか。そしたら当然、『ちょっとイデアについて調べておこう、整理しておこう』みたいなこと、考えませんか?」村上:「ぜんぜん考えない」川上:「それは本当ですか。」(中略)「私は今、村上さんの自由さに震えています。」以上引用終わり。この部分は一番極端な箇所だけど、こういうツッコミ&ボケみたいなやりとりが頻繁が出てくるのである。こんな面白さはとうてい説明できない、本当に読んでもらうしかない。僕が気になった部分の感想を書いて、この文章をおしまいにしよう。

悪について。

村上春樹の小説の中で、僕が注目しているのが「悪」の存在。本書の中で、彼女は村上作品の「悪」について3度問いかけている。「ねじまき鳥のクロニクル」あたりから始まり、「アフターダーク」、「海辺のカフカ」にも登場してくる「悪のようなもの」は、「1Q84」では複層化していくという。川上は「形がどんどん変わって、ビッグ・ブラザーはもう出る幕はなく、リトルピープルの形をとる。」と解釈してみせる。そして「騎士団長殺し」では、「悪」というか「悪い場所」が、これまでにない形で描かれているという。例えば、免色という人物。彼は作品の中で、ある種の悪を感じさせる存在であるが、最後まで、彼のポジションは曖昧なままだ。「白いスバルフォレスターの男」も、何らかの「悪」を表していると思うが、不明瞭なまま終わっている。「騎士団長殺し」において「悪」はどのような意味を持っているのか?「免色」は果たして「悪」なのか、「白いスバルフォレスターの男」が示す悪は、どのようなものなのか?しかし問われた村上は、自分にもよくわからないと、明快な答を語らない。免色らしき存在が、まりえの潜んだクローゼットの前にじっと立っているシーンについて、村上は、「小説的に、物語的には説明できるけれど、意味的には説明できない。それを説明してしまうと小説にならない。評論家が意味的に説明しようとするが、それは評論家の勝手というか自由であって、作者には何も言えない。読者もまた好きに考えればいい。僕の役目はテキストを提供するだけだから」と突き放す。結局、悪についての議論は噛み合わないまま、話の焦点がずれていき、結局、村上の創作の方法論になってしまう。

本書に「騎士団長殺し」の解釈を期待してはいけない。

本書の中で、もっとも多く語られる話題が、村上春樹の「創作の方法」についてであると思う。村上は、作品を、ストーリーなど、プランを立てずに書いていくという。ストーリーや構成をあらかじめ考えておくのではなく、毎日、必ず十枚書くことを自分に課すことで、物語を生み出していく。そして、そこに登場する人物や出来事が、どのような意味を持っているのかは、書いている間は、村上自身にもまったくわからないのだという。村上は、その創作の過程を、しばしば「地下2階」に降りていくと語ってきた。地上1階が、いわば日常の生活。地下1階が、自我や自己の世界、そして地下2階が、いわば集合無意識の世界。それは神話や物語につながる世界である。作家が地下2階に降りて、物語を紡ぎだしていくのは、大変な労力を伴い、危険でもあると、村上は語ってきた。川上は「でも、書いているうちに、ストーリーやディテールの意味がわかってくるのではありませんか」と聞くが、村上は「そんなことはない」と言い切る。しかし書いてる本人が、自らの作品の意味を理解していないなんてありえるだろうか…。川上にどれほどつっこまれても、村上は決して自らのスタンスをくずさない。本書に「騎士団長殺し」の中の様々なエピソードやディテールの解釈を求めてもがっかりするだけだ。日本文学の中でも極めて特異な現象である「村上春樹という作家」に、彼の作品を熱愛する若い作家が、こわいもの知らずで切り込んでいった、その丁々発止を楽しむ本なのかもしれない。最後の章の、まとめに入ったところでの川上の言葉が本書の内容を物語っている。(以下引用)「準備段階で用意したものはーーー基本的にほとんど役に立ちませんでした(笑)。というのも『あれはこうですね、これはこうなんですね』というような、ある意味で常識的な『読み』のようなものが、村上さんと小説について話すにあたって、ほんとに使えなかった。わたしのノート、見てくださいよ……年表はもちろん社会的出来事との相関図、『騎士団長殺し』の絵も描いてきたんですよ……作りながらね、これまったく意味ない可能性あるよね、とは思っていたんですが、正直に言って、まさかここまで意味ないとは思っていなかったです(笑)。」(以上引用終わり)

 

 

 

阿古真理「小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代」

以前のエントリーで書いた「なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか」の著者による本。その後、著者の本を数冊読んだが、本書は、その中で最も面白かった著作である。「なぜ日本のフランスパンは〜」が、単なるグルメ本ではなく、食文化の変遷を通して見た日本の近代史であったように、本書も料理研究家を通して、近代以降の日本の社会史、生活史、女性史に深く踏み込んでいる。僕自身、料理をする習慣を身につけていないにも関わらず、大変興味深く読めた。しかし、要約や感想を書くのは難しい。本書を読んだのは、今年の1月だが、感想を書くのに3ヶ月以上もかかってしまった。

 本書は「革命」の本である。

結論を言ってしまおう。本書は「革命」について書かれた本である。革命の舞台は、「家庭」「台所」「食卓」である。革命を起こしたのは女性たちで、武器は「料理」だ。そして本書で紹介される料理研究家は、いわば革命を扇動した思想家、革命家である。本書が描こうとしているのは、近代以降、特に戦後における、古い因習からの女性たちの解放運動ではないか。

近代が主婦と家事を生んだ。

著者は、まず社会の変化と、それにともなう家族や家事の概念の変遷を語り、さらに、そこで求められる女性の役割や価値観の移り変わりを語る。「家庭」や「家事」「主婦」という僕たちが自明のように使っている言葉は、実は近代になって生まれてきた概念であるという。農業従事者が大半を占めていた時代から、産業の発展にともない都市に人々が移り住むようになって、サラリーマンが生まれ、その伴侶である「主婦」が生まれ、さらに小さな家族の単位である家庭が生まれ、彼女たちの仕事である家事という概念が生まれた。家事の中でも料理は大きな比重を占めたが、故郷を離れ、都会に暮らす主婦たちには料理を教えてくれる姑が存在しなかった。そんな彼女たちの要求に応えたのが、料理研究家である。江上トミ、飯田深雪は、本格的な西洋料理を紹介して家庭料理の世界を広げた。さらに80年代、様々なファンシーな料理を提案した入江麻木、城戸崎愛、セレブな料理研究家、有元葉子を紹介した後、タイトルの一人である小林カツ代の章に入ってゆく。

先駆者、犬養智子桐島洋子

戦後の高度成長期、1960年代半ばには、未婚・既婚に関わらず職に就く女性が増えてきた。戦後の民主主義教育を受けた世代が大人になっていた。1日中家にいて夫や子供につくす戦前型の主婦は時代に合わなくなってきていた。1970年頃からウーマンリブの運動が起こり、やがてフェミニズム運動へと発展してゆく。そんな時代、評論家の犬養智子が書いた「家事秘訣集 じょうずにサボる法・400」が22万部のベストセラーとなる。家事、育児からおしゃれまで、12項目にわたって、自ら考案した知恵や工夫を紹介したノウハウ本である。書店では飛ぶように売れ、回し読みも多かったという。しかし、一部の男性から猛反撃を受けたという。ちょうどその頃、調理の手間を省く加工食品が次々と発売された。1958年、インスタントラーメンが登場。1968年にはレトルトカレー発売。その後、冷凍冷蔵庫の普及に伴い、冷凍食品が広がっていった。1971年にはマクドナルドが上陸する。そんな時代に警鐘を鳴らしたのが、フリージャーナリストの桐島洋子が書いた「聡明な女は料理がうまい」である。あえて未婚の母となり、恋多き女と思われていた彼女は、この本の中で「料理こそ自立を促し、人と人をつなぐ人生の一部であり、手放してはいけない」と主張した。「今や女たちの料理力はどんどん退化して無能な男のレベルに近づき、おいしいものをみずからの腕でほしいままにする自由を喪失している」「男性的な自由な発想で家事を合理的に再編成し、最も快適な秩序を自分のものにして台所を賢く支配していかなければならない」などと語る。桐島は、昆布やカツオ節や煮干しを、インスタント食品として扱う。当時流行ったホームフリージングも週末にまとめて作るのではなく、カレーやコロッケなどを多めに作って残りを貯蔵する、という「ついで料理」をすすめる。アイデアが合理的で、かつ本質を見定めていた。犬養智子桐島洋子も、料理界の外にいた人だからこそ、「簡便化」か「手作り自慢の凝り性」か、という二極分化し始めた家庭料理に警鐘を鳴らすことができたのだと、著者は言う。

クロワッサンの時代。

二人が活躍していた頃、のちに大ブームとなる雑誌「クロワッサン」が創刊される。創刊当時はニューファミリー向けを謳ったが、1年目からは方針を変更し、「離婚志願」「男を使う女たち 女性経営者・女性管理職」「亭主離れの時代」などの特集を組んで、女性の自立した生き方を提案していく。メディアの影響で結婚しなくなった女性たちが増えたことは「クロワッサン症候群」として論争を生むが、クロワッサン自身は、女性の生き方から手を引くようになる。クロワッサンが変わったのは、その頃から、時代の潮目が変わり、人々の関心が物欲へ向かっていったからだと著者は指摘する。女性の生き方に代わってクロワッサンで繰り返し特集されるようになったのが、文化人の食卓である。エッセイストの甘糟幸子、評論家の樋口惠子、女優の高峰秀子などが料理に対する心構えやノウハウを説きながら自慢料理を披露する。レシピではなく、料理するシーンを紹介し、自分なりの生き方を持つ人の魅力を伝えようとした。その頃のクロワッサンに時折登場していた料理研究家の一人が小林カツ代である。彼女は、著書「小林カツ代のらくらくクッキング」で常識を覆すような料理法を紹介し、賛否両論の注目を集めていた。

小林カツ代の革命。

本書は、40ページを費やして小林カツ代の足跡をたどっている。2005年にくも膜下出血で倒れるまで、第一線で活躍した。出版した本は230冊を超える。常識にとらわれない簡単でおいしいレシピを提供し、明るい笑顔で、視聴者や読者を励まし続けた。小林の活躍は、料理のみにとどまらない。反戦と護憲の立場に立ち、動物の保護活動にも力を注いだ。福祉や教育にも関わり、広い視野から発言した。夫を「主人」と呼ばず、仕事相手にも「先生」と呼ばせず、対等に接する姿勢を貫いた。1本筋の通った言論人だったと著者は言う。

誰もが料理できるようにしたい。

小林の主張のひとつが「誰もが料理できるようになってほしい」ということだった。以下引用「食の基本はやはり家の料理です。でも必ずしも母親が作らなくてはいけない、ということはありません。(中略)誰でもいいから家の人がおいしい料理を子どもに作ってあげることです。それが子どもの記憶にしっかりと残るんです。」

高度化しすぎた家庭料理への批判。

高度成長期に生まれ、強化されつつ、現代に至っている家庭料理の常識。小林はそれに批判の目を向けた。「毎日作るんだから、100おいしいことを目指さなくても、いいのよ。80おいしければいいじゃない。そうしないとやってられないわよ」デパ地下で惣菜を買う女性に眉をひそめる人たちに対して「本当に時間がなくて、それでも殺伐とした食卓だけにはしたくないと思ってる人が、時々はおそうざい売り場を利用してもいいではありませんか」ハンバーグやぎょうざ、ロールキャベツ、春巻きなど、人気の家庭料理は、手間がかかるものが多いという。毎食違う献立で、一汁三菜そろえるのが正しいとされ、手間をかけることがお母さんの愛情と、メディアはくりかえし訴えた。便利な台所、豊かな食材、一日中家事に時間を費やせる主婦の誕生。それらの条件が揃って、家庭料理のハードルは急上昇した。家電が普及しても主婦の家事労働時間はほとんど減らなかった。家事は減らしたい。でも家族にはちゃんと作って食べさせたい。そんなアンビバレントな気持ちを抱く主婦に、処方箋を示したのが小林カツ代であった。

ハッと驚くアイデア弁当。

小林が売れっ子になった時代は、自身の子育ての時期と重なる。そんな忙しい毎日の中から生まれた『お弁当づくり ハッと驚く秘訣集』は40万部ものベストセラーになった。同書には当時の常識を覆したアイデアが満載されている。ホームフリージングも桐島洋子と同じく、夕食の支度で余分につくるついでに冷凍することをすすめる。料理研究家である小林が文化人と違うのは、具体的な手順を示せることだという。

働く女性に寄り添う。

野菜をちぎってフライパンに重ね、チーズをたっぷりかけて作る「蒸し焼き野菜のイタリアン」、巻いた豚の薄切り肉を野菜と煮て「重ね豚肉ロール」と「春野菜のポトフ」を同時に作るといった、今や定番になっているスピード料理を、小林は1980年代から次々と生み出していった。そんな小林の考えが集約された本のひとつが『働く女性のキッチンライフ』である。その前書きで「女一人がきりきりするのではなく、家族すべてが食を大切にする方向に持っていくことです」と語る。

料理の鉄人」に出演。鉄人の陳建一に勝つ。

1994年8月、人気番組「料理の鉄人」に料理研究家として初めて出演する。「じゃがいも料理」がテーマで、小林は、「じゃがいもとエビの炊き込みご飯」「肉じゃが」など7品を作り、鉄人の陳健一に見事勝利、一躍時の人となった。本書では、それ以降、小林の定番となった「肉じゃが」の作り方を、第1章で紹介した城戸崎愛の「肉じゃが」の作り方と比較しながら紹介する。城戸崎の料理法だと煮るだけで30分はかかる。小林のほうは全部で15分。この速さが強みであった。「料理の鉄人」の製作者側は、小林を「主婦の代表」としてキャッチフレーズをつけたがったが、小林は断固拒否した。その理由をのちに雑誌で語っている。「『主婦』ということで私のステイタスを上げようとしているのなら、主婦でない人にも、主婦にも失礼ではないか。まして、この番組は、プロとプロの戦いだから面白いのであって、『鉄人』にも失礼じゃないですか」料理研究家は主婦とは違う。家庭料理を教えるプロである、というのが小林の主張だった。

時短料理、カンタンでおいしい料理の先駆者。

その後も小林カツ代は、カンタンでおいしい「時短料理」を提案し続けた。小林が考案した家庭料理の技は多い、と著者は言う。少なめの油を使う揚げ物の類。鍋でなくフライパンで煮物を作る料理。青菜の炒め方も変えた。そして何より時短料理の概念を変えた。それまでは材料を変えたり、献立全体の段取りを工夫するぐらいだったり、「早いけど味は…」という評価を下されがちだった。小林は、「簡単で、速いけどおいしい」という料理を定着させた。その後、小林に続くかのように時短料理を看板にする料理研究家が何人も登場しているという。

大阪人の出汁のこだわり。

小林は何でも省略し、簡単にしたのではない、と著者。手をかけるべきところは押さえ、こだわっている。特にこだわったのは出汁を取ること。出汁文化が豊かな大阪で育った小林は、出汁のおいしさをよく知っていた。著書の中で「削り節だし」「煮干しだし」「こぶと削り節だし」のつくりかたをプロセス写真付きで紹介している。小林いわく「「私の料理では、だしをとるのは基本の基本。市販の顆粒だしや科学調味料では深みのある味はなかなか出ません。忙しいから、面倒だから、と敬遠している人もいるけど、だしをとるのって実は簡単!家庭料理ですもの、料亭と同じに考えなくてもいいの」。他の著書でも「私はこれこそ、昔の人が考えたインスタント食品だと思うの」と語る。

おいしいものを食べて育った。

小林カツ代のルーツは、大阪と家族にある。大阪ミナミの中心街近く、製菓材料の卸問屋の家に、二人姉妹の次女として生まれた。住み込みの従業員が20人近くいた。父は経営者で、母は女中の先頭に立って仕切る女将さんである。父は「食べることに手間も暇も惜しまない」祖父の料理で育った。そのため、料理は女性のものという先入観がなく、取引のあった中国で教わった水餃子をよく作ってくれたという。庶民の味が好きでめし屋や中華料理屋に連れていってくれた。母は料理上手で父の要望に応えた。てんぷらや焼肉、そうめん、八宝菜、糠漬けなど、細かい気配りをした得意料理がいくつもあったという。同時にグルメであり、フランス料理や日本料理なども食べさせてくれた。仕出し屋や総菜屋に頼んでいた料理もあった。大勢のお客さんの時は、家で作るだけでなく仕出し屋さんにも少し頼んでいたという。おいしいものを食べて育ったカツ代は、台所仕事にまったく関心を持たず、21歳で薬学系研究者と恋愛結婚した初めての夜、乾燥わかめを大量に入れ、出汁も取らずに作った味噌汁のまずさに仰天。以来、母や魚屋、八百屋などに聞きながら料理を覚えていったという。小林カツ代の足跡を振り返る時、この大阪での生い立ちが、この稀有な料理研究家を育んだということがよくわかる。

息子、ケンタロウ。

2歳になる前から料理に興味を示したという息子は、母の後を継いで料理研究家になる。息子であることを隠すでもなく、折にふれて「カツ代は」と愛情をこめて語り、母の影響もこだわりなく披露する、まっすぐな性格が人気を呼び、十数年の仕事で出した本は74冊ににものぼる。2012年、バイクの事故で高次脳機能障害を負い、闘病生活を続けている。

カリスマ主婦、栗原はるみ

主婦という肩書きを拒否し、家庭料理のプロフェッショナルであることにこだわった小林カツ代に対して、主婦であることにこだわったのが栗原はるみである。彼女が出てきた背景を、著者は女性を取り巻く環境の変化から読み解こうとする。1980年代まで、会社員の女性のコースは二者択一だったという。子どもを産まずにキャリアを積むか、結婚して子育て中心の生活を送るか。2000年代になると女性の生き方は多様化していくが、変化の途上であった1990年代は、キャリアでも結婚でもない生き方が見えなかった。職場にも女性の先輩が少なく、3年目、5年目の曲がり角でつまづき、あてもなく辞める女性が少なくなかったという。しかし結婚生活に入った主婦たちも幸せとは限らなかった。1990年代、30代の女性向けのファッション誌、「VERY」「Domani」が成功を収め、2000年代に入ると、「STORY」「Precious」など40代向けのファッション誌が創刊される。「VERY」創刊号の表紙を飾った黒田知永子、その後を引き継いだ三浦りさ子は、雑誌で自分の生活を垣間見せることでファン層を拡大していった。主婦になっても、母親になっても自分自身であることを忘れない姿がかっこいい、とファンがついた。彼女たちは、そのライフスタイルからは生活の苦労を感じさせなかった。しかし現実には家事や子育てという、決して簡単ではない労働が存在する。それとどう折り合いをつけていけばいいのか。女性たちが、その回答を見た対象が料理研究家だったという。栗原はるみ加藤千恵、山本麗子、藤野真紀子は、全員が1940年代生まれのベビーブーマー世代。そして料理研究家である前に、理想の主婦として脚光を浴びたのである。彼女たちは「カリスマ主婦」と呼ばれた。その中で、トップに躍り出たのが、栗原はるみだった。

栗原がこれまでに出したレシピは、四千種類以上、料理本の累計発行部数は二千四百万部を超える。1995年には生活雑貨を扱う店とレストランを一緒ににした「ゆとり空間」を立ち上げ、1996年には栗原はるみを看板にした季刊誌「すてきレシピ」を創刊、2006年には「haru_mi」へと装いを替えて、現在も継続している。ファッションまで彼女を真似るファンが現れ、「ハルラー」と呼ばれた。まさにカリスマである。

栗原を一躍有名にしたレシピ本が、ミリオンセラーを記録した「ごちそうさまが、ききたくて。」である。著者による紹介を引用する。「エッセイ集のようなタイトルが、まず他のレシピ本と一線を画する。中を開くと栗原家のキッチンの写真があり、自身の生い立ちを綴るエッセイが添えられている。それぞれのレシピにも短いエッセイがつけられ、ところどころに料理する栗原の写真、キッチンやリビングの写真が入る。使われている食器はすべて栗原の私物で、料理も家族に出してきたものだ。これは、栗原のライフスタイルを見せる本なのである。」「栗原レシピは、生活という裏づけのあるノンフィクションなのである。」「実生活に裏づけされた家庭料理といっても、驚きのないレシピでは、プロになれない。意外な素材を組み合わせるレシピの元祖も、栗原はるみだったことが、『ごちそうさま〜』からわかる。」

小林カツ代との違い

10歳年長の小林カツ代は、プロセスを大胆に変えた時短レシピを提案したが、基本は味が想像できる安心感がある。対して栗原は、味に冒険がある。洋食や和食というジャンルにこだわらない。西洋料理、中華料理、日本料理とジャンル分けされた料理を外で食べてきたベースがある小林に対して、栗原は、実家で和食を、結婚相手の家で洋食をと、食べてきたものが家庭料理中心だったため、ジャンルにこだわりがなかったのではないかと、著者は考察する。また栗原が活躍を始めた80〜90年代はグルメの時代で、人々が、本格的な中華料理を味わい、イタリア料理とフランス料理の違いを知り、無国籍料理が流行った時代で、意外な組み合わせや新しい味が求められる時代だったという。

栗原はるみのプロ魂。

栗原のすごさは30年以上にわたり大量のレシピを提供し続けていることだ、と著者は言う。そしてNHKのドキュメンタリー「プロフェッショナル 仕事の流儀」で栗原が見せたこだわりを紹介する。彼女は「百人が作ったら百人がおいしく作れる」レシピをめざす。たとえば「エビと卵のチャーハン」。栗原は、フライパンで中華料理店のようなパラパラ感を出す方法を約一ヶ月間研究し続けた。火加減、油の量、入れるタイミング。何度も何度も作り、確実な方法を出そうとする。栗原は気になることを徹底的に検証するまで気がすまない。その「プロフェッショナルな」姿勢が、店を持ち、雑誌を主宰する源泉になっていると、著者は推測する。

和洋の家庭料理の中で。

栗原はるみは、静岡県下田市で印刷会社を営む両親と、祖母、叔母、兄、従業員、お手伝いさんと一緒に暮らしていた。母は、毎日、全員の朝食、昼食、夕食、そして夜食を整えたという。4時半に起きてゴマを摺り、朝食をつくっていた。地元の旧家に生まれた母は、9歳で父をなくし、働く母に代わって台所を切り盛りした。下田の家庭料理の伝統をしっかり身につけ、それを守って生きてきたという。栗原は、そんな母のもとで、お手伝いさんと一緒に朝6時に起き、朝食の支度から掃除まで手伝いながら、成長した。東京の短大を卒業する頃、下田は名高い建築家やデザイナーがセカンドハウスをかまえるリゾート地になっていた。兄の遊び仲間に入れてもらい、外国の音楽を聴いたり、本格的な西洋料理を初めて口にする。その仲間の一人にテレビキャスターの栗原玲児がいた。初めて栗原家に遊びに行った時、カルチャーショックを受ける。テーブルにはランチョンマットが敷かれ、花と果実が飾ってある。キッチンにはオーブンが内蔵され、4つもガス台があるコンロには牛肉のビーフシチューが煮えていた。玲児は、料理上手で知られていた。彼女は、26歳で、14歳年上の彼と、両親の反対を押し切って結婚。最初は専業主婦をしていたが、玲児に「僕を待つだけの女性でいてほしくない」と言われてしまい、自分にできることを、と思いついたのが料理。近所の主婦に料理を教え、主婦仲間と中華料理のシェフに料理を習いに行った。ある時、自宅に遊びに来ていたテレビ局関係者が彼女の腕前に驚き、フジテレビの「夕食ばんざい」という番組の裏方の仕事を紹介される。36歳だった。そして雑誌「LEE」から仕事の依頼が来る…。栗原はるみには、母譲りの家庭料理と栗原家での西洋料理という、2つの家庭料理の経験が息づいている。

家庭料理の空白期を埋める。

栗原はるみのファン層は世代が広いが、栗原と同じ世代の女性が目立つという。著者曰く「今さら習わなくていいようなベテラン主婦がなぜ、と思うのは家庭料理の厳しさを知らない人である。」昭和ヒトケタ世代は、本格的に料理を教わるべき十代を、食糧配給の時代に過ごしている。昭和10年代生まれは、子供時代が戦中戦後に重なり、ひもじい思いをした。十代は男女平等・民主主義を教えられ、家庭を持つ二十代は、高度成長期で、育った環境とはまるで異なる台所を手に入れた。戦後生まれのベビーブーマーたちは新しいものが次々と登場する時代に育った。昭和前半世代に共通するのは、家庭の中で受け継がれてきた知恵や家庭料理を知らずに育っていること。あるいは戦争を始めた世代に不信感を抱き、封建的なニオイがする戦前の文化を信用していない。その中には食文化も含まれるという。料理の基礎が身についていないコンプレックスもある。そんな彼女たちにとって、自分たちと同じような時代を生きながら、親からきちんと料理を教わり、おいしい料理を食べて育った、栗原はるみのような存在は驚異なのである。

女性のヒエラルキーの頂点に立つ。

栗原のファンは同年代だけではない。若い世代にも多くのファンがいる。その理由を、著者は、栗原が、女性が求めるすべてを手にしているからだという。彼女は、高い社会的地位と高収入を約束してくれる仕事を持ち、幸せな家庭を維持し、育て上げた子どもたちもいる。女性たちの間にある暗黙のヒエラルキー。その頂点に立つのは、仕事も、結婚も子どもも手にした女性。2番目が、結婚と子どもを手にいれた専業主婦。そしてシングルマザーだがやりがいのある仕事を持つ女性が続き、共働きで子どものいない女性がその下にいる。一番下が独身女性である。

和食の系譜。

小林カツ代栗原はるみ。対照的な二人を紹介した後、著者は、和食文化の継承者ともいえる料理研究家を紹介する。土井勝土井善晴の親子、庶民派の村上昭子である。さらに2000年代に注目を浴びた料理研究家、辰巳芳子に触れる。彼女の立ち位置は、これまで紹介した、どの料理研究家とも違っている。辰巳は、レパートリーの多さや発想の斬新さで勝負する人ではない。ときどき「クロワッサン」に辰巳芳子特集として登場する。NHKでも何度も特集が組まれる。どんなレシピを提供するかではなく、どんな発言をするかで注目を集めた。辰巳は、食を入口に人の生き方、社会のあり方まで視野を広げて発言する。彼女の発言を引用する。「もう一度人間らしい心を取り戻すには、心をこめて三食を整えていくこと。それはひじょうに身近で、誰にもできる有効な手段なのです」「食べることは生きることの一部。呼吸することと等しく私たちの生命の仕組みに組み込まれているものです。生命と呼応するものを調理すべきように作り、過不足なく食べること、これに尽きます」

いのちを支えるスープ。

彼女が注目を浴びるようになったのは、2002年に出した「あなたのために いのちを支えるスープ」がきっかけである。このレシピ本は、辰巳の父が1972年に脳血栓で倒れた後、8年に及んだ介護でつくり続けたスープが元になっている。最初は料理研究家だった母、辰巳浜子の提案だった。その母も、父より早く、1977年に逝く。辰巳は、その後、スープを教える教室を開く。そこに誘われた出版社の編集者、土肥淑江が編集し、この本が生まれた。大きな文字2段組のレシピ本は高齢者でも読みやすい。嚥下障害に苦しんだ父が口にできたスープは、どれも手がかかっていて滋養に富む。同書で紹介されるスープは、半分が出汁をもとにした和の汁もの、半分が洋風のスープである。レシピによると、これらのスープはお金と手間がかかり、注意深く正確に作れる技術を要する。著者は、このスープを生み出した辰巳芳子の生い立ちと、彼女を育てた料理研究家の母、辰巳浜子の生涯をたどる。

平成「男子」の料理研究家。

家庭科は、小学校高学年で初めて学ぶ時は、男女共修だが、中学校、高校は女子だけという時代が続いていた。1979年に国連女子差別撤廃条約を採択したことを受け、遅まきながら1993年に中学校で、1994年に高校で男女共修が始まった。その世代が大人になった。彼らの親も戦後生まれで共働きも多い。ケンタロウが2000年代に人気を博したのは家庭科共修世代に受け入れられたという面が大きいという。そして2008年、料理番組「太一×ケンタロウ 男子ごはん」が始まる。料理の技術指導的なことより料理する楽しさに重きを置いた、この番組は人気を得て定着する。1年分のレシピと番組紹介を兼ねた「太一×ケンタロウ 男子ごはんの本」はベストセラーになった。しかし、2012年2月、ケンタロウは事故で番組に出られなくなった。番組は、4月からの4ヶ月間ゲストを招いて様子を見たあと、8月から栗原心平をメインキャストに迎えた。このほか、ケンタロウの友人のコウケンテツを紹介している。

本書を読み終えて、自分の「食人生」のことを想った。

昭和ヒトケタ世代の母は、今思うと料理が得意ではなかった。本書の中にも出てくる、料理を覚える時代を、配給や戦後の食料難の時代に過ごし、高度成長時代は都会で小さな家庭を持ったが、料理を教えてくれる姑がいなかった世代。そのせいか、「おふくろの味」的な記憶がほとんどない。魚の棚で知られる明石で育ったが、新鮮な魚を食べた記憶がない。貧しかったせいもあるのだろう。本書の小林カツ代栗原はるみの生い立ちを読むと、「食」は「人」を創る、とても大切な要素なんだと思う。

すぐそばに料理という王国があった。

僕自身、食べることは好きなのだが、これまで自分で料理をすることにまったく興味が持てなかった。周辺にいる料理男子諸氏を見るにつけ、羨ましく思うこともあり、何度か挑戦しかけたことはあるのだが、いつも挫折に終わっている。しかし本書を読むと、料理とは、なんと豊かで、興味深く、奥深い世界なんだろうと思い知らされる。自分のすぐそばに、思いもよらない巨大な王国が存在していたことに今まで気づかなかった迂闊さを後悔する。そこには家庭料理の世界を切り拓いた多くの先駆者や英雄がいる。革命家も発明家も思想家もいる。伝統を受け継ぐ匠がいる。そしてカリスマもアイドルもいる。本書を読んで、もう一度、料理に挑戦しようという気持ちになった。今度こそわが家の「男子ごはん」はうまくいくだろうか?

ルパート・サンダース監督「Ghost in the Shell」

劇場版アニメをロードショーで観たのが僕のささやかな自慢である。

アニメの原作が実写化されると失望することが多いが、本作品はとてもよかった。押井守監督の「Ghost in the Shell」の世界観、ストーリーをかなり忠実に実写化している。ストーリーやエピソードはもっと大胆にアレンジしてもいいと思うのだが、ルバート・サンダース監督は、劇場アニメ版の世界を丁寧にたどっていく。オープニングのアンドロイド誕生、冒頭の高層ビル屋上からのダイブ。「ブレードランナー」にルーツを持つ、荒廃した中華的都市の風景。偽の記憶を移植された哀れな男。水没した広場での光学迷彩をまとった少佐とテロリストの格闘。ラスト近く、多脚戦車との戦闘から、ハッカーとの接続、ヘリからの狙撃まで…。劇場アニメ版のエピソードを忠実に辿りながら、別の物語を展開していく。それは押井版、士郎正宗の原作には無かった、少佐が自らの過去を探す物語だ。

過去の自分探しの物語になってしまったのは残念。

少佐はかつて難民の一人であり、テロリストに襲われ、家族も、自らの身体も失われたとされているが、それは偽の記憶であり、実は草薙素子という日本人女性であることが明らかになってくる。このストーリーの改変は、個人的にはNGで、劇場アニメ版(コミック版も)のほうがよかった。ラストで少佐は、天才ハッカー「クゼ」との融合を拒否して、草薙素子として生きていこうとする。それはわかりやすく、共感しやすいストーリーかもしれないが、僕は、劇場アニメ版のように、ネット上に誕生した「生命体」と素子が融合して、新しい存在へと進化していくほうがずっといいと思う。桃井かおりが演じる、素子の母親が登場してきた時は思わずずっこけた。この改変によって、作品は安易なヒューマンドラマになってしまったと思う。劇場アニメが描こうとした「身体を失ったサイボーグの悲しみ」と、「人間の世界を捨ててネット上の生命体へと進化する人類の未来」がどこかへ行ってしまったのが残念だ。

とはいえ大満足!

個人的な難点を書いたが、100点満点に近い出来上がりに大満足なのだ。多脚戦車が登場した時は、涙が出そうになった。(ただし、戦車のデザイン、戦闘シーンのクールさ、迫力では、劇場アニメ版のほうがずっと勝っている。)その直後、「ヘリからの狙撃シーン」まで出てきた時は、椅子から転げ落ちそうになった。アニメ版では、スナイパーに対して「心肺機能の調整に入れ」という指令が出るのだが、そんなディテールまできっちり描いてほしかった。実写版でいちばん気に入ったのは「ゲイシャロボット」の造形かな。確かテレビ版のStand Alone Complexには出てきたと思うが、花魁風のコスチュームで登場し、襲撃を受けると、蜘蛛のように動いて壁を登っていく場面は素敵だ。多脚戦車やタチコマなど、蜘蛛や甲殻類から連想したと思われるロボットの造形は、原作者がこだわるイメージでもある。

興行的には、日本では成功しているようだが、米国ではそれほどでもないという。素子役をスカーレット・ヨハンセンという白人女優が演じたことが不振の理由だというが本当だろうか。

数多久遠「半島へ 陸自山岳連隊」

 

この時機に、あまりにタイミングが良すぎる!?出版。

実兄の暗殺、粛清される高官たち、ミサイル発射、核実験など、エスカレートする挑発行為…。迫る北の崩壊。その時、韓国、米国、中国はどう動くのだろう。そして日本は、自衛隊はどう対応するのだろう…。元幹部自衛官による軍事シミュレーション小説。竹島を題材にした「黎明の笛」、尖閣諸島を舞台にしたハイテク潜水艦同士の対決を描いた「深海の覇者」に続く第3弾。今回は「北の崩壊」と「生物兵器」がテーマだ。本書の中で、崩壊のきっかけとして実兄の暗殺をあげているが、本書が執筆されたタイミングは、当然ながら暗殺事件以前であり、出版直前に、その部分だけ書き加えられたのだろう。著者が元幹部自衛官のせいか、登場する自衛官たちの意識の描かれ方が、他の作家とは微妙に違っている。どこが、と具体的に指摘できないのだが、「そうか、そういう感覚なんだ」と感じることが何度かあった。外部から見ているだけでは、決して理解できない当事者感覚というのだろうか。そして、このことが本書のリアリティを高めている。

崩壊と同時に進められる作戦とは。

日本政府は、北の崩壊に合わせて、自衛隊による作戦を計画していた。自衛隊 特戦群・空挺団が米軍と共同で行う、弾道ミサイルの発見と破壊作戦「ノドンハント」。そして残された拉致被害者の一斉救出作戦である。さらに密かに進められるもうひとつの作戦があった。それは北が密かに開発を進めている生物兵器を発見し奪取する作戦である。生物兵器の研究所は急峻な山岳地帯にあり、陸自の山岳連隊である第13普通科連隊が投入される。

毎朝新聞の記者である桐生琴音は、自衛官の種痘接種による副反応被害を取材する内に、この作戦の存在にたどり着く。しかもその作戦に自分が好意を持っている自衛官、室賀が関わっているらしいことを知る…。これ以上ストーリーを紹介するのはネタバレになるので止めておこう。本書は、桐生琴音による謎解き、山岳連隊の侵入と戦闘、御厨首相(女性)を中心とした日本政府の対応という、3つのポジションで進んでいく。琴音の謎解きも面白いが、読み応えがあるのは、山岳連隊の戦闘場面だ。終盤に向かって、予期せぬ事態の発生など、スリリングな展開でいっきにラストまで引っ張っていく。2日間で読み終えた。

安保法制と機密保護法の使われ方。

今の自民党政権が成立させた法案が、本書の中で、実際に機能している。物語では、北朝鮮内での自衛隊の軍事作戦が当然のように実行されているが、その根拠は2015年に成立した安保法制である。「日本に対する直接の脅威が顕在化していなくとも、存立危機事態を認定して自衛隊を動かすことが想定されていた。」と解説されている。また琴音が取材中に、秘密保護法違反の容疑で拘束され、取り調べされる場面もある。そうか、あの法制は、こんな風に使われるのか、と、怖さを感じた。

現実の崩壊の時には、どんな作戦が計画されているのだろう。

緊張の高まる北朝鮮問題。崩壊は時間の問題だという人もいる。崩壊が現実のものとなった時、政府や自衛隊は、どのような作戦を実行するのか、計画されているのだろうか。本書のように自衛隊の特戦群や空挺団が北朝鮮に侵入してノドンハントや拉致被害者救出を行うのはとんでもないと思うが、実際には、そのような作戦が当然のように計画されているのかもしれない。そんな風に思わせるのも、この作品のリアリティかもしれない。それにしてもタイミングが良すぎで、ちょっと不気味。

前作で、トム・クランシーに匹敵するハイテク軍事スリラーの誕生と書いたが、今回はハイテクとは言えない。それでも面白いのは著者の筆力のせいだろう。タイトルから、村上龍の「半島を出よ」を思い出した。あちらは、北朝鮮軍が博多を占領する話だったが。

本書を読んだ家人の反応。「そりゃ殺すだろう」。

家人も同じ著者の「黎明の笛」「深海の覇者」を読んでいて、女性自衛官が活躍するストーリーなど、割と気に入ったみたいで、本書も読むことになった。彼女の反応をちょっと書いておこう。後半、山岳連隊が北に侵入して、作戦実行中に、当然のように北の兵士を殺す場面が出てくるのがショックだったという。もちろんわが国の領土に他国の侵略があった場合、戦うのは自衛隊だから、戦闘になれば当然、相手を殺すだろう。しかし、自衛隊が、他国の領土に侵入して、敵の兵士を殺しながら施設を制圧するというストーリーには違和感があるのだろう。そこの部分は僕もちょっと引っかかった。「そりゃ殺すだろう。戦闘なんだから。」と言ってはみたものの、完全に納得できたわけではない。

桐野夏生「夜の谷を行く」

著者の作品で読んだのは「魂萌え」「グロテスク」ぐらいだが、テレビドラマや映画になった作品は気になってけっこう見ている。著者は実際に起きた事件をモチーフにして作品を書くことがあるが、本書も連合赤軍の事件がモチーフになっている。事件は僕が高校の時に起きたが、当時は学生運動そのものに拒否反応があり、事件を詳しく知ろうとは思わなかった。その後もまったく関心が持てないまま時間が経ってしまった。閉ざされた集団の中でリーダーたちが徐々に狂っていく過程に興味を覚えて、ドキュメンタリーや小説を読むようになったのは、この10年ぐらい。カバーの不気味な写真は、よく見ると「ママチャリ」。ママチャリだって描き方しだいでホラーな絵になる。

40年前の事件が蘇ってくる。

主人公の西田啓子はかつて連合赤軍の兵士だった。彼女は、メンバー同士による「総括」と称する批判によってリンチで12人が殺された「山岳ベース事件」から脱走した一人だった。現在は、一人の妹以外は誰ともつきあわず、ひっそりと暮らしていた。事件から39年が経った2011年、元連合赤軍の仲間から連絡がくる。彼から最高幹部の永田洋子が死んだことを告げられる。そして彼女に会って取材したいというライターを紹介される。さらに元の夫からも電話がかかってくる。同じころ、姪の結婚が決まり、自分の過去を告げざるを得なくなり、妹との関係も険悪になっていく。封じ込めていた過去が永田洋子の死をきっかけに甦ろうとしているかのようだ。そして3月11日の東日本大震災が起きる。以後、震災報道の様子は、暗騒音のように物語を支配している。

むしろ淡々とした印象で読み進んでゆく。

主人公の、スポーツジムに通うのと図書館の本を借りて読むのが日課という、単調な生活のせいか、読んでいる印象は淡々としている。事件の頃を思い出す場面は出てくるが、事件のドキュメンタリーを読んだ時のような執拗さ、陰惨さは感じられない。主人公は、元夫や昔の仲間と話すうちに、自らも忘れていた事実と向き合わざるを得なくなる…。過激な武装闘争をめざす集団がなぜ、凄惨なリンチ殺人を犯すようになっていったのか?閉ざされた集団の中で、悪霊が生まれ、若者たちの心を少しずつ侵食していき、狂わせていった様子を描いてほしい。僕が連合赤軍の事件に関する本を読むのは、その過程を知りたいからだ。執拗な「総括」やリンチの描写を読む辛さを覚悟して読み始めたが、ちょっと肩透かしをくらった印象。著者は、あの事件の違った側面に光を当てようとしたのかもしれない。ネタばれになるので書かないが、ラストは鮮やかだ。静かな感動に包まれる。