上杉 聰『「憲法改正」に突き進むカルト集団 日本会議とは何か」

日本会議というの組織のことを知り、その活動の実態が明らかになって来ると、強い悔恨の気持ちにとらわれてしまう。70年代以来、僕らが政治に興味を失い、背を向けるようになってしまったこと。そして、その後、僕らが大量生産大量消費、経済至上主義にどっぷり浸かり、浮かれている間も、「彼ら」は地道な「運動」を延々と続けてきたのだ。その努力が今、「憲法改正」として身を結ぼうとしている。僕らは、そんな組織が存在することさえ、ごく最近まで気づかなかった。彼らは、姿を見せずに、辛抱強く、この国の中枢を侵食し続けてきたのだ。彼らが目指す理想は、ほとんど冗談としか思えないが、彼らは本気で、憲法を変え、日本を変えようとしている。その「Xデイ」は参院選だ。日本会議の実態や活動が明らかになり、安倍政権との結びつきがもっと暴露されれば、彼らの神通力は失われるだろう。菅野完日本会議の研究」や本書は、参院選にかろうじて間に合った。期待している青木理日本会議の正体」は参院選の翌日発売である。

本書の要約をするのはやめておこう。本書は、日本会議の成り立ち、実態、その活動を簡潔にまとめてくれている。100ページ余りの本なので、半日で読めるのはありがたい。彼らの中枢が、狂信的な宗教団体であること。運動ごとに様々なフロント組織を立ち上げ、彼ら自身は、その影に隠れて、容易に正体がわからなかったこと…。さらに新聞・テレビなどのメディアが取り上げるには、彼らの活動は地味でスパンが長すぎ、学者が研究対象とするには、歴史が短く、新しすぎるのだ。結局、菅野完や本書の著者、青木理など、フリーのジャーナリストが取り上げるしかなかったのだ。

大阪における育鵬社教科書の大量採択。

本書の読みどころの一つが2015年の大阪における教科書の事件だろう。憲法改正とともに日本会議が進める活動のもうひとつの柱が教育への介入である。中でも新しい史観に基づく教科書の発行と普及に彼らは大きな力を注いできた。2007年に、フジ・メディア・ホールディングスの100%出資で誕生した育鵬社は、日本会議の教科書を出版するだけの目的で設立された。著者は、育鵬社の教科書が、大日本帝国憲法を讃え、日本国憲法を「GHQによる押し付け」であるとして認めていない等の内容を紹介した後、2015年に大阪市東大阪市で、育鵬社の教科書が大量採択された経緯を紹介する。その詳しい内容は紹介しないが、大阪市内で開かれた教科書展示会に、大阪の宗教団体が大量の信者を動員して市民アンケートに記入。採択結果に影響を及ぼし、大阪市東大阪市での大量採択が決まったというもの。その強引であくどいやりかたは、日本会議の一面を現しているという。今回の参院選から始まった選挙権年齢の18歳への引き下げも、年齢が若くなるほど、憲法改正に対する抵抗感が少なくなるというデータから、日本会議系が仕掛けた公算が高いという。

新之介『凹凸を楽しむ 大阪「高低差」地形散歩』

「アースダイバー」の頃。

10年以上前、東京港区に3年ほど住んでいたが、坂が多いのに閉口したことを覚えている。特に2年目に引っ越した南麻布のマンションは、崖のすぐ側に建っていて1階と3階に入口があるヘンな構造だった。1階と3階では、外に出た周囲の街並みがまったく違っていた。1階の外は麻布十番から続く下町で、銭湯などもある庶民的な街並み。3階の外は外国大使公邸など、豪邸が立ち並ぶ閑静な住宅街だった。土地の高低差がくらしの高低差と直結する不思議な場所だった。港区内の移動用に折畳み自転車を買ったのだが、どこに出かけるにも、まず、かなりの急坂を登らなければならず、耐えきれず電動アシストの折畳み自転車を買ってしまった。ホンダ製の小さな電動アシスト自転車を走らせて、港区の様々な場所に出かけた。その時にいつもカバンに入れていたが中沢新一の「アースダイバー」。縄文時代の地図と現代の地図を重ねながら、その土地に刻まれた、太古から現代まで続く「地霊の物語」を訪ねるという街歩きは、単身赴任中のヒマで孤独な中年男の休日を慰めてくれた。生まれ育った播州平野や長く住んだ大阪、阪神間の平坦な風景に比べて、東京の地形は、本当に変化に富んでおり、退屈しなかった。

「大阪アースダイバー」、「聖地巡礼」、そして本書。

その後「大阪アースダイバー」が刊行され、大阪には東京とはまったく違った土地の物語があることを知り、大阪という街に改めて興味を持った。しかし、その場所が身近にあると、逆に、行くのが面倒になってしまい、なかなか出かけるところまでいかない。また、「アースダイバー」「大阪アースダイバー」は、読むのには、とても面白い本だが、地形散歩のガイドブックとしては、ちょっと不親切なところがあって、その場所に行っても、どこの何を見ていいのやらわからずに終わってしまうこともけっこうあった。その土地のことをよく知った人にガイドしてもらえればいいのになあ、とよく思ったものだ。「大阪アースダイビング・ツアー」があれば、喜んで参加するのになあ、とずっと思っていた。その後、内田樹釈徹宗の「聖地巡礼」シリーズを読み、大阪の地霊を訪ねる散策の思いは強まるばかりだった。本書は、そんな時に刊行された。著者は、広告会社のクリエイティブ部門に所属し、「十三のいま昔を歩こう」というブログを運営している。2013年には「大阪高低差学会」を設立し、活動を続けている。

東京の「谷」と大阪の「島」

本書はまず、大阪という土地の成り立ちを概説する。約7000年前〜6000年前の、縄文海進の頃の大阪平野は、そのほとんどが海の底に沈んでいた。海岸線は、高槻、枚方あたりまで達していたという。その後、旧淀川と旧大和川から流れ出る土砂が堆積することで、砂州が生まれ、難波八十島(なにわやそしま)といわれる無数の州(しま)が点在する海へと変化していった。東京の地名でいちばん多いのは「谷」だというが、大阪では「島」であるという。中之島、堂島、福島、加島、御幣島、姫島…。確かに「〜島」という地名が多い。

母なる上町台地

大阪の地形のもうひとつの特徴は「上町台地」の存在である。大阪平野のほとんどが海だった頃、唯一陸だった場所で、南の住吉あたりから現在の大阪城あたりまで伸びた細長い半島である。後期更新世に、地下の上町断層が活動して隆起した台地であるという。最高点でも20数メートルほどだが、大阪の街の形成に大きな役割を果たしてきたという。この上町台地と周囲の低地との高低差が、多くのユニークな地形を作り出しているという。

土木と治水の都市

大阪はまた、古代から多くの土木工事が行われてきたという。古代、河内平野に移り住んだ渡来人たちは、高い技術を持ってヤマト政権の中枢に深く関わった。彼らが、古墳の造営や多くの治水工事を行ったという。洪水や高潮を防ぐために渡来人の秦人によって築かれた「茨田堤(まんだのつつみ)」と「茨田三宅(まんだのみやけ)」。灌漑池である「依網池(よさみのいけ)」や上町台地の東側の水を西側の海に引き入れるために掘削された「難波の堀江」など、多くの土木工事が大阪の地形を形づくってきたという。

古代の港と官道

奈良盆地にヤマト政権が誕生すると、大阪は、大陸との交流の玄関口として発展していく。上町台地の南の「住吉津」と北端に「難波津」が開かれ、飛鳥につながる陸路が整備された。難波大道(なにわおおじ)と「丹比道(たじひみち)」である。これが日本最古の官道になったという。

地形歩きの極意

大阪の地形の概要を語った後、著者は「地形歩き極意」を説く。

「高低差エレメント」

都市部ではビルや民家がひしめくように建っており、その下の地形を見つけにくい。そこで高低差を形成している場所にある構造物として、石段や民家の裏の擁壁などの「高低差エレメント」を見つけ出す方法を提唱している。

「アースダイバー視点」

縄文時代の地図を頼りに、海水面が今より数メートル高かった海岸沿いを歩きながら、神社、寺、古墳や墓地など、地霊のパワーが宿っていそうな場所を巡り、その土地の成り立ちを解き明かすことであるという。

「スリバチ地形視点」

スリバチ地形とは、皆川典久が『凹凸を楽しむ東京「スリバチ」地形散歩」で提唱している地形の呼び方で、3方向を丘に囲まれたU字型の地形で、関東地方特有の地形である。大阪でも、千里丘陵などで見ることができるという。

「路地歩き視点」

表通りから小さな路地に踏み入れ、どんどん奥に入っていくと、まるで昭和の時代で時間が止まったような路地裏に出会うことがあるという。路地では素敵な被写体にたくさんめぐり会えるという。玄関先の植木や窓の面格子、石畳やマンホール、子供達、そして必ず現れる猫…。

「暗渠・川・水路視点」下を向いて歩こう。

暗渠とは、コンクリート板でフタをするなど、外から見えない水路のこと。大阪では戦前まで無数の水路が流れていたが、その後下水道として整備され、暗渠らしい暗渠を見ることは少なくなったという。今では川や水路のほうが見つけやすいという。探すコツは、下を向き、ひたすら、その痕跡を辿っていくことだという。川や水路の跡を辿っていくと緩い凸部に会えることも多いという。高低差の少ない土地でも、わずかに変化する微地形を楽しむことができるという。

「境界線視点」

町割や、町と町との間の境界線は、地図には引かれているが、街を歩いていても見つけることは困難だ。それを見分ける一番わかりやすいものは、住所表示板であり、道路元票(げんぴょう)などであるという。川の近くを歩くと、飛び地の住所表示を見つけることがあり、それは昔の川が蛇行していた名残である場合が多いのだという。

「ドンツキ視点」

ドンツキとは突き当たりや袋小路のこと。直線道の先がドンツキのこともあれば、奥に横道があるので行ってみたらドンツキだったという隠れドンツキもある。人の家の玄関に辿り着いてしまう玄関型ドンツキなど、古い町ほどドンツキが多く存在するという。ドンツキ視点は、寄り道を楽しむ町歩きでもあるという。

大阪の高低差を歩く。

地形歩きの極意を説いた後は、いよいよ大阪の高低差をめぐる旅が始まる。0m〜40mという微細な高低差を表す地図と豊富な写真によって、高低差をめぐる様々な物語が語られていく。その内容を、文章のみで要約するのは困難なので、止めておこう。それにしても、高低差に着眼するだけで、大阪という街が、こんなに新鮮に見えてくるとは驚きだ。僕らが毎日目にしていて、すっかり記号と化してしまった地名が、その土地の、かつての地形(特に海や川に関わりがある)をそのまま表していたことに改めて気付かされる。僕が5月まで所属していた事務所の辺りも、土佐堀、江戸堀、京町堀と「堀」の付く地名が多かった。「堀=人の手で掘られた運河」を表しているのだけれど、江戸堀という名前を聞いて運河を思い浮かべる人はほとんどいないと思う。地名にまつわるエピソードも、本書のように地形の成り立ちと絡めて語られると、俄然、リアリティが増す。そこにさらに人物が加わると、土地の物語が立ち上がってくるのだ。道頓堀を開いた成安道頓、長堀を開いた岡田心斎、淀川の堤を築き、中之島を開発した淀屋常安…。地形や由来から切り離されてしまった地名が、もう一度、昔の「地形」や「物語」を伴ってよみがえってくる。この他、靱公園の前身は、進駐軍の飛行場であったことなど、初めて知る大阪の地形の由来が満載で「へぇ〜」の連続である。著者の文章は、学者風というか、理詰めで控えめ。中沢新一のように想像が飛躍し、ほとんど妄想の領に入ってしまうようなことはないので安心だ。

大阪の背骨「上町台地」をめぐる高低差の冒険。

本書でいちばん興味深いのは上町台地をめぐる高低差地形である。しかしあべのハルカスなど、超高層ビルの展望台に登って、上町台地あたりを見渡しても、本書が描くような高低差は実感できない。上町台地のほぼ全域がビルに埋め尽くされ、土地の高低差を隠してしまっているのだ。それを実感するには、本書のように、地上を歩きまわって地形の痕跡を探していくしかない。上町台地の北端、現在の大阪城公園難波宮跡から始まり、道頓堀をはじめとする堀川の掘削、巨大な古墳跡に建立された四天王寺、かつて多くの谷が存在したという阿倍野、古代の海岸線跡が今も残る住吉大社など、興味深いエピソードが満載である。まずは「上町台地」に焦点を絞って高低差散歩に出かけようと思う。

伊丹段丘

宝塚からJR福知山線に乗って、川西池田駅に着く直前、南側に高台のように盛り上がって見える場所が目に入ってくる。注意して見ると、そこから南西に向かって緑地帯のような地形が続いていく。何か遊歩道のようなものがあるのだろうか、と不思議に思っていた。本書で、この地形は東側を流れる猪名川河岸段丘で伊丹段丘と呼ぶのだと初めて知った。この段丘は、伊丹の有岡城跡まで続いている。崖が急で家を建てにくかったのか、緑地のまま残っているのだろう。機会があれば、自転車などで、この段丘探訪に出かけてみたい。

東京と京都の高低差の本

なお本書には姉妹本ともいえる本がある。1冊は本書と同じ装丁の『凹凸を楽しむ東京「スリバチ」地形散歩』。本書に寄稿している皆川典久の著書。もう一冊は、京都高低差学会の著者による「京都の凸凹を歩く 高低差に隠された古都の秘密」。どちらも面白そうなので読んでみよう。

菅野完「日本会議の研究」

本書は、ずいぶん売れているようだ。大手書店でも新刊コーナーで平積みされているところが多い。5月のはじめに発売されてから1ヶ月足らずでAmazonのレビューも100件を超え、さらに増加中。売れて当然だと思う。「日本会議」は、安倍政権の閣僚のほとんどが参加する保守系の団体であり、政局を左右するほどの影響力を持ちながら、その実態がはっきりしない組織。テレビ、新聞などのメディアにはほとんど取り上げられず、この組織について書かれた書物もほとんどない。安倍政権を動かす圧力団体、というより安倍政権と一体となって、安保法案など、様々な政策を次々に実現している団体。また在特会ヘイトスピーカー、「行動する保守」と呼ばれる集団ともつながりがあるといわれている。彼らは何者なのか、どこから来たのか、いま何をしているのか、そして、これからどこへ行こうとしているのか?本書は「日本会議」について、その実態解明に取り組んだ、初めての本だと思う。著者は、ネット上ではかなりの有名人のようで、本書は、著者が連載するWebマガジン「ハーバービジネスオンライン」の「草の根保守の蠢動」が元になっている。

彼らはどこから来たか?1966年、長崎大学。もうひとつの学生運動。 

彼らのルーツは、1966年の学生運動に遡る。当時、左翼側では「ブント」が再興されたり、三派全学連が羽田闘争を開始するなど、後年の「70年安保」や全共闘運動と呼ばれる学生運動の下地が整いつつあった頃である。全学連など、左翼側の学生運動に対抗して、右翼側でも「生長の家」信者の子弟からなる「生長の家学生会全国総連合」(生学連)が結成されたという。

右派宗教団体「生長の家」。

生長の家」は、谷口雅春が1930年に創設した、過激な反共意識にもとづく右派的な宗教である。戦後、公職追放されていた谷口雅春は、処分が解けた直後から「明治憲法復活」「占領体制打破」などをスローガンに掲げ、積極的な言論活動を展開しており「愛国宗教家」の異名を持つほどであった。彼は強烈な反共意識と、勢力を伸 ばし始めた創価学会への警戒心にもとづき、積極的な社会運動を60年安保の頃から展開していた。彼が推進するこのような運動は、当時盛んであった学生運動の分野にも広がっていく。

民族派学生運動のヒーロー、椛島有三

左翼学生運動 は拡大を続け、全共闘運動は全国に波及し、各地の大学はバリケードによるキャンバス封鎖や左翼セクトによる自治会占拠などが相次いでいた。右翼学生は各地 の大学に存在したが、質・量ともに太刀打ちできなかった。そんな中、日本社会主義青年同盟社青同)を中心とする左翼学生が占拠していた長崎大学を、生長 の家信徒の学生が「正常化」することに成功する。このニュースは、全国各地の大学で圧倒的劣勢に立っていた右翼学生の希望の星となった。長崎大学正常化を勝ち取った学生たちは、その後、長崎大学学生協議会(長大協:椛島有三議長)を結成し、民族派学生のなかで一躍ヒーローとなる。その活動は九州の他の大学にも広がり「九 州大学学生連絡協議会」(九州学協)となる。この時の彼らの運動手法は「九州学協方式」として全国の右翼学生に取り入れられていく。そして1969年には 「生長の家学生会」「原理研」「日学同」などの右翼セクトが団結し、民族派全学連をめざして「全国学生自治連絡協議会」(全国学協)が結成される。しかし時すでに遅しであった。学生運動そのものが、安田講堂事件や日大闘争を境に下火になりつつあった。戦う相手を失った民族派学生運動は迷走を始め、ご多分にもれず内ゲバに走るようになる。

日本を守る会」との出会い。元号法制定。

1974年、鎌倉円覚寺貫長・朝比奈宗源を発起人として、明治神宮浅草寺臨済宗佛所護念会教団生長の家など、複数の宗教団体が、元号法制定をめざす連合運動組織とし て「日本を守る会」を結成する。元号法制定運動とは、明治・大正・昭和といった元号が、戦後、GHQの占領政策による「皇室典範」の改定により法的根拠を失い、元号制の維持 が危うくなっていたのを、法制化することで存続させようという運動のこと。当時、神社本庁遺族会をはじめとする保守陣営が、躍起になって元号法制定の運動を続けていたが、いっこうに盛り上がらなかった。ちょうど、生長の家を代表して「日本を守る会」の事務局を取り仕切っていたのが、後に参院の法王とまで呼ばれるようになる村上正邦だった。彼は「日本を守る会」のデビューイベントとして「昭和天皇在位50周年奉祝行列」をプロデュースし、成功させるが、肝心の「元号法制定運動」の手応えをつかめずにいた。そこで彼が目をつけたのが全国学協のOB組織として結成された「日本青年協議会」である。その 中心にいたのは、長崎大学正常化を導いた民族派学生のヒーロー、椛島有三である。こうして「日本青年協議会」は、1977年、「日本を守る会」の事務局に入る。椛島は、「日本を守る会」の動員力を利用して、短期間で全国に広がる運動を推進し、わずか2年で元号法制定を実現させてしまう。椛島が、この運動で見せた戦略は

①「国会や政府をゆり動かす」ため、

②「各地に自分たちの問題として取り上げるグループを作り」

③「県議会や町村議会などに法制化を求める議決をしてもらひ」

④「この力をもって政府・国会に法制化をせま」る、

と いうものだ。この戦略は、まさに現在の「日本会議の運動戦略」そのものだという。長崎大学正常化の立役者であり、民族派学生運動のヒーローであった椛島は、短期間の運動で元号法制定を成し遂げ、その実績をベースに「日本を守る会」の中で頭角を現すようになる。長崎大学の闘争から50年近い歳月が流れた。彼は、今「日本会議」の事務総長として、「日本青年協議会」の会長として 我々の前にいる。

 現在の「日本会議」には「生長の家」が参加していない。

日本会議」は、1974年設立の「日本を守る会」と1978年設立の「日本を守る国民会議」を前身として1997年に生まれた。「日本を守る会」に参加した宗教団体の中で現在の「日本会議」には加わっていない宗教団体がある。それが「生長の家」である。「生長の家」は、1983年以降、一切の政治活動、社会活動を停止しているという。現在は「エコロジー左翼」とでもいうような活動を続けており、「日本会議」との人的交流などは一切ない。実は、この「生長の家」との関わりが日本会議の 実態を見えにくいものにしている。

一群の人々。

日本会議の界隈に、著者が「一群の人々」と呼ぶ人達がいる。安倍政権の筆頭ブレインとされる「日本政策研究センター」所長の伊藤哲夫。安倍政権のイデオローグともいえるポジションにいる日本大教授の百地章。さらに中国の南京事件の記憶遺産登録に対して日本政府がユネスコに対して提出した反対意見書を起草した明星大学教授高橋史郎、内閣総理大臣主席補佐官の衛藤晟一。著者は過去の膨大な文献を調べあげ、ほぼ全員が、かって「生長の家」の信者・関係者であったことを突き止める。さらに著者は、椛島有三率いる「日本青年協議会」と伊藤哲夫が率いる「日本政策研究センター」という2つのラインの他に、第3のラインがあるのではないかと推測する。それが「安倍後継の最有力候補」と異名を持つまでになった自民党政調会長稲田朋美と、「谷口雅春を学ぶ会」の代表で、機関誌「谷口雅春を学ぶ」の編集人、中島省治の存在だ。二人とも、政治活動や社会活動から撤退した、現在の「宗教法人生長の家」とは何の関わりもないが、自らが、教祖である谷口雅春の思想を継承していると主張する「生長の家」原理主者である。彼らのつながりの先に、「在特会」や「チャンネル桜」、ヘイトデモの嚆矢ともいえる西村修平など、いわゆる「行動する保守」界隈の人々がいるという。本書の220ページに、著者の問題意識について、要約した文章がある。とても簡潔に日本会議について総括してあるので引用する。『安倍政権の反動ぶりも、路上で巻き起こるヘイトの嵐も、「社会全体の右傾化」によってもたらされたものではなく、実は、ごくごく一握りの一部の人々が長年にわたって続けてきた「市民運動」の結実なのではないか?』

 改憲に王手をかけた日本会議

現在、「日本会議」が最大の力を注いでいるのは、憲法改正である。2015年、現行憲法の下でも、解釈によって集団自衛権を行使できる法案を成立させ、9条を骨抜きにしておきながら、それにとどまらず、今度は憲法改正を持ち出してくる神経は理解しがたいが、憲法改正は、日本会議の最終目標であり、それに向かっていよいよ王手をかけてきた、と著者は言う。改憲の照準は、2016年参院選直後。まずは「緊急事態条項」であるという。彼らが、それほど「改憲」にこだわるのはなぜだろう。しかし、「日本会議」や自民党からは、どのような憲法に改正していくのかという具体案は提示されていない。そこで著者は、ある集会の模様から、それを読み取ろうとする。それによると、彼らが目指すのは最終的には「明治憲法の復元」であるという。また、安保法制のみならず、安倍政権が、これほど憲法をないがしろにするのは、彼らの中に、現在の憲法を認めない「反憲」の意識があるからだと著者は指摘する。明治憲法の復元をめざす彼らにとって、日本国憲法は、GHQから無理やり押し付けられた憲法でしかないのだろう。

活動の実態。集会に参加してみると。

著者は、日本会議の活動の実態を知るために、2015年11月10日、日本会議が主導する「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が開催する「今こそ憲法改正を!武道館一万人大会」に参加する。大量の観光バスを連ねてやってくる参加者、駅から徒歩で来る参加者、ハイヤーで来る政治家たちを、誘導員たちが合理的かつスムーズに誘導していく。著者は、ガードマンでもイベント会社のスタッフでもない大会関係者による手慣れた運営に感心する。参加者の9割が崇教真光などの宗教団体だという。一般市民の参加者が少なくても、1万人を容易に達成できる。この動員力こそが「日本会議」の力の秘密ではないかと著者は推測する。この動員力は、選挙の時にも発揮されるはずだ。政治家にとって、これほど魅力的なことはないだろう、と。

若い大会スタッフは、どこの所属なのか。

参加者は高齢化が進んでいる。いっぽう運営側のスタッフは若い。彼らはどこの所属だろうと、著者が尋ねると、若者は答えてくれない。強引に「日本青年協議会の人?」と問い詰めると「そうです」と下を向いたまま答えてくれたという。彼らは、どのようにして「日本会議」や「日本青年協議会」に参加するようになったのだろうと、著者は疑問に思う。

櫻井よし子、ケント・ギルバート百田尚樹君が代斉唱。

大会は14時に始まり、2時間きっちりで終わる。司会のあいさつに続いて君が代斉唱。国家斉唱は、大会の中で、会場に、数少ない一体感が生まれた瞬間の一つだった。グルーブ感さえあったという。さらに、会場に一体感が生まれた瞬間が2回あったという。「日本国憲法を作ったアメリカから来た」と自己紹介したケント・ギルバートが「(九条を堅持するのは)怪しい新興宗教の教義です」といった瞬間と、百田尚樹が「(日本人の目をくらますのは)朝日新聞、あ、言ってしまった」と発言した瞬間だ。利害関係も大きく異なる各教団や団体の連帯感を生むのは、国家斉唱とリベラルの揶揄しかない。ひと昔前に掃いて捨てるほどいた、小林よしのりを読んで何かに目覚めた中学生と大差ない。この幼稚ともいえる糾合点が、日本会議の手にかかると、見事に圧力装置として機能しはじめるという。

学生運動時代のつながりが今も続いている。そんなことがありえるのか?

60年代から始まる右派学生運動を戦った生長の家学生信者たち。そのつながりが今も続いていることに著者は疑問を持つ。彼らと戦った左翼学生運動の組織は、その後、内ゲバや集合離散を繰り返し、党派としてはおろか人間関係としても元の姿をとどめていないのとは好対照である。その一体感はどこから来るのか。なぜ同志の紐帯を維持し続けることができたのか?著者は、彼らの中心に強い求心力を持ったカリスマが存在するのではないかと推測する。椛島有三伊藤哲夫、中島省治は、それぞれ有能だが、カリスマではない。そこで著者は、日本会議の原点が60年代の長崎大学正常化の運動であったことから、その人物も、あの時代の、あの場所のどこかにいるはずだ、と仮定して調べ始める。著者は長崎県立図書館に籠り、当時の新聞を漁ってみる。その中から一人の人物が浮かび上がってくる。長崎大学紛争を伝える1967年の新聞に、「学生協議会初代議長 安東 巌」の名を見つける。椛島より前に学生協議会議長であった人物がいたのだ。そして同時に「生長の家青年会」の副会長まで登りつめていた安東 巌。「日本政策研究センター」所長の伊藤哲夫は当時、安東の部下だったという。「安東こそが、日本会議の一群の人々の強い結束を作り出し、維持してきたカリスマではないか?」という疑問を、安東を知る関係者にぶつけてみると、「安東はね、そんな生易しいもんじゃないんだよ」「君ね、安東だけはやめなよ。触っちゃいけないよ」「安東はね、怖いんだよ。オレは話さないよ」という反応が返ってくる。関係者たちの脅かしにもめげず、著者は安東の生い立ちを調べ始める。幸い、安東自身が書いた本が見つかる。

神の子。

安東巌は、1939年生まれ。高校生の時に心臓弁膜症の一種で、肺動脈弁狭窄症を患い、長く病床に伏したため、手足も硬直して動かなくなった。そんな状態のまま闘病生活は7年目を迎えた。友人達は大学に進学し、卒業していった。彼は満足な治療を受けさせてくれなかった母を恨むようになっていた。そんな彼に転機が訪れる。自分のように病気で苦しんでいる人が他にもいるはずだから、そういう人とつながる「病友会」をつくりたい、という投書を朝日新聞に送る。投書は掲載され、はげましの手紙が届くようになる。その中に「病友会の結成よりも、光明会の結成こそ、貴殿の使命である」というハガキがあった。同じ差し出し人から「月刊生長の家」が送られてきた。安東は「月刊生長の家」を貪るように読み、谷口雅春の説く教義に魅了されていく。生長の家の根本経典である「生命の実相」を読んだ彼は、ますますその教えの虜になる。「生命の実相」では「人間神の子、本来、病なし」と説く。その一節を安東は、繰り返し、一生懸命唱えた。やがて、「人間神の子、本来、病なし」という教えを心底から「悟った」と言える境地に達した。その途端、病状が軽くなり、上半身がどうにか動くようになった。しかし下半身はまだ動かない。そこで安東は、「生長の家」の地方講師から個人指導を受けることにする。地方講師から「親への感謝がなければ病気など癒えない」と、きつく指導される。安東は母親を恨んでいたことを懺悔し、親への感謝を念じるようになる。すると、たちまち病は癒え、立ち歩けるまで回復し、「生長の家」の青年部の活動に邁進できるほどになった。安東 巌に起きた、この神秘体験は、教祖である谷口雅春の口から語られることになる。谷口雅春は、全国各地で多くの講演を行ったが、その講演の中で、安東のことを語っている。日本会議の「一群の人々」の中で、谷口雅春に、その名前を語られた人物は、安東巌ただ一人である。

椛島有三と出会う。

病気が癒えた安東は、高校に戻り、学業を再開し、1966年には長崎大学に入学する。そこで6歳年下の椛島有三と出会う。二人が始めた学園正常化運動は大きく育ち、衛藤晟一百地章高橋史朗といった面々を巻き込みながら「民族派全学連」と言われた「全国学協」に発展していく。「全国学協」はやがて社会人組織「日本青年協議会」を生み、その会長である椛島有三は、現在も日本会議の事務総長を務めている。

鈴木邦男との暗闘

長崎大学の正常化より半年前、早稲田において、左翼ではない学生が一般学生の支持を取り付け、選挙で勝利しバリケードを撤去する成果を生んでいる。その運動を牽引していたのが、当時、早稲田大学学生連盟の代表を務めていた鈴木邦男である。熱心な「生長の家」の信者でもあった鈴木は、教団内部でも高く評価されるようになり、1966年5月に結成された「生長の家学生会全国総連合」(生学連)の初代書記長に選出される。その半年後、長崎大学正常化が実現し、安東と椛島が作り上げた運動のスタイルが、九州から全国へと広がっていく。すでに鈴木のいる「生学連」があるにもかかわらず、「地域学協」が全国各地で展開されるようになった。しかし、1969年に結成された「全国学協」の初代委員長に選ばれたのは鈴木邦男だった。しかし、そこから安東による鈴木邦男潰しが始まる。鈴木を尾行させ、情報を集め、ワナにかける。鈴木の悪い噂を流し、組織の中での立場を悪くしていく。1969年末、学生運動にも生長の家にも自分の立場がないことを悟った鈴木は、失意のまま、仙台に帰郷する。

奇跡の人。

安東巌の「不思議な力」について、著者は各所で聞かされる。安東が講演でしゃべる。話がうまい。しかし、それだけではない。「車椅子のおばあちゃんが安東の話を楽しそうに聞き終えたら、なんと歩いて帰ったんだ」著者も安東の講話を3度ほど聞いたことがあるという。信者に混じり、彼の話を聞いていると、取材の意図や目的を忘れ、話に引き込まれ、爆笑し、号泣してしまっている自分に気づくという。日本会議の、本当の怖さは、その中心に安東のような強烈な求心力を持った「神様」がいることなのかもしれない。

あとがき:日本会議は大きくない、強くない。

著者による「あとがき」を読んで考え込んでしまった。著者は、Webマガジンの連載を始めた頃は、日本会議がもっと大きな組織であると思っていたという。しかし取材を進めるにつれて、その弱さや小ささが目立ってきたという。豊富な資金力があるわけではなく、巨大なスポンサーがいるわけでもない。ひと昔前なら、これぐらいの規模の団体はたくさんあった、と著者はいう。そのなかで日本会議だけが、なぜ、これほどの影響力を持つようになったのか。著者は、他の団体が高齢化と長引く不況のせいでその力を失ってしまったからだという。さらに、日本会議がこれほどの影響力を持つ理由が他にもあると著者はいう。そしてある種の敬意すら込めて、日本会議の人々の熱意を評価する。この文章は、日本会議と日本の現状を見事に総括し、僕らが進むべき方向を示してくれる。長くなるが引用する。

『しかしながら、その規模と影響力を維持してきた人々の長年の熱意は、特筆に値するだろう。本書で振り返った、70年安保の時代に淵源を持つ、安東巌、椛島有三衛藤晟一百地章高橋史朗伊藤哲夫といった、「一群の人々」は、あの時代から休むことなく運動を続け、さまざまな挫折や失敗を乗り越え、今、安倍政権を支えながら、悲願達成に王手をかけた。この間、彼らは、どんな左翼・リベラル陣営よりも頻繁にデモを行い、勉強会を開催し、陳情活動を行い、署名集めをしてきた。彼らこそ、市民運動が嘲笑の対象とさえなった80年代以降の日本において、めげずに、愚直に、市民運動の王道を歩んできた人々だ。その地道な市民運動が今、「改憲」という結実を迎えようとしている。彼らが奉じる改憲プランは、「緊急事態条項」しかり「家族保護条項」しかり、おおよそ民主的とも近代的とも呼べる代物ではない。むしろ本音には「明治憲法復元」を隠した、古色蒼然たるものだ。しかし彼らの手法は、間違いなく、民主的だ。

 私には、日本の現状は、民主主義にしっぺ返しを食らわされているように見える。やったって意味がない、そんなのは子供のやることだ、学生じゃあるまいし……と、日本の社会が寄ってたかってさんざんバカにし、嘲笑し、足蹴にしてきた、デモ、陳情、署名、抗議集会、勉強会といった「民主的な市民運動」をやり続けていたのは、極めて非民主的な思想を持つ人々だったのだ。そして大方の「民主的な市民運動」に対する認識に反し、その運動は確実に効果を生み、安倍政権を支えるまでに成長し、国憲を改変するまでの勢力となった。このままいけば、「民主的な市民運動」は日本の民主主義を殺すだろう。なんたる皮肉。これは悲喜劇ではないか!

だが、もし、民主主義を殺すものが「民主的な市民運動」であるならば、民主主義を生かすのも「民主的な市民運動」であるはずだ。そこに希望を見いだすしかない。賢明な市民が連帯し、彼らの運動にならい、地道に活動すれば、民主主義は守れる。2016年夏の参院選まで、あと数か月。絶望するには、まだ早い。』引用終り。

彼らの力の源。宗教とステルス性。

日本会議」の力の源の一つは、宗教団体を中心とした動員力である。実際に1万人を集めたり、動かしたりできる団体や組織は、今や少なくなっており、政治家たちを惹き寄せるのだ。もう一つの力の源は、運動を動かして確実に実績を上げてきた運用力や実行力だ。教義などに全く共通点が無い、複数の宗教団体が連合できるのも、この日本会議(実質は日本青年協議会)の実行力の高さのためなのである。それともうひとつ本書を読んで感じたのは、「日本会議」(その運営実体である日本青年協議会)の力が、その実態をうまく隠してきたステルス性にあるのではないかということ。本書の中でも、日本会議の地方での運動が「あたかも地方発の草の根運動に擬態する」点が指摘されている。大会を運営しているスタッフも、自分たちの所属を隠すように指示されているようである。さらに目的に合わせて「美しい日本の憲法をつくる国民の会」のようなフロント組織を立ち上げ、活動主体である彼ら自身の姿は、その陰に隠れて見せないようにしている。活動主体が見えない時、その活動は、まるで社会現象のように見えてしまうのかもしれない。本書のような書物で、彼らの正体を可視化することによって、その神通力を奪うことができるのではないかと期待している。今後、本書以外にも多くの「日本会議の本」が出てくるようだが、とても良いことだと思う。これからも著者の活動を応援していきたい。こんな奴らに負けるわけにはいかない。

ウィリアム・ホープ・ホジスン「グレンキャリグ号のボート」

個人的な趣味の本の話。翻訳されるのを、40年近く、待ちに待って、待って、待ちくたびれて、諦めてしまっていた作品。英国の怪奇小説作家ウィリアム・ホープ・ホジスン(1877〜1918)の、ボーダーランド三部作と呼ばれる長編シリーズのひとつ。ナイトランド叢書から「幽霊海賊」「異次元を覗く家」に続いて刊行された。「幽霊海賊」と同様、ファンから翻訳が熱望されていたが、今日に至るまで実現しなかった。翻訳が待ちきれず、ホジスンファンの一人が、かなり詳しいあらすじという形でweb上に公開したものを読んだりしていた。まさに待ちに待って、待ちくたびれての刊行である。これでボーダーランド三部作が完結する。ほんとうに感慨深い。カバーの絵は、「幽霊海賊」「異次元を覗く家」と同じ中野緑さん。ホジスン作品だけではなく、シリーズ6冊とも彼女が手がけている。ちょっと萌えが入った絵は個人的には好みではないが。

読書日記「幽霊海賊」http://nightlander.hatenablog.com/entry/20150731/1438317124

冒頭から、いきなりホラー全開。

冒頭から、いきなり、主人公たちは救命ボートの上にいる。グレンキャリグ号が南の海で座礁、沈没し、乗組員たちは2艘のボートに分乗して漂流している。もう5日も陸を見ていない。6日目にようやく陸を発見し、近づいていく。やがて河口を見つけ、水を求めて河を遡っていく。しかし、何かがおかしい。土地は低く、低い樹木が茂り、藪が生えているが、生物の気配がまったくない。鳥も飛ばず、カエルの鳴き声も聞こえてこない。いくら遡っても、水は海水のままで、淡水にならない。

生きている肉

夕暮れが近づいた頃、周囲からむせび泣くような声が聞こえてくる。声は、呼応しあうように陸のあちこちから響いてくる。さらにその声に混じって、大きな動物らしい咆哮が聞こえてくる。夜が来ると、声はますます激しくなり、近づいてきて、ボートを取り囲む。船員たちは恐怖に怯えながら朝を待つ。夜が明けると、声たちは消えてゆく。さらに河を遡ると、支流の上流で岸に乗り上げて動けなくなった船を発見する。主人公たちはこの無人の船に乗り込み、食料などを探す。幸い食料は見つかるが、水はどこにも無い。船内で見つかった日記に、近くに真水の泉があるという記述があった。やがて夕方が近づくと、あの声が聞こえてくる。船乗りたちは、無人船の一室に立てこもって、夜をしのごうとする。果たしてその夜、怪物がやってくる。例によって怪物の詳細な姿は描かれていない。恐ろしい咆哮、大雑巾を引きずるような音、そして船室のガラス窓に貼りついた怪物の体の一部の描写が「生の牛肉からなる幾重もの肉襞だった」。

人面樹、人食い樹。

怪物の襲撃をしのぎ、ようやく朝を迎えた一行は、真水の確保のために上陸する。ほどなく真水の泉を発見するが、周囲には妖気が漂っていて船乗りたちを怯えさせる。大急ぎで水をボートまで運び、積み込み終えた頃には、夕暮れが近づいていた。主人公は、ボートに乗り込もうするその時、泉に武器の長刀を忘れてきたことを思い出す。すると一番若い見習い水夫のジョージが、自分が取ってくると叫んで、泉に向かった。水夫長がやってきて、少年を泉に行かせた主人公を叱り、自らは泉に急ぐ。主人公も一緒に、泉にたどり着く。しかしジョージはいない。水夫長がジョージの名を呼ぶと、離れたところから返事が聞こえた。走り寄って、ジョージを捕まえると、ジョージは長刀で何かを指し示した。主人公たちが、示された先をみると、木の幹にへばりついた一羽の鳥のようなものがあった。それは紛れもなく木の一部であったが、細部まで鳥の姿をしていた。水夫長が、ジョージに、なぜ、こんな先まで来たのかと問いただすと、彼は木立の間から「声」が聞こえてきたのだという。声を探して、ここまで来たところで、この「鳥」を発見したのだという。3人は急いでボートに戻ることにした。日は暮れようとしていた。そして、遠くから、あの、すすり泣くような声が聞こえてきた。その時、3人は異様なものを目撃する。それは木であった。木の幹に人の顔がついている。しかも幹の反対側には女性の顔が付いているのだ。その木が3人に向かって泣いたように見えた。水夫長は恐怖に駆られて、刀で木を斬りつけると、驚くことに赤い血液が流れ出た。木は悲痛極まりない声で泣きわめき、悶えはじめた。周囲の木も一斉に泣きながら揺れ始めた。すると枝の先についていたキャベツのような実がヘビのように主人公たちに向かってきた。襲ってくる「実」を長刀で切り捨てながら3人はボートへ走った。ようやくボートに飛び乗ると、大急ぎで岸を離れ、河を下った。一行は海に出てようやく一息つくことができた…。しかし、この冒険は、ほんの序章に過ぎなかった。一行はとてつもない大嵐に襲われた後、さらに恐ろしい海域に入り込んでいく。

帆船時代の階級社会。

本書を読んで、興味深いのが当時の船乗りの世界の階級だ。主人公は、いわゆる郷紳階級に属する若者であり、グレンキャリグ号の客である。いっぽう遭難した船乗りたちの指揮をとるのは水夫長である。船長は座礁・沈没の際に死んだか行方不明になっているらしい。水夫長は、すべてを知り、判断し、決断する。その知識・知性ともに群を抜いて優れている。彼の命令は絶対であり、船の客である主人公もそれに従わなければならない。無事に脱出できた後、水夫長は、主人公を自分の指揮下に置くのをやめ、客として遇しようとするが、主人公は、それを拒否し、港に帰りつくまで、乗組員の一人として扱うように求める。また当時は、文字の読み書きができる者が少なく、他の船との手紙のやりとりも文字が書ける主人公や他の客が受け持つことになる。文字の読み書きができるということは、現代なら無線通信の資格を持っているぐらい貴重なスキルだったのだろう。

ホジスン 海洋奇譚の集大成。

ホジスンは、13歳の時から見習い水夫として船に乗り、 苦労を重ねて航海士になった。その時の体験を活かして、海洋を舞台にした怪奇小説を多く書いているが、本書は、その集大成といえる作品。船を閉じ込めて航行不能にする海藻の海、巨大なキノコに覆われた島、不気味な難破船、人を襲う巨大なカニやタコ、正体不明の凶暴な怪物、人 食い植物、人面樹、海藻人…。これまで短編作品の中でしかお目にかかれなかった怪異のオンパレードである。昨年翻訳された「幽霊海賊」が、幽霊船や幽霊のような 超常現象を描いたの対して、本書は、南の海のどこかに存在するかもしれない秘境を描いた作品であるといえる。この2冊を読めば、海洋怪奇小説のほとんどの要素が網羅されていると思う。しかし、本書にはホジスンの大きな特色のひとつである、宇宙的ともいえる壮大なビジョンは感じられない。「異次元を覗く家」や「ナイトランド」の世界だ。ホジスンは怪奇小説作家と言われるが、彼が描く作品には、どこかジュール・ヴェルヌコナン・ドイル、H.G.ウエルズなどのSF作家たちと同じ匂いがある。本書を読んで、「異次元を覗く家」「ナイトランド」をもう一度読みたくなった。

 

加藤典洋「村上春樹イエローページ1/2/3」

同じ著者による「村上春樹はむずかしい」を読んで、さらに、初期の村上作品を再読してみて、色々と考えさせられるところがあった。そこで「村上春樹はむずかしい」の前身とも言える本書も読んでみることにした。幻冬社から文庫で出ているが、1、2は絶版。3も大手書店には在庫がなく、アマゾンで古本購入。「風の歌を聴け」から「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」までをカバーした「1」だけを読むつもりだったが、結局「3」まで読んでしまった。

40年読み続けている作家の批評を読むこと。

20代初めから読み始め、40年近く経った今も読み続けている小説家は、そうたくさんいない。村上春樹は、その数少ない中の一人。しかも初期の頃は反発を覚えながら読み続け、最近の十数年になって、共感をもって読むようになったという経緯がある作家は、村上春樹しかいない。そんな作家の仕事を、早くから評価し、長年にわたって批評してきた著者による、詳細を極めた読解である。本書の3巻を費やして語られる村上作品の、ほぼ全部を自分が読んでいるということが、本書の読書体験を特別で濃密なものにする。それは自分自身が生きてきた40年をたどり直す体験でもあるからだ。本書を読みながら、様々な記憶が蘇ってくる。多くの事件、様々な流行、読んできた膨大な本、観た映画の数々、恋愛や結婚、そして仕事のこと…。本書の中で紹介される村上作品のディテールを読んでいるうちに、忘れていた記憶が不意によみがえってきて、思わず本を閉じてしまいたくなる瞬間が何度もあった。こんな読書体験は、ちょっとできない。

多視点による読解。

自分が読み続けてきた一人の作家の作品群を、これほど徹底的に詳細に解剖した本は他にない。大学の講義の一環として行われた、「複数の読者による多視点の読解」という試みによるところも大きいと思う。一人の読者なら見落としてしまいそうな「気づき」が随所に散りばめられている。さらに煩わしいほど頻繁に出てくる「図解」や詳細な「表」によって、読者は、新たな視点に立たされて、作品を見つめることになるのだ。ふだんの一般的なリニアな流れの文章に慣れた読者は、慣れるまで時間を要するかもしれない。作品をめぐるちょっとしたコラムのような文章も、多視点ならではの読解で、面白い。時間軸に沿って旅をする「村上春樹ワンダーランド」を歩くためのガイドブックのようだ。作品の世界と、村上春樹のバイオグラフィに、時代の潮流、さらに自分自身の記憶をもたどることになるので、読後感としては、壮大なオデッセイから帰ってきたような達成感と疲労を感じた。

穿ちすぎの解釈。

著者による解釈は、時には拡大解釈しすぎだろうと感じるほど大きく飛躍する。それは、時には納得できないほど遠くへ読者を連れていく。まあ、それも面白い。著者による村上作品の解釈は、「風の歌を聴け」に始まる初期の三部作の解釈を除けば、ほぼ納得できた。 納得できなかった解釈とは、初期三部作の中で、登場人物の「鼠」がすでに死んでおり、登場してくるのは「幽霊」としてであるという解釈である。著者がそのように解釈する理由は理解できないことはないが、個人的には飛躍しすぎであると感じた。

時代の賜物。

本書を読むと、村上春樹という作家も、様々な時代の潮流の影響を受けていることがわかる。ビージーズの歌、コッポラの「地獄の黙示録」スティーブンキングのホラー小説、そして阪神大震災地下鉄サリン事件、神戸の少年Aの殺人事件…。村上作品は、これらの事件や潮流から、時には無意識のうちに影響を受けているという。

 阪神大震災とオウム。

イエローページ3では、その中でも、阪神大震災地下鉄サリン事件村上春樹という作家に及ぼした影響と、それによって引き起こされた変化について、詳細に語っている。地下鉄サリン事件の被害者にインタビューした「アンダーグラウンド」。元オウム信者と現オウム信者にインタビューした「約束された場所で アンダーグラウンド2」。僕自身も、この2冊を境に、村上春樹に対する読み方が変わっていったことを覚えている。本書ほど精緻に読んだわけではないが、サリン事件の被害者からは「普通の人のすごさ」を発見。元オウム信者からは「オウムの荒唐無稽な稚拙な物語が持つ力」を思い知らされる。それ以降、村上春樹は「神の子どもたちはみな踊る」「アフターダーク」など、従来の自閉的な世界と抽象的なパラレルワールドで成り立つ世界とは大きく異なる領域に踏み出してゆく。それは「スプートニクの恋人」「海辺のカフカ」を経て、大作「1Q84」につながっていく。作家の中に起きた、大きな変化を、著者は、推理小説の探偵のように、様々な証拠を提示しながら丁寧にたどってゆく。その過程は本書のいちばんの読みどころである。

「3」がいちばん面白い。

3冊の中で、やはり3がいちばん面白く読めた。それは僕自身が、村上春樹への共感を持つようになった時期の作品を読み解いているからだろう。最後のほうの、村上春樹が翻訳したサリンジャーキャッチャー・イン・ザ・ライ」をめぐる読解も、とても面白く読めた。

詳細な読解に耐える村上ワールド。

それにしても、このような詳細な読解や考証に耐える村上ワールドとはいったい何だろう。日本の現役作家で、そんな小説家は他にいない。著者によると、村上春樹は、その創作の大半を無意識の部分によって行っているからであるという。そして、村上は、デビューの頃から、現在まで、そのやり方を頑固なまでに守り続けているという。最相葉月のノンフィクション「セラピスト」の中で語られる「絵画療法」の、言葉(因果律)に縛られない対話が、患者を癒すのだという一節を思い出した。言葉では語ることができない「無意識の物語」を、言葉による小説で表現しようとする、矛盾に満ちた創作の困難さを思わずにいられない。

高城剛「空飛ぶロボットは黒猫の夢を見るか? ドローンを制する者は世界を制す」

読んで、かなりショックを受けた。これまで著者の本を何冊読んできたことだろう。怪しいという人もいるが、新しいトレンドを嗅ぎ分ける嗅覚の鋭さと、自身のライフスタイルすらガラリと変化させてサバイバルしていく柔軟性には、いつも驚かされる。著者は、2012年、フランス・パロット社のARドローンを購入して以来、ドローンに夢中になり、数十台のドローンを購入、総額1000万円以上を費やしたという。タイトルはもちろんP.K.ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」へのオマージュ。黒猫はクロネコヤマトから。           ※写真は2010年に僕自身が購入したパロット社のARドローン初代機

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2015年、ドローンは突然、注目を浴びた。

2015年4月、首相官邸の屋上にドローンが落下。5月の三社祭りにドローンを飛ばすと予告した少年が逮捕された…。ドローンは、日本では、どちらかというと人騒がせな事件によって注目を集めた。その時点で日本にはドローンを規制する法律は存在しなかった。政府は大急ぎで法整備を急いだ。その後も、ドローンに関する報道は事件が中心だった。しかしamazonがドローンによる宅配の実験を進めているなどの情報が紹介されると、今度はビジネスの面で俄然、注目を浴びるようになった。安倍政権は「ロボット革命実現会議」を設置。12月には、千葉県をドローン特区にして、ドローンによる宅配実験を始め、3年以内に同県で宅配サービスを開始するとしている。ソニーモバイルも、ロボットベンチャーZMPとコラボで、ドローンビジネスを立ち上げた。インターネットがモノの世界とつながっていくIoT(Internet of Things)の時代、ドローンは、その切り札となるテクノロジーであると位置付けられるようになった。

2種類のドローン

著者は、ドローンには2種類あるという。インターネットの延長としてのドローンとそうでないドローン。後者は、いわ ばラジコンヘリの延長であり、操縦者が必ず操縦して飛行させる、現在、空撮などに使用されているドローンだ。著者が注目するドローンはもちろん前者である。GPS電子コンパスによって自動飛行し、様々な目的に使用される。空撮、農薬散布、商品の宅配、災害現場や火山など危険箇所の観測、測量など、その 用途は、今後ますます広がっていく。

空飛ぶスマホ

著者は、さらにドローンは「空飛ぶスマホ」であるという。CPU、通信モ ジュールを持ち、GPS電子コンパス、ジャイロ、様々なセンサー、そしてカメラまでも備えている。違いは「空を飛んで移動する」こと。ここ数年の間に、 スマホが私たちの生活を大きく変えたように、この「空飛ぶスマホ」は、これからのくらしをガラリと変えてしまう可能性がある。

ECのラストワンマイルをドローンが担う時代がくる。

著者は、今後、モノのインターネットではなく、インターネットのモノ化が進んでいくという。サイバースペースは、これから現実の物理空間に拡張されていく。その時、ドローンが大きな役割を果たすの だと、著者は予測する。音楽や映像や電子書籍ならデジタル化して、インターネットで流通させることができる。しかし実際のモノを送るためには、既存の宅配 サービスを使わなくてはならない。ECサイトamazonでは、約5件に1件が配達先不在であり、それを人間が行うコストは馬鹿にならない。物流のラス トワンマイルともいえるこの宅配業務をドローンに置き換えることができたら大きなコスト削減になるという。Googleがインターネット上のあらゆる情報 をクローリングで読み取り、アクアセス可能な形に再構成したように、リアル世界の隅々までアクセス可能にする、その鍵を握るのがドローンだという。

ラジコンヘリとの違い。

無線で操縦する飛行機やヘリコプターは以前からあった。ドローンはそれらとどこが違うのだろう。著者によると 自律性だという。従来のラジコンヘリは、操縦のすべてを人間が行う必要があったため、操縦は、本物のヘリコプターに匹敵するほど難しかったという。これに 対してドローンには、ジャイロコンパスや各種のセンサー、GPS受信チップが搭載され、ある程度自律的に飛行することができる。飛行中、操縦を止めても、 そのまま自動的に空間に浮かんでホバリング(空中停止)を続けることができる。また操縦そのもの格段に優しくなっている。あらかじめ指定したコースを自動 飛行したり、人物などの移動体を追跡することも可能。

ドローンで、モノづくり王国・日本が復活なるか?

ハードウエアとソフトウエアが一体となった開発が求められるドローンは、モノづくり大国・日本が復活する大きなチャンスになるのではないか…。僕自身、そんな希望をいだいて日本のドローン開発に注目していた。ヤマハ発動機は、早くから農薬散布や空中作業を行う大型のラジコンヘリコプターを製造している。しかもドローンに使用される多くの部品が日本製だという。センサ類、電子コンパス、小型カメラ、画像処理チップ…。工業ロボットでも高いシェアを持つ日本。AIBOを生み、ASIMOを生み、ペッパーだって発売しているロボット先進国日本の出番だ。しかし本書を読むと、そんな希望は、ほぼ打ち砕かれる。

日本はドローン開発で大きく出遅れている。

著者によると、日本がドローンのビジネスで世界をリードするのは、ほとんど絶望的であるという。様々なセンサやカメラ、画像処理技術などドローンに使われている部品の多くが日本製である。DJIの開発者は、自社のドローンが準日本製であるとすら語っている。それにもかかわらず日本からは有力なドローンメーカーが出てこないのはなぜなのか?著者はドローン市場を牽引する3つのドローンメーカーのトップにインタビューを試みて、その答を見つけようとする。

世界の3大ドローンメーカー。

現在、ドローン市場を牽引しているのは3つのドローンメーカーである。雑誌Wiredの編集長で、「ロングテール」「Free」「Makers」等の著者であったクリス・アンダーソンが起こした3Dロボティックス社。中国南部の深圳(しんせん)に拠点を置くDJI。そしてフランスのパロット社である。3社はそれぞれがまったく違う特色を持った企業である。著者は、3社を訪れ、それぞれのトップに話を聞いている。3Dロボティックス社は、創立当初からオープンソース戦略を採用。世界中のユーザーや技術者とともに開発を進めてきた。DJIは3Dロボティックス社と正反対で、徹底した独裁主義、秘密主義を貫いている。DJIは本部の所在すら明らかにしておらず、本部が入っているビルも看板等はなく、外部からはまったくわからないという。この秘密主義のDJIが、現在、世界のドローンの7割を占めているという。DJIがドローン市場の先頭を走っている理由は、ハード、ソフト一体となった開発スピードにある。3番目はフランスのパロット社。著者が最初に買ったドローンがフランスのパロット社製だった。同社のドローンは、産業や流通のあり方を変えるドローンではなく、あくまで「美しくて、楽しいおもちゃ」である。しかし、おもちゃとはいえ、その性能はあなどれない。

広東チャイニーズシリコンバレー、深圳のスピード。

DJIの圧倒的な開発スピードを生み出しているのは、同社が拠点を置く深圳という街だという。深圳という都市は、90年代に世界中のアパレルブランドの製造拠点として発展し、近年はテクノロジー化が急速に進み、広東チャイニーズシリコンバレーと言われるほど大発展を遂げている。中国は、国を挙げて、この地域に人材とマネーと集中させて、世界最大の製造拠点を作りあげてきたという。深圳にはドローン工場、ドローンの部品を製造する大小の工場が数多く存在し、ドローンビジネスを支えている。そこには、かつて秋葉原に大勢いたようなモノづくりおじさんやにいさんが現在もたくさんいて、どんな要求にも応えてくれるという。ドローンを作りたければ、深圳に出かけて、製造のコーディネート会社に希望するスペックを伝えると、3〜4日で試作サンプルが出来上がってくる。それが気に入れば、量産の見積もりは1日でアップ。日本なら「いったん預からせてもらいます」と持ち帰って、2週間は待たされるのが普通だが、その頃には深圳では、量産が始まっている。このすさまじいばかりスピードはシリコンバレーをもはるかにしのぐ。深圳の1週間は、シリコンバレーの1ヶ月間に匹敵すると言われているが、著者によると、ドローンの分野ではもっと差が開いているという。3Dロボティクス社が3ヶ月かけてやることをDJIは1週間で済ませているらしい。シリコンバレーには、パソコンの黎明期には、大小の工場がたくさん存在し、そこからアップルやマイクロソフトが出てきたが、ビジネスの中心がハードからソフトやネットに移行した段階で、ハードが陳腐化し、付加価値を生み出せなくなったため、モノづくりそのものが南米やアジアに移転してしまい、国内でハードウェアを開発・製造する環境がなくなってしまった。3Dロボティクス社のドローンも、DJI近くの工場で生産されているという。

アメリカは軍用ドローンの実績がある。

民生用ドローンの開発では大きく水をあけられたアメリカだが、軍事用ドローンに目を向けると、多くの蓄積がある。膨大な予算を投じて開発される軍事用ドローンには、民間企業では難しいブレイクスルーが起きる可能性が高いという。それらに関わった技術者が民間企業に下ることで、イノベーションとなり、中国をいっきに逆転する可能性は十分にあるという。

日本発のドローン。

このような状況の中で、日本発のドローンは可能なのか。著者によれば、よほどのことがなければ、日本がドローンビジネスをリードすることはありえないだろうという。著者によると、最も大きな理由が、起業家や経営者の「博才感」であるという。ものになるかどうかわからないものに「賭ける度胸」というのか。「失われた25年」で日本が失ったのは、この「賭ける度胸」だという。日本では、誰もリスクをとらず、国家からの補助金の奪い合いだけが横行し、何か問題が起きても自分の責任を回避できる状態にならなければ何事も決定しないという。そして、その段階では、当たろうが失敗しようがどうでもいい話になってしまっている…。著者が、これまで関わってきた日本のドローン関係者に対しては終始辛口だ。

日本の進むべき道はあるか?

徹底した秘密主義と独裁、そして圧倒的なスピードで先行する中国は、日本の協力など必要としていない。そして同じ中国人どうしでも信用しない中国の企業が日本を信用するわけがないという。ソニーモバイルの試みも、あまりにスケールが小さいという。デジタル一眼のブランドであるαの名を冠したドローンを出すぐらい思い切ったことをやらなければ勝ち目はないだろうという。日本に残された道は、オープンソース戦略を選んだアメリカと協力関係を保ちながら、中国に負けないドローンを開発することだという。さらに日本独自の「3Dスマートタウン」や「ドローンシティ」といったシステムインテグレーションのノウハウを構築することにある、と、著者は考えているという。

これはドローンだけの話ではない。未来の覇権を争う米中戦争の話なのだ。

本書を読み終えて感じたこと。僕自身も2010年に、本書にも登場するパロット社のARドローン初代を購入。まだ搭載カメラも貧弱で、飛行時間も短かったが、スマホで操縦する、その面白さに魅了され、大きな可能性を感じた。将来は、ランニングの練習に出かけるときに、ドローンがついてきて、水を運んでくれたり、ペースやタイムを教えてくれたり、暑いときは、空飛ぶ扇風機になってくれたりする…みたいな妄想を楽しんでいたことを思い出した。それから5年、ドローンは、あっという間にロボティクス革命の先端に躍り出た。著者によるドローンをめぐる米中の覇権争いの実態を知るにつれ、これは、単に空飛ぶロボットの話ではなく、未来の覇権をめぐる米中戦争の話なのだ、と思った。そして日本が、その競争に加わることは、ほとんど無理だということもわかって、ショックを受けた。著者が最後に日本が生き残る道として提示した、「ドローンシティ」のような、システムインテグレーションの方向も、そんなに簡単ではないだろう、と思った。

 

ミシェル・ウエルベック「服従」

これも原さんから。フランスにイスラム政権が誕生するという架空の近未来を描いた小説。日本の読者の間でもかなり話題になっている。読んでみてとても面白かったのだけれど、僕の知見では、要約や批評的な文章は到底無理。フランスにイスラム政権が成立する過程の政治闘争や選挙の話はほとんど理解できず、また主人公が研究している19世紀の作家J.K.ユイスマンスも一冊も読んだことがないので、僕には、本書を語る資格なし。だから、とりあえずの読後感想を記す。

ディストピア小説、ではないが…。

最初に読み始めた時は、オーウェルの「1984」みたいなディストピア小説かなあ、と思ったけれど、読み進むにしたがって印象が変わってくる。日本で、イスラム政権成立なんていう設定の小説を書くとしたら、SFにしかならないけど、フランスではリアリティがあるのかもしれない。中東やアラブ諸国に隣接し、移民や難民の問題が深刻化するヨーロッパでは、ありうる話として捉えられているかもしれない。

主人公のフランソワは、19世紀のデカダン派の作家、ユイスマンスを研究する大学教授。パリ在住の44歳。研究のかたわら、ガールフレンドや女子学生とのセックスを楽しんいる。少ない講義のほかは、同僚の教員とのつきあいや大学のパーティなどが、彼の日常となっている。政治には興味を持っているが、距離を置いている。そんな彼の日常が、大統領選挙をきっかけに、少しずつ侵食されていく。パーティの後、友人の家に向かう途中、爆竹のような銃声を聞く。

世界は、こんな風に変わっていく。

本書を読んで、人々の生活を根底から覆すような政治体制の変化も、その始まりは、本書が描くように、日常の中に「銃声」のような小さな異物が紛れこんでくることから始まるのだなと思った。僕らも、ある日、街なかで、本物の銃声を聞いた時、それを銃声と認識するのは難しいだろう。なぜなら、本物の銃声をじかに耳にしたことがある人間なんてこの日本ではほんとうに少ないからだ。そして、知らず知らずの内に侵食は進行し、ある日、自分がまったく違う世界の中にいることに気がつく。主人公は、ある日、大学の中に入ることを拒絶される。大学の教員は全員がイスラム信者でなければならなくなり、主人公は、解雇される。しかしサウジアラビアのオイルマネーをバックに持つ政権は裕福で、主人公の生活は年金によって保障される。しかし主人公の才能を惜しむ大学の関係者は、主人公にイスラム教への改宗を勧める。そして結局、主人公は、イスラム教徒になり、大学への復職を果たす…。

ヨーロッパが壊れかけている。

本書の解説で、佐藤優は、本書がヨーロッパに人々に衝撃を与えた理由のひとつとして友人の「ヨーロッパが壊れかけているからだ」という説を紹介している。「ギリシア危機に象徴されるようにEUの通貨統合は危機に瀕している。(中略)現在、EUが経済的、政治的に統合できると考えているヨーロッパ人はいない。EUは再び分解過程を歩み始めている。EUが分解し、ドイツとフランスが対立するようになると再び戦争が発生するのではないかという不安がヨーロッパ人の深層心理に潜んでいる」「21世紀の独仏戦争?」「そうだ。EUが分解するとその危険が生じる。それよりもイスラム教のもとでヨーロッパの統一と平和が維持される方がいいのではないかという作業仮説をウエルベックは『服従』で提示しているのではないかと思う。ヨーロッパ人は、自らが内的生命力を失ってしまっているのではないかと恐れている。この恐れが『服従』からひしひしと伝わってくる」

ますます混迷に向かう世界の中で。

本書を読んでつくづく思うのは、僕らが拠って立つべき精神的基盤ともいえる知識や教養の脆弱さ。そして民主主義や自由主義には、政教一致の圧倒的な強みを持つイスラム主義に対抗するパワーがないことである。21世紀になっても、世界は有効な社会や国家のカタチを見つけられずにいるということ。

ifの力。これはSFだ。

ウエルベックの、この想像力。僕に言わせると「SF」だ。読んでいて楽しくはないが、ゾクゾクする作家。もっと読みたい。幸いなことに数冊が文庫化されている。さっそく「素粒子」を買って、読み始めた。